宮崎哲哉 ついに単独で仏教書を出版
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ミミミミミミ 秘書が改竄
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\ ::`.. \:/ ..': 内閣機密費
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昭 恵 ブ タ の 隠 部
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".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′ 佛とは嘘で在り、悪で在る。
仏教なる名目に於いて一般労働からの逃亡を謳歌せし僧侶達は常に自己と周囲を欺く。
何ぞ反動的冒険を行えど、其れすら仏道の証と決定し、粉飾に塗れた生涯の一頁に刻むのだ。
例を挙げん。特権階級は道義的な労働条件から全く逸脱した人権の蹂躙たる酷使や富の再分配を忘却した独占主義なる犯罪行為に手を労働者の血で染めては其れを「ノブレスオブリージュの代償」と呼ぶ。
労働争議で被虐者が起てば、工場は生産是れ唯一の場所に非ずと言い出す。
資本家は青春の二文字をさも金科玉条かの如くに思慕し、如何なる一般的解釈も社会通念も屈曲する。
支配層に係れば虚偽も欺瞞も、詐術も弾圧さえも青春の香辛料でしか無いのだ。
又、封建領主は其の悪行に、其の詭弁に特別性を見出す。自己の労働からの逃亡は遍く青春の一部分で在るが、労働者の逃亡は青春でなく只の叛逆にして重罪であると断じるのだ。
仮に逃亡する事が仏道の証で在るのなら、資本家化を拒絶した労働者も又青春の中軸でなければ破綻的矛盾を生む。
しかし、肥え太った僧侶共は其れを認め無いだろう。
何の事も在らぬ。全体汚らしい豚の都合主義の範疇を超え無い。畢竟、其れは欺瞞に他成らぬ。虚偽も欺瞞も詐術も弾圧も糾弾される可き物だ。
資本主義は悪の源泉だ。
演繹的にも帰納的にも前衛的に仏道(笑)を謳歌してい無い労働者の方が正当な真理的正義で在る。
結論を言おう。
共産主義こそ根本である。 仏教論争 (ちくま新書) 新書 2018/5/9 宮崎 哲弥 (著)
主要な参考文献は、
原始仏教思想論 特に大乗思想の淵源に注意して 木村泰賢 丙午出版社 1922
和辻哲郎全集(仏教倫理思想史) 第19巻 岩波書店 1963
印度哲学研究〈第2?〉 (1965年)1965 宇井 伯寿
原始仏教思想の研究―縁起の構造とその実践 (1969年) 舟橋 一哉
初期仏教の思想〈下〉 (レグルス文庫)1995/4 三枝 充悳
等々
25日に電子書籍版が出るので再度確認したい 191頁
縁起説論争--死に至る病 (仏教学研究の諸問題)掲載誌 東洋学術研究 20(1) 1981.04 p.p49〜68
梶山 雄一
http://www.totetu.org/assets/media/paper/t100_049.pdf
64~5
著作集1に再録? 128頁
武内義範「縁起説の解釈」?
仏教の思想―その原形をさぐる (中公新書 364) 新書 1974/6
上山 春平 (編さん), 梶山 雄一 (編さん) 『仏教論争』第1章で言及されている以下あたりが基本文献だろう。
20頁
ブッダのことば−スッタニパータ (岩波文庫) Kindle版
中村 元 (著)
16頁
阿含経典3 (ちくま学芸文庫) Kindle版
増谷文雄 (編集)
64頁
大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫) 文庫 2004/10/25
梶山 雄一 (翻訳), 瓜生津 隆真 (翻訳) 33頁
小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)〜正田大観 翻訳集 ブッダの福音〜 Kindle版
正田 大観 (著)
ウダーナ聖典(自説経)菩提の章 1. 1 第一の菩提の経( 1)冒頭が引用されている
(これが十二支縁起の原型らしい)
kindle unlimitedで読めるのでオススメ
308~9頁
仏法【新装版】 Kindle版
ポー・オー・パユットー (著)
1:4に十二支縁起詳説(日常生活における簡単な意味)
これもunlimitedで読める 本書を読む前に以下の図を知っておくべきだ。パユットー『仏法』にもより正確な同図がある。
(地獄から始まる六道輪廻図。外縁真下にある無明から時計回りに十二支縁起)
触______受_____愛
/ 天 /\
/ /人 \
六処/ 阿 / \取
/ 修 ____/ \
/ 羅 / \ \
名色_______/ 蛇 雄鶏 \_______\有
\ \ 豚 / 畜 /
\ \____/ 生 /
識\ 餓 / \ /生
\ 鬼/ \ /
\ / 地獄 \ /
行\/__________\/老死
無明
https://i.imgur.com/Erf4nyz.jpg(『ダライ・ラマの仏教入門』より) 上の図では欲望(雄鶏)、怒り(蛇)、愚かさ(豚)という三大煩悩=三毒が円の中心
最初は無知(無明)があり、
無知によって行為(行)が生じ、
行為によって意識(識)が生じ、
意識によって名称と色彩(名色)が生じ、
名称と色彩によって六つの感覚領域(六処)が生じ、
六つの感覚領域によって接触(触)が生じ、
接触によって感受作用(受)が生じ、
感受作用によって欲求(愛)が生じ、
欲求によって執着(取)が生じ、
執着によって生存と呼ばれる成熟した業(有)が生じ、
生存によって誕生(生)が生じ、
誕生によって老衰と死(老死)が生じる。
むろんこの因果の系列は逆に回ることもある。 33頁
小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)〜正田大観 翻訳集 ブッダの福音〜 Kindle版
正田 大観 (著)
ウダーナ聖典(自説経)
阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る
1 菩提の章
1. 1 第一の菩提の経( 1)
…
「かくのごとく、これが存しているとき、これが有る。これの生起あることから、これが生起
する。すなわち、この――無明(無明:無知)という縁から、諸々の形成〔作用〕(諸行:意志・
衝動)が〔発生する〕。諸々の形成〔作用〕という縁から、識知〔作用〕(識:認識作用)が〔発生
する〕。識知〔作用〕という縁から、名前と形態(名色:心と身体)が〔発生する〕。名前と形態
という縁から、六つの〔認識の〕場所(六処)が〔発生する〕。六つの〔認識の〕場所という縁
から、接触(触)が〔発生する〕。接触という縁から、感受(受)が〔発生する〕。感受という縁
から、渇愛(愛)が〔発生する〕。渇愛という縁から、執取(取)が〔発生する〕。執取という縁
から、生存(有)が〔発生する〕。生存という縁から、生(生)が〔発生する〕。生という縁から、
老と死(老死)が〔発生し〕、憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤(愁悲苦憂悩)が発生する。この
ように、この全部の苦しみの範疇(苦蘊)の、集起が有る」 https://www.youtube.com/watch?v=rKz6nF9VZMA
【宮崎 哲弥】今朝のニュース解説 2018年5月10日
41:13 評論家宮崎哲弥が語る仏教 本質を問う 11ページ・前から6行目
(誤)「依存して生起したもの」
(正)「依存して生起するもの」
<説明>
多くの概説書や辞書、事典類に示されている縁起の一般的語義は「依存して生起すること」
「縁って生じること」である。この「こと」というのは、通常、現象が起こる道理、原理、仕組み、
機制など抽象名詞としての意味を表すと考えられている。初期仏教や大乗仏教における縁起
の定義は、ほぼこの「こと」を指す。
だがアビダルマ仏教においては、「こと」、つまり「現象が起こってくる原理」ではなく、「もの」、
つまり諸存在(諸法)を示す縁起の用例が拡がった。しかも「依存して生起するもの」という因や
縁を表すばかりでなく、「依存して生じたもの」という結果をも縁起という語で表すようになる。
こうした定義の変遷を踏まえ、その語義の「幅」を示すため、「縁って生起すること」に「縁って
生じたもの」を付加した。これは前著『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮選書)
の説明を踏襲したものだ。
然るに本書では、他のページで「縁已生法(pratItya-samutpanna dhArma)」「縁已生
(paTiccasamppannA)」という概念を紹介している。これは本文(p.194 )でも述べている通り「縁に
よって生じた事象」、正確にいえば「縁によって生じさせられた存在」であり、要は「縁起の結果」
を指す。確かにアビダルマ仏教では「縁已生(法)」の意で縁起の語が用いられることがあった
が、このまま詳説なく放置すれば、読者の混乱を招きかねないと判断し、現状の「生起した
もの」「依存して生起したもの」を、「生起するもの」「依存して生起するもの」と訂正することに
した。(宮崎哲弥) |lililililililililili/ .ヽlili| /:::::::,ヽ#"ヽ` "゛/ :::::|
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反 知 性 主 義 者 >>19
なんかさデビッド・ベネターの「生まれてこない方が良かった」(反出生主義)に
ついて語る人達の迷妄と似てないか?
デビッド・ベネターは「未だ生まれてこない主体」について考察するが
読み手の中には「既に生まれてしまった自分語り。不幸自慢」を
延々と繰り返す人達が多い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています