あと『要綱』で気付いたのは、3.11の福島原発事故に起因する反原発運動にたいする
吉本の批判。此れも亦どうやら『要綱』に強い関係があるということだ。

《富は、普遍的な交換によってつくりだされる、諸個人の諸欲求、諸能力、諸享楽、生産諸力、
等々の普遍性でなくてなんであろう?

富は、自然諸力にたいする、すなわち、いわゆる自然がもつ諸力、ならびに、人間自身の
自然がもつ諸力にたいする、人間の支配の十全な発展でなくてなんであろう。富は、
先行の歴史的発展以外にはなにも前提しないで、人間の創造的素質を絶対的に表出する
こと(Herausarbeiten)でなくてなんであろう?そしてこの歴史的発展は、発展のこのような
総体性を、すなわち、既存の尺度では測れないような、あらゆる人間的諸力そのものの
発展の総体性を、その自己目的にしているのではないのか?そこでは人間は、自分を
なんらかの規定性において再生産するのではなく、自分の総体性を生産するのでは
ないのか?そこでは人間は、なにか既成のものに留まろうとするのではなく、生成の
絶対的運動の渦中にあるのではないのか?》(『資本論草稿集 2』 138頁 大月書店)

 吉本はあの時、技術がそれ自身を乗り越えて行く力に対するどこか信仰に似た意見を
述べてかなり反撃にあっていたし論争にもなったが。あのときのいわゆる吉本の造語である
と思われた〈人間力〉からしてどうもマルクス的であるし、「歴史的発展」とは「あらゆる人間的
諸力そのものの発展の総体性を、自己目的とする」。しかもその場合、「富は、先行の
歴史的発展以外にはなにも前提としない」というのはまさに吉本の技術論に直結して
いる。