>>228

 同じです。

《資本を支配(・隷属)関係から区別するのは、まさに、労働者が消費者および
交換価値 措定者として資本に相対する貨幣所持者の形態、貨幣の形態で流通の単純な
起点になる、 ということなのであって》

 「労働者は消費者および交換価値措定者」だとマルクスは言うわけで。柄谷はそこを
取り出していった。
 
 「労働者=消費者」という文言はない、という意味なら本を読む仕方にただ疎いということ。
そんな読み方してるのは悪いが小学生くらいだろう。

>>229
>だから、原発技術(技術者)に社会的な要素はなく、純技術の追求だと思ってた。

 というか、社会的な要素は抜きに吉本は原発を論じたのだよ。まさに富の歴史的発展
としてね。そうしてその視点がまさにマルクス的な訳だ。

 社会的な要素としては利潤追求の原動力であったり、住民を丸めこむ手練手管とか、
色々あるが、マルクスはそういうことは抜きに単に歴史的に以前の発展段階だけを
前提とする富としてのみここでは論じている。

 その手つきが吉本と同じな訳だ。

 ハイデガーの集め立て Ge-stell では自然から有用性を搾取するべく自然をまた人間を
徴発し、自然を人間を集め立て搾取する動態に付いてこれないものは淘汰していくことを言う。

 人間と自然との根本関係をいう。だがこれも東電のような特定企業を指すわけではなく
人間と自然との関係一般を指している。だがハイデガーの場合はマルクスに比べて
より人間主体にたいし否定的である。そこが違うという事がある。