>>35
まず現状、「どの様な条件が整えば、「幸せ」を認識できるのだろうか?」
という条件解明の形で本質的な幸せを問い、例えば「精神的平穏性(満ち足りている様)」が有れば「幸せ」を認識できるのではないか?としてるワケですね。

そして「廃人」の場合ですと、廃人の様になってしまった以上、「幸せ」を認識し得る事はおそらく無いでしょう。
ただ、これから問おうとしているのは「「幸せ」を認識する条件は何だろうか?」ということであるので、「「廃人」の条件では幸せは認識できない」という事が言えるだけの話になっちゃうワケですね。

幸せを感じる・認識できる全ての事例で、それら全てに共通するような「条件」こそ本質的な幸せを説明できるもので、我々が対話により同意を得つつ確かめる作業により、建設的に意見を構築・共有できるモノだと思っています。

とまぁ、考え過ぎず
「「幸せ」とは何か?」「快楽との違いは何か?」から出発して、我々が確かめ得る幸せの条件を見つけようとしてるわけです。

つまり、「精神的平穏性」を持ったときあなたは「幸せ」を感じるか否か?というだけの話です。
どうでしょう?