「できる/あた(能/値)ふことをする」のではなく、「させられることを
(自主的に)する」ことが求められる構造において、自らの評価を自分の
「おこな(行)ひ」の結果として受け入れることは、「させられている」
という事実を自ら否定し、「自主的にしている」のだと自らに信じ込ま
せることに依存している。そのように「させらることをする」こと、
すなわち、「使役」に対する適応能力の評価が、「おこなひ」の評価
に変換されることにより、自らが「することが評価されないこと」は、
すなわち、「できない/あた(能)はない/あたひ(値)しない」自己を
現出させることになる。