殺人鬼・小島の愛読書はハイデガー『存在と時間』
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シャハハハwwwwwwwwwwwwwwシャハハwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 思いっきり幼稚な表現恐縮だがこういう場合「字の本」は
漫画やアニメと違い社会的に問題化されないんだよね。
でも何故かな?上手く合理的に説明できない…
名著だからとも違う気がするしね。 【悲報】新幹線3人殺傷小島一朗容疑者の愛読書は、ハイデガー『存在と時間』
2018/06/9(土) 午後十時ごろ、東海道新幹線新横浜−小田原間を走行していたのぞみ265号で、男が複数の乗客を刺し、三十代男性が死亡した。
二十六歳と二十七歳の女性二人も重傷を負った。神奈川県警は愛知県岡崎市蓑川町、無職小島一朗容疑者(22)=住所、氏名などは自称=を現行犯逮捕した。
「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述しているという。小島容疑者の愛読書はハイデガー『存在と時間』。 >>2
いまいちネタにならないからだろ
何その本?以上のリアクションが取れない、内容を簡単に要約できるわけでもないし 個人的にはやっぱコミュ障が哲学書読むと池沼化が進むんだなーと思ってしまうわけだけど そりゃナチスに協力した人間だからな、ニーチェやハイデガーを好むやつは
優越感や劣等感に支配されて、他人を勝手に評価しつつ自己基準に合致しない者は愚かだと
見做して見下す、道徳を軽視する、要するに殺人鬼になるしかない 一応ニーチェはニヒリストになるな、ナチスみたいな奴らになるな、ていうことを書いた人なんだけども
といってもナチスが生まれる前の人だから本の要点としてだけどね >>778
●【速報】東海道新幹線内切り付け「むしゃくしゃしてやった」と逮捕の男
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1528557720/
827名無しさん@1周年2018/06/11(月) 13:24:47.18ID:lFeVGWy80
>>812
こいつがアニオタやというソースは?
848名無しさん@1周年2018/06/11(月) 13:28:35.67ID:Cg/bsXj70
>>827
アニオタかは知らんが押し入れの本棚に真・女神転生とあずまんが大王の本ならあった
■週刊新潮 2018年6月21号
中学から不登校になりインターネットやアニメに夢中になる
叔母の家に来てからはインターネットとパソコンゲームに没入する
810名無しさん@1周年2018/06/11(月) 10:50:32.02ID:057MKWW50
学生時代はこいつと同期だったが
あだ名は『ピッチ』で名字も今とは違う
いつもおとなしいけど
キレるとも本当にう手がつけらねーぐらい暴れる
喧嘩もめっちゃめっちゃ強かったし頭もいい方だった
ロシア社会主義好きとか言ってな
でもまさかこんな事件おこすとは、、 ■22歳 愛知県岡崎市出身(1995年か1996年生まれ)
小中学校の同級生
「周りの子どもとしょっちゅうトラブルを起こしていた」
「(怒ると)椅子とかで思いっきり殴ってきたりする。
殺されるんじゃないかと思ったくらい」
中学2年生の頃から不登校。自立支援施設に入所
中古の水筒を与えられたことにキレ、夜中に両親を包丁とハンマーで襲う
2016年4月頃 実家を出て伯父方の2階に引きこもりパソコンをする
自閉症の診断で2017 年2〜3月に精神科病院に入院
事件前、長野県で野宿をしていた
■祖母から与えられる小遣いは月10万
https://i.img ur.com/2kUzj0Q.jpg
■親がそーか系市議会議員?母はボランティアに夢中
■小島一朗の本棚と祖母による説明
あずまんが大王の本と真・女神転生
https://i.img ur.com/DLtlBy5.jpg
■「口語訳聖書 創世記』と書かれたノート、意味不明のメモ
https://img ur.com/a/JqjLemh
>若い子たちとTSG(正しくはTCG?トレーディングカードゲームの略)
>をしたいという気持ちが
>そのためには外出しなければならないだろう。 ■小島のいた部屋
https://i.img ur.com/CYFAfzT.jpg
■小島の蔵書一部
『ガリア戦記(ローマ時代の政治家、軍人が書いた遠征記録)』
『楢山節考』
『ユリウスカエサル(ローマ時代の政治家、軍人)』、
『パクスロマーナ(ローマの平和の意味)』
『ちひろのアンデルセン』、『古事記』、
『罪と罰(ロシアの長編小説)』、『マクベス』、塩野七生一式
『教行信証(日本の僧・親鸞の著作。全6巻からなる浄土真宗の根本聖典』
『ローマは一日にして成らず』『存在と時間(ドイツの哲学者ハイデッガーの主著』
https://i.img ur.com/vZuihuc.jpg 古い哲学書ばかり読んでてもリアルとのギャップがデカくなるだけだからな
現実社会はクソな訳だけど適応するためには息抜きしなきゃ
妥協点見つけないと意識だけ肥大化して人を見下す意識と
適応出来ず阻害されてる被害妄想ばかりでかくなる 哲学書は新刊より若いものでしょうよ。特に洋書はね。 精神は犯罪カテゴリーになく、神話 精霊カテゴリーです。産婆術ソクラテスもありますが
日本なら精霊合体と あめのむらくも というテーマの方がふさわしい。
脚まわりがまず狂ってる
足つきの方が種牡馬としては貴重ですね。牝系も高くて大きいし。 金属探知機式二重自動ドアや、
や、鉄道警護隊をつけて、再発防止に取り組みましょう。飛行機や、在来線
にならって。 >>11
歳の割に選書に関しては良いセンスと思うが
”読書は心を豊かにする”って言葉はアテにならんなと思ってしまった 新幹線殺傷事件の容疑者はハイデガー『存在と時間』を読んでいた…凶悪犯の意外な愛読書
https://nikkan-spa.jp/1485974
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件・市橋達也×『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー)
相模原障害者施設殺傷事件・植松聖×『わが闘争』(アドルフ・ヒトラー)
座間9遺体事件・白石隆浩×『洗脳の世界』(キャスリーン・テイラー)
六本木クラブ襲撃事件・石元太一×『アー ユー ハッピー?』(矢沢永吉)
新幹線3人殺傷事件・小島一朗×『存在と時間』(ハイデガー) ←New!
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) 辻村公一は『有と時』を読んで戦場に赴き、教壇ではナチスドイツの軍靴を履いていたとか 小島一朗はハイデガーをよく把握している。熟読したのだろう。
本来的存在に向けて良心の呼び声に耳を澄ますことを通じて、現存在は没交渉的になる。
つまり他人からして理解不能な領界に入る。同書を読んだことのある輩ならそういう存在論
こそがハイデガーだと知っているだろう。読みもしないで語ろうとしている馬鹿を除いて。
《良心の呼び声は、呼びかけにおいて、現存在のすべての「世界的」な声望や能力を無視
する。容赦なく、良心の呼び声は、現存在をその責めある存在でありうることへと単独化
するのだが、この責めある存在でありうることに本来的になることこそ、良心の呼び声が
現存在に要求するところなのである。最も固有な存在しうることへと本質上単独化する
ことの打ち破りがたい鋭さを、没交渉的な可能性としての死へのあの先駆が開示する。
先駆的決意性が、責めある存在でありうることを、最も固有な、没交渉的なそれとして、
全体的に良心のうちへと打ちこませるのである。》
『存在と時間』 第62節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在
しうること 原佑・渡辺二郎訳
また、小島は読んでないかもしれないが、ハイデッガー全集第65巻
『哲学への寄与論稿』には、目覚めた現存在が拒絶を開示するなかで、われわれを絶望
させること。しかしその絶望とは、ひとえにわれわれが本来的に思惟しないことによるので
あるとも言われている。
《あまりに短絡的に思惟する者、つまり決して本来的には思惟しない者、そういう者だけが、
語り拒みと否定とが押し迫る場所に固執しつづけ、そこから絶望の機会を得る。しかし
このことはいつも、われわれが有・の全面的な転回をまだ測り定めたことがなく、このこと
において現-有の尺度を見出していない、ということの証拠である。》
全集65巻『哲学への寄与論稿』 256節 最後の神 大橋良介・秋富克哉・ハルトムート・
ブフナー訳 >>6
ニーチェがナチに協力した???
1900年に死んでるんだけどwww ニーチェの馬鹿妹エリーザベトが
勝手にニーチェの遺稿『力への意志』を勝手に編集改竄して
ナチス寄りと受け止められる著作にしてしまったんだよな
それでナチスもニーチェがどうたらとか言い出したという >>23
辻村はただのアホだろ
『有と時』と書いて「うととき」と読むんだとさw
それじゃ「現有」というのは「げんう」と読むのか?
だいたい「ある」を「有」にしたところで
「在」だって「ある」だからね
むしろ「有」だと「所有」の意味が入ってしまって混乱する
辻村は道元の『正法眼蔵』とそうしても関連付けたかったらしい
だから『有と時』という日本人一般に使用しない用語に訳して自己満足
というよりもこれって完全なる捏造であり誘導だよな
辻村の『有と時』はじつは意外と読みやすい
しかしそれはハイデガーの『Sein und Zeit』本来の内容とは違うと思う
どう読んでも『正法眼蔵』として誘導意訳してるからすりゃわかりやすいけど
でもそれはハイデガーの思想とは関係ないわけだな つまりは人間が自己の〈ある〉を先鋭に意識すればするほど、〈ある〉は
他者や市民社会からすれば没交渉的なこととなり、しかもその没交渉とは
自己の内なる良心の呼び声によって責めある存在であることで、そうなるので
ある。
また、『存在と時間』には、現存在が、これまでの頽落的な自己に対し、
〈撤回〉することの決意性についても語られている。
《決意の確実性とは、ありうべき、またそのつど現事実的に必然的なおのれの
撤回に向かって、おのれを自由に保持することを意味する。決意性がその
ように真とみなして保持することは、けれども断じて非決意性のなかへと
逆もどりさせられることではない。逆なのである。すなわち、この真とみなして
保持することは、決意しつつ撤回に向かっておのれを自由に保持することなの
だが、これこそ、おのれ自身を取り返そうとする本来的な決意性なのである。》
『存在と時間』第62節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な
全体存在しうること
したがって、小島になかには、今までの、
ただひたすらに自己を喪失し、失っていくだけの、どこにも脱出口のみえない、
絶望としての自己を、撤回する、という力動があったとしても、何等不思議
ではない。何故なら、まさに誰でもない当のハイデッガーが、小島のこれまでの
偽善的な家族生活や学校生活の撤回を、推奨してくれているのだから。
小島の暴力的な衝動を、当のハイデッガーは推奨してくれているわけで、
小島にとっては心強いことだっただろう。 もしそうなら、それはハイデガーの著しい誤読だろうね。
要するに、一般的であるな、一般性や世間の中に埋没するな、という教えを曲解して、凶悪な非一般的な犯罪者となることで実現したという意味になるから。
ハイデガーが、そんな凶悪犯になることを推奨する訳ないだろう。
本来的な自己を取り戻せが、なんで凶悪犯になれ、となるんだよw
馬鹿に哲学やらしても、馬鹿なことにしか使えないの典型例。 >>29
君の言っている話は社会や国家における善悪と、実存における善悪の差異を認識しない
ことから生ずる誤読だ。
ハイデッガーがいう〈良心の呼び声〉とか、一見すると、社会貢献だとか公共性への貢献
だとかを内的に呼び掛けるかにも視えるが全然違う笑
ハイデッガーにおける〈良心の呼び声〉とかはひとえにただ、内的にのみ通用する善悪、
それについて、自己がより深度からまた自己の原像から、自己に呼び掛けているという
概念だ。
したがってそこでは社会的また公共的善悪は関係なくなる。だからこそハイデッガーの
あの本は危険なのだよ。
いいかい?「凶悪犯」「ひとでなし」といった意味は、単独的な実存では意味が無いのだ。
それらはただに社会的・公共的な善悪から出てくるにすぎない。
ハイデッガーのあの本は単独的な善悪を追究する方法を、存在論という形式に裏面に
隠している。いわば倫理の書でもあるのだ。
あなたは典型的な「よめない読者」なので、あなたを俎上にあげれば良い症例に
なる。それじゃ駄目なんだよ。あなたのような読み方では。その典型だ、あなたは。 そんな読み方こそナンセンス。仰々しい説明をしているけど、問題はそんなに
錯綜してもないし、複雑じゃないだろうね。文学で言えば、苦学生の
ラスコーリニコフが金貸し老婆を殺害してもOKという独自理論を熱病に駆られながら
作って、老婆殺害を実行したのと同じようなレベルの話。小島の場合はそれに、
ハイデガーの思想が悪用されただけ。ニーチェの超人思想だって、そんな風に犯罪の理論的肯定として馬鹿が誤読して使うこともあるだろう。サカキバラが犯行声明文に
ニーチェを引用してたでしょ。哲学は、馬鹿が使えば中二病の道具になるよ。
なんでもそうだよね。仏教でも麻原が利用すれば、無差別殺人のツールになるし、
イスラムの教えもテロの理論に使える。要は使う人次第で思想のせいではない。 ハイデガーが少々頭おかしかったのは確実だろ
全集が100巻超えるのに完成した著作はゼロ
異常すぎるwww ハイデガーに〈良心の叫び〉とか笑かしてくれるw
あいつのどこに良心の実践があったのか?
ハイデガーの倫理観とは道徳観っていうのは仏教でいえば決して大乗仏教ではないな
小乗仏教だよ
自分の幸福だけで他人なんぞ関係ない
非道な悪魔だわな >>31がラスコリニコフと同じ、とか言ってるが、これもまだ追いついてはいない証拠だな。
というのも「私は全人類にとって必要な人間。高利貸よりはまだまし」あるいは
「メトロに乗っているサラリーマンやOLよりはまし」といった善悪てのは、大勢ではないかも
しれないが、〜主義、右翼や左翼には実は混じっているかもしれない。つまり単独的、すな
わち小島のような孤独な人間が自分一人で背負い、引き受ける、他人には理解しがたい
ものではない。いうなればまだ右翼や左翼やに引き寄せられるものは通俗的。単独的な
倫理ではない。
>>31とかが言ってる話てのは相変わらず善悪について、市民社会や主義において妥当する
善悪のみを善悪とし、内的にのみ妥当する善悪、本来性にまでは通じてはいない。
つまりは相変わらず読めないでふらふらしてる駄目な読者だ。
ナチスにしてもニーチェにしても、単独的な倫理にはなり得ない。で、その手のイデオロギー
にのみ還元する作業しかできない時点で、ハイデッガー的な善悪、本来的な善悪には
到達できない読者だと分かってしまう。
あなたには読めない。それしか視えないね。 ニーチェとハイデカーというとニーチェの方がハイテンションな時代だが、
ハイデガーはかっちりしている仕事の人に向くだろうね。 まともに著作1冊すら完成できないナチ思想家ハイデガー
あいつに倫理があるとすれば地獄の中での倫理だな
ハイデガーがやってきたことは自分に都合のいいことばかり
一般にこういう人間のことを「身勝手な人間」という
頭のおかしい身勝手な人間であるハイデガー >>35
あなたの述べていることは、あなたの原典・教条主義者的なカルトじみた
ハイデガー解釈の提示なのであって、新幹線殺人の小島が、ハイデガーを
そのような形で受容したかどうかなんて分からないでしょう。
それに、ハイデガーの読者など世界中に幾らでもいるので、その読者の大半は
殺人行為などとは無縁であることを考えれば、その思想と殺人をこじつけるのは
強引で偽相関というものだよ。
だいたい、哲学書の解釈なんて、それを読む者によって幾らでも分岐し得るので、
自分の読解こそが真の読みである、なんて述べている点で中二病患者に認定して
あげるよ ラスコリニコフの名前が挙がっているが
某週刊誌には小島の部屋の本棚にハイデッガーとドストエフスキーの「罪と罰」が置かれている写真
載ってたね
その写真を見てラスコリニコフを引き合いに出したのかも知れないけど 小島もハイデガーも自分のことしか考えない異常者というてんで同じだわな 小島の事は分からないけど
今まで「死刑でいいです」系の死刑制度を利用した拡大自殺としての無差別通り魔殺人事件は数々在った。
「人を殺すのは何故ダメなのか?」 「死刑制度は容認されるべきか?」を始め
「加害者は、加害者になる数年前からずっと社会病理の被害者では無かったのか?」
などを考えると、道徳や法曹の問題は別問題として置いといて
彼等にも幾分かの理が有るのではなかろうか?
月刊「創」の篠田編集長では無いが
「彼等のようなモンスターも突如として現れた者では無い」という気がするのだが。
本当は多くの人と色々考えたい問題なのだが
多くの人は脊髄反射のようにコレを拒み逃走する。 法律上のことは仕方ないかもな
法律というはべつにこの世界の何故を問う学問ではない
だから単純に法律に違反して裁判で判決が確定すればそれに従うしかない
味噌も糞も一緒の考え方だと変テコな哲学的問題にすり替えられてしまう カミュの「異邦人」などもそうだけど、意味や動機不明な殺人事件は、文学的な
考察のテーマに乗せやすい。現代だと、社会学がそれをするのだろうけど >>20
歳に合わないもんばっか読んでたという印象も >>41
どんな過去があろうと無差別通り魔の時点でただの屑やぞ >>44
小島くらいの歳頃にこういう本をもっと読んでれば良かったと強く思う
学生時代の俺の愛読書はムーだぞ >>41
どんな社会的病理が背景にあったにせよ、それを犯罪者の行為を許すという
ロジックに用いる目論見が透けて見える時点で、相手にされない、相手にしたくないという
反応が返ってくるのは当然だろうな、自分のやり方が不味いのを
他人の所為にするやつが多すぎて困る >>47
それは深みがわかるおっさんだからそう感じるのよ
楢山節考や罪と罰なんて二十歳が読んだって背後の葛藤の半分も理解できないでしょ
小島はもっと身近な人間味とかを教える本を読むべきだったと俺は思うわ >>49
絵本や児童書も大人になって読んだらまた違った感慨が湧いてくるしな
だけど小島くらいの年頃にはそうした情緒的なものより戦場やら犯罪被害、自然災害などを
取材したルポのような直接的で分かりやすいものを読んだほうが良い気がする >>50
これあれだな、俺らがそれぞれ自分が若い頃に読んでおきたかったものを投影してるんだな多分ww ガキの頃にこういう本を教えて欲しかったとは思うが
人から薦められた本には中々興味が湧いてこないというのもまた実情だな
中学、高校のとき「ライ麦畑でつかまえて」や「あゝ野麦峠」なんかを
素晴らしい本だ、絶対に泣けるからと言われたが
今に至るまで手にとったことがない 中学、高校のときは新書とか加藤周一の夕陽妄語を読んでるのが楽しかった。
文学作品は正直微妙。 中学、高校くらいで太宰治やら芥川龍之介なんかに関心もつやつっているのかね
なにも人間失格や羅生門がくだらないと言うつもりなどないが
星の数ほど本があるなかで正統派文学、純文学をチョイスするのはかなり変態と言うか
権威主義に凝り固まったつまらない人間だと思う 物凄い本の虫ならそういうのも手に取ったりするかなっていう程度だねえ
そもそも芥川は児童文学だし太宰は明らかに子供が読むことなんて想定してないしで中高生は対象層とマッチしないわけで
もちろん中二病でそういう有名文学読んで自慢しようとする奴もいるだろうけど 今は知らんが、学校には子供の興味を引くような本がほんとに置いてないねぇ
偉人の伝記やら誰もが知ってるような名作ばかりでそれはそれで結構だが読まれなきゃ何の意味もない
子供が関心を持つのはそういうのじゃなくてもっと、猥雑で好奇心を掻き立てるものだし
本ってのは何かの役に立つから読もうと言うもんじゃなくて面白いから手に取るものだろう 小中学生のころ、江戸川乱歩や松本清張の描く世界が
そういう昭和的な猥雑な感じのものだなあと思って読んでいた。 >>58
同意。文学なんて、感受性が最も多感な思春期世代が中心に読むものであって、
社会人になって、文学を熱心に読む方が逆に変だよ。そうでないと、
あの早稲田の文芸評論家みたいに俺の女になれ、と頓珍漢な台詞吐く。 実際読んでもないタコが何を偉そうに、お前がごときに読めるのは漫画とラノベくらいだろ
読んでから言えクソハゲ 「何時何時に読むもの」ってのがまさに権威主義的人間の発想だな(笑)
こういう頭の凝り固まった手合がいるから益々子供が本に興味を失っていくんだろう まあなんか、読書=高尚みたいなイメージあるけど実際のところは変な本ばっかだからな
そこのところで本読む奴と読まない奴で世界別れてんのがあれだね 読書のクセというのは持ってて損ではないと思うが世に溢れてる本の大半が役に立たつどころか
俗な好奇心や妄想を満たす猥雑なものばかりだろう
無条件に本を読むのは良いことだからなどと言う風潮に流されるのは思考停止だよ だが、ホリエモンは刑務所にある本を全部読破したのだけど。
出所後のホリエモンの書く本は、よく売れているだろう。
しかも、どうせ大半か全部、ゴーストライターが書いている。
売れる人は、ゴーストライターが書いてくれるから楽だな。
そういう本を買ってしまう日本人の民度とリテラシーレベル 一応ゴーストライターってのはプロのライターだからそこそこ読める本にはなってるはずやで
まあゴースト使う時点で馬鹿相手に売りつけてやろうみたいな魂胆の本だから底が知れてるってのはあるけどな 芸能人やなんかの本って数時間ほど本人から聞き取りした内容を寒天みたいに何倍にもふやかして文字に落としてるでしょ
いかに飽きのこない上手い文章で書かれてあっても自分が関心を持つ対象じゃなくてどこの馬の骨かも知らないような
ゴーストライターの語りを読まされてると思ったらアホらしいわ 太宰に熱中できる世代は高校生ぐらいがピークでしょ
大学生くらいになると太宰卒業世代 本当その通り。高校時代に文学書読みまくっていた綿矢りさがその実例 学生の本離れが進む中で、そんなのは特殊な事例でしかない
名著は名著で良いが、それだから良しとせよと言うことも無ければ今どき純文学ってのもある
学園紛争時代はそういうのが常識的だったのか知らんが 文学を読みまくってるのが普通とかどこの常識だよ、それこそ爺の妄想だろう
もはや棺桶に片足いれた爺の出る幕ではない まぁ仮にこいつが文学に親しんでたにしてもこの程度の人間性ではな小島と変わらんわな いや知的エリート目指すんだったら古典的名著は避けて通れないだろう
ただ文学を称揚したいんだったらチンカスみたいな日本文学ばかり並べて満足してないで
トルストイやプルースト、カフカ、ジョイスみたいな本当の歴史的名著に関心を向けろと 文学書というか
小説やエッセイっていう文芸作品でしょ?
批評や分析みたい思想的なものは入らないよ
ラノベや官能小説だって広義だと文学に入ってしまうから
狭義で考えた方がいい 何というか、文系の独学は厳しいね。
理系なら5chとか知恵袋でアドバイスをもらいながらなんとかなりそうだが、
文系の場合は真摯に調べながら文献を読まないといけないから難しい。 デカルトやカントまでの近世哲学なら
自然科学もひっくるめた哲学を展開していたわけだけれども
現代哲学は科学哲学の分離が起こってしまったからなあ。 >>79
さすがに現代では
もう包括的な哲学を展開できる人はまずいないよ
それはある程度視点が出切ってしまったということと
科学の進歩による影響力がかなり強いということもあると思う
世界をトータルでミクロ世界から大宇宙まで語るというのもかなり厳しい みんなドラゴンボールやワンピース好きだけど犯罪者もいれば裁判官もいるからね
何の根拠にもならない
犯罪者がラーメン食ったらラーメンは犯罪者の食い物か?
犯罪者が日本人なら日本人はみな犯罪者か
その通りです >>76
文学は客観的な根拠を持ってなくてもいい個人の所感や自由な創作も含むから、
科学(自然科学、社会科学)とは区別される。 >>74
それただの教養じゃん
本を特別視しすぎ、読んだら急に知的になったりエリートになる本なんてこの世に存在しないっての 文学は所詮は文学。文学書をいくら読んだって知的エリートにはなれんわな ハイデガー文学はどうにもならないな
フッサールの現象学もどうかと思うけど
ハイデガーはその現象学未満
〈存在と時間〉で存在や時間のなぜを問うてるのかと思いきや
ハイデガー自身の人生の悩みを考える本だったという
どうにもならない駄目本だなあのナチ文芸書は 文学や文芸でしかないのに「哲学」を自称したがったり
ハイデガーを「哲学」だと持ち上げたりする勢力がいるからね 飛躍せず分相応に生きている人間、或いは消極的人間を
頽落しているだの、超人を目指すべきだの、ニーチェからハイデガーに連なる実存というもんは
人間の弱さの本質を徹底して批判しているが、個人というのはそんなに強いものではないということは
本人らも重々承知していたはず
現実的に、そこかしこにいたら超人とは言わないわけで滅多に現れない稀有な存在だからこそ
超人などと言うのだろう ハイデガー信者はハイデガーのどこがそんなに凄いのかという質問に対して
まったく答えられない
あんなもん学問じゃない
儒教や道教や仏教の本を読めばそれですむはなしだ ハイデガーの哲学は、自衛官や警察官や消防士の哲学にもってこいだと思われてたりしてな。
現に、轟孝夫は防衛大学校の教員だし。 カリキュラムにも不完全性があるから、哲学分野ではもたないかもね。
看護分野の方が、のらない人が多いから、待遇出現がレアで、優秀でしょう
。通過分岐点として。おそろいのという未来ではないし。 無思考の時代への挑戦V
http://ha10.net/philo/1502933408.html
――ハイデガー・フォーラムの挑戦(東京女子大学教授 森一郎・朝日新聞10月3日夕刊より抜粋)
「哲学の終焉と思索の課題」を統一テーマに掲げ、ハイデガー・フォーラム第1回大会が9月16・17日、東京大学本郷キャンパスで開催された。
統一テーマは、ハイデガーの名高い論文(64年)からとられた。この題名に示された問題状況は依然変わっていない。
いや、「哲学の終焉」という言葉が陳腐に響くほど、考える営みに対する不信と絶望は世に広がっている。
これは、大学で哲学科の解体の進む学界内部のリストラ問題にとどまらない。
ものを考えても何の役にも立たないし、健康にも悪いからやめとけと大人が若者に勧告する時代なのである。
思考をめぐる殺伐とした状況から我々は出発している。
トクになろうがなるまいが、考えたくなる欲望。「そもそもXとは?」という問いと応答にふけるときの、うずくほどの快感。
結論の出ない議論にうつつを抜かすことの贅沢な喜び。一度味わったらやめられないし、やめろと言われるなら、いっそ人間やめたほうがいい。
われわれのフォーラムはそう言い放つひま人たちの砦でありたい。
哲学的討論の時空であるこのフォーラムが、ものをしつこく考え続ける阿呆どもの広場として、無思考の時代へのささやかな抵抗の拠点となればと願う。 HFの第1回は2006年
今年で第13回目だ
ハイデガー全肯定の信仰会だよ
盲目的信者による糞みたいな発表しかない ハイデガーやってもいいけど、「哲学」を名乗って欲しくないね
文芸とかエセーとかの分類であることを自覚して欲しいものだ エッセイ、随筆あたりが哲学から離れると、
丸山眞男や久野収とか鶴見俊輔が哲学の範疇でなくなって、
哲学的に批判されなくなる気がする。 自治大がいいと思うよ。医者じゃなくて。東京都市大もあるし。くされたけどね。 メキシコ国立自治大学とかね。
サパティスタのマルコス副司令官を輩出したような。 国立はどうもな。国立病院、大阪のがまた稼働しているというような噂。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています