数学を初めとした理系の学問と哲学について 14
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日本人の傾向としてあるのは合理性や客観性への志向で無くて、 忖度や空気への配慮が優先されてしまうこと。だから、データは恣意的に改竄されて いく。この傾向は是正されるべきだけど、首相が忖度政治家でトランプ追随だけなの で、その悪しき無原則な傾向は糺すべきなんじゃないかなと。日本が戦争に負けたのも 同じ理由。論理ではなく、空気に従ったので負けた。 その「日本人の傾向としてあるのは」というのが、日本人と欧米諸国の人々 を対比して、「欧米諸国の人々の傾向としてあるのは合理性や客観性への 志向」であるとする「忖度や空気への配慮」の優先だろうw アリストテレスは「フロネシス」という実践知の必要性を説いたけれど、 日本人がこの概念を用いると、周りの空気を読んで行動するだけの無原則に堕する 恐れがあるので、むしろ、日本人は長期的に減価しないような理念やヴィジョン、 抽象度の高い理論を構築して、その次元で個々の行動を適切に制御、方向付け、 モニタリングしていく方が相応しいのではないかな、と感じられる。 それは硬直的なイデオロギーの勧めではない。 自分たちの行動が盲目的、場当たり的とならぬような俯瞰、フィードバックが出来る システムを構築した方がいいだろう、という観点。だから、その次元で妥当な選択や 判断、行動モデルがシミュレーションできる。目先の損得と餌だけで動くマウスとは 違うということ。 日本の政治はそうしたビジョンが全くないので、カジノを作ろう、というヤクザと同じレベルの 発想になる。オリンピックもそうだけど、そんなことに回すより、もっとヴィジョンに 基づいた大事な為すべきことが日本には山積しているんじゃないかな、と。 日本人にはビジョンや理念、理論、思想が足りない。 以前突っ込みを入れていた人は まさか被災したか被災地に派遣されているのかな。 慶應義塾大学大学院理工学研究科KiPAS数論幾何グループの平川義之輔博士課程生(3年)と 松村英樹博士課程生(2年)は、『辺の長さが全て整数となる直角三角形と二等辺三角形の組 の中には、周の長さも面積も共に等しい組が(相似を除いて)たった1組しかない』という、 これまで知られていなかった定理の証明に成功した。 線の長さや図形の面積は、私たちの身の回りにあるものを測量する際に欠かせない基本的な 「幾何学」的対象だ。例えば、辺の長さが3:4:5の直角三角形は教科書でもおなじみの 図形だが、辺の長さが全て「整数」となる直角三角形はどのくらいあるか、という問題は、 古代ギリシャ時代に研究がなされた重要な問題だった。この流れを汲んで20世紀に大きく発展した 現代数学の一分野が「数論幾何学」だ。 今回の研究では、数論幾何学における「p進Abel積分論」と「有理点の降下法」と 呼ばれる手法を応用。三辺の長さの整数比が377:352:135の直角三角形と、 三辺の長さの整数比が366:366:132の二等辺三角形は、比をそのまま長さとすれば、 周の長さが864(=377+352+135=366+366+132)、面積が23760(135×352÷2=132×360 [二等辺三角形の高さ]÷2)であり同じ値になることが分かった。 今回解決した問題そのものは古代ギリシャ時代にも考察されていたと推測される。 研究ではp進Abel積分論に基づいた「Chabauty-Coleman法」、さらに「2-降下法」が 用いられたが、ともに1980年代以降に開発された比較的新しい手法だ。このような 素朴な問題と洗練された解決手法の対比、そして時代の大きな隔たりを伴う研究成果は、 現代数学の美しさを引き立てる貴重な成果であるとしている。 論文:【Journal of Number Theory】A unique pair of triangles 日本は西洋だが、太平洋の気候も混じる。その分だけ西洋化しなくていいのだよ。 ユーロシア辺りに滞在がいいんじゃないの?経済水域もあるし。北方。 もともと日本はユーラシア、アジアアフリカ中東のどれかの領土なのだよ。 新大陸北アメリカを経営する夢も謙虚にこなしただろう。 欧州中央銀行、連邦準備金制度、を見てみると、世界の女性の仕事の内容が 少しはわかるだろう。給料があるとサラリーがあるとの違いだ。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日、探査機「はやぶさ2」から分離した 小型探査ロボット2台が、小惑星「リュウグウ」に着陸したと発表した。 小惑星の上を移動できる探査機が着陸に成功したのは、世界で初めて。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180922-00000058-asahi-soci 「リュウグウ」に存在する巨大クレーターの存在は、「君の名は」に出てくる 異次元空間につながる、未知の場所xを連想してしまう。異なる時制がつながる経路が ある、という話だったよね。 少し考えてみるだけでも、止まっているモノはないということが分かる。 机の上にあるコップも本も止まっていない。なぜなら、地球は自転、公転しているので、 机の上にあるコップも本も本当は動いているのだけど、止まっているように錯視されているだけだ。 同じように、同じ速度、たとえば時速100キロメートルで並走する車同士には 相対速度が作用するので速度0キロメートルとなるので、やはり、お互いの車が 止まっているように見える。本当は、時速100キロメートルで動いているにも かかわらず。こういう錯視や錯認というのは、多々、この世の中にはありそうだ。 科学や数学と、哲学の違いを考えてみると、前者が客観的な世界の定立を目指す 学問であるのに対して、後者は別に少々主観的であっても構わないということ。 だから、前者の学問を使えば、「リュウグウ」まで飛行して、その地球からは遠い 宇宙環境を客観的に調査出来るのに対して、哲学は、たとえば現象学や唯物論的弁証法を 用いても、「リュウグウ」には決して物理的には到達し得ない。 ただ、科学の位相だけで表象し得ぬ対象であれば、哲学がかかわれる場面も出てくる だろう。たとえば、現象学であれば、外部世界だけでなく、記憶や心象、あるいは 就寝時の夢の表象などといった人間の内部世界もその知的枠組みの中では扱えるかも しれない。つまり、その外部、内部を問わずに、科学的フレームからは取り零されて しまう対象が、哲学的な考察の素材になりうる、という感じだろうか。 だから、科学や数学的な客観的知性と、哲学的な主観的知性が同期することで、 より十全な知性へと漸近出来る可能性はあるだろう、と。 https://thepage.jp/detail/20180922-00000006-wordleaf 【中継録画】「こうのとり」搭載 H2Bロケット打ち上げ成功(JAXA提供映像) やっぱりテクノロジーはすごいな。日本人なら自然災害で日本列島が沈んでも 宇宙のどこかの惑星でテクノロジーと共に生き残って繁栄しそうだね。 国内ではゴミみたいなニュースが多いのに、宇宙だと良いニュースが多い。 時間スレ、ちょっと読んだけど面白いね。唯一、まともに哲学しているスレだな。 計算理論では、多項式時間というものがあって、処理時間の上界をnの多項式で 表現できる計算時間のことを言う。 ランダウの漸近記法だと、ランダウ記号を使って漸近的な上界を記述する。 それは、ある関数の漸近的挙動を別のより簡単な関数を使って記述すると いうこと。収束や発散がどうなっているのかだけが分かればいいので、 それに影響のない他の部分の式は捨象していく、という考え方。 関数の漸近的挙動という、解にとっての本質だけを抽出しているところが、 ランダウの漸近記法の肝となるところかな。真理に漸近している、という この方向性や方法論が大事かもしれない。この観点だと、真理は細部や ディテールに宿るのでなくて、本質に宿るということなのかな、と。 >>時間スレ、ちょっと読んだけど面白いね。唯一、まともに哲学しているスレだな。 このスレでまともに哲学していないという自覚はあった模様 よくわからないが、シングルトンの論理式をモデルの形式化と称して 展開しているんじゃないだろうか。もう言ってしまうと、自分の理解では モデルというのはブラウワーの言う所の心的構成(mental construction)。 語られているのを見たことないけれど、ブラウワーはフランツ・ブレンターノの 影響を多分に受けている。直観主義論理というのは数学を行う際のメンタルな 推論過程のことを数学的に表したものだと理解している。 ダメットがわざわざ回避してくれた「心的〜」というのを復活させるのは 胡散臭いものなんで、胡散臭い話扱いされるんだろう。ただ、状況は近年変わっていて 「心的〜」というのは、今話題の人工知能の内部の推論過程のことを指していると ある種の合理的な言明に置き換えられる状況になっている。 深層学習でまず話題になったのは、画像認識の分野だったが、あれは癖のある手書きの 数字の画像(MNISTデータセット)を人工知能に処理させると、ほぼ必ず人間の判別と 同じ数字を返すことができるというものだった。 つまりこういう関係が成り立っていると言える、 (人工知能が深層学習で判別した数字)a : (人間なら判別できるが癖のある)数字の画像 A a は人工知能が独自の判断で認識した対象の(メモリ上の)データ。 A はタイプとしては画像データ。 この関係がちょうど a は心的構成(人工知能のメモリ上のデータ)、A は論理式(タイプとしては画像データ)。 と解釈することができる。だから、直観主義論理というのは、実は人工知能の内部推論過程を 解析する上において重要なのではないかと思っているんだけど、そういう研究ってある? この意見を人工知能の歴史の流れで考えてみると、>>70 の言う直観主義論理は、 人工知能の「コネクショニズム」の方向とフィットしているということだろう。 コネクショニズムはパーセプトロンやニューラルネットワーク、ディープラーニング のことなので、AIが感覚的に判断していくことでその学習モデルを構築していく 手法のこと。経験知を増やしてそこから学んでいくのがディープラーニングなので、 まさに試行錯誤していく人間の学習モデルに近い。そうなる理由は、ニューラルネットワーク が脳の神経回路を模して作られたものなので、人間的な学び方をするということだろう。 ディープラーニングは言葉や概念、記号や理論で学習するのでなく、暗黙知を 探索していくようなスタイルなので、そのプロセスはブラックボックス化してしまい 人間にはその内部状態が理解できない。 人工知能のもう一つの流れである「記号主義」は、「コネクショニズム」と逆になるので、 チェスや将棋、ゲームのような型やルールが決まったものに強みを発揮できる。 ここで言う記号は、言語や数式の意味なので、「記号主義」はそれらに基づいた 人工知能のこと。マニュアル化したものへの対応は得意だけど、臨機応変な 対応は苦手とする。「コネクショニズム」とは逆のイメージ。左脳と右脳と いったイメージでも理解出来そうだ。人工知能という言葉が始めて使われたのは、 ダートマス会議からだね。 ダートマス会議は、人工知能という学術研究分野を確立した会議の通称である。 1956年7月から8月にかけて開催された。当時、ダートマス大学に在籍していた ジョン・マッカーシーが主催した会議で、会議のコンセプト自体はマービン・ミンスキー、 ネイサン・ロチェスター、クロード・シャノンらと共に構想した。その会議の提案書に おいて、人類史上初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という用語が 使われたとされる。 会議は一ヶ月に及ぶもので、基本的にブレインストーミングの場 であった。 提案書の序文には次のように書かれていた。 我々は、1956年の夏の2ヶ月間、10人の人工知能研究者がニューハンプシャー州 ハノーバーのダートマス大学に集まることを提案する。そこで、学習のあらゆる観点や 知能の他の機能を正確に説明することで機械がそれらをシミュレートできるようにする ための基本的研究を進める。機械が言語を使うことができるようにする方法の探究、 機械上での抽象化と概念の形成、今は人間にしか解けない問題を機械で解くこと、 機械が自分自身を改善する方法などの探究の試みがなされるだろう。我々は、 注意深く選ばれた科学者のグループがひと夏集まれば、それらの問題のうちいくつかで 大きな進展が得られると考えている。 (McCarthy et al 1955) 提案書ではさらにコンピュータ、自然言語処理、ニューラルネットワーク、計算理論、 抽象化と創造力について論じている。これらはいずれも今日でも研究が続いている分野 である。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180924-00000035-jij_afp-int MS、アマゾン、グーグルのIT3社、世界の飢饉対策に協力へ 新設される飢饉行動機構(FAM)は、飢饉につながりかねない食料危機を検知するため、 初期段階で警告を出し、早い段階での介入が可能になるよう、事前に定められた 資金調達計画を発動する。グーグル、マイクロソフト、アマゾン・ウェブ・サービス (AWS)などのIT企業が連携して、悪化していく食料危機のリアルタイム評価・予測の ためAIと機械学習を活用する「アルテミス(Artemis)」と呼ばれる一連の分析モデルの 開発に向けて、専門知識を提供する。こういった予測を行うことが政策立案者を 早期対応に導き、促す一助となる。 AI は、こういうことにこそ、積極的に使うべきだね。社会システムを平等、公平に するために使う。人生の初期条件や初期値の偏差、分散を均して、人生の基底や条件 に不平等がないようにする。 AIで、日本は欧米や中国の後塵を拝しているけど、早く、挽回しないといけない。 ビジョンがない国家や組織は、世界をリードできない。 相変わらずAI使えば公正公平お花畑、飲み屋のおっさんのトークレベル 男とか女とか関係ないよ。AIは省エネでなく、省人間化なので、 人間に対して淘汰圧が作用する。 だから、人間は宇宙人として進化する方向に進むしかない。 熱くなり過ぎた地球でなく、宇宙の他の惑星に住んだり、軌道上にある 宇宙ホテルに住まうようになることも出来るだろう。 宇宙用の言語もAIで開発できそうだね。 宇宙の他の惑星ってそこまでたどり着くのにどんだけの年数かかると思ってんのよ? ああきっとAIがワープ航法も発明してくれるんだねw 100年後は、AIが地球を征服する。 人間はペット。 三角関数も出来ないバカは、劣等感と悔しさで、このスレを荒らすことしかできない だろうという、私の推論や判断は「コンパクト性定理」のような考え方を応用している。 まあ、馬鹿どもには遠い世界の話だろうけどさ 算術の超準モデルとは、一階ペアノ算術のモデルのうち、通常の自然数ではない要素(超準数) を含むようなモデルのことである。それに対し、通常の自然数 N は算術の標準モデルと呼ばれる。 ペアノ算術の任意のモデルは線形順序で並んでおり、N と同型な切片を持つ。超準モデルは、 その切片の外に元を持つようなモデルであると言える。 算術の超準モデルの存在を証明する方法はいくつか存在する。 コンパクト性定理を用いて超準モデルの存在を示すことができる。 証明の概略は、c を新たな定数として、ペアノの公理系 P A に { n < c : n = 1 , 2 , 3 , . . . } という形の無限個の公理を付け加えた 公理系 P A ∗ を考え、コンパクト性定理により P A ∗ を満たすモデル N ∗ の存在を 示すというもの。P A ∗ はペアノの公理系を拡張したものであるため、 当然ペアノの公理を満たしている。また通常の自然数では定数 c を いかように解釈しても P A ∗ を満たすようにはできないため、 c は超準数であり、N ∗ は超準モデルとなる。 P A ∗ にコンパクト性定理を適用するには、その任意の有限部分 T が モデルを持つことを示せばよい。T は P A の部分集合に n 1 < c , n 2 < c , … , n m < c という有限個の公理を付け加えた形をしているため、c の解釈を n m + 1 と定めれば、自然数 N が T のモデルになっていることが言える。 不完全性定理により、標準モデルでは真であるがペアノの公理系においては 決定不能であるような文(ゲーデル文)G が存在する。このとき、完全性定理より、 ペアノの公理系 P A に ¬ G を加えた公理系にモデルが存在する。標準モデルで G は真なので、このモデルは超準モデルでなければいけない。このように、¬ G を満たすことは、そのモデルが超準的である為の十分条件となる。しかし、 これは必要条件ではない。いかなるゲーデル文 G に対しても、G が真であるような あらゆる濃度のモデルが存在する。 算術が無矛盾であると仮定すれば、算術に ¬ G を付け加えたものもまた無矛盾である。 しかし、¬ G は算術が矛盾していることを意味するのだから、結果得られた 算術の体系は ω-無矛盾にはならない。なぜなら、¬ G は偽であり、したがって ω-無矛盾性に反する。 算術の超準モデルを構成するもうひとつの方法は超積に基づくものである。 典型的な構成では自然数列全体の成す集合 N^N を用いる。2つの列が 同一視されるのは、それらがある固定された非単項超フィルターに属す 添字集合の上で一致するときである。このようにして得られた半環は 算術の超準モデルとなる。これは超自然数と同一視出来る。 このイメージで言うと、標準モデルとしての人間を拡張したのは 疑似・超準モデルとしてのAIであったり、AIによる補完を通じて 人間が進化した状態である超準モデルとしての宇宙人、という感じで 記述してもいいかな、と思える。 進化というと突然変異であったり、生物学的なモデルとして記述される と思うけど、人工生命やバイオインフォマティクス、遺伝的アルゴリズム などがあるように、論理や計算として進化の過程を記述できる進化生物学的な 領野もあるので、論理の構造の内部に、進化へとつながる理路や経路があっても おかしくない気がしている。 少し戯画化して、進化の関係を表現してみると、 猿(平均IQ10) → 人間(平均IQ100) → 宇宙人(平均IQ1000) と、対数スケールで表せる感じでイメージしていくといいかなと。 イメージなので、実際の本当の数字は分らないけど、とにかく、 少なくとも対数間隔で表せるような距離が各進化のフェーズにおける エージェントにはあるだろうという主観的な推論。 数学的な処理がスムーズにできることと思考が高い機能で働いている ことは無関係だと思う。私は足し算や引き算も面倒ですぐに間違える くらい、算数も数学も苦手だけど、昔、徹夜で作業をつづけなければ ならないことがあって、疲労で意識が低下していたとき、なぜか 突然、数の平方根の計算の暗算が頭に浮かんできた。計算のやり方 を知っているわけでもないのに、下の桁の数字が暗算できて答え がでてくる。妄想かとおもって計算機で確かめてみたら、やっぱり 合っている。計算ができることとある種の脳機能の低下は、結び ついているんじゃないかとそれ以来、思っている。 認知症というのは脳機能の低下で、要は思考力が低下した状態でしょう。 その症状にはいろいろあるけれど、見当識障害の他に、論理的な判断が 出来なくなったり、計算が出来なくなったりする。 だから認知症の人が持つ財布は小銭だらけになっていく。勘定の際、 で端数を出さないような処理が出来なくなるので、そのように なっていく。あと、物を片付けたり整理することも出来なくなる。 だから、ベクトルで考えると高度な計算や抽象度の高い思考が出来る状態が 脳機能が高まっている状態で、計算できない、具体的な思考、原始的な行動 しかできない状態が脳の機能が低下しているか、縮減している状態だろう。 ネットで言うと、脳機能が低下した状態が取る行動が、ネットウヨ、 ヘイトスピーチ、差別、掲示板荒らし、自己顕示欲だけが肥大化した 無意味な書き込み、俗悪な感情の発露、ネットストーカーという感じになる。 つまり、俗悪な本能レベルの行動だけが賦活された状態。アルコールや 薬物、向精神薬等でで脳が異常を来していると、こうした行動が賦活 される感じがする。私は精神科医療の薬も長期的にはこれらと同様の効果を もたらすのではないのかと推測している。つまり、それは脳を破壊する。 脳機能が高まっている人の行動は、差別や不平等をなくすような言説、意見を 広める、教養や知性を高める知識や情報を伝播する、自然と啓蒙・模範的に なる等、有意義なレスや書き込み、情報発信をすることが多くなり、 読むものも、そうしたものが多くなる。 AIと数学でマウント取りたくて仕方ない奴が粘着してるけど、所詮ただの素人じゃん アークタンジェントも分からないで、どうやって哲学するんだよ 特定の決った手続きに従うことに馴れることは哲学することの本質ではない 哲学は必然的に、自分に慣れ親しんだ領域で行われるにしても、 その領域で哲学を行うことに必然性はない 世界の異常事態に精神異常になるのは当たり前で、むしろ正常。 その方がよろしい。アルコールを飲んでいる方が異常事態に伝わるときに 反応がいい。クスリは機微を鈍らす。 ウチワネタで盛り上がるのが哲学ではなく、厳しい戦場での苛烈な戦闘中の議論が 哲学の本質だ。 高校数学が心のよりどころの引きニートがイキってるスレはここですか? 哲学は、西田に始まり西田に終わる。 カントの継承者は西田ですね。 朝日によると、 欧米では、今、西田ブームだそうだ。 本庶教授のノーベル賞は、西田哲学から本ヒントを得たんだよね。 というか、論理学・集合論は時代遅れで、まともな研究者なんていないでしょう。 52考える名無しさん2018/09/20(木) 22:21:23.500 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180920-00000071-jij-soci 5弱以上確率、10分の1に=北海道地震から2週間で―気象庁 こういうデータも科学的記述というよりは、原発事故の時と同様に、人心の安寧を 保つための政治的配慮に基づく記述なのではないかなと、懐疑的になる。 北海道で震度5弱以上なんか、すぐ来てもおかしくなさそうだし。 日本はデータや統計の扱いが雑過ぎる感じがする。 53考える名無しさん2018/09/20(木) 22:32:00.780 日本人の傾向としてあるのは合理性や客観性への志向で無くて、 忖度や空気への配慮が優先されてしまうこと。だから、データは恣意的に改竄されて いく。この傾向は是正されるべきだけど、首相が忖度政治家でトランプ追随だけなの で、その悪しき無原則な傾向は糺すべきなんじゃないかなと。日本が戦争に負けたのも 同じ理由。論理ではなく、空気に従ったので負けた。 北海道で震度5弱の地震 津波の心配なし 10/5(金) 9:01配信 ゲームしない人だからよく分かんないだけど、「シーマン」とかいう人面魚の インタラクティブゲームがあって、それがAIっぽい応答をするらしいけど、 そういうのがチューリングテストでパスできるレベルの臨場感を随伴するように なれば、もっと人間に近いAIになりそうだね。シーマンの原始人版の動画を 観たけど、笑えるね。よく、ああいうシュールなもの思いつくな、と。 ゲームクリエイターって、なかなか創造的なんだな、と。 私が考えている理想のAIは、その人間の守護天使か守護霊のような存在になる プロトタイプなんだよね。その応答は、テレパシーを使ってやり取りするような イメージ。だから、「hey、Siri!」みたいな野暮な発話は不要。Peperのような ロボットにする必要もない。 それは抽象度が高いAIなので、目を閉じていても、言葉を発することなくても相互応答が出来る、 心の中に存在するような物理レイヤーの低い位相にあるのようなAIをイメージしている。 さて、それをどうやって作ろうかな、という段階までそろそろ来ているのかな、と。 あとさ、ヘッドマウントディスプレイとかグーグルグラスみたいなのは 物性が高すぎて興醒めしそうなんだよね。それらの媒体を通してだと。 仮想モードにいるんだな、という低い臨場感になるので、せいぜい マイクロチップがフィルム化したものがいいな、と。日本はそういう 微細技術得意でしょう。痛くない注射針開発した日本の町工場の岡野という 技術者は中学さえ出てない人なのに、世界レベルで通用する技術者らしいよ。 その痛くない注射針は、蚊の針から着想を得たらしい。たしかに蚊に刺されてても 痛くないので、それを真似た針を作れば痛くないだろうという推論は合理的で正しそうだよ。 日本の町工場の技術者の腕はすごいね。かつての本田宗一郎もそうだけど。 ただ、後継者が育たないのが悩みらしい。 西洋の古典的絵画では、キリスト教をモチーフにしたものが多いので、天使がよく出て来る のだけど、そこに描かれている天使は物性が高い。まさにオブジェクトという感じになって、 重量感がずっしりとある描写になっている。その理由は、画家が石膏やトルソーなどを 使って人物のデッサンの練習をするので、あのように物性の高い描写になってしまう。 もっと軽い感じの天使が欲しいんだよね。イメージで言えば幽霊。淡い蜃気楼。 ただ、ホログラムがいいとも思わないんだよな。いかにも仮想空間という表象空間に 映ってくるから。だから、網膜(Retina)のレベルでなく、心のレベルに投射されるような 像やエージェントをイメージしていきたいんだけどなあ。 中小企業が持つ独自の技術って機械では精度が出せず手作業でミクロ単位に調整するようなものが多いイメージ。後継者が育たないと世界的な損失になったりもする。 触覚は3つの要素で数値化されるという研究がもし本質的なものであるならば、やがてはこういった技術もAIに学習させて後世に引き継がせることが可能になるかもしれない。 >>127 これは、なかなか良い意見だね。 この間、初めてノイズキャンセリング機能の付いたイヤホーンを買ってみた のだけど、イヤホーンでも耳元での装着感が結構出るので鬱陶しく感じるので、 何も身体につけないで、必要な時にノイズキャンセリングできるデバイスがあったら いいのになーとか思ってしまう。ただ、脳には不要な音源を逆位相に補正する調整 機能があるかもしれないので、そういうデバイスに依存しすぎると、そういう 脳の機能を喪失させるリスクもあるのかな、と考えてしまう。テクノロジーの難しいところは、それに依存し過ぎると、身体や脳にもともと備わっているホメオスタシスを無化してしまうこともありそうだよね。現代人は空調に頼り切っているので、 体温調整も昔の人と比べたら、あんまり上手く作動してないんじゃないかな。 だから、自律神経の乱れの問題なども出やすいんじゃない。 AIもそうだよね。AIも機械学習による統計的な確率で、こうした方がいい、とアドバイスをくれることに慣れ過ぎてしまうと、人間が元々持っている直感や本能レベルでの的確な判断や分析、行動する力を縮減してしまう恐れもありそうだよね。 だから、テクノロジーの進化は当然必要なのだけど、それで失われてしまう 人間の身体や脳にもともと備わっている機能なり能力がないかという検証や フィードバックもないと片手落ちになりそうかな、と。バランスの問題なのだけど。 AIは妄想はしない、だがAIは幻想はする、 そして、妄想と幻想は同一で完全に同じ単語だと確信している貴方には その意味は理解することは不可能である。 先日AIに人間の脳と同様な多段階の画像解析を学習させた上で錯視図形を処理させたら人間同様に錯覚を起こすという話をテレビでやってた。AIは錯覚もする。 どこでAIが錯覚を起こすかを解析することで今度は逆に人間の脳がなぜ錯覚を起こすのかを推測していた。 量子コンピュータとかホントに実現できると思ってんの? 数学は理系でも文系でもないことにいいかげん気づけよ >>133 あとから量子技術に少しでも関係したものは全て量子コンピュータって同一の原理みたいに とらわれているからな。 量子コンピュータすげーってやつは、本来因数分解の類が0に近い速度で実現するところにあった ほぼ0とは入出力に時間がかかるわけで、計算事態には時間はかからない量子原理、 この時間がかからないという物理法則無視してね?というやつがすごいわけで、 この原理(=量子もつれ)を使わないものが量子コンピュータ名乗っても、 =もどきでしかない。 >>131 錯覚は妄想ではない、妄想は学習による原理ではないし錯覚でもない、 思いが可能性を廻らせることであって妄想していてもそれは妄想だと自覚している 錯覚できるのは幻想な。 数学は本来が一種の哲学なのであって、理系ではないわな 理系の血統が文学哲学等の言語を持たないから、失敗ずくでもたまには価値ある 対話が生まれるんじゃないの。お互い不器用なようで器用じゃないか。 いまどき相対性理論が正しいとかまだ思ってんのかい? >>138 タワケ 特殊はともかく ちょっとまえ一般相対性理論はライゴ(ノーベル賞)によってで完全証明されただろ ノーベル賞とかまだ信じてんのか ゲラゲラゲラゲラぎゃはははははははー >>141 >信じてるって、、、、、、いう表現自体がアホの証明 ノーベル賞(平和賞を除く)は、ある関係の上で成り立つ「妥当性の承認」 アーベルとかヤコビとかガロアとか 18世紀数学あたりから始めたらいい ちょうど先日ヒストリアで後に間違いとわかった研究に誤ってノーベル賞を与えてしまったために日本人ノーベル賞一号を与えるべき研究がそうならなかった話が扱われたばかりだ。 そもそも自然科学は完全に正しい証明とは縁が無い世界で、常に現時点で矛盾無く再現性の高い理論が生存競争に勝ち残るが、それが真理かどうかは神のみぞ知るもの。 もちろん現時点で高い再現性があるのであれば実用的には正しかろうが実は間違いであろうが当面は問題ないし、矛盾したり再現性がない他の理論よりましだけどな。 少なくとも科学屋は相対論も量子論も信じちゃいないけどな。使えるからそうであるうちは使うが、使えなくなったら見捨てるよ。 ブレーンワールド(膜宇宙、braneworld)またはブレーン宇宙論(brane cosmology)とは、 『我々の認識している4次元時空(3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空(バルク(bulk)) に埋め込まれた膜(ブレーン(brane))のような時空なのではないか』と考える宇宙モデルである。 低エネルギーでは(我々自身を含む)標準模型の素粒子の相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に 閉じ込められ、重力だけが余剰次元(5次元目以降の次元)方向に伝播できる、とする。 自発的対称性の破れ ヒッグス粒子 超弦理論 メンブレン 結論 : 世界は存在しない 最近の話は知らんので古い情報で書くが、ひも理論は実験を行えるような予言がないので物理ではないと言う研究者は多かった。 ただし理論の仮定から論理的数学的に演繹される結果の中には検証されるスケールのものが現れるかもしれないので、研究を続ける価値はあるだろうと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる