人間の自我が自分を意識できるのは、そもそも鏡としての役割をもつ肉体があるからです。
しかし肉体は時間が経つにつれ退化する傾向にあるので、自我そのものも止めどもなく衰えていきます。
というのもルシファーとアーリマンが人類進化に介入した、いわゆる「堕落」の結果として、
肉体の硬化はとまらず、時間の経過と共にますます死の支配下に置かれるようになりました。
(…)
「地球進化の重要な結実である自我意識が失われてしまい、
人類進化が台無しになるという危険性」があったのです。
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それゆえに、「ゴルゴタの秘蹟という出来事が地球の進化の中で起こらなければならなかったのです。
それが意味するのはまさに人間自我の救済なのです。
(…)
すなわち自我に永遠的性格が与えられたのです。
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この超感覚的であると同時に物質的でもある体は、復活を通してキリストによってつくられました。
この体こそ、地球進化の未来にわたって個々人の自我を救済する不動の基盤なのです。
(セルゲイ・O.プロコフィエフ「人智学とは何か」)

「ゴルゴタの秘蹟」っていうのはキリストが人間の自我の鏡となる復活体を作ったことなのか
シュタイナーは言説をいくつも重ね合わせた時に見えてくるように語るから、
シュタイナー自身がここまではっきり言ってる箇所はない気がする
この復活体のことをキリスト教では「栄光のからだ」って呼んでるんだね