時間軸と因果関係を輪廻のレンズで眺めると、一つの生の不幸が次の生の幸福に結びつくことはママあると思ってます

例えば、お腹の中で死んでしまう子は親に何かを教えるために犠牲になった、とも言い得る
また、耐え難い苦が個我に何らかの克服しないといけない課題を教えることもあるかもしれない

この手の話を扱う時に気をつけないといけないのは「必要な不和」は他者がみだりに語っていいことではない、という魂の態度が大前提としてあること

仮に実際問題、必要な不和だったとしても、個我にとっては苦でしかなく、必要なのも個我のテオーシスまでの道程にとって必要な苦なわけだから、

個の尊厳を最大限尊重する人智学としては「法として」は客観的にそれを語るが、「特定の個に対して」は最大限、繊細な手つきで扱わないといけない事柄

ここら辺を間違うと魔境コースに入る可能性が高まる