ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
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ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1576819773/ >>943
カント以前は啓蒙主義の時代。
啓蒙主義とは、ニュートンに始まる科学革命を人間社会へも転載すること。
ニュートンに始まる科学革命とは、現象を単位の合理的な運動と考える。
人間社会の単位とは理性、理性を基本とした合理的な法則により人間社会は完成する。
そしてヒューム先生などにより論理的に理性主義の不可能であることがわかったとき、
それを救ったのがカントだ。
だからカントは西洋哲学の英雄である。
しかし啓蒙主義は国王レベルを巻き込んだ思想的、そして政治的な運動であったが、
カントが救出したのは西洋哲学というローカルでマニアックな哲学学問世界だけだった。
実際に思想的、政治的に引き継いだのは、ヒューム先生、そしてスミスなどの自由主義思想であり、さらにはそのあとに続く社会主義思想だ。 カントの純理は哲学作品としてはそれまでの矛盾を解消する素晴らしいもので、哲学徒のバイブルとなっているが
社会的にはほぼ影響はない。
言わばいまに続く西洋哲学の立ち位置、社会と乖離した学問的世界を鮎見出しだはじめと言える。 啓蒙主義はその後の人間科学のベースとなる、
政治、経済、社会、法、歴史、統計、社会学そして哲学と
分岐して分かれていく。 >>947
未知(笑)
コロナなんか以前からありふれてたし未知でも何でもないよ
宣伝文句に多くの知識人までもが騙されたんだな
懐疑論者であり不可知論者の俺は騙されることはなかった、
当初から冷ややかな目で見てたよ
この程度でお祭り騒ぎできるなんて皆幸せだなとつくづく思うよ 未知のウイルスに対する恐怖というより、不信感しか生まない統治と
メディアによって何か正体不明な終末を迎えているような感覚が
日常化しているということでわ? ドン・キホーテの原書を半分程度読んだから、より正確に理解できるように
Oxford大出版局版の英訳も入手した。まだ読んではいないけど、値段は手頃だし、
装丁も含めて、なかなかセンスがいい感じ。本のバックカバーには、
'the novelist teaches the reader to comprehend the world as a question'
というクンデラの評価が引用されている。 いくら独学で本を読んで理解しても、それが学問として他人から評価されたり、
金を稼ぐことに直接に役立つわけではないけれど、独学をするには、昔とは
比べ物にならないほど便利な状況になった。原書が桁違いに安い値段で、
迅速かつ容易に入手できるようになっている。だたし、外国語で読むこと
が要求される。それでも、ネット検索すれば、役に立つ辞書や参考になる
辞書がすぐに見つかる。 自らが生活レベルでいかに未知をトラウマ的に恐怖しているか、理解することは難しいかもしれない。
しかしこれを理解することは人間を理解することの第一歩ともいえる。
たとえば笑い。
笑いは未知を隠す行為だ。
ボケとは非日常的な発言、行為により狂気、未知をあえて開く行為だ。
突っ込むことで、一瞬の未知を笑いで回復して日常に戻す。
たまにボケが失敗して場が起こりつくときの恐怖。
お笑い番組でもボケが滑って空気が凍りつくとき、テレビで見ていても恐ろしい。 波平が発達障害君でそう言う気付きに鈍く、本の知識を切っ掛けに世界が変わって見えているんじゃないか。
主観的に物事を語っているから周りに伝わらない。 この未知を、マルスク、そしてウィトゲンシュタインは命がけの飛躍と読んだ。
原理的に言えば、自者と他者には独我論的な溝がある。
あなたが見ている赤は私が見ている赤と同じか?
言語コミュニケーションにおいて意味を完全に共有することは可能か?
人はいつもこの決して埋まることがない独我論的な溝を飛んで生活している。
あなたが見ている赤は私が見ている赤と同じだ。
言語コミュニケーションにおいて意味は共有できている。
そのように振る舞いながら社会を成立されている。
コミュニケーションにおいて笑いが重要なことは、
互いに笑うことで溝がないことを確認しあう。
正確には溝はあるがないように互いに振る舞いあう合意の確認だ。 独学で興味をもったことをより深く理解するのを大学の教育が助けて
くれると思うのは大きな勘違いだ。大学の教育は、独学によって
理解が深まることを徹底的に妨害することを暗黙裡に主要な目的
としている。ただし、どのような妨害を受けているのかを反省的に
捉えるなら、どのような理解が不都合なのかを明確化するのに
役立ち、理解を深めるのに役立つ。 今アメリカで起こってるデモについて、
犯罪大国などとも呼ばれるアメリカ。
白人警官が黒人を取り締まるという状況など
毎日無数に行われているはずだよね。
でも一例一例についてデモや抗議が起きてる訳じゃない。
つまりやはり今回の黒人が亡くなった事例は
「あまりにも酷い、理不尽な被害」だったという
証拠ですよね? 犯罪と言っても国毎に統計の取り方、法律が違うので一概には言えませんね。
インドネシアなど公表されている犯罪率はかなり低いですが、仕事で貧民街などいくととても治安が維持されている様な場所じゃないです
またサウジアラビアなど民族対立が激しく政府側が国民に向けてミサイルをバンバン打ち込んで定期的にテロとして反対勢力を殺しているのもニュースになっていますね。
ついでに言うと日本の報道機関はサウジアラビアとの石油関係の貿易があるので殆ど報道していない。
世界的にはかなり強く日本の報道機関に対してバッシング受けていますが、そのバッシングすら報道されない為、ネットで海外の情報見てないと知らない人が多いです。
ある意味アメリカでの殺人件数が多いのは統計や報道がちゃんと機能している証でもあります。
クロアチアなどの東欧は政府の力が弱く警察も日本やアメリカの様にちゃんと機能しておらず治安が悪いと一般には言われていますが、統計上は治安が良い国となっています。
中国も地方では全く法が機能しておらず警察が私設軍隊と化して村を一つ地図から消したりしています。
今時はSNSや報道でショッキングな動画が流れると一斉に騒ぎ立てます。
それを持って証拠とはならないでしょう。 スペインやイタリアなんかも統計上は治安が良いと言われたりもするが、EU内で住んでる人からは治安が悪いと言う解離した意見が多い国ですね。
実際犯罪統計はそれぞれの国が独自でやっているので、はっきり言えば全く当てにならないと言えます。
国際機関が共通の手法で調査・統計を取る事も出来ませんし、仮にやってもWHOと中国の関係の様に恣意的な調査結果が出てきてしまう。
一般的にはアメリカは世界的にみても治安が良い国です。
暴動が起きるのは歴史的に移民が集まって出来た国で、様々な習慣・価値観の違いを許容・尊重するが為にそこに衝突があるのでは。
日本などは対外的に人種問題はないと言い切って同化政策取っています。
これは習慣・価値観を封じ込めて一つの文化・民族として纏めようと言うものです。 >>964
アメリカでは黒人差別の問題は歴史的にセンシティブな問題で、定期的に暴動に発展しますが、
なぜ今回なのかはなかなか謎みたいですね。
少し前の日本での検察庁法改正騒ぎに近いじゃないでしょうか。
きっかけは左翼の仕掛けたいつものアベネガティブキャンペーンをきっかけに、有名人から世論まで反対に発展しました。
でも左翼のアベネガティブキャンペーンは今に始まったことではないし、
検察庁法改正はネタとしてショボいし、安倍政権的にもどーでもいい法案でしたが、なぜか盛り上がった。
やはりコロナでみなストレスがたまり潜在的な不安が爆発した。
今回のアメリカの件も扇動してるのは左翼団体ですが、簡単に炎上したのは多くの人がコロナでストレスを抱えて、良く炎上した、ということでしょう。 暴動も黒人が騒いでいると言うよりも貧困層が騒いでいるようですね。 あと、日本の場合と同じでマスコミが煽ってるみたいですね。
アメリカでもマスコミは左寄りなんですね。 あと、日本の左翼のアベネガティブキャンペーンは憲法改正の時間切れを狙って過激化してますが、
アメリカでは大統領選挙を控えて、左翼が活発になっているところも似ています。
安倍政権もトランプ政権も経済の好調により支持率を維持してきましたが、コロナで景気が悪くなっていることも似ていますね。
でも日本はTwitterハッシュタグデモに比べてアメリカは街の破壊ですから過激さは段違いですが 今回の暴動を扇動してアメリカ極左Antifaと日本の立憲民主党との関係が取り沙汰されていますが、
陰謀論語ってもいいですよ。 >>943
そもそも認識論などなくてもよかった哲学なんだよ。
ニュートン力学の力が増大して、それを面白くなかった教会が
緩衝地帯として、認識論を必要としただけ。
実際に、認識論の成果なんてなにもない。AIとか認知科学の連中も
カントは眼中にない。 認識論は理性主義を思考したところに表れた問題。
理性主義では、理性が世界を正しく認識する必要がある。
それが原理的に不可能となったときに、
カントはアプリオリな総合判断の存在を証明することにより理性をかろうじて救った。 人は認識論的な限界によりものそのものは認識できないが、
アプリオリな総合判断を備えていることで、普遍的な認識が可能であるとした。 しかしそのときには啓蒙主義の時代は理性主義から自由主義、統計的な世界へ
神の手とはみなの自由な活動により社会全体が良い方向に行く
自由な活動により統計的な平均という正しさが生まれる 再度言えば、啓蒙主義以前は聖書、そしてそれを解読する聖職者の言葉が正しさをきめていた。
しかし神の世界と思われた天体をニュートンが数式で表したとき、啓蒙主義はキリスト教のドグマから離れて社会の正しさとして理性による数式を求めた。
たとえばデカルトがコギトで理性の存在を示したとき、
理性は正しく世界を認識できるのかという認識論が浮上した。 >>972
哲学なんてみんなそんなもんじゃないの?
あって良かった哲学とは? フランス系の啓蒙主義は理性主義。個人の確かな理性から正しい社会は作られる。
対してイギリスの啓蒙主義は共感。個々人が共感し合うときに正しさは生まれる。
そこから経済発展する中で、自由主義、神の手へと変容する。
人々が個人の所有権の確保、機会の平等のもとそれぞれが自由に好きなことをしていればおのずと社会は豊かになり正しい方向へ向かう。
フランスでは理性主義から社会主義へ。
社会主義の概念は広いが簡単には自由より平等を重視してより積極的に社会設計を行うことだ。
共産主義は個人の所有権も放棄して平等に社会設計を行う。
現代まで続いてある。 啓蒙主義からの流れ、
イギリスの共感主義から自由主義とフランスの理性主義から社会主義は
いまにも続く
イギリス系 イギリス、アメリカ、日本
フランス系 欧州 全ては「比較」の世界だと思いますが、「比較」の世界を超えることはできるのでしょうか?
まさに涅槃なんかがそれに値するのでしょうか? この世界と比較するから涅槃が存在し得るのではないですか? 確かにそうですね。
じゃあ涅槃も比較を超えたものではないですね。
やっぱり比較を超えたものは無いのですか? 有と無、生と死、自と他
人の認識は差異によります。
空とはその向こうにあります。
そして空に達したとき涅槃に到達します。 諸行無常
すべての物事は移り変わり、変わらぬものなどない。
諸法無我
すべての物事は関係の中で存在し、独立したものはない。
涅槃寂静
悟りを得ることで、安らかな境地に達することができる。
一切皆苦
この世のすべては苦しみである。 この世界は変化するものだ。
なのに人は自他にこだわり生死にこだわり勝敗にこだわる
だから人は苦しみの中にある。
この対立の向こうの空、すなわに悟りに達することでのみ
安らかな境地に達することができる。 仏教とは空へ達するための訓練のことです。
まず托鉢から始めましょう。
人々の家を回って食べ物をいただき生きる修行です。
自他にこだわり、プライドを持ち、恥ずかしがるうちは人は与えてくれません。
空に近づいたとき、人々は感謝しながら食べ物を与えてくれます。
さあ、旅立とう。 そもそも比較とは認識論の話だ
存在論の話でいいなら比較と関係ないものはいくらでもある
でも人間はモノそのものを認識することは出来ない
そこで認識するには必ず比較が必要になる
涅槃だって他のものと比較するから人間が認識出来る
もし、涅槃がXXを超えたものというならXXと比較してることになるだろ
XXなしに涅槃を説明出来るか?
認識論においては全ては比較なのだ 西洋哲学の本を読んでわかったつもりになっても、
わかったおれすげーで自我が肥大するだけで
苦しみは増すばかりです。
なんの役にもたちません。
悟りを開く、苦しみから解放されると言うのはそんな簡単なものではありません。
そもそも理解できるものではありません。
理解は悟りとは真逆の行為です。
精神の修養なく到達できません。
さあ、托鉢に出よう。 存在論とは有ると無い、という煩悩の最たるものです。
空はあるとないの無効にあります。 西洋哲学もただ頭が悪いわけでもありません。
少しずつですが知恵をつけています。
たとえば存在論において、デリダは有ると無いにある差延を暴きました。
しかし真に達するには托鉢から始めるしかない。
デリダは精神分析を特定の「局所的な」分野とはみなさず、「存在論という、またはとりわけ存在という基礎的概念」を解読する読解方法とみなしている。
・・・フロイトは、自ら認めるかどうかは別として、精神は「抹消の下にある」記号の構造だと暗示している。
なぜなら、精神は記号と同様に、根源的な他者性、完全に他なる者に住まわれているからである。
「フロイトはこれ(この根源的他者性)に無意識という形而上学的名称を与えている(デリダ)」
「・・・フロイト思想にすじを付けているさまざまな概念対立のすべては、差延の経済におけるある迂回の諸契機と同様に、それら概念のそれぞれを相互に関係づけている。
一方は遅延された他方にほからなず、一方は他方から差異化する(デリダ)」
この二つ、「差異」と「遅延」を合わせてデリダは「差延」と呼ぶ。
・・・哲学の運動は必ずしもニーチェ的暴力を必要としない
・・・人は差延によって形成されていること、「自己」なるものは「自己」が決して完全に認識できないことによって構成されていること、を
単に認識するだけで十分なのだ。
われわれは忘却とか偶然への愛とかを培う必要はない。われわれが、偶然と必然の戯れであるのだ。
「デリダ論」 ガヤトリ・C・スピヴァク (ISBN:4582765246) >>991
人間の概念によって成立しているもの以外は全てそうだよ >われわれは忘却とか偶然への愛とかを培う必要はない。われわれが、偶然と必然の戯れであるのだ。
諸行無常
諸法無我
そのものです。
西洋哲学は何千年遅れなんでしょうか。 そりゃ麻生太郎も「コロナ死者少ないのは『民度が違うから』」と言いますよ。 西洋哲学と言っても実質啓蒙主義からでまだ2、3百年の子供だからね
仕方ない 古いものほど価値があるという考え方か
私は進歩主義なので
傾向として自分は新しいものほど価値があると思う
古い説の誤りを訂正してより真実に近づくと思うから このスレッドは1000を超えました。
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