この世は数学とプログラミングで構築されている
21世紀にして、ついに地球人類は真実に気づきつつある 土器を作ってた頃の人類「神もこうやって土を捏ねて世界を作ったに違いない!」 ネットで遊んでる時代のニート「神もこうやって世界をプログラムしたに違いない!」 >>3 「迷信ではない真実!」 >>4 すでに人類は、DNAのコードを書いてオリジナル生物を創り出せるところまで来ている 昔は「どんなに科学が進歩したところで、葉っぱ1枚、人間には創れない」なんて言う人がいたけど、そんなことなくなってきた 科学界では、宇宙の森羅万象を方程式で解き明かす努力が日夜行われている。 「宇宙のすべてを説明できる『神の方程式』」が実現可能かどうかは定かではないが、 この世のほとんどすべてが数式または確率という数字で説明することができるのは紛れもない事実である。 物理法則のすべてや量子論、さらには自然が織りなす美しい造形、放物線、人間の美の感覚である黄金比に至るまで数字であらわすことが可能だ。 しかし、なぜ数字で表すことが可能なのだろうか? 宇宙が数字で表せない原理で動く選択をする可能性の方が高かったのではないかと考えたことはないだろうか? 先進的な学者が現在注目しているのは、なぜ宇宙は数字で表すことができるのかということである。 数式で表せるのは、コンピュータのように「プログラム」で動いているからではないかと考えるのは自然なことだ。 >>5 遺伝子組み換えやゲノム編集程度の技術では「DNAのコードを書いてオリジナル生物を創り出せる」とは言えないんだけど これらを上回る技術が開発されたってこと? 何もかも数値と計算でできている 日常感覚ではなかなか気づかない 皮肉にも、ゲーム世界が発達するにつれて、 「あれっ? なんだかリアル世界も、ゲームと仕組が似ているな?」と、 多くの人々が気づいてしまった 偶然ではなく必然だ よりリアル世界に似たバーチャルリアリティを構築しようと思ったら、対象を無数のドットに分けて、すべてを数値化して大量の計算を処理するしかない リアル世界も同じなのだ 物質的な世界というのは、こんな風にしか構築できないのだろう 結局のところ、この世界は、ゲームと同じ作り方でできている >>18 世界がそういう風にできているのではなくて人間はそういう形式でしか認識できないってだけの話でしかない ゲームや仮想現実だけでなく都市や制度や道具なども含めて人間が意識的に作り出したものなので、これらは脳(意識)の外部化だと言えるんだけど 人間が自分で作ったわけではない自然物や自然現象や自然法則も認識されるにあたっては脳(意識)内に取り込んでいるので認識が洗練されればされるほど 「数値として抽象化される度合い」が高くなってくる傾向がある この傾向ってやつは単に人間の”癖”みたいなものでしかない そのことに無自覚な人ほど「この世界は数学とプログラムで構築されている」なんて勘違いをしてしまいがち 正しくは「(認識の形式が洗練されるほど)私達はこの世界を数学的な方法で把握している」 後衛 馬場みぶ 下川 菊地 池田 中澤 前衛 四ノ宮 滝川 井出 遠藤 増田 実際は擦ったもんだの挙句、団体は県大会ベスト8、個人は前衛でベスト16 ところで「火」と「木」ってわかったか? 「火」は国土 「木」は樵 日本人は「火」で結婚するんだぞ。 大まかに言えば、有吉と夏目三久の結婚。水谷豊夫婦、村上弘明夫婦…… 上杉が「木」で繋がっているが、全体を「火」にすると辻褄が合う。 日本には色々 人たちがいる。俺は一人で探求してみたが、ちゃんと死なないようになってる。 どんな人でも見た感じは普通の人だ。 じゃあ誰が悪い人で誰が加担していて、誰がどうとかは無い。そこに結界があるだけだ。 俺はまったく世の中の普通を誤認していたけど、世界ってこんなものよ。 そのかわり心の分量が多い人と少ない人は存在する。やはり共感の面で不足している人は多く、そういう人は人の傷みはわからない。 どうしたらよいかというと、人を殺さない。それを前提として心を清くして生きてれば命の心配はない。隠し事もやはりよくない。 自分から前に出ている限り誰も何もしてこないよ。あまり物事を動くのを待ちすぎるとよくない。怖くなってきたら前に出る。それだけだよ。 物事には妙がある。待つのも程々に、前に出過ぎてもよく物事が見えなくなる。そういうものだった。それに気づいた。 微妙なバランスで動いてみること。 あとはあまり直観を軽視しないことだね。 一般に、数学は物理法則を記述するために用いられる。宇宙は物理的構造物であり、抽象化のために数学が用いられるのだと考えられている。マックス・テグマークはそうではないと考えている。 数学的宇宙仮説では、物理と数学の関係は一般に考えられているものとは異なり、物理が数学を規定するのではなく、数学が物理を規定するのだと考えられる。 テグマークによれば、物理法則が数学的に記述可能なのは、人類が発展させてきた数学理論や方程式が優れているからなのではなく、物理法則自体が、純粋に数学そのものだからだ。 人類は、数学や物理学と呼ばれる学問において、思考の体系を作り上げてきたのではなく、宇宙の数学的性質の一部を「発見」してきたに過ぎない──テグマークはそう考えている。 宇宙は、数学で動いている 人間は、それを発見してきた なぜ、宇宙はこんなにも数学的なのか? 「この世はコンピュータによるシミュレーションだから」というのは、それに対する最もシンプルな答だ あまりにも高精細なため、滑らかなアナログに見える だが実際には、この世界はデジタルでできている ゲームの画像も、昔のインベーダーゲームやパックマンの画像はドットが粗かった いまのCG画像は、実写より滑らかで美しいくらいだ デジタルは、高精細になるとアナログに見えてくる いまのポリゴン画像は、間接が曲がった部分を見ればわかる形がありえない形に変形している これがポリゴン処理の限界なのに、なぜか見て見ないふりをする馬鹿が すごいすごいわけわかめを言い出す、 3Dの唄姫類の踊るダンスCGが捨てるほどあるが、ほぼ全部がアニメ絵であり、顔が平らで 削れて凸凹の凸が無いので斜めからみると非常に変形してきもちわるいお面に見える、 陥没している顔、おわんの上側の平面の蓋のような、ひらたい顔はいびつすぎる。 ポリゴンの手抜きがそれをさらに誇張している。 手書きのアニメ絵ならその部分は凸に補正されるが、CGのそれは設計データのまま くさっている、きもちわるい、美しい?歪んだ美しさというやつだ。 ジェシカ(元少女時代)、今もこれからも永遠に顔は左側 2020/12/10(木)22:19 (wowkorea) ジェシカは10日午後、自身のインスタグラムに広告カットを数枚を上げた。 写真の中でジェシカは、ジャンパーとホワイトパンツを合わせて純白の女神美を誇っている。 印象的なのはグラビアカットの中でも、自分の左側の顔を死守しているという点だ。 ジェシカは「少女時代」の活動当時、左側の顔がより美しいとファンの間で話題を集めたことがある。 https://www.instagram.com/p/CImmrwgnlms/?utm_source=ig_web_copy_link >>47 ジェシカの顔は曲がっていない 昔も今も美人だ >>47 ぜんぜん曲がっていない。 その程度を曲がる言うなら頭大丈夫? この世のすべては、数学とプログラミングでできている でも本当は、この世の風景は無数の画素からできている すべての物体は、プログラミングされた通りに数学的に正確な運動をしている あまりに高精細だから、そうは見えないだけで 実は完全にデジタルな世界 . l,‐、i三三三' ,. -"二三,、: : : : : . .i l ll三三三 ´;ィ彡'",ニ、`ヾ、、: : : . i l !三三三 .::メ《″(::о::) ,l:ヾ、: : : . ヽ', :l.ヾ三三 : : : ::``ーゞ='-‐'"ンソ : .: ヽY ヾ三ミ : ::`ー---‐'''"´: :ノ : : |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i′: : : :/ / - ― ′ ', l l:;:;:l゙リ:;:;:;:;:;l : : : : : : ,,r'" ヽ }, l . l:;:;l l゛'r、:;:l: : : : : : / `ー‐、_ ハ ,' ヾヽニンl;;l : : : : : .;';';';';';';';';';';';';';';';';';.,. l. ,' l:;:;|: : : : : : : : : ', ヾ〒〒〒〒〒ァ:;' / "l:: : : : : : : : : ', ヽ±±±ン ;' ,/ 完全爆発はまだかね? . / `丶、:: : :\ ヽ 丶、_ ノ/ / / `丶、 \ ', / /___ `ヽ \ ヽ、 ノ " ̄  ̄`丶、 \\ `ー---ァ '´ `丶、 \ヽ、_ / ここがデジタルな世界であること 普通は、頭では分かっていても、なかなか実感できない 長年の日常生活による刷り込みはそれほど深いものがある ベケンシュタインの説をさらに推し進めたのが、ノーベル物理学賞受賞者のゲラルド・トフーフトやスタンフォード大学教授のレオナルド・サスキンドです。 彼らの発想は、ブラックホールの原理から、「この現実世界にあるモノ・コトのすべては、どこか遠くにある二次元平面に書き込まれたデータの投影にすぎない」という結論を導き出したのです。 しかも、さらに驚くのは、彼らがこの世をアナログではなくデジタルでできていると見なしていること。 コンピュータが0/1の二進法で情報を記録するように、世界のモノ・コトのすべては0/1のデータで、空間領域の外側にある球面上にコーディングされているというのです。 この理論は、三次元映像を二次元のフィルムに記録する「ホログラム」に似ていることから、「ホログラフィック理論」と呼ばれています。 人の心は二進法でできていない だが、心には実体がない 物質はすべて、その究極の姿は二進法のデータ 要するに数値 二進法=記号に置き換えられるってだけで物質が記号自体なわけない 世界内の住人にはアナログ世界に見えるが、本当はすべてが二進法の数値 心を当事者として具現化する「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body" があってこそ、自らの身体が第三者から見た「からだ/体」として、つまり、 そこにある物体として存在し得るのであって、その逆ではない。 心を当事者として具現化する「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body"には、 常に既に具体性(からだ/体を具えている性質)がある。 このことは、「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body"について 考えるときに身体についての第三者的な生物学の知識を前提としなければ ならないというようなことを、意味しているわけではない。むしろ、 みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body"についての反省が、 第三者的な生物学の知識の理解に暗黙に反映される。 >>76-78 「当事者」および「第三者的」という表現を用いれば難なく理解できる はずのこのような理路も、代わりに「主観」および「客観」と表現すると、 二重に複雑化されて、とたんに分かりにくくなる。 まず第一に、「主観」および「客観」という表現はいずれも、 "subjective"および"objective"に対応していないにもかかわらず、 対応するように用いることが暗黙の規範とされている。 次に、そのように対応ささせて、「主観」="subjective"、 「客観」="objective"とした場合でも、「主観」と「客観」 は、その関係が対称的であるかのような印象をもたらし、 「第三者」に対する「当事者」の関係の場合とは異なり、 「客観」が「主観」を前提とするような関係を自然に伝える ことができない。 日本語で考えるなら、「主(あるじ)」と「客(きゃく)」は互いに 当事者であり、その関係は第三者的ではあり得ない。 >>82 「能取」、「所取」という表現を私は知らなかったので検索してみると、 以下の説明がヒットした。 >能取=分別するもの≒主観と所取=分別されるもの≒客観 漢字の表記から見れば、「能取」≒"capturing"、「所取」≒"captured" を表現しているように見える。「能取」≒「分別するもの」≒"capturing"、 「所取」≒「分別されるもの」≒"captured"と理解するなら、「能取」 と「所取」の関係は、「当事者」と「第三者」の関係とある程度、 重なるものの、私が「当事者」と「第三者」の対比として表現しようと した関係は、より単純であるとともに、より「込み入って」いる。 さらに単純化して表現するなら、「当事者」と「第三者」の対比として 私が意図しているのは、自/他の対比である。この対比についての、 私の現状における暫定的な理解を提示しよう。 自/他の対比における「自」を、私は、「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body" と捉えており、私には十分なドイツ語の知識がないものの、これをドイツ語で表現 するなら、" Dasein in Hülle und Fülle"と言い換えることができるのではないか と思う。 「自」は、「ひと」として現れるが、そのことは、「自」が日常的に理解される 意味で「単一的」であることを意味するわけではなく、だからといって、 「単一的」ではなく、「多数的」であるというわけでもない。「ひと」は 語源的に「匹」の流用であると考えられることから、それを「双数的」と 言い換えてみても、「他人(ひと)のペア」を表現しようとしているような 誤解が生じる恐れがあるが、無論、「自」は、「他人(ひと)のペア」を 表しているわけではない。そうではなく、私の捉え方では、 「自」は、「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body"であり、 日本語の古語における「な(己/汝)」に対応するように「動的」である。 ここで、「動的」であるとは、どのようなことだろうか。私は、日本語の 古語の「な(己/汝)」について、これが中国語の「羅」の流用であること を指摘して、以下のように述べた。 >78考える名無しさん2021/03/28(日) 23:08:11.870 >「な/羅」も《entrelacement/entrelacs》も、その「原初」をたどれば、 キアスムの語源であるχ(カイ)によって代表される交叉になるわけで、 そのイメージは、「糸」という漢字が表現するイメージと重なっている。 < 結局のところ、キアスムの語源であるχ(カイ)によって代表される交叉が、 主客の関係を説明するのに有効であるとすれば、それは、その交叉が、 「《obligeant》⇒《obligé》の関係性の反転可能性」、つまり、 「互酬性」/《réciprocité》を代表することによってである。< したがって、「自」が「な(己/汝)」に対応するように「動的」である と言うとき、「動的」とは、「《obligeant》⇒《obligé》の関係性の 反転可能性」、つまり、「互酬性」/《réciprocité》が保たれるように 反転する様態が維持されるということである。「な(己/汝)」を英語の "buddy"と言い換えるなら、「な(汝)」="buddy"は、"one's own" であるように自との間柄(あいだ・がら)を保ち続けようとする 限りで"buddy"/「とも・がら」であり、同様に「己(な)」="buddy" も、「な(汝)」である自にとって"one's own"であるように間柄を保ち 続けようとする限りで"buddy"/「とも・がら」であるということだ。 その反転可能性が失われた時点で、自=「みづから(身づ柄/自ら)」の 「な(己/汝)」としての性質、すなわち、「み(身)・つ・から」が 一心同体である性質も失われ、「わ(我)がみ(身)」から分離した 「から(ドイツ語を用いるなら、"Dasein als Hülle")」が現れることになる。 その分離した「から(ドイツ語を用いるなら、"Dasein als Hülle")」 こそが、「他」である。 「な」/"one's own"という性質を失った"buddy"が、"body"/物体である。 「人間の活動はすぐたゆみがちになる、 すぐ絶対的な安息を求めたがる。 だからわしは、刺激したり引き込んだりする仲間を人間につけておく、 それを悪魔としてはたらかせておくのだ。 だがおまえら、神のまことの子たちはな、 生きたゆたかな美しさを見てたのしむがいい。 永遠に創りはたらく生成の力が おまえたちのまわりに愛のやさしい垣根を結いめぐらすがいい。 そして移ろう現象として揺らいでいるものを、 おまえたちは持続する思惟によってしっかりとつなぎとめるのだ。」 ゲーテ、『ファウスト 悲劇第一部』、手塚富雄訳、p.37 >「な」/"one's own"という性質 ここで、この「『な』/"one's own"という性質」が、哲学/ φιλοσοφία の語源である"φίλος"にも対応していたことを思い起こそう。 https://www.etymonline.com/word/-phile >from philos "loving, friendly, dear; related, own," related to philein "to love," which is of unknown origin. According to Beekes, the original meaning was "own, accompanying" rather than "beloved."< ところで、この場合、「な」を、"one's own"とも解釈され得ることを所与 としているわけだが、いずれの辞書に記載されておらず、他の誰も主張して いないことを、このように前提とすると、「どこにそんな解釈の根拠が あるのか」といきり立つ人々も世の中には決して少なくない。しかし、 そういう場合には、感情的になる前にまず、自らに問ふことによって 検証してみるべきだろうと私は思う。例えば、「な(懐)かし」という 表現は、明白に「な・つ(付/着)か・し」と理解することができる。 すると、「な」≒"one's own"、「つ(付/着)く」≒"to attach"、 「し」≒"causing/letting"となり、「な(懐)かし」は全体として、 "causing 〜 to be attached to one's own"を表現していないだろうか。 さらに、"φίλος"が、一般に、「互酬性」/《réciprocité》を代表する関係と して認識されていることも思い起こそう。 https://en.wikipedia.org/wiki/Philoi >Philoi (Ancient Greek: φίλοι; plural of φίλος philos "friend") is a word that roughly translates to "friend." This type of friendship is based on the characteristically Greek value for reciprocity as opposed to a friendship that exists as an end to itself.< 「自」/「みづから(身づ柄/自ら)」/"one's own body"が、このように、 「互酬性」/《réciprocité》が動的に保たれることによって 成立すると解釈される「『な』/"one's own"/《φίλος》」の性質 によって特徴づけらることを考慮したとき、「自らの身内」である 「親族」が"der Superlativ des Wortes »Freund«"として表現されること にどこか不思議なところはあるだろうか。 >diese selben Griechen haben die Verwandten mit einem Ausdrucke bezeichnet, welcher der Superlativ des Wortes »Freund« ist. Dies bleibt mir unerklärlich.< http://www.zeno.org/nid/20009233482 「いや、その認識というやつにもいろいろある。 真実を知っても、その真実をあからさまに言うことができると思うか。 なるほど、稀には多少の真実を認識して、 愚かにもそれを胸にしまっておくことができずに、 自分の感じたこと、観たことを俗衆に明かした者もあるが、 そういう人間は、いつの時代でも磔にされたり、火あぶりにされたものだ。」 ゲーテ、『ファウスト 悲劇第一部』、手塚富雄訳、pp.57-58 >>94 なみへいさんグレタさんを助けてやってください。 知ってた けど、知らない顔してこの世界で生きていかなきゃならん 数学的な宇宙の物理法則 それがこの世のすべてを支配している 数学的な論理のかけらもないやつが数学とか言い出す馬鹿げたはなし 具体性を求める時点でそれは数学じゃないから、『算数』でしかない 小学生レベルの笑うところ? >>105 現実は、数学という親亀の背中に乗っている子亀 重力加速度の初期設定がほんの少し違っただけでも、世界は激変する すべては運営者のサジ加減だ 世界を成り立たせるためには、電磁気力に比べて重力が極端に弱くなければいけない 重力を弱めるための宇宙の仕組は、驚くほど手が込んでいる ところで「チンポがシコシコする」という日本語表現は、学術的に正しいと言えるのか? チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。 オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、 全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体 が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、自ら勃起して「シコシコする」。 例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。 違うか? 「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ! 「全知全能の神が創造した」と信じるのも、 「偶然にできた」と信じるのも、本質的な違いはない 両方とも信仰だ ついでにいえば、「どちらともいえないという立場を取るのが、人として正しい態度なのだ」と信じるのも、また別の宗派の信仰 この宗派の人々は、「創造主」の話をすることを宗教的な禁忌としており、激しい拒絶反応を起こす 「創造主がこの宇宙を創造した」と断定するのは無理 この世は、そういう風にできている つまり、「偶然にできたのだ」と信じたい人には、そう信じられるようにできている 「断定することはできない」から一歩すすんで、 「断定してはならない」という教条主義に陥った この世は、いろんな解釈がなりたつようにできている わざとそうしてある 「創造主がこの宇宙を創造した」 「この宇宙は偶然にできた」 「この宇宙がどうやってできたか、それは考えてはならない」 ・・・どうにでも解釈できる この世は、わざとそんな風にできている 「この宇宙がどうやってできたか、それは人間には分からないから考えてはいけない」 ↑最も狂信的で厄介なのは、この種の信仰だ。 これには熱狂的な信者が多い 「創造主がこの宇宙を創ったのだ」という話を聞くと、火病を起こして怒り狂う カントも罪なことをしたものだ この宇宙や生命を知れば知るほど、「こんなものが偶然にできるはずはない。設計者が必ずいるはずだ」としか思えない だが、決定的な証拠は出さない 世界内住人に考えさせる この宇宙は、そんな風にできている 「創造主」という考えを忌避する必要はない それはキリスト教に対する反発から生じた西洋人の思想 東洋では、創造主には人格がない 人間じゃないんだから当たり前 しかし、「創造主はコンピュータ技術者」というのは新しい考え 東洋思想では、創造主を「天」とか「道」とか「法」などと呼んで、その人格性を否定し、抽象的な存在としている それはそれで、もっともなことだ。 聖書に出てくる怒りっぽい創造神や、「偶然の積み重ねで自然発生した」という強引な説明よりよほど納得できる しかし、人間にとって予想外だったのは、それにしては宇宙の構造があまりに数学的でコンピュータ的だということだ なんか、「創造主」っていったら、老荘思想に出てくるような悠久の「道」みたいなイメージがしっくりくるのだが それにしては、この宇宙は高度に数学的な構造で、コンピュータ・シミュレーションと仕組があまりにも似てるのが意外だ 自分がイメージしていたのとは違っていた 数学者が、必死で頭の体操して、新しい数学理論を考え出す しばらくすると、物理学者の実験結果が、その数学理論を使うと妙にうまく説明できることが分かり、「これが宇宙の構造だったんだな」ということになる コンピュータのシミュレーション技術者が、なんとかリアルな視覚効果を作ろうと試行錯誤して、新しい手法を考案する 後になってみると、現実の宇宙の仕組が、それと妙に似ていることに気づく この繰り返しだ 「宇宙が数学的にできているのではない。人間が宇宙を数学的に解釈しているのだ」 という、よくある通俗的な見解は、もっともらしいがウソだ 人間は、「宇宙を数学的に解釈しよう」などと努力してきたわけではない 人間にとって、宇宙がこんなに数学的な構造だったのは、極めて予想外のことだ 「創造主は、高度な数学手法を駆使して宇宙の構造を構築した」 というと、強く反発する人が多い それは、「創造主は、人格を持たず、思考も感情もない。それは遍在する悠久の無限なのだ」 というような、東洋的な世界観が広く浸透しているためであろう それと、「数学とプログラミングを駆使してシミュレーション世界を構築した」という技術的なイメージが、どうにもしっくりこない でも、現実の宇宙のあり方を見れば、どれほど予想を裏切る意外なことであろうとも、そう言わざるを得ない その設計対象がなんであれ、形態的に安定的なものを作るには数学や物理を 意識するのは当然でしょうね。古代のピラミッドでさえそうでしょう。 デタラメに思いつきで作ってもすぐに壊れてしまうよ。アプリでも設計環境と 整合しなくなると、すぐに動かなくなるのと同じ。それがアプリでなく人類なら、 すぐに滅びる 創造主や設計者がどうこうの前に、そうした主体が究極的に何を実現、達成したいのかが全く意味不明なんだよね。だって、全知全能であれば、全部自分ひとりの 知能内だけで完全にやればいいじゃん。他の生物や存在者を己のエゴに巻き込むなよ、という話になる。そこに理不尽な不幸や不条理がなく設計されているなら まだ許容できるけど、正義のために青春を犠牲にした香港民主化活動家たちが 刑務所送りになるような歪なこの世界だよ。ソクラテスが毒杯を飲む羽目になった のと変わらない だから、神はいない、という言説の方が、その点ではしっくりくる。 なぜなら、似たようなことを反復しているだけで、この宇宙や世界に意味がある、 または、意味や意義が深まっているとは思えないし また、ソクラテスのいた時代から人間の本質はたいして変わっていない たしかにテクノロジーは進んできたけど、全知全能者が存在するのであれば ナノセカンド以内ですべてを最終的な技術レベルまで自己創造すればいいのだし >>146 > だから、神はいない、という言説の方が、その点ではしっくりくる。 この世は、そういう解釈も成り立つようにできている いろんな解釈が成り立つ世界で、世界内の住人に考えさせる コンピュータなどまだ想像もつかなかった昔から、「この世はデジタルになっているのではないか?」と人類の一部は疑い始めた 大昔の人々は、この世の物体はのっぺりした連続体だと素朴に思っていた だが、科学が進歩するにつれて、それは無数の画素に分かれている上に、数学的な構造を持つ立体映像だということが判明してきた この世界の住人たちは、ここが自分たちが思ってたのとはだいぶ違う仕組になってるんだってことに、だんだん気づいてきたのだ ハッキリ言って、この世の物体の成り立ちは、コンピュータで映し出す立体映像の作り方と非常によく似ている 「この世はコンピュータ内の仮想現実だ」とまで言ってしまえば、あまりにも極論になってしまうのだが、少なくとも「似ている」のは確実であり、間違いない 以上のように、YouTubeのコピペには書かれてあったので絶対に間違がいない こういう奴を見ると安心する 世間のレベルはかなり低い 日曜の朝からコピペ真に受けた書き込み全開かよ、ごくろう >>153 今日が日曜だと知ってるのか 規則正しい生活を送ることにしたんだな 「シミュレーション仮説」を超える「ホログラム仮説」というのもある 「宇宙はホログラムの立体映像であり、本当は2次元の平面だ」というものだ YouTubeだから間違っているというところが低度が低すぎるよな コピペでもちゃんとしたエビデソスに基づいているんだから間違いなわけない訳なんだけどねぇ? てか、youtubeで言ってるならそれは=間違ってないんだけどね もしそれが間違ってたらトランプのフェイクニュースみたいに運営に消されてる いまも存在するということがそれが事実であることの最大の証明となってる >>150 「科学が進歩するにつれて、それは無数の画素に分かれている上に、数学的な構造を持つ立体映像だということが判明してきた」 というところまでは、客観的事実だ それをどう解釈するかが、人によって異なるだけだ 物質には実体がない それは、よくできた立体映像でしかない そこまでは明白な事実 あとは、それをどう解釈するかの問題 こんなに数学的な物理法則でキッチリと構築されておらず、もっとフワフワしたいい加減な世界だったら、 「ここは、われわれの共同幻想が生み出した世界なのだ」とかでもいいと思うんだけどな あまりにも堅固な構造を持っているので、「設計者」の存在を否定することが難しい 数学とプログラミングなしでは、この世は成り立たない 日本人のルーツは時代時代に、大きく分けて7つ、細かく分析して22のルートから日本列島になる入ってきている。 そして、自分はどこから日本に入って来たか? その答えが自分自身なんだよ。自分が日本に入ってきた経緯や、日本人としてどこからスタートしているのか、そのルーツを辿ることが自分を知ることになる。 そして日本の歴史。 自分が日本列島に入ってきたところから日本史のどこに自分が登場するのか、それを知ることが重要である。自分の一生は、この自分を知ることで生きやすくなる。誰の子供を産むべきかについてもこれを知ることで分かることになる。 俺が今、把握しているルートは、 1、現代のスリランカ・東南アジアから日本に入ってきた人たち 2、中国から日本海の西から入ってきた人たち 3、南から入ってきた人たち 4、ロシア、シベリア半島から北方から入ってきた人たち 5、朝鮮半島から新潟辺りに入ってきた人たち 6、7 1は、このように日本に入ってきて沖縄へ向かった人たち。この沖縄が俺には無い。これがみんなの勘違い。 シベリア半島ってのは、カムチャツカ半島のことかな? 俺が今、把握しているルートは、 1、現代のスリランカ・東南アジアから日本に入ってきた人たち 2、中国から日本海の西から入ってきた人たち 3、南から入ってきた人たち 4、ロシア、シベリア半島から北方から入ってきた人たち 5、朝鮮半島から新潟辺りに入ってきた人たち 6、ヨーロッパから広島、山陽に入ってきた人たち 7、アメリカ大陸から海を蔦って九州に入ってきた人たち >>175 実はそう。地理を立体的に把握できていない。でも大体そんな感じでしょ。 織田信長はと言うと、ルーツは1、4、7ではないか? 彼の歴史的変遷を辿ると何か見えると思う この世はコンピュータ内のゲーム空間だと考えると、何もかもツジツマが合って腑に落ちる ネットゲームの構造と、この世の仕組が驚くほど似ている この世はネットゲームだと考えると、本当にいろんな謎が解けてくるから不思議なものだ みんなで「大航海時代」のゲームをしているとする 大海原を、各自の船が自由に航行して楽しんでいる この場合、海や港はどこにあるのか? 各自のPC端末の画面上にある 実体としては、どこにも存在していない 一見、アナログ世界のように感じられるのだが、実はすべてがデジタルだ 本当は、何もかもが数値だ まあこの宇宙も創造主がいるのは間違いないだろうしな それは間違いだらけ、貴方の願い、ひどくまとまりがない空想あそびだ >>189 と思いたいのは分かるが、残念ながら真実だ >>190 189が真実だから、貴方のそれも真実、だけど どうにも成らないそれに支配されている貴方はもっと悲しい >>191 それは、お前がこの話をまだ理解できてないからだ 分かれば、おそらく「そんなの当たり前じゃないか」と思うだろう >>192 貴方だけが理解できる、すばらしい 誰一人あなたの説明を理解できないのに 無敵な人ですね。 >>193 無敵なのはお前だよ 自分が理解できないからといって、「誰にも理解できない」とは(笑) 私たちの外部の物理的現実は数学的構造です。 つまり、物理的な宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学(具体的には、数学的構造)です。 数学的存在は物理的存在に等しく、数学的に存在するすべての構造は物理的にも存在します。 人間を含むオブザーバーは、「自己認識サブストラクチャー(SAS)」です。 そのような部分構造を含むのに十分複雑な数学的構造では、それらは「物理的に「現実の」世界に存在するものとして主観的に知覚します」。 理論はピタゴラス教またはプラトニズムは、数学的実体の存在を提案します。 数学的一元論の形式であり、数学的対象以外のものが存在することを否定します。 デジタル脳は、すべての説明をデジタルで言う、すなわち ポリゴンで表せる3DのCGは、この世は全てポリゴンだと言う 説明が正しいことになる。 デジタルという記号は物事を抽象的に解釈するためツールであって 世界が記号自体なわけない たとえば顕微鏡で物質の最小単位を観測したときボコンと数字の1があらわれる 宇宙がデジタルってのhばそういう意味 >>209 そもそも、顕微鏡で物質の最小単位を見ることが原理的に不可能 計算するしかない デジタルというのは、すべてを有/無の二値に分解できるということですか? >>212 そういうことだな スイッチ ON/OFF の関係 究極的には、0と1の二進法 それではっきりするわけだが、すると、デジタルにおける「無」というのは、 何もないことではなく、何らかの「有の取消し」である。言い換えるなら、 デジタルは、何らかの「有」を前提として始まらなければならず、 何らかの「有」を前提とするからには、その「有」は、「どのようにか 有る」ことになり、その「どのようにか」を、その同じ「有」と「有の取消し」 によって記述することはできない。記述のために別の「有」を前提としても、 今度は、その別の「有」について同じ事態が生じる。 二通りの状態を表し得る「別の『有』」が必要だと思います フラグと呼ばれているものがそれですね では数学とは、と考えた場合、数学とは「数学語圏で話されている国語」 かもしれません 宇宙は、最小単位に分割されている メチャクチャ小さい メチャクチャ小さく分割されてるので、アナログのように見える でも実際にはデジタルだ 最小単位が ON になっていれば、それは物質が「有る」状態 最小単位が OFF になっていれば、それは物質が「無い」状態 人間には、物体が移動したように見える。 だが実際には、今まで ON だったところが OFF になり、OFF だったところが ON になっただけだ。 それが人間には、物体が移動したように見えている オリンピックとは悪魔バアル崇拝 ブリタニカ国際大百科事典 https://www.britannica.com/topic/Baal-ancient-deity Baal=バアル → バビロニア語Bel=ベル → ギリシャ語Belos=Zeus → 日本語ゼウス 末日聖徒イエスキリスト教会 聖句ガイド https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/baal?lang=jpn バアルはバビロンのベルやギリシャのゼウスと同じとも考えられる バール(バアル)について記載された文献あれこれ http://www5.cncm.ne.jp/ ~ryuji-t/kenkyu/baal.htm 町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。 「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。 オリンピックの起源 // 悪魔バアルを祀る人類最大の宗教儀式 https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/48895b3900d2803866456995e3be643d 悪魔バアルを祀る宗教儀式 | mariaのブログ https://ameblo.jp/the-snark2/entry-12412725822.html 古代オリンピック 生きた人間の心臓をつかみ出す https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7a/09fd10fe20481f1c4331a6727eca5da5.png 悪魔バアルとは誰? https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-baal.html バアル礼拝は官能主義に根ざし、神殿での儀式的な売春行為を含んでいました。 神が現れる時、様々な「しるし」「兆し」が示される。その実現例 ↓ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1561503978/ このスレに日月神示を調べ続けていた者が色々書きこんでいる ↓ 日月神示やアセンションとか https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1606283054/ 当人いわく「神様と対面した」「聖書の預言通り、盗人が来るような時間=午前2時に家に来て罰せられた」らしい そいつは去年の夏頃から、オカルト板やツイッターで延々 「日本の神様の正体は旧約聖書の創造主だ」「五輪とはゼウス崇拝であり、偶像崇拝の神罰が下されている」と警告し続けていた そいつが立てた別スレ ↓ 日月神示を考えるスレッド https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1610162866/ 警告通りに神罰が加速している バアルの祭典まで猶予は少ない 本文を読んだ方々は、バアル崇拝を阻止して、救世に動かねばならない 率直に言って、創造主なしで偶然にこんな世界ができると、本気で思ってる連中の頭を疑ってしまう んなわけねえだろ、いくらなんでも、さすがに 自分たちの奇妙な信念に賛成しない人間に、宗教だ、オカルト、スピリチュアルだと、いろんなレッテルを貼ってるが、お前らが一番の狂信者だよ(笑) 宗教だとかなんだとかを持ち出すまでもなく、こんな世界が偶然に自然形成されるわけがない さすがに無理だ はっきり言って不可能 唯物論者の意見に反対しただけで、「宗教信者」のレッテルを貼られるというのはなあ 中国共産党や反日朝鮮人を批判しただけで「右翼」のレッテルを貼るのと同じ バカなくせに、自分たちが賢いと思い込んでいるクズ連中だ しかし、創造主が必要なのは、最初に宇宙を創るときだけ それ以後は、宇宙は放っておいても自律的に進行するようにできている 「神が必要なのは最初だけで、あとは神など要らないというのか」とパスカルが嫌った、デカルト的な宇宙観 でも、これが最も真実に近いのではないかと思われる 「自然に発生した宇宙が、偶然に偶然を重ねて、こんな複雑怪奇な大宇宙に進化しました」 さすがに、それは無理だろ 「世界を合理的に説明したい」という、科学的合理主義者の気持ちも分からないではないのだが、ちょっと無理がありすぎる でもって、最初の話に戻ると、この宇宙の特徴を一言でいえば、「数学的な宇宙」だ 何もかもが、厳密に数学的な物理法則の通りに動く 「超能力で、物体がフワフワと浮き上がる」というような摩訶不思議なことは、この宇宙では起きない それが、この宇宙の最大の特徴だ 全て数学だったら宇宙の始まりから全て計算できることになります。それとも数学的にわざと不確定要素を混ぜているのでしょうか? >>239 その通り 宇宙は決定論ではなく、確率論でできている 天動説、地動説どちらが正解か。答えが百パーセントではない 1500年代コペルニクス派は大間違い 自宅の空を見て同じ方角で太陽が見えて、 地球が自転しているのなら西から太陽が出るはづ 地球 太陽 火星の天動説が当たっている 数学は昔から学問の副産物 デジタルも副産物 デジタルは地球の人間と神よって作られたものか、神に逆らって作ったかどっちかだ 天が俺を蹴ったのはなぜ もうすぐ終わるエレクトロワールド 2021年間地球に対して東から西へほぼ同じ太陽の角度 天動説一択 コペルニクスは神に逆らった 逆に神に逆らいソユーズが或る 神様は海外で当たりまえ もうすぐ終わるエレクトロワールド デジタルはアメリカ軍の副産物が真実 インターネットもアメリカ軍の副産物が真実 当時からキリストに祈りをしていた人物がいる。第二にスティーブンジョブスも祈っていた 1500年間宗教論争をしていた 全世界だ デジタルはWindows95からだ 哲学書よりも旧約聖書が楽しい 哲学はダメな本 アマゾンGO >>240 宇宙は既に決定されているが、その不確定要素として、揺らぎがあるということ。 この物理学法則は、今のスーパーストリングでは、解明されない。 何故なら、時空の非対称と時空の非連続を認めていないから。 >>7 >数字で表せない原理 原理であるなら何らかの法則性に則ってるから数字で表せるのでは >>162 フワフワしたいい加減な世界だと人類文化が醸成するほど安定しないんじゃね >>231 >>232 10の500乗個も生まれた宇宙の内の1つが俺達のいるこの宇宙だと言われている とてつもなくたくさんある宇宙の内の1つが偶然こんな世界だった なにせ宇宙は 10000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000個もあるんだから 創造主なんか想定せずとも偶然こんな世界が1個くらいあったっておかしくはない 数には大きさが無い 絶対座標は存在しない →次元は存在しない 規定は否定 有を無で規定している 数は理解の媒介 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発で新たな濃淡が生成する過程 自然は<一>だが認識器官には<多>として像を結ぶ 淡は像を結ばない 多としての自然像の抽象が次元 四次元が在るなら静止した三次元が無限に また人も無限に存在する つまり数は認識の媒介 否定で規定するから不完全性定理 0に限りなく近いが0ではないっていう奇妙な理解は要するに決定不能 対象に自然非自然と矛盾しては理解不能 何も生まれない無くならない 絶対座標、つまり静止、終始は存在しない 運動が自然の存在形態 真空はディラックの海でわかるがエネルギーの基底状態 粒子は波が渦の状態 静止は運動の一形態 生死は物理の形態 生物非生物、金属、真空は否定関係ではなく差異 自然は無矛盾でないと理解不能 ウィルスは生物非生物と分類困難 だが物理として差異 つまり分類することが分類困難な対象を生む 自然には関係が無い 理解することが理解困難を生む ゼノンの逆説は自然が数で出来ているならということ つまり自然は一で多ではない 数で理解するが自然は数で出来ていないってことです 自然に存在しない座標原点で自然を理解するということが何を意味するのか現代科学は考えてみるべきかと 脆弱性が見当たらない ハルヒみたいな世界だったら夢が広がるけど 不確定性原理は世界を確率統計モデルからできていることを指示している 不完全性定理は決定論を否定している モデルは何かというと自然が先ということを意味している ポスト構造主義的には形式科学も現前の形而上学として自然科学の優位を認めざる得ない 規定は否定 有を無で規定するから不確定性原理にということ 限りなく0に近いが0では無いという?な定義の所以 対象が無矛盾ということは規定そのものがが否定され証明される 光速度一定の原理が語ること 数学の証明を正しいとするのは、論理に矛盾が無いからではない。 論理に矛盾がないから正しいと信ずるからだ。 人は、自身が現在、置かれている状況を少しでも改善したいと思うなら、「人工知能」について考えるよりもまず先に、「人工無能」について考えてみた方がよいだろう。それは、多くの人が感じているはずの、「自分を管理する人々はなぜこうも無能なのか」、「なぜ、まったく知能も知性も欠如しているかのように振る舞うのか」という問いをきちんと自身で受けとめて、その根本から考えてみることである。 公理を変えれば別な数学体系ができる。 この世が数学で構築されているなら、複数の、いや無限に多くの世界が存在する。 数学では矛盾は排除される。すなわち、存在することができない。 しかしこの世界には矛盾は存在する。 したがって、この世界は数学で構築されてはいない。 自然に矛盾は存在しない 規定するから矛盾する 数が実在したら無が有るという矛盾に w 不確定性原理、観測問題、不完全性定理などは認識の在り方の問題 対象の問題じゃない 認識の在り方を理数系は探究すべきかと ウイルスは生物非生物と分類困難 分類するから困難に 対象は悩まない w 理解しがたいことは理解するから 理解することが元凶 静止で運動は規定され 静止の実在が否定され無矛盾に 規定すること自身が原因 数で規定理解する 数は実在しない 有を無で 規定は否定 入力と出力のベクトルを変えると、プログラミングせんでもボットは文脈から世界を語るぞぃ >>5 でも 仕組みを解明したり利用し生命を創造しても神にはなれない 結局何故宇宙がそうなってるのかはわからない 存在を前提に対象が無矛盾で有ることを 証明したらOK 傲慢やなあ〜人間がいる意味がわからんやろ 逆に考えれば宇宙が宇宙自身を認識するために都合よく作られたんやで 何で人間はウンコしながら宇宙は無矛盾で完璧とか悦に入ってるんだろーなw 汚ねぇウンコしてるお前が完璧な宇宙に矛盾してるやろw >>287 人間、ウンコは宇宙の一部ですが、なにか? 生れる→ある物理状態に生成 亡くなる→ある物理状態に生成 自然は全てそう 地球、銀河系… 生物、金属… 自然に実在するもので例外は無い 生死は実在しない ただただ運動変化しているだけ 静止、生死、終始は実在しない 万物は流転する 流転すること自体は流転しない 運動変化すること自体は運動変化しない >>290 それセクストス・エンペイリコスが 最初じゃないのかよ セクストス知らんかった 読んでみるかな 自然に何故は無い 何故は認識するからしょうじる 数学は物理学という言語を介さないと理解されない 数の世界そのものは言語としては不十分 量だから? 数で世界は出来ていない →ゼノンの逆説 絶対座標、ここからここまでは無い 粒子は無い 終始は無い 数で規定するが数は実在しない 有は無で規定される 不確定性原理、不完全性定理の所以 自然科学は自然認識 自然の一部である人間の自己言及 自己を他として規定する 運動 静止 終始 物理状態の遷移 生死も同上 自然に否定関係は実在しない 規定は否定だから 光速度一定の原理は絶対座標、静止、規定を否定して無矛盾であることを証明する ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが概念は魔術的と否定した ハイゼンベルク、武谷三男は現代科学は方程式に逃げていると批判した ホーキング博士は最終方程式にあと僅かと語ったが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びるとコメントした ニュートン力学は遠隔作用を肯定しているが、ニュートン自身は奇妙だと感じていた。 アインシュタインが近接作用による重力理論をたてたが、量子もつれで再び遠隔作用が 持ち出されてきた。 今や、近接作用も実在も、物理概念としては危ういものだ。 俺から性欲食欲睡眠欲知識欲取ったら何も残らんからなァ 名誉欲が全く無い すべての欲を除去したとき、初めて本当のオレが見えてくる。 read.cgi ver 07.4.6 2024/03/23 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる