斎藤貴男の『機会不平等』が出て約20年経つが
男女の平等は問題にされ、
生活保護世帯からの大学進学までも
議論されるようになった。
しかし、経済格差からの教育格差に関しては
放置され気味。
どうしたものか。 文藝春秋社から2000年11月に出版され、
文春文庫に収められた後に、
なんと岩波現代文庫から出るようになった
異例の本である。
俺は20年前の今頃買って読んでいたような・・ 結果の平等を求めるのは無謀だが、
せめて機会の平等は与えられるべきだ。
という主張だったと思うが、
今や結果の平等も多少は考慮されるべきだと感じる。 お受験に関しては多少公立高校の復権があったが、
相変わらず私学優位なのは確かだ。 ゆとり教育への時事的批判としては良かったが、
リベラルの限界もまた露呈されたといった所か。 まあ、教職を取る学生は、過去にこんな教育に関する議論があったことは
知っておくべきだろうな。 英検を共通テストに組み入れるか否かは
見送られたか 斎藤貴男と重松清は似ていると思う。両方とも早稲田の下位学部出身。 機会の平等・不平等は究極的には経済問題に直結するし、
報道でフードバンクの活動が盛んになされることで飢えている人の可視化が行われたから、
これから財政出動するという自民党の支持が崩されることは、
まあ余り考えられなかったのだろうな。 >>8
そもそも英検と実用英語技能は結構乖離してるから
英検天下り協会に税金入れるくらいなら英会話教室に口頭面接させた方がマシ。 数学に関しては参考書と教科書と赤本さえあれば何とかなるが、
英語に関してはネイティブの外国人教師や教科書や赤本以外にも
都会では英語に触れる機会があるからやっぱり田舎は大変だよ。 >>1
機会格差、能力格差っていうか
才能格差がある事も理解すべきだな 日本は1980年代から所得格差が広がり始め、バブル崩壊で縮まったものの、1992年以降ふたたび拡大に転じ、リーマンショックで格差がやや縮まり、その後は横ばい。
それでも戦前の所得格差ほどには格差は広がっていない。
明治期までは上位10%の階層が国民所得の6割以上を得ていた。 この人は経済資本ばかり考慮して象徴資本を考慮して機会不平等を考えているのかなあ。
ピケティ氏に欠けているのもそこ。