カントの言ってることはよくわからん
カントの言ってることでわからんこと
コペルニクス的転回?
カントの言ってることって例えて言うなれば
天動説だろ。
経験論と合理論の統合
なんで先験的なんで言葉で統合できたことになるのかわからん。
ペンへの物の認識は文豪でも文盲でもいっしょだろ >>150
> 目の前の人間にあなたは私の認識が作り出した仮象にすぎないなんていうつもりかよ。
それは、観念論ではない
「独我論」という別の思想 決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
この哲学板において最長寿のスレッドシリーズだったものなのだが
俺は機械的唯物論者さんの言ってることは「哲学的」にはその通りだと思っている。
理数系の人なんかは当たり前の様にこう思っているはず。
だが、退屈なのはこれを「思想」でどうこう言ってしまうと非常に矛盾していて皮肉なのだ。
だってこれもまた機械的唯物論さんの観念でのお話に終始するのも必然だからだ。
マルクスだって資本論でヘーゲルの観念論を唯物論で反転させて物理的必然性を説いて共産社会の到来を予言したのだが、そんなものマルクスのお花畑の脳味噌のなかで観念にすぎないのだからね そもそも考えの違いというものが物理的必然性としてあるわけなのだが
それに気付かずに物理法則の絶対性を自己の脳内都合で持ち出してきて
予定調和することは必然なのだと説く。そらそういう考えの人はたくさんいるよ。
でもそれだけじゃない人がこれまた必然として居る。
それに対して独善的に専断的にわかってない啓蒙しなきゃと説く。
労働者よ団結せよ、だの内なる道徳律に従えだのな。
そんなもの大きなお世話だ。という話。 認識論だの観念論だのアホらしいんだよね
存在を意識して物理と化学で人間の行動様式から思想まですべては解明できる。
あるものはある、ないものはない。われ思うゆえにわれあり。
ないように見えるのは、あるのにないと観えるだけで本当はある。
無から有はないわけで無と認識しているだけで実は在る
無いと認識させられているだけで実は在る
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\::.| ト‐=‐ァ' |.:./ いるり いるり
,,イ\\`二´'//ト、
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/. | / ヽ. | \ 彼らの話しているのを聞くと、まるで広場に並んで大声をあげている香具師(やし)の集団かと見まごうほどなのです。
「さあいらっしゃい、いらっしゃい、本当のことを知っているのはわたしだけだよ」と。
ある人は「物質などは存在しない。あるのは人間の観念だけだ」と言い、
ある人は、「この世に存在するのは物質だけだ。神など存在しない。宇宙があるだけだ」と言います。
またある人は「善も悪も存在しない。そんなものは妄想だ」と言い、
またある人は「人間は元々は互いに喰らいあっても平気な狼のような存在だ」と言うのです。
哲学者とはかくも立派な連中なのです。
こんな有り難い教えは、発表などせずに、自分の友達や子供たちだけに教えておいてくれたらよかったのです。
そうすれば、彼らはすぐにその報いを受けたでしょうし、わたしたちも彼らの考えの信奉者が身内にいるのではないかと心配することもなかったでしょう。 観念を否定しているのではなくて観念論を否定しているのだがね
といってもこれは俺の思想の話。真理だの正しさだのと言う気はない。
つまり俺が哲学として否定しているのはなにもわかっていない古今東西の哲学者だ。
互いに対話するなりに過去の文献を読むなりで、何故、私の考えとあなたの考えは違うのだろうね?
哲学は?の学問なのだから、究極の話、これに気づかなければいかんだろと。
プラトンは観念を説いてアリストテレスは物体を説いた。互いになぜ貴方と私は考えがそもそも違うのだろうね?
とならんといかんだろ。こんなことは学者じゃなくて市井のおばちゃんだって気づいてることじゃん。
「ああ、あの人はああいう人だからしょうがないんだよ」、、、とかな。
学者という人種は極端なことを言って注目を浴びたがるがな。
俺が知っているなかでこれを本当にわかっているのはジャン=ジャック・ルソーだけ。
ルソーは学者じゃないし、放浪しながら自己の体験のなかでこうあるべきという思想を提示した。
俺もそうしたい。人生カフェなる対話会で俺が提示したことは
〇創造の言葉の定義もまた人それぞれに違うのだが、この違いもまた創造するうえでの必要性になっているのではないか?
ということで人それぞれに自由な対話会をしたいということに至った。 対話会では言いたいこと言ってぶつかりあってもいい。
そういう哲学カフェってないから退屈。運営がみなことなかれ主義でな。
哲板の固定さんと参加したカフェフィロ?人それぞれはなしとかお約束のCoretalkCafe?元公務員主催の中高年人生カフェ?
みんなつまらん。
怒号が飛び交っても険悪な雰囲気になってもいいじゃないかと。
ただ、学歴なり資格なり知能指数の証明ができてない輩の参加はお断り。
学問の話するのに学を問われないなんて集まりはくだらないものになることは
他の哲学カフェの参加でよくわかった。 いちお、言い出しっぺの俺のことを言っておくと
法大法中退の行政書士やってる昭和の中年な
知能指数でいえば学術的な話を専門にやれるレベルではない。まあ、その分お気楽な感じでやりたいね。参加を待つ。 最近ふと思う
マルクスなんかよりエンゲルスやルソーのほうが
性質悪いんじゃないかと 860さんの残したニコニコ動画にアップしたやつって今はもうないな。
なんかサムネがパグ犬だったやつ、、、。
ファミレスで三人で議論してたが、結局なんなんだったろうか?あれは
サイコロの目の話で自由意志論派のあまの?とかいうやつがブチ切れてさ(笑
つまり、上岡龍太郎が占い師に俺が今からぶん殴ることは決定されているか?
みたいな勢い(笑
俺も音声記録を残そうと思う。
煮詰まってきたら告知スレッドを立てる。 カントの言っていることはわからんし、わかりたくもない
観念論も哲学も今の自分には必要ないということがわかってきた。
ということで終了。
さようなら。 カント学会の会長が牧野英二さんから御子柴善之さんに変わってる
あの椅子は誰でもいいんですね 元々カント自体にはあまり興味はなかったのだが、プラトン同様色んな哲学者の著作で
引用されてるので、そろそろ純粋理性批判くらいは読もうと思ってる ロシアは戦争犯罪人だから、カントに関する知的財産を国有化しよう カントは 神様が出てこない 神様話だ
人間を理想化し一人一人実質神様になることを提案してる
ヘーゲルは国家を理想化し実質神様にしている ハイネ 「カントは、『純粋理性批判』で神を殺し、『実践理性批判』で神を復活させた」
当時のハイネは無神論者だったので、こう言ってカントを批判したのだが、晩年病気に倒れてからは熱心なキリスト教信者になり、神に祈りながら死んでいった 純粋理性批判読み始めた
カントに限ったことじゃないが、ちょっとツッコんだこと調べようと検索すると途端にPDFの論文あたるしかなくなるね アプリオリな総合判断ってのがちょっと釈然としないなあ
経験と純粋の限界をそんなにふうにきれいに分かつこと自体が果たして可能なのか… >>175
何をイメージして分けるのが難しいて言ってんだ?
なんとなく文句いいたいだけだろ >>175
そのあたりは確かフッサールなんかも同様の指摘をしてた気がする >>177
うん、超越論的立場上をとってる以上「自分の仕組みを内側から自分で体系化する」
って手順を踏まざるを得ないからやっぱりもっとも原理的なところでどうしても疑問が残るんだよね。 >>181
なるほどな
まあ、そういうイメージだわな。
だから巷の哲学カフェなんて化学変化のない集まりにしかならんわけよ。観念であらかじめ化学反応があるような物理の個体を遠ざけさせているのさ。 このスレ立てたのウィトスレ毎日荒らしてる、あいつかw カントさえ読まない云々スレは
あたおかばっかだったなw 経験より先のものと言われてもよく分からなかった
経験則を超えたものなんてどうやって扱えばいいんだ? >>190
ウィトゲンシュタインが言ってるように論理の命題はナンセンス(無意義)やね 黄金水の中に無数の飛沫がある。
無数の共振には無数のエネルギーの波動があるのだ。 一体いくつこんなスレを立てるのかw
1: 考える名無しさん 2024/01/27(土) 20:57:56.17 ID:0
近所にいる馬鹿に、こう訊ねてみよう。「あなたは今、どんな哲学を持っているのか?」
その馬鹿の反応「は?」
たぶん、その近所にいる馬鹿は、生まれてこの方、一度も哲学を持った試しがないことであろう。それが、当該人物が馬鹿であることの根拠でもあり、原因、理由でもあるのだ。哲学を持たぬ者は、環境と状況、有力者や権力、知人、マスメディアの言説に右往左往するだけの塵芥、すなわち馬鹿として一生を終えることになる
なぜ、馬鹿には哲学は無理なのか?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1706356676/l50
射程距離外からの批判とイジメが大好き
そりゃこんなゴミを助けようなんて誰も思わないw
何で自分から嫌われるようなことするんだろうね
・・・これが気持ち悪いということなのか