争いの分類
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* 支配
支配的な欲求により争いを行う
争いに敗れたものは勝者の支配下に置かれる
群れのリーダーを決めるため等
* 防衛
自己防衛のための争い
攻撃に対して行う対処
* 略奪
相手の所有物を奪うための争い
* 主張
自分の意見を主張するための争いの行使
* 快楽
自分の快楽的欲求を満たすために行われる争い
イジメ等
支配欲を満たすことで快楽が発生するともいえる 人は暴力を振るうと支配欲求が満たされ快楽的になる
行動が先にありそれから欲求が満たされる
その結果暴力がエスカレートする 防衛のための争いが機能しない人間もいる
つまり喧嘩ができない人間だ
そういう人間は相手から攻撃されるとされっぱなしになる
攻撃に対して防衛を行うのは生命体として必要な機序であると言える なぜ防衛機能が上手く働かないのか?
これは道徳教育の弊害である
つまり暴力が悪いことであると教育されてしまうと、このような機能不全が起こる
防衛のための暴力に抵抗を持ってしまって防衛できなくなるのである
あるいは恐怖によって防衛機能が働かないケースもある
防衛することによって更なる不利益が起こると予想してしまい、防衛しなくなる
喧嘩というのは生命的な機能の一部であり、これを悪とするのは不利益を生むだろう ネットのリヤルの垣根を超えたエンタメの基礎なのか!? >>6
よく意味が分からん
>>1のうちポジティブな争いは防衛と主張である
逆にネガティブな争いは支配、略奪、快楽である
なにをポジティブにしてなにをネガティブにするか
これは法律的な解釈による つまり法律によってどの争いがポジティブか決まる
刑法では支配、略奪、快楽による暴力を禁じている
つまり争いは社会的に見ることでそのネガポジが決まる
快楽的な暴力は人間に限らず動物も行う
たとえばイルカやシャチは獲物を遊んで殺すことがある
ある程度知能の高い生き物には快楽的暴力の趣向が備わっていると言っていい
この快楽的暴力を自制するのは倫理、道徳である
あるいは親の教え ウクライナ戦争はどのような争いだろうか?
あれはウクライナのEU加盟を恐れたロシアが仕掛けた戦争だ
背後にはアメリカがいる
ウクライナはEUとロシアとの緩衝国として機能していた
しかしウクライナ政府によってEU加盟が急かされてロシアが焦った
そしてロシアは武力によってこれを解決しようとした
ロシアの心情としてはこれは複雑である
ある種防衛のための侵略であると言える
しかし支配的な要素も含めている
つまり防衛と支配の2つが存在する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています