ドゥルーズ『ベルクソンにおける差異の概念』

【「ヘーゲルに従えば、事物は自己との差異を生ずるが、それはまず自己ではない一切のものとの間に差異を生ずるからであり、かくて差異は矛盾にまで行く。・・『具体的な現実であって2つの反対の見方を取り得ず、従って2つの対立概念に包摂され得ないようなものはほとんど存在しない』(ベルクソン『形而上学入門』)
…ベルクソンが〔ヘーゲルの〕矛盾の弁証法に寄せる異議は、単に抽象的な差異の概念に留まっているということにある。『矛盾する組合せは程度の多様性も形態の様々なことも示し得ない。それは存在するかしないかのどちらかだ。』(同)程度もニュアンスも伴わぬものは抽象でしかなく、それゆえ、ヘーゲルの矛盾の弁証法は差異そのものを欠いている】

東浩紀について詳しい人にききたい。
ドゥルーズのいうような、ヘーゲルが「神学的」、その「型」を踏襲しているのが「否定神学的」、ベルクソンは「郵便的」
という理解でいいですかね。