1樽悶 ★2021/10/12(火) 22:08:56.87ID:R1BaZTvf9

「3世議員」の岸田文雄新首相も含めて、岸田内閣の57%はいわゆる世襲政治家が占めている。どうして一握りの一族が日本のリーダーになることが多いのか。諸外国の事情も含めて、コロンビア大学の日本政治の研究者が米紙「ワシントン・ポスト」で分析している。

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なぜ岸田ファミリーのような一族が日本の政治のリーダーシップを支配しているのだろう?

■政治は「家業」

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しかし、多くの新顔には馴染みのある名前が並んでいる。たとえば、鈴木俊一新財務相は、鈴木善幸元首相の息子であり、ポストを義兄から引き継いだ。岸田を含め、新閣僚のうち9人は国政レベルの政治家と親戚関係にあり、他の3人は地方政界に親戚がいるか、その後を追って就任している。つまり、内閣の57%にとって政治は家業なのだ。

これは、自民党の内閣では珍しいことではない。近年、自民党議員の約3分の1が世襲議員だったが、これらの議員が全閣僚の6割を占めることもあった。また、宮沢喜一(1991〜1993年)以降、自民党の12人の総裁のうち、2人を除いてすべてが世襲議員。例外は、森喜朗(それでも地方政界に一族がいた)と岸田の前任者の菅義偉だ。

■一握りの一族に権力集中

権力の継承というと、権威主義的な体制や独裁国家の特徴だと思われがちだ。北朝鮮の金正恩、シリアのバッシャール・アル・アサド大統領、チャドのマハマト・デビーなどはその一例だ。しかし、日本のような民主主義国家で、少数の一族にこれほどまでに権力が集中していることのほうが驚きだ。

自民党内に世襲議員が多いのは、1947年から1993年まで衆議院の選挙制度が中選挙区制だったからだと学者は言う。自民党が過半数の議席を獲得するためには、選挙区ごとに複数の候補者を擁立する必要があり、党内の競争と「超属人的」な選挙戦が展開された。こうした状況の中で、候補者の募集に携わる党幹部は、世襲候補者の知名度や、受け継いだ資源を求めた。

日本は1994年、米国、カナダ、英国と同様に、主に1人区をベースとした新しい制度を採用した。この制度は、党内競争を排除して政党を強化し、知名度の重要性を低下させた。その結果、自民党における世襲議員の割合は減少した。1990年代初頭には新人候補者の約半数を占めていたが、近年では約10%となり、米国や他の民主主義国と同様の割合になっている。

日本の指導者に世襲議員が多いのは、この変化のタイムラグを反映している部分もある。現在の党首の多くは、この大きな変化の前である1990年代初頭に初当選している。たとえば、岸田の初当選は1993年、鈴木俊一は1990年だ。若手議員では、世襲との関係は稀になっているものの、現在でもこれらの世襲議員が党幹部のかなりの割合を占めている。