善人ほど世の中に失望するので生きづらい [無断転載禁止]©2ch.net
逆に言えば悪人は世の中に失望することもないので生きやすいということになるのでしょうか? >>223
正確には
幻滅して失望から自殺をするだ >>226
幻滅して失望するそして鬱になり自殺だろ? 善人とは何だ?
善人とされる特性を、奉仕、正直、親切と定義しよう
世の中に失望するとは?
自己の願望や期待が世の中で想像通りにならなかった場合と定義しよう
生き辛いとは?
心身が追い詰められた状態と定義しよう
善人が特性を発揮したのに、世の中が期待通りにならなくて失望し、心身が追い詰められて生き辛い、とは?
世の中が自己の期待通りになる見返りを求めるのは奉仕精神ではなく打算だろう
願望通りにならなかった結果心身が追い詰められるなら、願望通りになっていた結果何が手に入っていたのだろうから
善人の特性を持たない「善行を行った者」が、自己の期待する見返りをもらえない世の中に失望して、善行を行っても自己の期待する世の中にならないと嘆き心身が弱ること
これが、善人ほど世の中に失望するので生きづらい、ことじゃないだろうか
善人は、奉仕精神から見返りを求めず、自分の信じる善行を行い続けて自信を持って世の中を生きているのではないだろうか 知りすぎると絶望する
善人というより頭よすぎると厭世的になる
バカの方が生きやすい
知らぬが仏 どんなに積み重ねたつもりになっても、崩れる時は一瞬で崩れるのが人生。
それでも積み重ねざるを得ないのが人間というものかもしれない。 失敗を受け入れろとまでは言わないが、闘争本能でねじ伏せること。
失敗は誰にでもあるが、どう処理するかで差がでる。
あと少々の成功で中途半端に喜ぶと、現実から裏切られる緩みが生まれることも押さえておくべき。 人間とか全員死ねばいいのに
人間が滅んだ方が地球のため 別に善人じゃない自覚あるけど世の中で生きてると俺より兆倍クズな奴多くてほんと嫌んなる
悪人よりは善人が損する世の中なのは確かだしそれが数万年間変わらないんだから
生まれた時から悪を美徳とする教育をした方がいい どんなにきらびやかな環境を生きている人間でも、結局は一人で生き一人で死ぬもの。
人生の孤独に腹をくくれない人間が中途半端につながりを求めてももたれ合いのぬるま湯関係が続くだけ。
弱みを見せあえる人間関係も自分の始末を自分でつけた上での話。 待ってるだけでは望みの環境は訪れないと言いたかっただけ。
撤回する。 善人が善の功徳によっていい人生を送れるということは現代的には
甘い考えで、昔は善人はよく苦しんだと思えば、善を行うということは
ある種の苦行なんだろうなあ。よいことをすればよい事が起こるという
因果関係はなく、よいことをすればよいことが見えるだけじゃないのかな。
そういう認識のまやかしのトリックを見破ってこそ、本当の善の概念に届くと思う。 上のレスの白人至上主義どうのこうので思ったんだが、心理学や精神医学だって「白人のみが人間」であり、
「白人<だけ>を対象」にしてた時代もあったんだよな。この学問も全然完璧じゃないよな。
まぁ、心理学及び精神医学も長い人類の学問の歴史から見れば、新しい学科だから仕方ないけどな。 人生は細かな成功と失敗の積み重ねだが、自分に原因のある失敗とない失敗がある。
自分に非のない敗北はダメージが大きいが、それは絶対あるものだと割り切って後に引きずらないことも大切。 人は知らず知らず自分に過大な要求を課してしまいがちなので、
自分を高めようと思うなら、なおさらできることとできないことを認識しておく必要がある。
手に入れたいものは一足飛びには手に入らないということ。 全力で自分と闘わざるを得ないにせよ思いつめないこと。
手応えがなく袋小路に迷い込みそうな時はさっさと見切りをつけること。
人間はその程度には不完全なもの。 【テレビが報道統制しているニュース速報!】
サヨク政権になると大地震
阪神は村山、東日本は菅
発生時刻は共通の46分
自民政権は被災地に冷たい
その理由解明!
ロシア国防省『日本は地震を偽装した核実験を止めよ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531966541/l50 一つの考えだけにこだわらないこと。
ダメモトと腹をくくることで見えてくるものもある。 あと自分を波に乗せる為には頭で考える前に大まかな流れをつかむこと。
身体を動かす中からしか課題は見えてこない。 生き方になにがしかの型を求めることは自分の強みでもあるが、
同時に刻々と変化していく世の中に対応しきれない縛りともなり得る。
行き詰まりを感じる前にゼロから再構築し直すのも悪くないかもしれない。 失敗を恐れないこと。失敗の中からしか自分のリズム・感覚はつかめない。
自分の輪郭はアップデートの繰り返しの中から立ち現れるものかもしれない。 理屈は理屈、身体は身体。
最後は直感で動くもので、ごちゃごちゃ考えないこと。惑わせるようなことを言ってすまんね。
要は身体の動くにまかせるということ。頭を働かせるのは身体の流れをつかんだ上でのこと。 無理なら無理でそれはしょうがないこと。
不完全な自分を受け入れつつ進んでいくしかない。 何とかしようと思わないこと。思ってどうにかなるのならとっくになっている。 野球選手に送った意見
真剣勝負だという緊張感はもちろん必要ですが、
同時にやることをやっても負ける時は負けるというさばけたあきらめも必要です。
飯を食うためにやってるんだというプロのプライドは、そういうドライな職業意識の上に宿るものだと思います。
どんなに自分の全ての力を出し切っても、勝つときは勝つし負ける時は負けます。
勝負にこだわらなくていいと言っているのではなく、戦いとは常にそういうものだということです。
勝負事で飯を食ってる全ての人間が肝に銘じておくべきことです。 だれでもメンターになれるって民間資格を素人で回してるだけだからでしょとは
なんなのか!? こっちから女を不審者扱いしよう!!!
後から来たら走って逃げるとか
すれ違う時に顔背けるとか
同じ目に遭わせてわからせてやることも必要 注意すべきは一つの考えに捉われて、頭が体の流れを阻害してしまうこと。
頭は自分が気持ちよく闘いやすい態勢を整えることに使うもの。 焦り・迷い・苛立ちの類は見える形で吐き出して表現することでしか解消しない。
打ち消そうとしたり原因を取り除こうとするのではなく、現実との具体的なせめぎ合いの中に
ぶつけて表現することで解消を図るということ。 そんな事はない。
それは色んな事に対して過剰に見過ぎているだけだよ。
あらゆる物を過大評価すると、自ずと傷付く事が多くなる。
そして、物事の本質を見れるようになれば。傷つく事も減るかと思うよ。
周りや他人や世の中や環境とかは、殆ど関係なかったりするからね。
ある意味では、自分が変われば周りや環境も変わったりもする。
世の中の見方もね。
そうなれば。生きる事も少しは楽になるかと思うよ。
良い生きた方をするのにお金だとか世の中だとかは、殆ど関係なかったりするからね。
そんな事よりも物事や色んな事に対しての見方だったり。視点だったり。
選択や行動。自分自身の心持ちの方が、よっぽど大事かと思うよ。 少し難しい言い回しになったが、要は自分の身体を信頼するということ。
身体が自然に動けば、頭はそれに呼応する形で適度に機能しだす。 自分の行動の結果は自分一人で引き受けること。
風当たりを弱めるために、人をなじったり第三者の同意を得たりして優位に立とうとしないこと。
自分がやりたいからやるんだ、という倫理を徹底させれば、
自分の落ち度が明らかになっても、自分を責めたり卑下したり他人に転嫁することもない。 おれ、90年代とか80年代の本やコラムを読むのが趣味なんだけど、
昔のコラム読むと、的外れだなぁと思うことがよくあるね。
特に90年代のコラムは痛いのが多い。
なんというか、妙な全能感みたいなのを、どのコラムニストも持っている。
あと、コギャル叩きが激しすぎ。すべての女子中高生が援助交際してると思ってる。
あれはどういう時代だったんだろうか? 勝っても負けても自然体を貫くこと。
失敗は悔やむでもなく静かに省みること。
自分のスタイルはその中から形作られる。 勝ち組も負け組も死ぬことに変わりはない。
幸や不幸を墓の向こうに持っていけるわけではない。
であるなら与えられた条件をどう生きたかだけがその人間の価値を決めるのだろう。 勢いに乗ってる時は強気一辺倒でいいのだろうが、
それだと不調に陥った時に自分の中の落差に対応できなくなる。
負けを織り込みながら調子を整えることを考える事が必要な時もある。
気持ちで押し切ることができる時とできない時があるということ。 絶望のあとの希望を見つけたろう 〜 くるり
絶望は虚妄に過ぎない 希望がそうであるように 〜 魯迅 言うまでもないことだが、好不調の波は感覚でつかむもので頭でどうにかするものではない。
常に100%の状態をキープすることなど不可能だということ。
勝負に勝つためのモチベーションもかける手間暇も、そういう認識に立てばまた違ったものになるのだろう。 善人でいることに胡坐をかいてる人も多いでしょ。正義に対して強い怒りを持つ人は圧倒的に少なくて、こんな自分なのになんでまわりはわかってくれないんだろうという甘えの目立つ人がほとんど。
だから影響力がないんだよ。 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。 これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。 池袋にある性犯罪者更生用病院ってどこにあるの 毎日がいってたの?? >>270
人はそう簡単に変わるもんじゃない
前に失敗したら、次こそは!必ず!と
ねえw >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
>みんなそう思ってる
>誰もいじめの被害者に同情しない
↑
島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町はこういう町ですよ
苛めは犯罪
いじめられる側にも問題があったとしても
いじめてもいいという理由にはならない
それは、「鍵がかかっていなかったから泥棒に入った。
鍵をかけない方が悪い」と言っているようなもの 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 人との争いを避ける人間が必ずしも他人に寛容とは限らない。
そういう人は争うことへの免疫ができていないから、些細なことで争いに巻き込まれる。
心のキャパシティを広げる為にはまず争いを否定しないこと。 若干訂正
争いを否定しない→争うことを否定しない
人は実際に人に迷惑をかけていかないと人の心の痛みも分からない。 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 同じ事象は起こりえないから、いやなことはしないという一回性が在るよ。
心は人それぞれ有るもないも構造も働きも違うし、頭で理解するのが心じゃない。
心の底を傾けるのは古い風習で、失敗も多いだろう。
争い を避ける?レベルの高い争いは避けて通れないがRPGのコマンドに逃げる
を多用している人もいる。 攻撃性でも洗練されている人は手数もかけて手段も違う。抑圧されるのは痴呆
悪化やボケのひどさだ。 情けを掛けて上回るのはおかしい用法で、情けとは
利己心の現れであるよ。 悪人が多いところだと善人は生きづらいが
逆に善人が多いところには悪人は生きづらい >>263
理不尽に差別されたりイジメを受けても酷い目にあったりしても負け組生活を真面目にコツコツ地道に生きてきたけど
やっぱり勝ち組になりたいよ 5ちゃんは平均的な人より悪人が大多数かな?
悪口ばかりだよね 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 漫画家の年収が何億だとか、
芸能人の年収が何千万だとか、
歌手の印税が何億だとか、
一流投資家の配当が年何億だとか、
そういう話ばかりメディアが流すから、
夢ばかり追って人生を棒にふるバカが増える。
メディアは反省すべきだ。 自分がまともな生活ができるだけの金があればそれでいい。
身の程を弁えない幸運は精神のバランスを崩し必ずしも幸せが保証されるものでもない。
自分がその幸運を手に入れるに足る人間かどうかは自省する必要があるだろう。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 自分を高めようと思うことは悪いことではないが、あまり根をつめると不完全であることを受け入れられなくなる。
努力するのは当然として、好調な自分をキープするためのメンテナンスぐらいに軽く考えること。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 人々が現状に不満を抱かなかったら、社会は一向に進歩せず、
宗教が人々を現状と妥協するように説得するだけの中世のように
社会は停滞しつづけるだろう。
現在では宗教に代わって教育と精神医学がその役割を担っている。 悪人は、生長しない、させない迷惑な人だろうな。
「善人が失望」って分からない。→ 過度の期待はしないが吉。 こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 >>285
シンプルだが核心をついてると思う
「自分の居場所を選び間違っていること」、これが生きづらい人すべてに言える根本的な点では
それから「自己と他者について過小評価、あるいは過大評価している」、ということも 善人は、悪人がうまく世の中を渡っていく現実が受け入れられない。悪人ほど友人も多いし、他人に迷惑かけても平気。
善人は生きにくい。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと 生きることは苦行
生きづらさに善人も悪人も関係ないが
善人の方が悟りを得て道は開けやすいのでは? 「悪人はいいよね。私は善人だから生きづらいよ。悪人ばかりうまくいく世の中に失望している」と燻っている悪人は増えたな モラルの基準が変になってるから
昔は当たり前だったことが
今は正義や善になっているんだな >>305
まあ同意したいところだが、君の言葉に善意が感じられないので同意はやめとくわ
>>306
昔なら「問題アリのオカシイ人」と後ろ指さされて敬遠されてたようなタイプの人間が
今はゴロゴロのさばってるように感じることはあるなあ 5ちゃんねるやガールちゃんねるやその他の掲示板や旦那デスノートや
全然見ない人の方が多いと思うけど
書き込み見るたびに死にたくなる たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 人のつぶやきや愚痴にイチイチ絡んできて難癖つける人の心理を教えてください もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。