善人ほど世の中に失望するので生きづらい [無断転載禁止]©2ch.net
逆に言えば悪人は世の中に失望することもないので生きやすいということになるのでしょうか? 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 >>379
いえ、若輩者でも向上心のある者は指導などされずとも勝手に学び取りますので
指導者の皆様方もどんどん勝手に書き散らかして良いと思います
良い部分からは学び取り、軽蔑すべきところは反面教師にしますので
まあぶっちゃけ諸先輩方もエラそうなこと吐き散らかすのもご自身の癒しになるじゃないですか、
良いことだと思います、嫌味っぽく受け取られたら申し訳ないですけど、生産的なことですよね
なんせここは「心理」の板なんですから カウンセリングの基本は「まず吐き出すことから」だそうですね
日々の抱えた生きづらさを癒すのも同様ではないでしょうか
リアルでは、ため息つける場所すら無いですものね… 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 いやあ、まあそんな言葉が響く人も中にはいらっしゃるのかもしれないけど、でもみんながみんな、あなたと同じではないですからねえ・・・
持論の押し付けが反発やヒンシュクを買いかねない、ということについては、どうお考えですか? 一見、「肩の力を抜くこと」を推奨されているお言葉のようですが、受け取る側のこちらとしましては、「スパルタ的根性論」のようにも受け取れますね…(苦笑)
「決めつけの強さ」というのは、ご自身の信念がブレることを怖れ、それを保とうとするがゆえにそうなってしまう、ってありがちですよね。
あなたも、ご自分を正当化し続けなければブレてしまいそうな、「戦いの渦中」に身を置かれて不安に苛まれてはいませんか?
簡潔に言うと、「不安(↓)を鼓舞(↑)によって中和している」という状態ではありませんか・・・?
そこまでの強い鼓舞によって、ご自分を支えなければならない、という精神的窮地は苦しいものですよね。
僕にも身に覚えがあります。
そういう時って、ある意味「躁転」しているので、不安をマヒさせて、和らげることが出来るのですよね。
ただしその代償は、「感覚のマヒによるデリカシーの欠如」として、生きづらさが「対人的な衝突」などとして、自分に返ってきてはいませんか・・・?
あるいは、あなた様としては、ある意味「ニヒリズムによってその緩和を求めよう」というお考えなのでしょうか・・・?
もしも「その先へ進化」を望むのならば、鼓舞によって均衡を保っている現状の自己概念を一旦壊す必要に迫られることもあるので、それがとても怖ろしいですね・・・
少なくとも、僕の場合はそうでした。。
あなた様が現状、身を置かれている環境や事情を存じ上げませんので、僕も勝手な憶測で横柄な意見になってしまっていたなら、申し訳ありませんが・・・ お門違いのお邪魔な意見でしたら、どうかスルーしてご容赦いただければ幸いです。
ひきつづき、つぶやきをお聞かせいただければ幸いです。 >>388
悪いが何を言っているのか分からない。
そんな細々した内面のゆらぎは仮にあったとして、それを詮索してどうなるものでもない。
心理は飽くまで具体性との関連でのみ語られるべきもので、
その意味で心理学は根っこにカルトの要素・危険性を多分に含んでいると思ってる。 なるほど、同感です。
ただ、僕とあなた様の関心事の部分については乖離があったようでした。
大変失礼いたしました。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 先生!
価値観や人生が変わるような
馬鹿でもわかるような
シンプルでわかりやすい言葉でお願いします
ここでみる教えはボンヤリして説得力ないから
馬鹿な私には入ってこないよ 自分や他人に過剰な期待をしないこと。俺はそれしか言っていない。
向上心の意味を履き違えないこと。 〜こと。
ごめんなさい元彼の偉そうな言い方に似てイラッとします悪しからず
昔から読みつくしやりつくしたことを言われちゃうと懐かしいけどそれでは直らなかったっけなあってまた失望します 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 処世は自分の感覚だけが頼りだと自覚すること。
何を通そうが譲ろうが、感覚や感情そのものに手を加えることはできない。 上下関係の垣根をとっぱらうことで、立場に見合った責任の重みを自覚することから逃げる人間は信用できない。
立場が上の人間の為すことが必ずしも正しくないからこそ、上は下からの突き上げを真っ向から受け止め、
下は上が従うに足る人間であることを見定める必要がある。民主主義だのグローバルだのはその後の話だ。
世間に対抗する言葉が見つからないのなら無理に自分を合わせる必要はない。
ただ、個人の規範倫理としてそこを軽く扱うのには、
どこかに何かをごまかそうという心理が働いていることは押し付けるでもなく指摘しておく。 ま、よくよく考えたら俺には全く関りのないことだな。
多分俺の人生に全くかすりもしない問題。俺とは関係ない。この感覚は大事だな。
矢面に立たされる人は気の毒とは思うが、自己判断で動いてもらうしかないな。 君の言うことに耳を貸す人はいないだろうから心配ないと思うよ。
自分の考え方を押し付けて他人を操って悦に入るような趣味は俺にはないね。
仮に君の意見に共感する人間がいたとしても、本人の経験で気づかなければ何の意味もないでしょう。
他人の言葉に惑わされるようでは、自分の考えで行動出来ない人間になってしまう。
そもそも心理学とは何の関係もない話だと思うが、君にも自由に発言する権利はあるから、まあいいんじゃないの。 というか君の言葉は「君自身が悩みを抱えていることのSOSのサイン」に見えちゃうんだけどね。
そうじゃなければあしからずだが。
それこそ俺が君の力になれることなど何もないだろうから。 >処世は自分の感覚だけが頼り
ああ、おっしゃる通りですね。
読み飛ばして誤解がありました。
上の発言は撤回します、大変失礼しました。。 少しでも権力を持つ人間は徹底的に叩いて骨抜きにしようというのが戦後日本の流儀。
できるかどうかはおいておくとして、可能な限りはそれに耐えようという
骨っ節のない人間は権力を行使すべきではない。
今のところは対岸の火事でも、不祥事なんてものはどこから火がつくか誰にも予測できないからね。
いざという時の心の備えは必要。
人間には知らない方が幸せなこともあるのだろうが、
上に登りつめるというのはそういうことも含むってこと。
その上でどう生きるかは人それぞれ。 まあ人間なんてそんなに強い生き物じゃないから、あまり多くを求めてもしょうがないかもしれんな。
ギリギリまで頑張ってへたれるのはしゃーない。 なんでアナタは言ってることは優しいのにそんなに上から目線でモノ言うの?w
もしかして照れ屋のツンデレ?
おんなじこと言うにしても物腰柔らかく言うだけで相当印象変わるだろうに…
何らかの戦略があってのことなのかい?w あらゆる物事に白黒をつけようと躍起にならないこと。
世の中にはいい加減にしておいた方がいいこともある。
間断なくせきたててくる世間の要請は要請として、必死にならないこと。 なりますね
悪人が100人1人の善人を潰そうとして善人は破滅に向かいます
ですが、破壊された善人が悪人でなく善人を見出すことにより仲間が出来,今度は静かに悪人を潰そうとします。
悪い事は自分に帰らず
自分の家族に帰ります。
神さまは人を裁かずに捌きます。
悪い事をしたら罰が降るのは古い考えです。
1秒ごとに善人にしてくた報いを彼らは受けなければなりません。
それはもう知らず知らずのうちに受けなければなりません。 「〜こと」
言い方がキモすぎて入ってこないからやめて 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 どこへも逃げられないと自覚することは後ろを向いてはいけないということではない。
降りると踏みとどまるの間を行きつ戻りつしながら心に弾力を持たせるということ。 こういう時代のこういう国に生まれ育ったことに有難みを感じつつ腹をくくること。
社会に何の違和感も感じないのであれば、特に言うことはない。 信頼とは共に積み上げ共有したものの高さによって決まる。
自分を守るのは人との距離感のみ。 何を信じ何を遠ざけるかの判断は受け身の関係性からは生まれない。
相手の腹の中を自分からまさぐっていかないと、上っ面の好悪、立場を超えた関係は見つからない。 努力なしに世の中を渡っていけないのは当然のこと。
努力が見える形で返ってくる境遇はそれだけで恵まれた人生。
世の中には努力だけではどうにもならない人生もいくらでもある。
自分の成功体験を人に押し付けないこと。 言うまでもなく何かをするということは何かを切り捨てるということ。
切り捨てられた者からの風当たりの矢面に立つことだけが、切り捨てた者への筋の通し方。 世の中はきれいごとだけでは回らない。
目先の損得勘定に優先する理想の存在も含めて、長期的視野に立った老獪な戦略性の必要。 後悔は萎縮、反省は改善。
自分の心の深くに根差した感覚は、誰がどう言おうと曲げないこと。 自分の中のドロドロした醜悪さを、まずは受け入れ許すこと。
あるものはあるものとして認め、先に進むしかない。 舌足らずで申し訳ない。自分の醜さを許したところでそれが消えるわけではない。
やり場のない怒りは何かにぶつけ表現することでしか解消しない。生きるというのは面倒くさいものだね。
自分のやっていることの罪深さは自覚しているつもりだ。
だが俺は基本的に人生に取り返しのつかないことというのはないと思っている。
言うべきことがなくなればやめるまで。俺みたいな最下等の人間でも人生に何の疑いも持たずに生きている。 どんなつまらない人生でも、その人間なりに歩んできた道のりの重みがある。
ということを認めること。 過去をおろそかにしないこと。
自分を構成するものは様々な人に支えられて成り立っている。
生きているのではなく生かされているという自覚が持てるかどうか。 舞い上がった気持ちを抑えきれない向きは、一度吐き出すだけ吐き出して、
行く所まで行った方がいいのかもしれんな。
中途半端に押さえつけるのは心の健康に良くないのかもしれん。 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない。
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 大事であれ小事であれ気負わず淡々と。
どんなに力み返っても壁にぶち当たる時は当たるもの。
その時は嫌でも悩むんだから。 物事を大仰に受け止めないこと。
どんな想定を超える状況に立ち至っても、結果はプロセスの一つの通過点に過ぎない。
自分の想定と現実の間に落差をつくらないこと。 どんなに切羽詰まった状況が見えてきても張りつめないこと。
これは原因を外部に求め取り除くことで解消するのではなく、ひとえに自分の心のありようの問題。
どんな状況でも心に緩みを持たせ、遊び心を忘れないこと。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 夢を持つなんて本来子供の使う言葉やで。
そういうものがあったとしても、ええ大人が人にひけらかすようなこっちゃない。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 何か問題にあたる時は、自分の動機・プロセスをある程度筋道立てて言語化しておくこと。
人間は全て理詰めで動く生き物ではないが、心に整理された言葉があれば
状況・気分に一方的に流されることはなくなる。 困難な状況に向かう時は自分をドラマチックに演出しないこと。 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 どうしても人に悪意を向けざるを得ない時は正面から。
相手から反撃される可能性を奪わないこと。 弱みを見せることは恥ずかしいことではないよ。
あるものをないものとして扱うことはできない。
人間突っ張って生きていてもしょうがない。 もっとはっきり言えば、自信なんてもんが要らんねん。
そんなものにすがるから人間は自分が道を踏み外すことにも気づかへん。
努力や積み重ねは必要だとしても、一瞬で崩れ去るものと自覚すべきだな。 世の中の全てが自分の思い通りに動くというのは幸せなことではないよ。 その場その場で自分にできることに最善を尽くすこと。
失敗はあって当たり前。勝ちたいのも誰しも同じ。
勝つことにこだわり過ぎないこと。 あんまり楽々と越えられても困るってこと。
普通の人間がそこにたどり着くのには、どれ程の葛藤と闘わなければならないことか。
人生はそんなにお手軽なもんじゃないからね。 いつでもここに戻ってこれるように逃げ道を作っておくこと。 暗さ、弱さ、醜さ、それを認めることのできない自分を受け入れること。 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 自分が不幸だと思ったら周りを道連れにしなさい。そうすれば孤独は消えて不幸を皆で分かち合うことができます。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 世界は自分だけのもの。私が感じる世界は私の中にだけ存在し、一度限りの人生であると考えればこそ自由にあれ。それは十分に許される。
ただし、一度限りでもあるということは一度とは限定されないということ。それぞれが好きにすれば良い。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 相手を理解したつもりになっても理解できたつもりでしかない。その歩み寄りを自分なりの努力だと思い込むほど相手を憎む時により強い憎悪となる。
身勝手な善意が争いをより悲惨なものにする。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 それらの意見は、君たちにとっては正解なのかも知れないが、他人にとっては間違いかも知れない。
そんなことにすら気付かず、偉そうに説教して悦に入っているようでは、軽蔑しか感じない。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。