アドラー心理学総合 25 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]©2ch.net
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 24 【嫌われる勇気】
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1488022640/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 ■課題の分離について
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい 前スレの人気レス
90 没個性化されたレス↓ sage 2017/03/12(日) 18:35:38.77
>>81
課題の分離は、本質は見知らぬあなたとして見る相手の態度と、親しいあなたとして見る自分の態度の折り合いの付け方な訳だから、共同体感覚を後とか先とかみたいに切り離すものではないのでは?
誰かそんなことを言ってました? 前スレの人気レス
86 没個性化されたレス↓ sage 2017/03/12(日) 12:45:19.18
金メダル獲りたいってやつは
金メダル獲れば世間が評価してくれるから獲りたいわけ
どんだけ屁理屈をいじくっても人間は
他人がどう評価してくれるかという価値観から完全に抜け出すことはできない 前スレの人気レス
314 没個性化されたレス↓ sage 2017/04/21(金) 22:48:05.14
最近仕事辞めて有給消化に入るんだけど
親が知ったら発狂するだろうなって
ちょっと不安なのは課題の分離ができてないせいだろうな
親は結婚願望の塊
俺の給料を結婚資金にとどっかに隠している
おかげで70万くらいしか手持ちがない
親が死ぬのを待とうか思ったけど
受け身な生き方じゃだめなんだ 前スレの人気レス
355 没個性化されたレス↓ sage 2017/04/27(木) 03:57:30.79
共同体感覚があるのだから、その嫌われると思う認知は本当に嫌われるでしょう
そうでなかったらその共同体感覚は嘘になります、分かってやるのだから確信犯です
つまりこうです 私は嫌われることをするけどこのコミュニティーなら
きっと許してくれるからやります と言うことです
これは共同体に依存していますまた一種の裏切りでもあります
なぜ好かれる努力を放棄するのか堕落をすすめるなどもっての外ではないですか 前スレの人気レス
361 没個性化されたレス↓ sage 2017/04/27(木) 13:10:10.45
こうやって理解できないあなたが悪いのだと切り捨てるわけです
解釈の自由を認めてくれない
嫌われる勇気を持ったらこのように仲間はずれにして追い出されるんです
これは罠です、共同体から迫害しようとしています 前スレの人気レス
444 没個性化されたレス↓ sage 2017/05/07(日) 21:00:10.96
2ちゃんによくある自己責任論って、ムラの掟に背いて自由行動した人間は助けないって事なんだろうか
中東で誘拐されたジャーナリストや登山者やヨット乗り、或いはAV出演者・金融商品詐欺等
泣き寝入りを強いる道徳環境があるのかな 前スレの人気レス
449 没個性化されたレス↓ 2017/05/08(月) 09:45:48.73
>>446
全然悔しくないよ。悔しいと感じるとするとそれはアドラーの理論を自分の体の一部みたいに捉えているからじゃないの?
つまり心理的に自分と同一視してるからじゃないの?そうやって劣等感を埋め合わせるためにアドラー心理学を自分の一部として取り込んだのにそれが汚されてしまうから自分が汚されてしまったかのように感じてしまうんじゃないの?
心配しなくてもあなたはアドラーじゃないしアドラーの思い付いた理論でもないから人から何を言われても汚されることはないよ。 前スレの人気レス
602 没個性化されたレス↓ 2017/05/12(金) 16:11:10.74
>>598
俺は気楽に生きたいだけなんだが、日本という社会は
それを許さない。 前スレの人気レス
611 没個性化されたレス↓ 2017/05/12(金) 21:26:49.18
目的論なんて単なる言葉遊び。
人間は過去からは逃れられない。
誰もが過去に囚われ年をとるほど可能性は狭まって行く。
人生とは過去を克服するのではなく、狭まった可能性の中から
自分なりの幸せを探す作業に過ぎない。
そういう作業を続けてればいつの日か「これでいいのだ」
と思える時が来る。
成長とか克服を人生のテーマにしてはいけない。
精神にゴールなどなく、そんなものは幻想に過ぎない。 前スレの人気レス
629 没個性化されたレス↓ sage 2017/05/14(日) 17:59:39.80
前職で人間関係で失敗して、転職を機にアドラー心理学を実践しようとしたけど深層心理までは変えられなかった…
どうしても周りの目を気にしてビクビクしてしまう。
対人恐怖症、視線恐怖症、社会不安障害が治らないよ… 前スレの人気レス
663 没個性化されたレス↓ sage 2017/05/15(月) 20:49:34.55
>>642
でもこのままだと、また職場で孤立しちゃうんじゃないかって怖いんだ。
また前職と同じ間違いをして仕舞うんじゃないかと不安でたまらない。でもいざ雑談の場面になると話せなくなってしまう自分がいる。
雑談が出来ないんだよね…
凄く大人しい人が職場に居たら周りの迷惑かな?自分が居ても良いのか不安でたまらない 前スレの人気レス
729 没個性化されたレス↓ sage 2017/05/25(木) 14:04:24.56
子供が本当に欲しているものは何なのかを気づかせる事が大切
何が目的で学校に行かないのかはっきりさせる手助けをする
子供が望むなら転校やフリースクールという手段もあり、親はいつでも最大限サポートできることを伝える
それでも子供が不登校を続けたいと思うなら、その通りにさせてやる ひきこもりを容認するようなアドレリアンの意見を、
子供の幼稚な成熟拒否と取るのはたやすいが、
実際には本人が心の中で力をためていると取るべきだろうな。
今の世の中は単純に、ここまでは子供の論理、ここからは大人の論理と線引きをするが、
そんなものではないという事だ。むしろ万人が、自分の中にある子供の部分、
素直な部分に従って生きるような世の中を作るのに、ある意味最先端で戦っているのだと取るべきなんだろうな。 引きこもりの問題は元ヤンキーのような業者が親を説き伏せて、引きこもりの青年の意思を無視して、
強制的に移動させる事だな。この手の人物は自信満々で両親を説き伏せてしまう
カテゴリー的には、振り込め詐欺にも近いやり方 煮詰まってるなら環境や人付き合いを変えるってのは正解だろうが、
アプローチにはやり方ってもんがある。
デールカーネギーの人を動かす的な 人生の課題から逃げて宇宙でたった一人の自分の世界に閉じこもって安らいでいる人が
「嫌われる勇気」の言葉を借りて自他をごまかすのは許すべきではないけどもさ。
ひきこもりが100%自分を守ってそれで逃げ切れると思っているならそれは社会に甘えすぎている。
でもさ、戦略的に勇気ある撤退をして守りを固めるフェイズってあるじゃない。
攻めるばかりが能じゃないさ。そこを見ないで周囲の強制力で見た目だけ変えるってのは
動物の管理ならいいけども人間なんだからさ。なんか優生学的な嫌さすら感じるよ。
働かざる者結婚するな、的な。 働く、働かない。結婚する、結婚しない。それぞれ別の問題。
結婚もしないし働きもしない人生も一つの選択。ほかの組み合わせだって同じ。
自由に選べる文化にして、それから経済や法律の問題を具体的に考えていくべき。
ただ何も考えず、あれはよい、あれは悪い、勝った、負けたで議論するのではなく。 攻めるだの守るだのよくわからんな、何かと戦っているのか的な
結婚しなくても生きていけるから結婚しない選択肢もある、
働かなくても生きていけるから働かない選択肢もある、
それは大きな誤りだとおもうな
可能だからという理由で選択肢に入るのであれば、すべての可能なオプションが選択肢に入ることになるわけで いや物理的に可能なことはすべて選択肢に入るだろう... 押しの強いダメ人間に接すると、ついこっちがダメ人間だと思っちゃうよね。 認められたい気持ちと予期不安があります。どうしたらいいでしょうか? >>32
逆じゃね。押しの強い人間は怪しいし、介入しがちで距離をとるべき人間だと思う >>33
認められたいのは所属を追求しようとする人として当然の目的なので無理に抑圧しないで他の方法(貢献感)で代替できるように意識的に今の行動を選ぶようにする
不安というのは未来に対して思考を働かせたときの陰性感情だからこれも同様 DQNの引きこもり叩きとメンヘラ漫画爺さんのコラボ >>34
優越コンプレックスの人は避けるしかないよな。 豊田議員ついて検索すると心理学者の分析があるな
どうも優越コンプレックスの持ち主で自己愛がかなり強いと
上下関係に敏感で上には媚びへつらい、下には冷淡なタイプだと。アドラー心理学の正反対の人か
反省はしてないだろう。自分は被害者だと思っているはず 豊田議員て暴言暴力ファビョりの人か。
2chで自己愛こじらせてファビョってるような奴がリアルに飛び出したかのような 劣等コンプレックスを偽りの愛である自己肯定で満たして
優越コンプレックスの持ち主になるのが自己愛って事か。
だから部下を叱るのも本人は愛のつもりで、でも偽りなんだな。 知り合いの元官僚の人も自己愛の塊だったな。最初は丁寧で尊敬できるかの様な感じだったが
途中から人格攻撃が凄まじい。毎日常に誰かの悪口を言っている。それに自慢話ばかり
その人は完全なマザコンだったが、豊田議員も母親に溺愛されてたんじゃね
自己愛性パーソナリティー障害は、子供時代に溺愛されても虐待されても起こるらしい 豊田議員もいい大人なんだから人生の責任は自分で取ってほしい所だな。 そもそもあれ朝鮮族だという噂があるしな
名前も左右対称に近いし
もとから火病メンタルだったのだろう 優越コンプレックスの程度が一線を越えると
他人を見下し始めるという現象にも
ちゃんと名前をつけてほしいな。 優越コンプレックスそのものなんじゃないの?それって いや、内心で他人を見下しているのと、それを公言しちゃうのとを区別したくて。 東大卒官僚なんて中学あるいは小学校からめちゃくちゃ勉強してるわけで勝つか負けるかで相当精神が疲弊してる
その脆弱な心を自我を肥大させて他人を見下すようになる
一方、スポーツなら試合の結果でそれなりの報酬があって精神が偏る事はない。しかし、勉強は受験合格くらいしか報酬はないから
豊田真由子は本来の脆弱な精神がもろに打撃を受けているのでガチにダメージを負っているだろう みんながそうでもないよ、東大卒の連中を見てると
理系だと勉強が好きでその結果入って来ちゃったっていうやつが多かった
文系はよくわからないけど、上を上をと思ってガリ勉するのがいたのかもしれない
あと、東大の女は男より拗らせてるやつが多いな
こうであるべきとか思ってるのが多かった 纏まってないな、すまん
ようは、大学に入る前からもうおかしいやつはおかしいんだってことだよ >>47
すまん。はっきりと優越コンプレックスだとわかるの以外にも
隠れ優越コンプレックスみたいなのがいるのかと思ったんだけど、
そんなのわかるわけがないな。バカな話をした。 >>50
東大卒でも理系の人たちは違うようだ。テレビに出てくる理系の研究者は自分の研究に
誇りを持っていて、歴代のノーベル賞受賞者はユーモアもあり人格者にすら見える
理系の研究者は成果により報酬があり学歴自慢などは意味がない
一方、文系の研究者は報酬がないんだよね。官僚にしても報酬はない。学歴しか誇るものがない >>53
あー、なんか納得しました⇒成果による報酬
そうですね文系にはあまりないのかも 俺が女にモテなかったのは、自分のことを賢いと思っていたから。
なので女が馬鹿にみえていたが、それは優越コンプレックスだった。
自分が馬鹿だと思えばこそ女の賢いところが見えてくる。お互いに特色があって
補い合ってこその男女だからな。優越コンプレックスというのは怖いな。 幸せになる勇気には結婚についても書かれているが抽象的にしか書かれていない
しかし、恋愛・結婚もまたアドラー心理学の範囲であり、課題の分離・共同体感覚が使えるのではないか
相手を喜ばそうとする意思と努力 相手を喜ばすために生きることが自分の価値であると考えるといつか破綻する
それに気づかないから結婚が墓場になる人がいるんだろうなぁ 相手を喜ばそうとして結婚生活をおくるの?
ちょっとちがくないかな?
基本的な生活の最小単位を構成し、可能なら次世代の育成(リプロダクション)を行う
それが婚姻ですよ そして結婚はいつしか子供のために我慢する生活へと変貌を遂げるのである
人間は愚かな生き物である それは我慢なんかじゃない、子供を愛している純粋な気持ちから自然とそうなるものなんだ
子供を持てばわかるはずだ
というのが基本的なストーリー 得るものも多くない?育児からさ
それは、会社生活から授かるものがあるのと同じ性質のものからだと俺は思ってる
ていうか、子育てしないと人生は飽きるよね?
まあ価値観の違いかもしれんけど
とにかく、育児をしている(た)俺は楽しいぞ?
祖先との繋がりを感じたり驚いたり、その他たくさん、な その通りだろう
つまりその論理によって結婚して子供を産み育成することが人間として当然のことであり、結婚や育児を経験しないものは価値の低い半人前であるという「常識」が人間社会に醸成されているのである だってそうだろう
そもそも人間は人間である以前に生物であり、生物の生命活動は子孫を産み後世へ残すことそのものであることは生物学的に自明であるわけだから
なので結婚の機会を逸した人間は不幸な人間であるという烙印と共に死するのである 未来の世代に貢献する方法は出産や育児だけでははないが、
あらゆる意味で未来の世代に貢献していない人への世間の目は酷く冷たいな。 つまり後世へ貢献することが人間の存在価値を決めているという価値観がこの人間社会の基本原理となっているわけだ 人間の価値を定義した時点でその基準に満たない命は無価値となり死にゆくのである うーん、ネガティブに捉えたのならごめんね
ただ、育児が負担だとか我慢だとかというのは違うんじゃないかと伝えたかっただけなんだ
新入社員と全く同じ仕事を続けて定年になる人がいないのと同じように、ステージに応じて好奇心旺盛にやってみることも大切だと思うんだ
俺はナチュラリストで逆らわないのが信念だったので、家庭を持って育児もしたけど、そうして先人たちの轍を歩くのも楽しかったし、一時的な一体感も持てた
うーん、うまく伝えられないな、すまん 未来の世代に貢献しない人を罰する感情は、未来の世代に貢献するために何かを我慢している感情の鏡像なのである >>68
いや謝る必要はないよ
あなたは結婚して子供を育て上げて素晴らしい人生を送ることができているのだから
自分は残念ながら結婚という機会を得られていない人間の一人であり、それをあらゆる視点で客観視しても、痛烈なまでの無価値感を感じる以外に道がないということを知っただけ
結婚できない理由は人によっていろいろあるだろうけど理由など関係なく立ちはだかる事実は以上に書いたことであることに変わりはないのです そしてアドラー心理学によれば、これは私の課題であってあなたの課題ではないのです >>62
普通の育児もそうだけど、アドラー心理学の育児は
自分を大きく成長させてくれるものだと思う
みんなアドラー心理学の育児を実践すれば良いのにって思うし
社会人男性なんか特に、会社生活にも役立つ経験になると思うな 好きな人と結婚することを諦めれば、もしかしたら結婚も育児も叶うのかもしれない
これを我慢と呼ぶのかどうかはわからないが、自分を成長させるための投資であると捉えてさっさと結婚して子供を作ってしまうのがトータルで考えると幸せということになるのだろうか... 結婚を打算的に考える隙のない出会いの機会を得、普通の幸せを手にいれることができる人は幸せなのだろう >>72
それは課題の分離を維持しているでしょうか? 幸せを感じているときはいろんな事を前向きに捉えられるからね 結局こうあるべきであるという暗黙の前提が存在する限りそれから外れる存在はダメな存在であり続けるのです
たとえそれが人間が作った前提だったとしても うーん、今から思うと結婚までの道のりはそれなりに大変だったと自分でも思うけど、
結婚は、結婚という行為、相手を選ぶという行為よりも、その先、
とても不確実な、将来のできごとを受け入れる儀式だと思うんだよね
あまり詳しくは語らないけど、俺の一番好きな人と結婚するよりよかったと今では思ってる >>79
勉強になります
不確実な将来を受け入れる覚悟が結婚ですか
確かにその通りだと思います
その覚悟を決められない人が即ち結婚できない(結婚するという選択をしない)ということなのでしょう
ただし、自分だけが一方的にその覚悟を決めればいいわけではないところが結婚の難しさですね
やはりどういう出会いであれ結婚をお互いに決められる相手と出会うのは奇跡としか思えません 一番可能性がある方法を考えるとしたらとにかく自分となら結婚してもよいと思ってくれる人をまず見つけて、その人との結婚を無条件で受け入れるようにすればいいのかもしれませんね
そうすれば自分の課題として分離が可能ですね ただしその方法をとる場合は仕方なく結婚を決めたんだということを相手に知られてはいけませんね
それを耐え抜く覚悟が必要です >>79
>とても不確実な、将来のできごとを受け入れる儀式だと思うんだよね
これはかなりしっくりとくる名言だと思いました そうですね
結婚してもよいと言ってくれる人が見つかれば半分奇跡が成就し、自分が覚悟を持てば結婚が成立しますね
課題の分離もできています
ただし、その場合自分は我慢して結婚することになりますので、その裏返しの感情として結婚していない人を蔑んだり貶したり社会的に罰するようなことをしてはなりませんね 一人一人が貢献感を感じて生きているからといって、
それでお互いがお互いの貢献を目に見えて理解できるものでもないだろう。 来てみたら結婚の話題が出ているので思うところをカキコ
性格や環境、容姿、身体的特徴、運によって人それぞれ結婚に至るハードルは違うから、結婚のハードルが相対的に低かった人にとっては、結婚しない人、結婚できない人の境遇を理解するのはより難しいだろう
ハードルを上げてるのは己の努力不足にも原因があるだろうという認識を持っていれば尚更理解するのは困難であろう
好きな人、またはある程度好きな人と結婚できる出会いを得られた人からすれば、結婚していない人を見るとなんでこんなに価値ある経験ができるのになぜ結婚しないんだろうと思うはずだ
あるいはある種の優越感によって嘲笑的に結婚の価値を訴えている人も中にはいるかもしれない
そういう人にはこの書き込みすらも未婚者の単なるやっかみとしか思わないと推測される
うだうだこんなところに書き込んでないで婚活でもしやがれ
そんな面倒くさいやつだからお前は結婚できないんだという声が聞こえて来る 結婚する人が「正しい人」「人間としてあるべき姿」であるならば結婚しない人は「間違っている人」「人間としてあるまじき姿」になるだろう 俺は俺自身で三度の飯より好きだという事と、周囲の過酷な環境のと関係で
やむなく身に着けたサバイバル的なスキルの部分の区別がついていない。
なのでいい子がいても、彼女の世界が自分にとって安らげるものなのか
サバイバルの続きを強いるものなのか判断がつかないできた。
結果として結婚できないかもしれないという事は気にらならないが、
過去のチャンスを逃し続けてきたのに自分自身に対する無理解があるのだとしたら
それを抱えたまま死んでいくのは自分が哀れだ。克服したい。 結婚できないかもしれないという事実を認めたうえで、
しかし結婚したいという自分を自分自身で認める。
自己受容というのはそういう事なんだな。 言い方は悪いのかもしれないけど、割れ鍋に綴じ蓋で、どんな人にも合う相手はいると思うけどね
お互いに結婚してからも成長は続くんだし 最近は子供を持つことと結婚することも分けて考えられているようだし。 生物学的に子孫を残すのが正しいという方向で話すなら
進化論的に、早いサイクルで寿命を迎え繁殖を繰り返す種が生き延び、
天敵を失った種が土地の食料を食い尽くして絶滅しているという説もありますね
つまり、結婚しないことで種のバランスを取って
貢献することもできると考えれば
愛のタスクはただの愛のタスクであり、何かの判断基準で
やるのが正しい悪いを判定しながら進むのではなく、
ただそれをする様に進む態度であれば良いということではないでしょうか? アドラー読んだら気が楽になって、結婚することになった。
子供はもう作る歳じゃなくなっちゃったけどね。
繁殖作業は他の方にお任せする。
僕らの世代は初等教育で「人類は増えすぎ!」って散々インプットされてた。
もう少し前は高度成長期で「ドンドン子供作れ!」って。
その前は戦後ベビーブームで「子供作りすぎて食料たりない!」って産児制限推奨(コンドームが発達した)。
戦争までの明治大正昭和は「産めよ増やせよ!」
江戸時代は地域によっては育てられなくて「間引き」。
ま、時代の風潮に左右されるのはどんなものかな。ホントに子育てしたい人がすればいい。 今日、胃腸炎で会社休んじゃいました。明日仕事いくの不安です。怖い。連絡はしました。 相手の心理がズレてるから論法を弱者側がつかいつづけると
どう齟齬が明確になる時期が
いつぐらいに
くんのぃ? >>93
本来はいい悪いなどないはずなんだ
でも人間社会には常識や「正しさ」というものがある
そのためそれに従わざるものは人に非ずとなるわけである >>97
やらない理由っちゅーのは無限に掘り起こせるもんだ。
注目するべきは、自分はどうしたいか?ではなかろうか?
アドラー心理学を実践したいのかしたくないのか。
または、自分の生きたい方向を選択する勇気もまたアドラー心理学によって育てることができる こうあるべきと思う正しさって単に悪いものではなく、その個人が大切にしている価値観なんだよな。
だから切り捨てようとするんじゃなく、その考えを生み出した価値観を建設的な方向にどう活かすか。ここが肝だと思う。 子供を育てるというのはお金もかかるし、親子といえど三人以上の人間関係なのだから
もうそこは社会だ。信用の問題の部分になる。信用は大事だがこの方面には時流というものがある中での
適応という事になる。
それに対して夫婦も含めて一人の人間と向かい合うのは信頼だ。信頼し信頼される人間関係が
築けないのでは孤独だ。一人貢献感に浸るときも脳裏に誰かが思い浮かばなければ
それは宇宙でたった一人の自分の世界、自閉と逃避の世界でしかない。
信用と信頼。どっちも大事だ。信頼がもっとも大事で、それを支える信用という事だ。
チラ裏すまん。迷いながら書いている。 ちゃんと書こう。
俺の父親は仕事での対人関係はまともな信頼できる有能な働き手だ。しかし労働者を下に見て
稼いできたお金を湯水のように使う、信用(クレジット)をまともに扱えない人間でもある。
母親はお金のやりくりに苦労した。
しかし俺の母親は、社会的信用の面ではしっかりしているが、親子夫婦で要求を押し通し、
彼女の信頼にこたえようとすると無限に要求を吊り上げる、信頼するに足りない人間だ。
それは両親の悪いところを両方受け継ぎ、父親同様信用方面がダメで、お金のやりくりが自分ではできなかった。
また母親同様、他人との対人関係で一人の人間からも信頼されない。その結果孤立し、
精神病になった。精神病患者を見ると、患者同士で恋愛する例外を除き、俺と同様、信頼も信用も扱えない
クズばかりだった。
それからリハビリし、今は自分の管理できるお金で一人暮らしできる。父親とも話合い、お金の面での信用を
扱える自分にはなっていると思う。しかし信頼がダメだ。誰一人話し相手もおらず、母親は相変わらずイカれていて
俺自身一対一の人間関係では信頼に足りない人間だと思う。どうすれば治るのか。
街には恋人同士がいくらでもいるのに、他人から信頼されない、どこまでも自分の期待で一方的に人に関わってしまう
クズはどうすれば治るのか。クズの母親に気を使い、一生クズで終わるのか。 母親はクズだ。自分の都合、自分の要求しか考えず、信頼するに足りない人間だ。
俺が母親の犠牲になることをやめたからといって、それで世の中が変わるわけではない。
信頼するに足りないクズは信頼してはならない。明確な事だ。この方針で行こう。
親子といえど共同体だ。クズとの関係は課題の分離だ。母親は自分の都合と他人の課題の区別がつかない。
しかしそれは俺の課題ではない。母親が支離滅裂な事を言って世間から軽蔑されても、
きっと母親はその意味すらわからないだろう。白痴のような人間だ。それが彼女の人生。
それ自体が罰だ。気にしても仕方ない。切ろう。切る。ヨシ。それで行こう。 自分の要求が通らないと半狂乱になる母。しかしそれは父親との関係の問題だ。
責任の伴う人間関係の最低限の単位は男女、夫婦だ。要するに母親が狂おうが死のうが
それは父親の問題で、そして本人の問題だ。
子供である自分には関係ない。それだけの事だ。 母にとって、自分が嫌な気持ちになることは、すべて間違い。
それだけの生き物。憎む価値すらない。動物だよな。そう思って対応すればいい。
楽になった。吐き出せてよかった。 生まれ育った家庭からは、離れて生きるのが世の定め
何故なら、親のほうが先に死ぬからね
つまり、親から離れたものだけが、次の世代を生きることができる
親から離れられない者は、親と同じ世代を生き、そこで死ぬ
そして、親から離れて次の世代をもうけたものは、次の世代に生きる可能性を持つことができる
次の世代に生きることができるかどうかは、次の世代に「生きる主導権」を手渡せるかどうかによる
そこまで来てやっと、自分には、「親の影響から逃れて生きる権利と義務」があったことに気づく
子供を拵えることの利点は、こんなところにもあるんです 今日は精神病院への通院の日だ。
先生に「母親が俺の精神的な態度に干渉してくるから俺がいつまでたっても社会的な
無能の状態に引きとどめられているのだから、そうだと先生から母親にいってもらえませんか」と
いいたいのはやまやまだが。それだとまた母親が現実を突き詰められて異常な行動をとって
何もかもがややこしくなる。
課題の分離だな。母親が子供の内面に入り込みたいのは母親の課題。俺の課題ではない。
俺が自分で自分の人生を生きたいのは俺の課題。人生のタスク(課題)として
できることを積み重ねていくだけだという事だな。 求めもしないのに他人に「こう考えるとよい」というようなことをいう人の考えを
そのまま受け入れてしまうような人だけが心を病むのだとわかった。
まともな人は自分で試行錯誤して、それで自分だけの状況に合った自分だけの考えを
作り上げていくものだから。 >>105
結局結婚して子供を持たぬものは人にあらずってことかな? 金銭的な収支で言えば、あなたのご両親がしてくれた、高々年間百万くらいの出費が惜しいと思うのなら、子供は作らないほうがいいですね
経験的には貰ってばかりですけどね、子供から
というだけの話です 言い換えます
育児の経験を、年百万で買えるとして、あなたはそれを買いますか?
という問いに、ハイと答えたのが私です
では、あなたの答えは?
というだけのこと 端的に言って育児をしないものは人間的な経験値として半人前ってことね
ありがとうございました 岸見さんによると承認欲求が強い人は子育てに苦労するんだと。誰も褒めてくれないから
芸能人でナルシスト傾向が高い人は子供作らないね。ビジュアル系ミュージシャンとか
ジャニーズ事務所のタレントは結婚が遅いが、彼女はいても子供は好きじゃないんだろうな 他人の承認欲求を満たすことが実は他者貢献にはなっていないと考えると矛盾はない。 >>117
相手が自分を活かして建設的な価値を感じながら生きていけると信じられるなら、課題は分離しといた方が貢献してるっぽくない? だから他者貢献ってあまり使いたくないんだよなあ
せいぜい、共同のタスクへの貢献くらいにしておきたい 必要なのは貢献感を得ることだと考えればそんなに細かく場合分けしなくてもシンプルに動けるのでは? 相手も違う課題を生きていて、それでも相手に関心があるから共同のタスクを見つけてともに生きていこうという決意、その試みが話し合いであって、いわゆる勇気を発揮する場面だと思うんだよね
だから貢献の意識はとても大切だと思う 嫌われる勇気読んだら逆に空気読めるようになった(笑)。アドラー心理学様々
優越コンプレックスで自我が肥大していたのを矯正中 他者に貢献しないと価値がないという価値観ってどうなのよ? 価値がないんじゃなくって、幸せになれないというだけだよ
幸せになりたくなければ貢献なんかしなくていいのさ 貢献しないと幸せにはなれない
これは絶対的法則なのかな 幸せになるためにする貢献と、ありのままの自分が結果的に周りに貢献してしまうことは同じようでまったく違う 常に貢献しつづけないと幸せゲージが減ってしまうという価値観は消耗戦であり不幸の始まりなのです 貢献じゃなくて、貢献感ってところがポイントだよっ! 貢献を貢献感に置き換えたところで同じでは?
仮に自分が貢献してると思えればいいということを貢献感という言葉にしているのであれば、場合によっては独りよがりのお節介になって周囲から疎まれる うん、だから共同体感覚とか課題の分離とかの技法が必要になるんじゃないのかな? 結局その考え方だと実質的に「その人が認識できる」貢献が必ず必要なんですよ 昨日の流れを見てちょっと考えた
貢献感っていうのは、価値の指標の一つであって、
つまり所属に対する自己効力感を高めることが目的なんだと思う
じゃあ例えば自分は無価値だと感じている、そのままの自分で幸せだと感じることはできるのか?
できると思う
ただしそれは、他者は仲間だと思えていることが条件だと思ってしまう
では、孤独で無価値な自分だけど幸せだと感じることはできるか?
分からない
けど、その反対側に向かうのが建設だということは明確だと思ってる >>131
課題を分離しようという気持ちと貢献感の為の行動をとってる人に対して
人はそんなに疎ましく思ったりしないから大丈夫ですよ
逆に何をしてても他人を疎ましく思う人は必ず一定数存在するし 常に誰かの役に立ちたいと思っているだけでいいんだよ。小さな事で十分
スーパーでレジの人がバーコード読み取り易いように商品を揃えておく等 >>135
これ自分で書いて思ったんだけど
つまり所属できてると思えてれば良いってことなんだと思う
貢献感は自家発電で所属感を得る為の手段なんだから
ある程度の所属感を安定して感じられる様になれば、維持運転だけで済む様になる
つまり日頃の態度だけで所属感と貢献感が維持される
これが共同体感覚なんだろうなって思う 共同体感覚の何が良いって、好きな生き方を選べる様になる
自分には能力(貢献感・自己効力感)があるしみんなは仲間(所属感)だ
恐れることはないし挑戦してみよう
アドラー心理学で、勇気の説明と共同体感覚の説明は同じことを言ってる つまり先ほどから言いたいことは何かというと、自分に価値があるだのないだのを考える必要は本来はないということです この世に生を受けた瞬間、あなたは自分に価値があるかどうかを考えていましたか? >>141
人はこの世に生を受けると周りから、特に母親から愛情を受ける。それで潜在的に否応にも自分は愛されているんだと感じる。これは価値を学んでいる状態だ。
愛情を感じられず心理的ネグレクトで育った子は、勇気を持ちにくい傾向にある。これは自己価値を学んでいない状態だ。
アドラー心理学から見れば、どちらの環境が出発だとしても共同体感覚に向かえば良いということに変わりはない。 つまり常に共同体感覚によって幸せゲージが下がらないように頑張らなければならないわけだ 人の役に立っている感覚=共同体感覚=自分が共同体の一員として認められている感覚=承認欲求
つまり常に何かをして補充し続けなければそこをついてしまうわけです
端的に言ってしまえば減点法
この考え方は究極的には消耗戦なのです
常に強迫観念と表裏一体の幸せなのです
それは本当に幸せと言えるのでしょうか? サカキバラは母親に冷遇されて育ったんだよな。そこから、「自分には価値がない」→「他人も価値がないはずだ」
→「価値がないなら殺してもいいのではないか」と殺人に走ったのではないか 自己価値は本来は生まれながらにして知っているはずなのです
親や環境によってそれが捻じ曲げられてしまうのです
それが社会の仕組みです 本質的にいうと自分に価値があるかどうかという視点そのものが本来は不要なのです >>146
>承認欲求と消耗戦
自我が肥大した優越コンプレックスの持ち主ならではの表現だな。承認欲求が強い人間は
まさしく消耗戦の苦しい毎日を過ごしている。2ちゃんで何回レスが自分に返ってくるか
明日になればリセットでまた一から消耗戦が始まる
一方、共同体感覚は一度始まればほぼ永久に続く。リセットはなし。ゆとりのある心が続いていく >>149
そういう手もあるかも知れない。布教したいなら自分でスレを開いて布教すれば良い。
アドラー心理学の共同体感覚に「頑張る」は必要ない。貢献感を得る行動にも「頑張る」は必要ない。ただそこに向かうと決めるだけで良い。
あなたは先ずは自分の理論でやってみれば良い。 >>149
本質的にはそういう感じもあるんだろうな
孤独感と無力感で狭まった視点よりも
共同体感覚で広がった視点の方がそれを腑に落とし易いって感じもあるかも
仏教で言えば諸法無我に近い感覚かな >>152
逆に言うと、アドラー心理学のどんなところが嫌いなんですか?
貢献感の人が虫唾が走る? いつものアンチだよ。自分を変えずに他人を変えて自分の道具にしたいという >>154
アドラー心理学こそ真理であるという姿勢 >>146
>人の役に立っている感覚=共同体感覚=自分が共同体の一員として認められている感覚=承認欲求
→この認められてる感覚と承認欲求のところを自家発電する理論だよ。
>つまり常に何かをして補充し続けなければそこをついてしまうわけです
>端的に言ってしまえば減点法。
→破壊的な行為、つまりコンプレックス丸出しの行為によって減点されるかな。
>この考え方は究極的には消耗戦なのです
→コンプレックス丸出しという消耗戦状態よりもはるかに省エネな状態。
>常に強迫観念と表裏一体の幸せなのです
→貢献感と所属感に包まれている状態では強迫観念とは逆のマイルドな状態が続く。
>それは本当に幸せと言えるのでしょうか?
→認知論というものがある。>>146から見る世界とアドラー心理学を実践している人から見る世界は違う。 >>156
なるほど、アドラー心理学こそが真理だと言ってる様にしか見えない人が
少なからず居るってことなんだよね
アドラー心理学も一つの心の杖にしか過ぎないので
後は好きか嫌いかで選べば良いんじゃないかな? ここは課題の分離を謳うアドラー心理学教実践者が他者に対してもその正当性を滔々と説きかつ同様の実践を勧めるスレです >>157
逆にいうと認められないとダメだ(幸せではない)という感覚ですか? >>152
他者貢献に対してネガティブなイメージがある様に見えるね。
過去に自分の中でそれを裏付ける経験をしてきたのかな? >>161
他者に貢献しないと幸せを感じられない心理状態を純粋に考察したいだけ >>160
自分で自分のことが嫌いなまま幸せだと思える?
自分を認められない自分がいるんだなと受け入れることも自己受容の第一歩だよ。 >>163
自分が幸せならアドラー心理学に文句を言って構ってもらう必要はないのでは? >>164
共同体の一員として認められないと自分のことを嫌いになってしまうのでしょうか? 人の役に立たないと幸せを感じられない
でもいいんだよ人間だもの >>166
そんなことないよ。自分のことが好きで幸せならそれで良い。
自分のことが嫌いとか、自分のことが好きなのに辛いって人は、他者貢献っていう手もあるよってだけだよ。 >>168
それなら納得です
ありがとうございます 最近「怒り」も悪くないなって思えてきた。
憤りを感じたときに一旦立ち止まって、私は何を大切にしてるから怒ったのだろう?って自分に問いかけるってことを意識してみたら、「関心」とか「尊重」って価値観なんだなって気づいた。
私が尊重されていない、私と関わるこの人が無下に扱われている、そういったことに自分は怒りを感じるんだなってわかったときに、アドラー心理学の知識がやっと腑に落ちたんだよな。
つまり自分が何の気なしに大切にしてしまう価値観を抽出できれば、それをそれをどう建設的な方向に持って行くかさえ方法が見つかれば一気に拓けてくると思う。
自分の場合は自分も含めてひとりひとり尊重されて関心を持ってもたれて、自分らしい力を発揮できるような世界像に向かってこの自分を使っていこうって思えてる。 怒りに関しては修行の問題だろうと思う。テレビの議論番組で偏った発言するタレントに怒ったりする未熟な面が自分にはまだある
課題の分離すら未だ出来ていない昨今 操作目的で巧妙に「貢献感」を使って“こちょこちょ”てしてくるブラックな企業とかもあるよね…… 怒り(感情)が思考を捏造することもあるのでは?とおもう ただ、怒りが創作エネルギーになっている人もいるんだよね
芥川賞作家西村賢太氏は怒りが小説執筆のエネルギーになっていると。一方、ミュージシャンの
玉置浩二さんは怒りみたいな感情があると曲が作れないと 基本は自己貢献(という言葉はないが)、あるいは自己貢献感で、
それが自分のためにする善という事だろう。
そのうえでの貢献感、あるいは貢献という事なのであって。 >>178
例えば怒りを正当化するためにありもしない出来事(作話)や無茶な論理(詭弁)をねつ造することがある エックハルト・トールは言います。
たとえば、誰かにニュースを知らせようとする。
「ねえ、聞いた?え、まだ知らないの?それじゃ教えてあげる」。
そのとき、あなたが注意深くて、きちんと「いまに在る」ことができていれば、
たとえそれが悪いニュースでも話そうとする一瞬に満足感がよぎるのがわかるだろう。
そのわずかな瞬間、エゴの目からすれば自分に有利で相手には不利な不均衡が生じているからだ。
その瞬間、あなたは相手より「多く」を知っている。
あなたが感じた満足感はエゴのそれで、他人との関係で自分が強者になったと思うことから生じている。
相手が大統領だろうが法王だろうが、その瞬間はあなたのほうが「多く」を知っていることによって優越したと感じるのだ。 ESTP「ギャクセツーーーー!!俺達の仲間になれーーーー!!」ドン!!!!! ギャクセツ「え、えすてぃぱァ・・・」ポロポロ
えんてじぇい「で、でも俺、、、元荒らしだゾ、、、」
ESTP「うるせェ!!!!イこう!!!!!」ドン!!!!!
ESTP「俺は胸の大きい女が好きだ!!!」ニィ
ギャクセツ「う、う゛う゛、、、う゛づくし、、い、ラ゛ホ゛お゛ル゛う゛、、、、」ポロポロ
INFP神「よろしくな!逆説くん!」
INFJ「俺は明るい年下が好き。よろしくね!(膣内射精の瞬間に股間をピッタリ密着させるとぎゅっと抱きついてくれる女性が好き
、、、)」
タバップ「MBTI戦争楽しもっ!!wwwwwwねっ!?wwwwwwwwwww」
INTJ「今夜は交尾!!!おっぱい!!!!」
ENTJッピー「お前このままだと自壊するぞコノヤロー♪」
ENTP「ノーコメントだねえ」
INTP「案外君は面白いじゃないか。結構意見もしっかりしてるみたいだし 」ジワァ
リリー・フンラキー「新人ンンンンン!!!コーラは好きかぁーーーー?????」
ギャクセツとMBTIスレ民の新しい冒険が始まる!!物語の舞台はついにビッグファイブへ!! 母が父との悩みを妹に相談する。ついでにお買い物で何かを買ってあげる。
まあカウンセリングみたいなものだ。妹は偉い。
しかし母はなぜか妹の相談に乗りたがる。あまり解決にはなっていない。
やはり母も妹の世話になるだけの人間だと思いたくないのだろうか。
これって母の自己肯定? >>185
女性のコミュニケーションは共感性がメインらしい。お母さんが妹さんに共感性を求めて
次に妹さんに共感性のお返ししているのでは >>186
なるほど。社会的な能力の役割としては貢献できないでも、共感しあうというだけで
貢献しあうことになるんだな。どうも。 >上西小百合議員 「サッカーの応援しているだけのくせに何かやった気になってる」 「他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」
完全な優越コンプレックスの持ち主だな。こういう人物には距離を取って近付かないと うーん、この人は優越コンプレックスの持ち主だなって判断して避けようとするのはアドラー心理学の目指す態度からは離れてる気がするな。
基本的にはどの人に対しても尊敬と信頼が土台にあって、信頼感があるからこそ距離をとることが貢献感になるし、対話が成立するような状況で、自己犠牲感が生まれないのなら、どう勇気づけられるかってとこじゃないかな? 相手の言動に影響されない自分になるためのよい訓練になるんだから、遠ざかるなんて勿体ないですよ サッカーのファンを馬鹿にする態度は、たぶんファンが本質的に
何の問題も解決していない事に対する揶揄なんだろうけど、
普通見るのはスポーツ選手とファンが共有している、
この世は基本的には共感で連帯しあえるいい場所だというメッセージなんだよな。
世のすね者が政治家をしているのが嘆かわしいが、まあそういう人が混じるのも
仕方ないかという風には思う。 >>189
実践したことあるのかな?あるなら経験談を話してほしいが
宮崎家族3人殺人事件という凄惨な事件があって、朴とつな青年が毎日義母に罵詈雑言浴びせられて
遂にキレて義母意外に嫁と子供まで殺害した。この事件が異様なのは青年も青年の家族も故郷の住民から 熱烈な支持をされていること
結局、青年は異常な優越コンプレックスを持った義母から離れるべきだったのだ
優越コンプレックスを持った人間を甘く見てはいけない >>192
それは離れた方が良いと思いますよ。
相互信頼に基づく対話が成立する状態ってそもそも作り上げるまでがやっぱり大変だし、どんだけ時間かけても無理な場合はどうしてもある。
自分の場合は嫁とか子供とか、仲間と事業してるからそういう関係の中での実践に留まってる。
あとはずっと仲が良くなれなかった母が今入院しててきっと長くないから向き合ってるけどなかなか素直になってもらえなくて大変やな。それでも向き合い続ける決意が重要だと感じてる。
でも言いたかったのはそういうことじゃなくて、あーこの人優越コンプレックスの人だって決めつけて距離取るのってどうなの?ってことだよ。
基本的には相手がどう思おうと、自分の中では相手に対する信頼感があって、だからこそ距離をとるって判断になるものだと思うわ。 >>193
書き方の問題なだけで一瞬で判断して優越コンプレックスの持ち主だと決め付けるわけではないですよ
数ヶ月、数年接触する場合もあるし。ただ、優越コンプレックスの持ち主を侮ってないですか
彼らは凄まじい攻撃力を持っていて言葉で相手の精神をズタズタに引き裂くくらいは出来ますよ
アドラー心理学を理解すると精神的に超人になったような感覚がある人もいるでしょうが、錯覚ですね
自分の理解力や能力に関して謙虚であるべきです >>194
>>188の人で合ってます?もしそうなら上西小百合議員と直接会って話したことあるんですか?
そうでもなければそれってどれだけ時間かけて真剣に考察しようと私的感覚による判断でしかないんじゃないかなってことがもともとの主旨なんだけど。
その人が優越コンプレックスから行動や発言してるかどうかってライフスタイルの問題だから対話してみるしかないんじゃないのかなって。 距離をとるっていうのは相手と協力できる段階にないからとるわけで優越コンプレックスがひどいからとる訳じゃないよな >>195
直接会わないでも、わかりますよ。豊田真由子議員と同じで両親から溺愛されたタイプで自我が
極端に肥大している人です。ストリートファイト型の議論をする橋下氏や上下関係に厳しい東国原氏と
互角に喧嘩腰の議論をしている強者です。Twitterで議論でもしたらいいじゃないですか
議論はここまで。
以上 そんな相手とも、仕事タスクをこなさなければならないことはあるのだけどね 197さんも多分同じタイプで、同じタイプで自分より強いものに対して恐れを感じているだけなんじゃないのかな? >>197
直接会わないでも、わかるんですね。
アドラー心理学の関連本をなにか一冊でいいので読んでくれることをおすすめしたいです。 >>200
アドラー心理学以外の心理学・脳科学の本も読んでます。優越コンプレックスに関しては
Wikipediaの自己愛性パーソナリティー障害を読んでも参考になりますよ
自己愛の強い元官僚の方と接触があったので色々、人格障害の参考にしました。かなり思い当たる節があったので とりあえず、アドラー心理学を学ぶと夜中に自分の失敗を思い出して「あ"ーーーーー」と叫ぶ習慣はなくなる(笑) 心理学板はタイプ別性格判断が盛況みたいだな。まあ、アドラー心理学は承認欲求を否定してるから書き込みも少ないが 優越コンプレックスの持ち主も本人は劣等コンプレックスの裏返しで
そうしているだけで本人も苦しんでいるのだとはいえるが、
それを癒すというのはとても高いコストがかかるので
必要な場合、できる場合はともかくそれ以外では近寄らずやり過ごすというのがよいのだろう。 MBTIは、抑圧のない状態を自覚により実現できる真の人格タイプというのがあって、
それは専門家との問診で自覚を実現されるのだけれども、逆に言うと劣等コンプレックスを強化したり
優越コンプレックスを強化したりするような偽の人格タイプというのを思い込むという事もあるようだ。 ホントに強ければわざわざ自分の優位性を示す必要がない
攻撃性の裏には間違いなく畏れがある 誰もが共同体にとってかけがえのない存在であることを自覚して、相互に成長していける世界観に向かって、自分自身を日々活かしていくこと。
こんな感じかな印象は。 上から目線なのにそのことソイツしか信じてないって
どんだけアホなの?? 怒りは二次感情だけど感謝も二次感情なんだね
二次感情って考え方は結構使えるで イジメの加害者はイジメをしたことをすぐ忘れてしまう
それどころかイジメをしたという自覚すらない場合も多い
しかし被害者は心身を深く傷付けられていて
苛められたことをいつまでも覚えている
「そんな昔の話水に流せよ小さい奴だな」とか
「いじめられた本人が悪い」とか言うのは
自分がイジメた被害者への責任すら感じない加害者による『二次イジメ』だ どんな経験をしたとしても、
次の一歩は自分自身で決めることができる
これがアドラー心理学の教えです 韓国って、謝罪や賠償しても、いつまでも過去の恨みを忘れないで、
過去を蒸し返すよな・・・これほどの反アドラーもないかもしれない >>218
だから一部というか、かなりの韓国人が個人主義や少数派でいる自由にあこがれてるらしい
嫌われる勇気が200万部売れたが人口の5%くらい。日本で言うなら600万部程度
反日を止めたい韓国人も相当いるはず ま、時間は掛かるだろうが人間は親に逆らうものだから何れは中和してフラットになってくるだろう 漫画家・田中圭一さん、鬱克服の伝道師…脱したからこそ語れる今がある 「うつヌケ」気軽に読んで(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170721-00000022-ykf-soci >>209
それはあると思う
ただ中には単なる快楽で人を小馬鹿にしてるように見える奴もいるがそういう奴も深層心理はコンプレックスから来てるのかな? 優越コンプレックスの持ち主、つまり肥大した自我を持つ人間は自我は大きいが
ペラペラの脆弱な自我なので攻撃に極めて弱い。弱さに晒されると鬱状態に陥るので自殺すらあり得る
だから、死に物狂いで他人を攻撃し罵詈雑言場合によっては暴力で決着をつけようとする
こういう人たちに気安く近付いてはダメ。距離をとること まあ結局そうなんだよな
コンプレックスがなければ他人を馬鹿にする必要がないもんな 逆に、肥大した自我を本来の大きさに戻すと自我自体が強靭になる。承認欲求を捨てて
アドラー心理学で言う自己受容を行えば心は強化される。有名人が自己のネガティブな事情を
カミングアウトすると途端に元気になって顔がイキイキとしてくる事がある
共同体感覚を持てば所属感が強まり更に心は強靭化される 仮に人類共同体というものを全体論で捉えたときに、自己という個人からみた他者という個人の存在は、例え共感できるものがなくて役割も目的も対立するように一見感じたとしても、
人体という全体における目と鼻の関係のように、それぞれがありのままに力を発揮することがいわゆる貢献であり協力なんだってことを実感できればいいんだと思う。
この認識があると他者へのまなざしが尊敬へと変わりやすいし、自分というリソースを使用する方向性が見えてくる。 アドラー心理学の認知論ってニーチェの言うように
事実は存在せず解釈のみが存在するって理解と、確かな事実が存在してそれに対する解釈は人それぞれだって理解と、どっちが近いの? 後者だろうね。
アドラー心理学を語る一巻(P55)では、この心理学における認知構造は以下の通りだとされている。
【外界】→【感受】→【認知】→【行動】
つまり、個人は外界の情報を、耳や目で受け取って(感受)、次にそれを意味づけして(認知)、思考・感情・アクションを起こす(行動)。
さらに、感受から行動までのプロセス「その情報をいかように解釈するか」という部分には個人差があって、これをライフスタイルと呼ぶ。
例えば、ある営業マンAさんが「成績トップで表彰された同僚のBさん」という外界情報を受け取ったケースを考えよう。
このとき、Aさんのライフスタイルに「一番になれない私には価値がない」といった様な偏った癖が有ったとすると、
Bさんの表彰に対して強い焦りが生まれたり、悪くするとどうやって彼を蹴落とそうかであるか等、競合的な感情反応や考えが起こってしまうわけだよね。
アドラー治療はここで「競合」ではなく「共生」を目指すと思うけど、その要諦では、第一に「現状認識が正確である事」が求められる。
ここではAさんの「一番になれない私には価値がない」という現状認識が極端なために競合性が起こっていると考えられる。
そのため、これを緩和したり、別方向で貢献している事を知らせて自分の価値を感じて貰うような方法が有効だろう。
こんな感じで、外界(事実)に対する人それぞれの解釈を問題視する視点が重要だ。だから、それを認知論と呼んで基本前提にしているんだろうと思う。 >>230
例えば呼吸では、
空気を(外界)、
鼻や目で受け取って(感受)、
吸っても大丈夫と考えて(認知)、
空気を吸う(行動)。
そして空気を吸う吸わないには個人差がある(ライフスタイル)。
こういうことでしょうか? >>231
ライフスタイルって自分をどう受け止めているか、他者をどう認識してるか、それでいてどんな理想を持っているかってものの合わせ技だから、対人関係の例で聞いた方がわかりやすい回答もらいやすいと思うよ。 >>232
そうですか。
人間にとって一番身近な行動は呼吸だと思うので例えに使いました。 >>231
うん、そんな順番だと思うよ。
ライフスタイルは外界情報を認知した時点で、その情報に対する判断をほぼ自動的に下している。
それは、何か事件が起こった時に沸き起こる感情があったとして、その「事件」と「感情」のはざまの処理なんだよね。
たとえば「1)汚職事件の報道」を見て、「2)許せない」と思う、その二つのアクションの間の処理をライフスタイルが担っている。
これは認知行動療法で言う所の、スキーマ(schema)・中核信念(core belief)と性質的にはよく似た概念で、自分が意識できない瞬間のレベルに内在するシステムだ。
アドラー心理学の使命は、そのシステムの自動判断を「競合的/協力的」に二分して、「事件」から発生する「感情」を「協力的」にする事だと思う。
たとえば汚職事件への反応を「許せない、殺してしまえ」と自動的反応で感じる人達が居たとしよう。
まあ気持ちは理解できるけど、それはちょっとヒステリックだ(笑)
なので「殺してしまえ」から「学んでほしい、そうするにはどうすれば」という建設的な方向に、自動的反応を変移してくれたらいい社会になりそうだ。
それを技術的に実現させましょうというのが、この心理学の恐るべき所だと思うね。 >>234
つまり無意識は認めないということですね? >>230
ほうほう
Aさんを営業マンと認識すること自体に、花を花と認識すること自体に意味付けが含まれてるんじゃないかって疑問があったけど、個人を最小単位にすることで敢えて下界を成立させることでシンプルな理論になってるんだなって勝手に理解が進んだ。
よくできてますな。 >>234
反応をコントロール出来るなら反応をしなければ良いのでは? 感情も実は脳みその意味記憶やエピソード記憶に基づいてただ機械的に反応してるだけだけどな
人が何か魂のような存在と共に意思を持っているというのは幻想 自分なんてほんとうはない
認めたくない気持ちはわかるが実験結果からそうなっていることがわかっている
みんな受動意識
自分で決めて人生を切り開いているようで実は脳みそが受動的に反応した結果を自分がやったことだと「思い込む」機能が人間には備わっているだけ 何を今更。
もとより其の思ひ込みの話をして居るんぢやないか。 人間が外の刺激にどう反応するかというのは機械的だが、反応の仕方の傾向を内省によって
プログラミングしていくことはできる。気長に育てるという感覚だな。 人間の「意識」ってアインシュタインのストーブに手を当てる一分と恋人と過ごす一時間の例で割とみんな腑に落ちるように
3次元物理空間を支配する「時間」という次元に支配はされていない高次元のものがあると考える方が妥当じゃん?
じゃあどうすればいいかまではわからんけど、意識が記憶に基づく物理的反応である感情とか思考に影響を与えられるって考える方が自然じゃない? 記憶によって信念体系(ライフスタイル)が形成され、それが下界からの刺激に応じて自動的に反応(感情、思考、行動)するのがヒトのメカニズムなら、ライフスタイルを溶かして再構築するのが理にかなったアプローチだよね。
こんなことを考えていて思うのは、そんな自分を外から見ることのできてる自分って何者なんだろうね? >>219
思想や慣習を変えるというのは相当勇気のいることなんだなぁと
実際に韓国に住んでないから実情は解らないが親日を言えば非国民扱いされるのだろうか どこか遠くへ逃げたら楽になるのかな
そんなわけないよねどこに居たって私は私なんだから
仮に今の環境を投げ出して身ひとつで違う街に飛び出しても自分が過去に縛られていては似たような環境が形成されちゃう
飛び出すからには自分が今までの自分と決別するのだと、自分の行動パターンや思想も変え続けるのだという勇気と覚悟を持ち続けなきゃならない >>249
いや前半のは宇多田ヒカルの歌の一文なので >>246
>そんな自分を外から見ることのできてる自分って何者なんだろうね?
外から見るという受動的思考現象を自分が能動的に考えているということにする機構が働いている現象 まあ、そうやって因果をどんどん広げることをゆるすのなら、どうとも言えるやね
それでもその結論が実利的ならまだ有益だけれど、…なんの役に立つのかなそれ?
あほくさw 死亡した際のドナー登録だが、アドラー心理学的にはドナー登録支持ではないだろうか
共同体感覚からすればドナー登録は他者貢献に繋がるのではないか >>252
特に役には立たない
ただ事実がそうなっているというだけで >>252
まあこの事実を役に立てるとしたら、思い悩んでも仕方がないということを知ることとも言えるだろう
let it be 事実っていうか受動思考仮説のことでしょ?
受動思考仮説って仏教でいうところの空観とか縁起の論理と近いと思うけど、釈迦は縁起と悟った後で慈悲を主体とすることを路としてるし、龍樹は空観から中観まで発展させてから語ってる訳で。
唯識ではそれが発展して認識器官も幻想で心のみが実態ってところに至ってる。
物理学でも物質世界が実体であるという前提自体が危うくなってるのにかなり自信あるんだね。 >>253
するもしないも自由だし
登録したら自分に何かあったとき体の一部だけでも生き続けられるし(自分の意志は無くなるが)
提供された人は健康に生きられるようになる
しないからって特に責められる事でもない
脳死で無ければ提供できない部位もあるから >>254
何の役にも立たない、
事実がそうなっているだけ
そう主張したくてたまらない目的は何でしょうね >>258
知らん
ただ俺は俺の意思で生きてるんだぜぇってやつを見るとそうじゃないんだけどなぁって思うだけかと 心理学や仏教といっても、
知識として知っただけではなんの役にも立たない
実践しないと真の理解には至れない
心理学も実践しないと意味はない 嫌な奴には嫌われる勇気
腹が立つと公憤
アドラー心理学は何かと逃げ道が多すぎるんだよ 共同体感覚って育んでいくものってよりは思い出すとか発見するものって認識であってる?
そうしといた方が今のところ理解しやすい感じする
ヒトはそもそも自分の持ってるものを使ってヒトの役に立ちたがってるみたいな 追加で
本来はそうありたいけれども、やり方がわからなくてうまく機能していないとか、過去の経験によって勇気がくじかれてしまっているみたいな感じでヒトを見る感じ? >>264
そうそう
掘り起こすものだよね。人間は集団を作って役割分担しながら社会を作るからね 自分の経験をお話しすると、
雜踏で突然周りの一見の人々がみんな、
「この一人一人が必要があれば僕に手助けしてくれる人たちなんだ!」
(自分から手を貸してあげられる自信がすでにあったとしてね)
と覚ったときは世界が違って見えたよ
勿論それは一時的な気付きで終ってしまって、暫くして本当の共同体感覚に満たされてくると今度はまた世界が違って見えてくるんだけど、今度は揺るぎなく身にくっついている感じ
くっついていることも普段は忘れている
異論は認めますよもちろん エックハルト・トールは言います
神とはなんでしょう?
あらゆる生命形態の奥にある「ひとつの生命」です。
愛とはなんでしょう?「ひとつの生命」を自分の根底はもちろん、すべての創造物の根底に感じることです。
「ひとつの生命」と、自分もひとつになることです。
愛はすべて、「神の愛」なのです。 エックハルト・トールは言います
「万物はすべてひとつである」という気づきとして、「愛」が表れます。
愛は入口を通じて、この世界に運ばれてくるものです。
わたしたちのすることは、愛を探すことではなく、愛がはいってくるための入口を開けることなのです。 なにものも単独では存在していないのです。
あたかも精緻に織られたタペストリーのように、
すべてのものが融合し、一つのものとして存在している。
これが真実です。 エックハルト・トールは言います
なにものも単独では存在していないのです。
あたかも精緻に織られたタペストリーのように、
すべてのものが融合し、一つのものとして存在している。
これが真実です。 エックハルト・トールは言います
思考や観念は、人と人とを隔てる壁をつくってしまいます。
観念的なバリアさえなければ、どのような人間関係にも、自然に愛が存在します。 あなたは全体から切り離されてはいない。
あなたは太陽とひとつ、大地とひとつ、空気とひとつだ。
あなたがいのちを所有しているのではない。
あなたはいのちそのものなのだ。 エックハルト・トールは言います
あなたは全体から切り離されてはいない。
あなたは太陽とひとつ、大地とひとつ、空気とひとつだ。
あなたがいのちを所有しているのではない。
あなたはいのちそのものなのだ。 >>267
それはある程度満たされている幸せな人が達することのできる思考な気がするけどな 障害者大量殺人の植松被告だが、元々相当な優越コンプレックスの持ち主が介護の仕事で疲労して 自我が極端に肥大してしまったのだろう。介護の仕事ではなく接客業ならよくいるトラブルメーカー程度に収まっただろうに >>275
自分が好きで、周りの人達を信頼できて、自分は周りの人達の役に立っていると感じられる、そして周りの人達もまた役に立っている存在だと感じられる状態がアドラー心理学の考える「幸せ」だからな。
そしてこの思想を土台にして、そういう状態に近づけていくための論理であり技法だって、実践する人は理解しといた方が良いと思うよ。 >>277
結局Let it beの再認知だな端的に言うと むかしは賢い人が植松被告みたいなバカの幸せも考えていた。
近代で人口がどんどん増えていく時代だったから、バカがバカなりに結婚して家庭を持って
幸せになっても世の中が回ていたから。
しかし時代が変わって、バカはもうバカとして結婚もせず一生働いてかつかつでいいという
社会の合意がある。バカの自尊心はバカな革新政党により意見としては吸い上げられるが
その結果としてバカの生活がよくなるという訳でもない。
しかたないよ。大自然が悲鳴を上げている。もう地上に、バカが繁栄する居場所はないんだ。 >>280
そんな訳ないだろ。バカだから、バカから逃れようと必死でもがいている。 能力が高くても低くても共同体感覚をもてば幸せになれるし、
バカなこと=破壊的なこと、をする人は建設的な行動をする勇気を持てばいいだけで、
バカだから決定論的にどうだこうだということにはほとんど意味がないと思うなあ 俺も近い感じで思ってたのかなあ
独身の頃はこんな世知辛い社会の中で家族を幸せにするためには
まず自分の収入で十分嫁も子供も養えるだけの安定収入が必要だから一日も早くそうなるぞってのがモチベーションだったけど
バカと思ってた人たちと自分は同じようにバカで、そのバカは世界遺産級の価値があると認識に変わったらそこまでしなくても結婚しようと思えた
子供が最近台所仕事手伝おうとするんだけど、子供の体にはキッチンでかすぎるし、包丁なんかもあって危ないから遠ざけて勇気を挫くようなことしてて感じたんだ
本当は貢献したくてしょうがない生き物なんだよなこいつらは 全体?から見たらバカな立ち位置でも、幸せになるかどうかは本人次第だよな。それはそうだ。 バカという言葉を使う時点で、いつものアンチだと丸わかり。上下関係を意識して他人を見下ろしてるんだろ
やれやれ 「バカ」という単語自体が気に障る人がいたようだ。単語に意味は中立だと思うんだが。ともかくすまん。 >>285
あなたもアンチを見破ることで優越感を強くしているのではないだろうか >>287
それは屁理屈じゃないか。菩薩のような境地を基準にしてないかな? 幸せになるのではありません
幸せであることに気付くのです 喫茶店にいたら大学生らしき女性達AとBが二人で楽しげに会話してるのが聞こえてきたんだ。
Cという子の噂話らしい。
A 「Cっていっつもその場にいない子のこと悪く言うよね」
B 「確かに!人の陰口言うのってサイテーだよね」
それを聞いて俺は笑いを堪えるのが大変だった。おまえらがやってるのはそのCって子がやってるのと同じ同じ陰口じゃん。って。
こういうのはよくあることなんだよね。なかなか当事者はそれを自覚することができない。
そんなことを考えていたらはたと気づいたんだ。
そんなAやBを俺は馬鹿にしてるな。結局俺も同じじゃんって。
ここでよくある、異端な意見を言う→いつものアンチだと認定→そんなおまえも優越コンプレックスに毒されてないか?
みたいな流れも一緒だよね。
大事なのは完璧アドラー超人()になることじゃなくて、人も自分もけっこういい加減なもんなんだよなあって気づくことだと思う。 「あなたもアンチと同様に優越コンプレックスを持っている」は煽りだからスルーで >>292
嫌いなものを嫌いって言うのは、表だろうが陰だろうが悪いことでも良いことでもないことだと思うけどな
建設的な場合もあれば破壊的な場合もあるわけで >>283
よかったじゃないですか
家庭を持つとそういう利点がありますよね バカを隔離してもまたその残されたなかでバカが生まれ
また隔離してもそのなかでバカが の繰り返し
最終的にはひとりになるよ >>292
そこに気づいた人はネガティブなモノに反応することをやめるのです >>297
自ら考えもせずに疑問だけを投げかける行為は非建設的で全く嫌いだ アドラー心理学をやったからって、人としての格が上がるとか、有形無形の御利益があるとかするわけないじゃん?
ありのまま、幸福感を持てるようになるだけだろ
行動は少しだけ変わるけどねw >>299
なぜ自分で考えないのか?
理由は相手の発言の根拠を自分が補う必要がないからです
相手の発言を根拠が不十分と処理しても自分は困らないからです >>284
ごめん、貴方がおっしゃるバカの定義がわからないです
バカはとっても多義なので、説明を足していただけるとうれしいです 人って根本的には建設的存在だし建設的な方向性を目指してるって理解と信頼でいいんだと思う。もともとそういう思想なんだし。
問題はどこかで勇気をくじかれる体験をしたことで無理だとあきらめてしまってたり、調和してやっていく術を知らないことであって非建設的だからって別に相手を責めることじゃない。
相手が非建設的に見えるという自分の認知の問題かもしれないしな。
自分が建設的かどうかって判断基準を一番使えるタイミングって、自分自身の陰性感情を自覚して、ニュートラルな状態に持ってこれたとき、じゃあ怒るかわりにどうしよっか?どうするのが建設的かな?ってときかな。 少しだけアドラーでモノの見方は変わったけど
自分への実践の勇気がなくてそういう意味ではまだ脳内で留まってる
ありのままの自分を好きになるというのと自惚れやダメなままでいいという誤認との違いを
理屈では解っていてもうまく心で消化できない バカという言葉を使う必要がないことに気づきましょう
バカという言葉にはネガティブ性があることに気づきましょう
バカという言葉以外の言葉も使うことが出来る自由かあることに気づきましょう
それでもあなたはバカという言葉を選択しますか? >>304
好きになるのではなく受け入れましょう
ありのままの自分を好悪で評価をするのではなく
ありのままの自分をそのまま受け入れましょう
その後で行動を起こしましょう
行動を起こしているあなたもありのままのあなたです 自己受容の際には自分のネガティブポイントをポジティブに転換させる必要がある
他者の中に入っていくにはある程度の自信が必要だから、短所を長所に言い換える必要がある
ハゲ:庶民的な髪型
高卒:庶民的な学歴
未婚:恋愛に謙虚
貧乏:環境に優しい
ユーモアの感覚(笑) 文脈的に、バカというよりは凡人だと言いたいんじゃないかと思った
バカを凡人と言い換えるとアドラー心理学の考え方と
矛盾なく
受け入れ理解されやすいかも知れない >>310
そういうの面白くて良いっすねw
孫正義が、生え際が後退してるのではなく、自分が前進してるんだって話してる様な感じ >>310
恋愛に謙虚...。
そうなのかなぁ
ツラス >>311
たとえば恋愛だと、相手の目からみた自分の価値に実際の自分が答えられるかというのが問われるじゃないですか。
それほど大事なことでなくても、仕事なら上司や同僚の目から見た価値に自分が答えられるかとか、社会生活では
そういう事が日常的にあるわけですよ。そういう範囲でのやるべきことをきっちりやっている人は
「バカ」ではない。まともな人です。世の中はそういう人でいっぱいdす。
でもなんか、相手の目線が自分に快くまた信頼に答えられる関係を異性と結べないとか、
勤め先や自営業なら顧客と直接とか、そういう関係を築いていけない人がいるんですよ。
具体的には私なんかそうです。なのでやはり、よくない言葉ですが私はバカだとしか思えない。
理屈は簡単ですよ。誰でもやっていることです。でもできない。できない理由がわからない。
これは困ったものです。どうしたものやら。それで困っているんです。 >>308
受け入れるっていう感覚がよく解らない
このままの自分でいいのだっていうのは好悪の判断になりますよね
白か黒かからの判断からは逃れられませんよ >>315
実際には存在しない「基準」を定めて、それに足りないから自分には「資格がない」つまり「できない」という
正確に表現すれば誰かに、しないでいいよという許可をだしてほしい、無理もないと言って欲しい
でもそれは本当は、傷つくのが怖いから、立ち向かわないで済む理由を懸命に捜しているだけ
なるほど、たしかに愚かではありますね >>317
ふむふむ。しかし、誰もが自分の素質に合った生存戦略を最適化して自分でも持つという意味での
「基準」はありますよね。その「基準」に一般性を求めすぎているという事かもしれません。
生存戦略ですから、遠くの他人が犠牲になるのはやむを得ないことですね。目からうろこが取れました。
ありがとうございます。 >>318
おそらく、ご自分に対するエンカレッジメントがたりなくて、思考に縛られて立ち止まってしまっているのかなと思いました
唯一の策は、考えずにやってみることですよ
(いろいろとやらない理由を思いつくんじゃないないかな、と思いますけどね) >>319
率直な勇気づけ、ありがとうございます。ネットのご縁ですが、
追いかける背中として参考にさせていただきます。 つい自分も過去がこうだから未来もできないとか
やれないなら最初からやるべきでないと言う勇気くじきをしてしまいます
でもそれって諦める理由をやらない理由を探してる
ひいてはもう傷付かないための理由を探してるんですよねぇ
前進はしない、ゆっくり後退していくってのがよく解ります
それでいて尚現在が快適だからそのままの自分を「受け入れる」
間違った解釈なのは解ります
どんどん前向きに成長を求めてチャレンジしていける、ダメなとこを変えていける人は羨ましいなと思いますね
今の自分を無くすことを怖がらない いままで我慢だとおもってやってきたことも、責任だとおもうと風景も違って見えますね。 >>306
受け入れるとは今を生きることです
既にそうである自分は受け入れてしまうしかないことに気づきましょう >>316
受け入れるとは今を生きることです
既にそうである自分は受け入れてしまうしかないことに気づきましょう 人には、こうであるという部分と、「こうであるべき」という部分の両方が必要ですね。
「受け入れる」や、アドラーでいう「自己受容」が前者で、アドラーでいう「他者信頼」「他者貢献」が
後者ですね。まず自分受け入れて、その上で何をすべきと決めるかという事ですね。 >>325
自己受容も他者信頼も他者貢献も共同体感覚を説明するための一つの側面なんだからそんな区分ないんじゃないかなあ。
言い方変えると自己受容は自己肯定感、他者信頼は所属感、他者貢献は貢献感なわけだし。
全部「そもそもこうである」という部分と「そうある状態を目指していこう」の両方を含んだ価値観だと思うよ。
例えば、そっか他人って本質的には誰かの役に立つために行動したい存在なんだ。そのために動いたら嫌われてしまったみたいな経験から自分なりのさまざまな意味付けを施して勇気を出せずにいるだけで。
って認識にいたるだけで他者信頼は進むものだと思うし、そんな他人に何か貢献したいって自然に思ったりするだろうし、逆に貢献のための行動をとった結果自分を受け入れられたりもするし。 >>320
いえ、たまたまちょうど今、息子が似た感じで迷い悩んでおりますので、思い出したまま書き込ませていただきました
無礼な印象があれば、このような経緯から御容赦下さいませ 立派なはずの自分を捨てダメな自分のままで生きていくしかない
ダメになるように生きてしまったのだから今更元には戻れない
どうしても考え込むと過去がこうだったのだからにハマってしまうので
貢献するために自分を変えるより今の暮らしから転落したくないって事かなぁ これから起きる自分を揺るがす出来事が怖いのでましてや自分から打って出るなどもっての他で 自分をそのまま見れば、偉いとかバカとかじゃなくて
得意分野と苦手分野があるだけの凡人でしかないんだよね
仏教で言えば正観なんだけど、大乗仏教哲学だとそれは空と慈悲の実践でもたらされる
空と慈悲をアドラー心理学に置き換えると共同体感覚がそのまましっくりくる
共同体感覚によって、そのままを受け入れた科学的で論理的なモノの見方ができる様になる
別の言い方をすれば、思い込みが晴易くなるし、バカとか偉いとかは
認知の思い込みだと気付き易くなる
だからアドラー心理学では心の問題の解決よりも、
とにかく共同体感覚に向けて在り方を改善するんだろうね
そしてそれを実現するのが勇気付けってことだな どっちも好きだけど心も体も空であるとしてアートマンの否定から始まる仏教と、心も体も合わせた全体を厳然たる一個人として認識するという思い込みを採用するアドラー心理学はちょっと違うんじゃないかな?
アドラー心理学のスゴいところは個人の尊厳を整えていくことが実は慈悲の実践に近い事をしてるところだと思われる。 >>331
確かに梵我一如の方が共同体感覚の説明として分かりやすいかも知れないですね。
個人的にはライフスタイルや認知論、ライフタスクが
五蘊や十二支縁起、八正道などの釈迦の哲学と重なる部分が多いと考えればやはり仏教的な感じがします。
これは、仏教が好きだから目的論的にこじつけてるのが大きいですが笑 >>331
あと後半部分めっちゃ同意ですね!
そういうところが面白くて好きなんだよな〜 >>332
私は般若心経ぐらいしか知りませんが、五蘊のくだりは確かにそうだなと感じました こうあるべきと言う考え方をすると常時補充型の幸せ感になる 今NHKで脳科学や時空の話を見てるけど
前向きな方向への思い込みは発展の為に必要だっていう見解を話してるね >>335
じゃあおまえの大好きなエックハルトトールもスレチだなw ジャスティン・ビーバーのバックダンサーをしてる女性Delaney Glazerの動画
2番目のグループの真ん中の女性がDelaney Glazer
David Guetta ft Nicki Minaj - Light My Body Up - Choreography by Jojo Gomez | #TMillyTV
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=d◆■BJauw90cCI
2番目のグループの左の帽子をかぶった女性がDelaney Glazer
Missy Elliott - I'm Better ft Lamb - Willdabeast Adams Choreography @MissyElliott @TimMilgram
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=R◆■SZiutoGnJM
'Far East Movement - Freal Luv #FrealLuv' - Choreography by @nikakljun
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=8◆■vsPFhrSq5M
CJ Salvador Choreography Master Class 2016 Xtreme Dance Center / Xtreme Dance Force
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=Q◆■gqy704Jx2o
Black Fever - Alexander Chung Choreography - Jordan Bratton
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=D◆■UnBMIOT_Zk
Justin Bieber - What Do You Mean? - Choreography by @NikaKljun & @SonnyFp - Filmed by @TimMilgram
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=x◆■0n6BCmTv7A
Beyonce - Freakum Dress - Yanis Marshall & Aisha Francis - Filmed by @TimMilgram at @DanceMillennium
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=-G◆■qagkeBWL0
Chris Porter ft Pitbull - The Water Dance | Choreography by @_TriciaMiranda - Filmed by @TimMilgram
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=4◆■TnUePIxP8I
Kid Ink Ft. @ChrisBrownOfficial - Hotel @KidInkBatGang @JoshLildeweyWilliams
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=Ib◆■ZFXeRT8WQ
F*** The Summer Up - Leikeli - Choreography by @_TriciaMiranda | Filmed by @TimMilgram
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=k◆■IshlpqpG3s
Omarion - Work (Josh Williams choreography) @1Omarion @JoshLildeweyWilliams
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=1◆■cuRiJOGRdE
JEREMIH - Raindrops | Mikey DellaVella & Josh Williams Choreography
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=X-B◆■u5M0hC-E
Nicki Minaj - Trini Dem Girls - Choreography by Tricia Miranda - (ft Aidan Prince) @timmilgram
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=q◆■JaTxaulAMo 2AM - Adrian Marcel | WilldaBeast Adams | @willdabeast__ filmed by @timmilgram #ImmaBeast
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=A◆■bkRvxju1tY
@MeekMill - They Don't Love You No More | Willdabeast Adams Choreography #freemeekmill
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=hP◆■mGpwXzyH0
ジャスティン・ビーバーのバックダンサーが5ヶ月ぶりに踊ってる(一番上の最新の動画)
ジャスティン・ビーバーのアジアツアーの中止を知ってたから、ここに踊りに来たんだろうね 自分を偉人だとは思わないむしろ思えないしかといって凡人レベルでもないなとも
共同体感覚も自分がそこに入っていけないのであって(もしくは思えない)
言ってしまえば人類みな仲間ですよね究極的には
自分はどうしても失敗を自分がダメだから失敗する、失敗したとこで終わりだと思うので
その考えを捨てられなければ前に進めないなと
い ダブルバインドっぽいよね
今のままじゃダメだ だから努力しろ でも失敗したら終わりだ、なんて育てられたら私でも萎縮するよ
終わりってなんだよ終ってもしぶとく生きてやるしくらい思えればいいんだけどね 言い忘れた
もうちょっと易しく勇気づけて育ててあげてほしいの
自分自身を 心理学じゃなくて脳科学的な話だが、日本人や中国人はセロトニン・トランスポーター遺伝子の
型が心配性の民族に分けられると。一方、欧米人は外交的民族で大航海時代にその遺伝子が発揮されて次々に植民地を作った
中国や韓国の反日と戦後ドイツをすぐに許した欧州の違いの根拠にも
もっとも、運命論に繋がる恐れがあるからアドラー心理学に反するようだが、民族的な資質を踏まえた上で勇気の発揮の仕方もあるかなと
例えば、毎日ごく小さな冒険を試すとか >>345
アドラー心理学ほど脳科学を無視した心理学はない >>346
アドラー心理学が心理学ではないと言われる理由の一つでもある >>345
アフリカから極東までやってきた東アジア人のほうが欧州人よりもよっぽど冒険家だろwwww >>343
現代社会で鬱が増える要因としてそこが大きい様な気がしますね
大いに脱線しても大丈夫なのに 民族性なんてどうとでもいえるわな
傾向はあると思うけど、固定観念になってしまうのがやだから俺は使わないな 関わっている人は全員自分を応援してくれてる味方なんだって思えればいいんだな 漠然と勇気を持てと言われても。日本人以外の外国人なら構わないが保守傾向が高い日本人なら簡単に勇気を持てるか
ブラック企業や過労死の問題は他の先進国ではあり得ない問題
スポーツ番組で如何に日本のサッカー選手が失敗を恐れているかと。 外国人選手はリスクや失敗を恐れないケースが多いと
脳科学者が提案したのは、普段からパスを受けたらシュートまで行けと。判断させたらダメで自動的にシュートさせるんだと
勇気の問題は常日頃から小さな冒険・リスクを試していればいいのでは >>353
判断しないでシュートってのはわかりやすい例えだね。
刺激に対してライフスタイルというフィルターからうまれる思考がぐるぐるして膨らんでしまう前に行動しちゃえっていわれてる事と近いと思う。
アドラーは漠然と勇気を持てって言ってる訳じゃなくて、自分に価値を感じているときにだけ、人は勇気を持てるみたいな言い方をしてるけど、つまりは共同体感覚だよね。
やっぱりせっかくだから、シュートすることが他者貢献と結びつくと勇気が持続するはずと考える。
ここだけで考えると共同体感覚がないと勇気持てないみたいな矛盾があるように思えるけど、ここで指針としての共同体感覚って案が活きてくると思う。
つまり何らかの刺激に対して、もし人々がみな私を助けてくれる仲間であり、私が能力を発揮することで人々の役に立てるとするならばどう行動するだろう?
フィルターを代替させて建設的な答えをとりあえず出してみて、思考感情の網をいったんスルーしてとりあえずやってみるってのがライフスタイルを変えるアプローチのはずだよ。 どっちかっていうとアドラー心理学って脳科学みたいな生理学よりも生態学に近いよね さあ、今日もそこそこ人生に満足しているという空想に溺れず一日を過ごすぞ! >>323
あなたは自分のことをバカだと思ってますか? 人として目指すべきところは自我の確立なのか、無我の境地なのか興味深い話題ですね 「私はバカです」という言葉は「私は嘘つきです」と同じだな。
バカであるかどうかを評価することはバカにはできないにも拘わらず自分でしている。 >【将棋】藤井四段に伝えたい「高校進学の理由」 本人は高校進学したくない、母親を含め周りの人間は進学を希望
アドラー心理学の視点なら藤井四段の意見が通るだろうが、やはり親・周囲は介入してくるか
しかし、ここは藤井四段の意見を尊重すべきだな >>361
日本に飛び級があればなあ。彼の場合はいきなり大学で良いと思うんだがなあ。 飛び級っていうか、大学入学の年齢制限や高校卒業程度の資格か。
学力がありさえすればいいんだから年齢や資格すっ飛ばせるようなシステムにすればいいのに。 相手が明らかに悪くて返り討ちにして今ごろ傷ついてるかな?とか考えるのは相手の課題に踏み込む事になるのかな? いたわるなり謝るなりしようかどうか考えるのならあなたの課題だろ >>365
権力争いにたまたま勝っただけじゃね。アドラー心理学は権力争いに参加するなと言っているのだが >>365
ほんとうに相手が明らかに悪いのかな?
そもそもどんなことであれ自分が正義で相手が悪なんて論理は合理的なものなのかな?
返り討ちにするというのは相手の尊厳を踏みにじる行為ではないのかな?
それは正義の鉄槌だから善いことなのかな? >>365
相手が傷ついてるとか考えるのはおまえがしてることやん
返り討ちは何したのかは知らんけどきっと相手に影響与えてるよね
それを課題に踏み込むっていうんじゃない? >>348
いや、俺が思うに東アジア人はどんどん戦いに負けて東に来たんじゃないかな?
日本人が極東と言われる島国に住んでるのは、冒険心が強い訳ではなく、大陸での争いから逃れるために東へ東へと移動した。
日本人が穏やかで優しくて、他人に親切な国民性なのは多分我々の先祖は勇敢な探検家ではなくて、とちらかというとか弱い人々だったんじゃないかな。 だから個人の意思決定よりも集団の利益が優先される事が多い。また、他人に嫌われたら社会で生きて行けないと思う人が多い。
アドラー心理学で一番新鮮だったのは課題の分離だったよ。欧米人には受け入れ易い考え方だと思うけど、アドラーに触れた日本人には私も含めてセンセーショナルな考え方だと思った人が多かったんじゃないかな。だからブームになった。
逆に共同体感覚は我々日本人には受け入れ易い、理解し易い概念じゃないかな?勿論課題を分離した上で共同体感覚を得る事は実践する事が難しいとは思うけど、それが達成できたら人生は豊かになるという考え方に共感できる国民性だと思う。 まあマジレスすると自分を傷つけることができるのは自分だけなんだけどな >>373
そうですよね。怖いですよね。特に自分が属してる「社会」が狭い程怖い。小学生や中学生は世界の大部分が学校だから、学校で上手く行かないと人生に大ダメージとなりますよね。
だから周りに合わせようとして、イジメられてる人を助けたりできなくなる(自分が嫌われるのが怖くて)。
でも大人になると「社会」や「世界」が広がる。そうなると自分が貢献できると思える範囲が広がる。この「社会」で嫌われても別の社会では必要とされると感じる事ができて勇気がでる。
僕は三児の父ですが、アドラーに触れた今なら仕事で例えクビになっても悲観せずに自分が夫として、父として、別の社会人として貢献できると思える勇気が出せると思います。
仕事人間で、職場のパワハラで鬱になって休職していた時にアドラー心理学に出会って勇気をもらって復職してもう一年になります。
例え今の「あなたの社会」「あなたの周り」で嫌われても、「あなた」の価値が全てダメになる訳ではないと思います。勇気を持って下さい。 >>374
ホントその通りだと思います。仕事が全てだった時に、大量の仕事をこなし、自分に嘘をつき続けて自分の心を鬱になるまで傷つけてしまった。自分を大事にできなかった。
昔の自分には本当に悪かったと思っています。今は自分に正直に生きています。 職場て思うように実力を発揮できない貢献できていないっていうところの逃避で、ソシャゲのギルドで自分がメンバーに必要とされているというところに使命感を感じてハマってしまった ドラクエもそうだよなあ
就職するまではハマったけど就職してからはのめり込めなくなったわ >>375
学校だけかぁ
世の中には別の世界が幾らでもあって、途中から加わっても仲間になれるんだと言うことがわかるだけでも違う
子供さんたちにはボーイスカウト活動がおすすめ ボーイスカウトに行くのも子供の意思が重要なんじゃね。押し付けても身にならない
押し付けられたら辞める理由探しにエネルギーを注ぐだろう 今ならそれこそ学校でうまくやっていけないとネットコミュニティで居場所探しする人が多いんじゃないかな
ボーイスカウトでの対人関係に入っていくより遥かに勇気のハードルは低そう カウンセリングと本読むだけじゃやっぱり違いますか?認知行動療法に行ってきたんですが、アドラーと森田療法を足した感じでした。神経症を治したいけど克服に至らないと言うことは神経症であり続ける目的が無意識にあるのでしょうか? >>384
対人関係の性質が違うんじゃないのかなあ、リアルとネットでは 結婚しないと人生半分無駄にすることになると言われて辛いのですが... ネットでもそれなりに人間関係はあるよ。承認欲求が強いタイプはリアルでも
ネットでもトラブルメーカーになりがち。やたら、他人の書き込みの揚げ足取ってる人は現実でも アドラー心理学を学んでから2ちゃんのやり方もだいぶ変わったよ。カッカしなくなった あるものをうまく使って生きるんだよ
ないものを悔いてもしょうがない 俺も愚痴るのが承認欲求だと気づいてからだいぶ楽になった
人は悪いほうに落ちがちだけど努力すれば変わるものだね まあそうだね
大丈夫だよって言って欲しいんだもんね愚痴る時って
でも時には逃げてもいいと思うんだ
承認欲求=悪だと考えて気張ってると逃げ場がなくなって疲れるよ 社会における「善」や「常識」や「正しいこと」が存在しかつ社会がそれを強要する以上、個人が頑張ったところでどうにもならない現実もある
それにアドラー心理学はどう答えるのだろうか 承認欲求は別に悪じゃないよな。
承認欲求と仲良くなるんだよ全体論なんだから。
そこに気付いたらじゃあどうしたい?って考える癖つけていけば承認されたいは貢献したいの裏返しだとわかってくる。 貢献しなきゃいけないから脱する方法を教えてください アドラー心理学は承認欲求を否定してるから。他人から称賛を期待するのは自我が肥大しているから。
自分で自分を評価する。これが一番、精神の安定に役立つ。キリスト教圏では神と自分の一対一の関係が基本にある
世間や社会から非難されても自分の信念を信じる事が出来る 他者からの承認があってもなくても自分の行動が変わらず影響されないのなら、
その人は承認欲求についての問題は抱えていない、
という理解なんだけど、合ってるかな? それはそうだと思う
ただ実際にそうなれるかは別問題 >>400
「承認欲求を否定せよ」というのは、「承認欲求」という考え方自体が原因論的で非アドラー心理学的ですので、肯定するも否定するも、アドラーあるいは彼の弟子が話題にするとは思えません。
アドラー心理学的には、アドラー以来一貫して、「所属をめざして行動する」というのが定説です(「所属欲求」ではありません)。所属の中には他者からの承認も当然含まれていると思います。
ただ、「他者から承認されることを目的に、すべきでないこと(=共同体に対して破壊的なこと)をしてはいけない」とか、「すべきこと(=共同体に対して貢献的なこと)をするために、他者から承認されないかもしれない行動を敢えてす
ることも必要である場合もある」
と私は考えていますし、この考えには多くのアドラー心理学研究者は賛同してくれると思います。
これが野田氏の見解だそうです 共同体にとって建設的な行動をすることによる貢献感で所属を果たしていくことを志向する生き方をする。
その際に承認されるかどうかには左右させない。
とこう理解した。 >>402
すべきこと(=共同体に対して貢献的なこと)
がある時点で救われない考え方だと思った すべきことやすべきでないことが存在することで、人はナチュラルではいられなくなるのだ
「すべきこと」、「すべきでないこと」、「正しさ」と言われるものに対して何の疑いもなく当然のように受け入れるようになった状態を「洗脳された」と表現する つまり「〜すべき」は存在しないべき
ということなのですね >>407
そうではなく、すべき、すべきでないということを議論する必要がないということ 人間の心理的性質における事実を列挙するだけならよいが、説法的要素が混入した時点で深層心理では個人の信念の他者への強要が含まれ、課題の分離と矛盾するのである おもしろいですね。
アドラー心理学は科学であることを敢えて放棄して共同体感覚という思想を土台に理論があって、課題の分離はその思想、理論を踏まえた上での技法であるという構造的理解があるとまた受け止め方が変わってくると思いますね。
私は野田氏がすべきという表現を使うのはアドラーが認知論を採用する上で無視できない問題を諦めず追求したからだと思っています。
自分の整理のためにも、あとで時間ある時噛み砕いてここに書き込めたらなと思います。 >>406
> すべきことやすべきでないことが存在することで、人はナチュラルではいられなくなるのだ
ナチュラルな人間は苦しいよ。発狂すると思うけどね
人間は何がしかのルール・規範・教えにより自由を手に入れる事が出来る。つまり、依るべき
港があるからどこにでも航海できるのだ。キリスト教徒は隣人愛とよきサマリア人の教え
イスラム教・ユダヤ教の戒律を守る事で自由を手に入れる >>386
確かにアドラーは仮想現実の世界までは想定していなかったでしょうね。
自分が属する「世界」、「共同体」は究極的には宇宙まで広げる事ができるじゃないかなと最近思います。
例え学校、職場、家庭で貢献感が得られなくてもこの世界(宇宙)に意思ある人間として存在しているだけで、それは素晴らしい事なんだ、勇気を持って生きているだけでどこかの何かには貢献できるはずだと自ら感じる(信じる)事ができれば人生は凄く豊かになる気がします。
ライフスタイルを自分の意思で選ぶ事が可能なら、共同体も自分で選ぶ事ができるのではないでしょうか。学校でイジメられ勇気を挫かれて自殺してしまったり、引きこもったりする子は世界が学校と家庭しかない子が多いんじゃないかな。
もしも自分の子供が同じ立場になった時は全力で支援する態度を示しつつ、世界は広い事を伝えてあげたいと思っています。 >>408
すべき、すべきでないということで議論はすべきでないということですね >>413
いやむしろ、共同体にくわわる勇気を欠いていたのではないかと思います
まるで今の会社をやめたらお終いだと思う会社員のように
サイバーな共同体もありですが、それがリアルな共同体に参加する勇気がないために選択されたのであれば、やはりそれも人生の嘘になってしまうのではないかと >>415
相手を信じましょう
不快に思ったのなら言葉で伝えてもらいましょう ふっとラジオから流れてきた人生相談の加藤諦三氏の言葉
あなたの人生の物語を聞かせてください
あなたの物語を隠さず正直に話すことで未来への扉が開かれます
それは絶望が希望に変わるときです と
自分の胸に沁みました
自分はこんな自分を隠すのが必死で知られたくなくて悩みを正直に言えません
これも嫌われることが恐い、共同体感覚の欠如ですよね
それとも本来こまってなどいないのか >>343
>>344
勇気づけ・・・アドラーですから最終的にそこに帰結するんですけど
およそ努力が続かないというか簡単に諦めちゃうし逃げちゃうので
例えば掃除にしてもちゃんときっちり片付いたと言えるとこまでやれず適当にお茶を濁したり
後でやろうとしたことを今踏ん切りつけず忘れたり結局やらなかったり
自分はそういう人間だから仕方ない、って思っちゃうんですよね
どうしても1歩踏み出せない、いや踏み出したくない 貢献的でありたいのならこうすべし、なのだから、エリスの不合理な信念にも当たらないよね
言葉狩りはやめようね >>419
階段が高かったら低い段にしてたくさん上がれば同じところに行けるし
また、たとえば楽しいことなら飽きずに続けられたりしないでますか? >>414
他人が「何かすべき」と思っていたらそれを変えようとしないのが課題の分離ですし、
自分が「何かすべき」と思っていたらそれを他人に変えさせないというのも課題の分離だと思います。 >>422
横だけどその解釈はアドラー心理学の課題の分離ではないと思いますよ。
アドラー心理学には目指すべき共同体感覚に基づいた協力的な人間観が存在して、これは明確にアドラー心理学の価値観です。つまり価値観の押し付けです。
共感できるなら採用してくださいのスタンスですよ。
アドラー以外の心理療法は患者やその家族の抱えている問題解決やこうありたいというニーズを援助するという事が基本です。これはこれでありだと思います。
論理療法のアルバートエリスはアドレリアンで、アドラーの理論、手法を駆使して人間観を省いて発展させて、思想抜きの今の認知行動療法の基礎を作りましたし、
来談者中心療法のロジャースは共感の行末に個人の自己実現があるとする信念ありきで成り立つものではありますが、アドラー心理学の手法理論と近いところが多いです。
その課題の分離のとらえ方はこういった場では生きると思います。
例えば人を傷つけても罪悪感に左右されない自分になりたいという患者の要請に応える事で本当に本人は幸せなの?とか、
思い込みでがんじがらめになってしまって人の目を見るのが怖い人がありのままの自分を受け入れるのはいいけど、その先どうするの?勝手に自己実現欲求が発動するの?
って場合に人間観はあっていいものと思います。
アドラー心理学では、それって何か競合的な信念を持ってるんじゃないか?ってものさしで相手の理解に努めるんです。
それが、自分が好きでいられて、他者を信頼できて、他者に貢献したいと思える人間づくりに向かうのであれば私は納得して共感できるので使ってますね。 >>416
レスありがとうございます。
確かにそうかも知れませんね。本当に心から仮想現実にいる事を望んでいるのなら話は別ですが、今の現実から逃れる為に仮想現実に貢献感を見出すのはまさに人生の嘘なんでしょうかね。 仮想現実とはいえ
まったく現実から切り離されてはいないから
その仮想現実が現実を生きる勇気になれば無意味でもない 仮想現実も現実に近いと考えていいだろう。共同体感覚は現在住んでいる地域・学校・職場より広い。
外国も含むし、宗教の世界・ファンタジー世界も含まれる。
これらはアウシュビッツのような過酷な状況にあるときにサバイバルの鍵となる
如何に、現実世界と異なる世界のドアを開ける事が重要か >>427
幸せがそれだけなら問題だけど
幸せの一部にはなり得ないかな? ネットでの人との関係をどう捉えるかは個人による目的と意味付けだから正解は無数にあるよね。
ヒカキンはきっと世界中の人を笑顔にするという目的に向かって動画配信することに強い貢献感と所属感を感じてるんだろうなあって思えるし。
逆に学校の対人関係からの逃避からのネットコミュニティっていう目的のままなら非建設的だろうけど、
その経験に与える意味付けを自律的に変えて、ハードルの低い対人関係から自己価値感を育んでいく場だと設定すれば、少しづつ自己勇気づけしてリアルコミュニティに入っていくことにつながるかも知れないし。 >>423
そうなの?
共同体への貢献だとしてもありがた迷惑かどうか判定が難しい
ありがた迷惑なら課題の分離ができてないことになる 10年ぶりくらいに大嫌いだったダンサー・イン・ザ・ダーク見たんだけど印象がガラッと変わって共同体感覚の大切さを身にしみた大切な作品になった。
私には音楽があるから幸せーって訳にはいかないんだよな。 >>433
それ共同体感覚以前に課題の分離を誤解してないか?
他者の課題に踏み込まない踏み込ませないってのはお互いの信念を尊重することで自分が自由に発言や行動することを促すし相手の理解に苦しむような行動であっても受けとめるためだと思うけどな
ありがた迷惑なら受け入れない自由もあるからこそギリギリまで近づける適度な距離感だよ >>433
課題の分離って共同の課題を作ることを目的として、合意に至らなかった場合に適用される手法なんです。
共同の課題を作るとは、対人関係において片方がこの問題を解決するために一緒に考えてくれませんかと依頼して、もう片方がそれを引き受けることではじめて成り立つんですけど、
おっしゃるようにありがた迷惑の場合もあるわけで、そういう場合は合意に至らないですよね。
その場合には課題を分離して、結末を予測したり体験してもらうわけです。それで本人は、ああありがた迷惑だったんだな違う方法はないかなって感じで学習していくものなんだと思います。
だから「あなたは課題の分離ができてないぞ」っていう文脈はちょっと違うんじゃないかなって思うんです。 こないだここでバカという言葉を使うのはよくないうんぬんみたいな争いしてたね
今アドラー関連の本読んでたんだけど著者が人は馬鹿馬鹿言いまくってて苦笑い
我々は馬鹿なことばかりしてるしそれに気づくのが大事だと
気づいたからって落ち込むのも馬鹿だと 最終的に共同体感覚がゴールなら結局他者に依存してますよね
そもそもなぜ共同体感覚がコールなのか?
アドラーの個人的な体験から来てると思うけとそれはアドラーの体験であって私の体験ではないし、共同体感覚がゴールといわれても自分の感覚にしっくり来ないんですよね >>438
アドラー心理学における共同体感覚は、他者に依存しなくても達成できると思いますよ。依存しなくてもというか、依存する必要がないというか。
課題の分離と勇気づけの療法の体得が必要不可欠なので、達成する事は凄く難しいとは思います。 承認欲求が強いと共同体感覚はわからないと思うよ。自我が肥大している状態では共同体の一員は我慢出来ないだろう >>438
未我→自我→無我と人の意識が発達していくというトランスパーソナル心理学の仮説があります。
依存→自立→相互依存でもいいし、苦→解脱→涅槃でもいいだろううと思います。
世界は関係性で成り立っている一つの全体だととらえた場合、私という個人は世界に対して協調している機能だということになります。
でも私の存在は会社という共同体の部分ではないし、日本国という共同体の部分ではないですよね。
今の時代日本のために滅私奉公で死んでくれって言われても納得いかない人がほとんどだと思います。私は日本のための機能ではないわけです。
他者に依存しない状態を目指すためには、自分が機能であってもいいと思える認知できないレベルまで共同体意識を広げてその中で自我の確立を目指すことが一つの路だったりするわけです。 それによって会社の方針と自分の考えが違っても、関わる他者と反りが合わなくても、違いを受け止める事ができるし、協力可能になる感じかと思います。 アドラーは専門的な用語は好まず、講演や学術発表よりも少人数のグループディスカッションを好んだと言われています。
アドラーは将来的にアドラー心理学が存在した事を皆が忘れる事を望んだと言います。アドラーの考え方が難解でなく、コモンセンスを基本とした、誰もが理解、体得できるものだと考えていたからでしょう。
上の方で難解な専門用語を並べ立てて、読み返しても理解しにくい文章を書いている方は競合意識や承認欲求が高い方なのかなと思ってしまいます。もう少し分かりやすく書いて頂けると嬉しいです。 自分は課題の分離はしっくり来たけど勇気付けはまるで難しい、難題
他人にたいしては出来るけど自分にはできない このスレを共同体だと思って、横の感覚を持って思い切って自分の信じるところを書いてみるとどうかな。
考えながら、迷いながら、疑いながらでは、いつまでたっても自分で考える自己像を追いかけるという自縄自縛から
逃れられない。これは考えても解決しないので、共同体に飛び込んで共同体感覚を実感しないとどうにもならない。 >>440
連帯感や共同体感覚は、子どもの心の中にしっかり根付いており、それがうしなわれるのは精神生活がひどく病んで退化したときだけである。
ってアドラーは言ってるよ
他者との縁を感じる感覚って言い換えればわりとみんな体験しててわかるんじゃないかな? >>446
多分、虐めや仲間外れにされた時が新たな共同体を見つけるチャンスなんだろうね
だから、普段から色々な世界を覗いておく必要があるね。フィクションも含めて
学校や職場だけを拠り所にするのはどうか >>444
他人を勇気付けられてるならそんな自分に価値を感じられるんじゃない? >>394
アドラーをはじめ、戦前のアドレリアンの多くがユダヤ人とドイツ人だったことを考えなければなりません。
彼らはナチに対して態度決定をしなければならなかった。ドイツ国民として、ナチ体制下のドイツ国家のルールを守るのか、あるいはそれに抗議するのかを、彼らは共同体感覚の見地から決めなければならなかった。
そして、全員が 「ノ ー 」を言って、アウシュビッツで死んだんです。それは、そのとき起こっただけでなく、今後ともいつでも起こりうることです。
現実社会のル ールと共同体感覚とは、ときに鋭く対立します。そのときアドレリアンは 、常に共同体感覚の側に立ちます。
「性格は変えられる(アドラー心理学を語る1)」
だそうです >>445
抽象的な議論ばっかりて共同体感覚という言葉に酔ってるだけ
傍から見るとそう見えるんですよ 共同体感覚がしっくりこない
人に役に立てた時人は幸せを感じるという事実は知っているけどそれとの違いを知りたい >>446
そうだね
きっとアドラー心理学を素直に受け入れられる精神状態の人はそれだけで既に幸せなのだろう思う >>448
それは逆説的には条件付きの自己有価値観でもある
本来はたとえ誰の役に立っていなくとも価値があることを思い出すことが大切なのだろうと思う
もっと正確にいうとそもそも自分の価値を測る必要がないことを思い出すことが本質だと思う 貢献できてないと幸せを感じられない状態はちょっとしたきっかけで崩れる脆さをはらんでいる 所詮は心理なので、何の脈絡もなく突然貢献感や共同体感覚や
幸福感に包まれたって誰にも文句は言われないよね
ただ、経験的に学んだ方がそこに行き着き易くなるから
他者貢献で経験を積むと良いよってだけなんじゃないかな? >>450
他人の言葉を借りてでも考えをまとめて納得しないと現実を直視するのに進めないというのは
パーソナリティの一つのタイプなんですよ。最初から現実に向かい合って生きているタイプの人もいます。
人により最適なアプローチが違っていていいのであって、アドラー心理学が自分に
合わないからといって無理に批判という形で関わる必要はないと思います。 >>450
そして具体的な生活の場面で苦しい状況に遭遇すると課題の分離を発動!
都合よ過ぎ いつものアンチじゃん。アンチは2ちゃんですら必死だからな。自分で苦労する生き方を選んで
他人にブーブー文句を言う(笑) やれやれ >>459
いや、回答は必要ない。進化論的に共同体感覚は人類に備わっているのは明確だから >>459
他人に期待されたことを実行して他人に承認されてうれしいというのが承認欲求。
自分が他人にしたいことを実行してそれだけで自分がうれしいというのが共同体感覚。
たしかに、共同体感覚がなぜ善に結びつくのかというのは明確ではない。
ただ、人間は共感しあっているので、自他共通の幸福の感覚というのはあるという事だろう。
アドラー心理学というのは、人類が本来もっている感情的な共感の感覚を知性で
自覚しようという方法論のように思えるな。 >>451
人の役に立てた時に幸せを感じるという事実はアドラーの目標とする共同体感覚とはやや違うのではないでしょうか?人の役に立てていると自分が感じる、信じる事ができた時点で共同体感覚は達成できていると思います。
例えば災害のボランティアを自らの意思で行う時に、当該地域の方に言葉で感謝を伝えられたりマスコミに取り上げられる必要はなくて(他者に承認される必要はなくて)、自分がそれが世の中に役に立てていると感じて行動する事が既に共同体感覚と呼べると思います。
自分が共同体で役に立てていると信じる事は自分の課題、実際に(事実として)役に立ったかを評価するのは他者の課題ですよね。少しの違いの様ですが、アドラー心理学では両者は決定的に違うと思います。 >>451
そのままの自分を受け入れられてるか?
他者信頼できるか?
自分は役に立っていると思えるか?
YESなら共同体感覚と同じだと思って良いよ >>454
逆だと思います。自分が貢献感を感じる事ができる共同体が複数あれば、もしくは自分を勇気付けできるならちょっとした躓きで人生が困難になる事はないと思います。 >>465
貢献感を感じられる共同体があれば人は強くなるが、共同体に貢献でつながっているのは脆いだろう。
「貢献感」と「貢献」を区別しなければ。 >>466
レスありがとうございます。まさに貢献感と貢献を分離する事がアドラーの言う共同体感覚の柱だと思います。
前者は強く、後者は脆い。前者は自分の課題で後者は他者の課題です。前者は自分の力で管理、コントロールできますが、後者は他者にしかコントロールできません。
私はそう理解しています。 連続ですが、目的を貢献感を感じるためか、貢献するためかの違いだと思います。 >>465
共同体の最小の定義は現在過去未来の全人類で、最大の定義は全宇宙だよ
現実の社会に対する貢献や社会適応は縦の関係、ファシズムに繋がるけど境界線のないところまで持っていくから、個人の意識が横の関係になり得るって偉い人の書いた本に書いてあったw 共同体感覚があれば、移動する自由があればどこかに居場所は見付かると思うな
複数あるというより、代わりが見つかるというか あと、共同体感覚があれば、人生が困難になるまで行き詰まることはないと思う 共同体感覚を違う角度で言うと、自分と他者の関わりに対立や矛盾がないなあと感じる状態だと思う。 2ちゃんに時々堀江のスレが立つが、堀江は共同体感覚を布教しているように思える
「新しい事をやれ。きっと誰かが助けてくれる」と >>458
君が楽な生き方を選んだせいで君の影を誰かが背負わされていると考えたことはないかい? >>474
意味不明だな。アドラー心理学を学ぶのは修行にも似てるけどな
アンチは優越コンプレックスの持ち主でこれを維持する事を自分で選んでるんだから
こちらからは何もする事はないね >>475
そう。修行に似てますよね。禅が近い印象です。 >>475
馬を水飲み場まで連れて行く事はできるけど、水を飲むかは馬の自由と同じ表現ですね。 自分が幸せになることで、誰かが不幸になってしまうという思い込みは俺にもあったな
共同体感覚を育てていこうとすればするほどそんな疑問とか矛盾がなくなっていくと思う >>478
水飲み場まで行くか行かないかの自由はないのですか? たまたまアドラー心理学に触れて、知性では納得したけども
感情の面で耐えられないので板挟みになっているという事だろう。 別に自己を確立する言葉の世界なら、アドラー心理学より感情的に楽で社会的に機能しているものが
外にもある。合わなければ外を選べばよい。各人の自由だよ。 >>479
思い込み?
じゃあ共同体感覚を全宇宙にまで広げるとしましょう
あなたが生きるためにどれだけ生命が犠牲になると思いますか?
あなたのために犠牲になる命に共同体感覚をもてますか?
それとも得意の課題の分離の発動ですか? 課題の分離の境界線がわからん。
馬に水を飲ませられないのは分かるが
よく例で挙げられている子供に勉強させるのは水飲み場に連れて行くことっていう解釈はできんの? >>488
勉強の必要性を自覚する、実際に勉強するかしないかはその子の課題です >>487
アドラーは人生の全ての悩みは対人関係にあると言ってます お互いが迷惑をかけ合いながらそれでも役に立とうという姿勢で
繋がって生きていれば良いんじゃないかな
自分を許せない判断基準は他人を許すことの妨げにもなるしね >489
勉強させて将来の選択の自由を与えるのは水飲み場に連れて行くこととは言えないですか?
あと子が勉強しないことで親も影響を受ける可能性はありますよね。
ex勉強しない同士でつるんで非行に走った場合未成年であれば当然親が金銭面含めて責任取ります。
子の課題でもあり親の課題でもあると思えるのです。 島田紳助の話だと小学生の時に家庭教師付けられて無理矢理勉強させられてグレたと
飲みたくない水を無理矢理飲まされるのは拷問だな。善いことでも相手の意思を無視すれば毒になるという話 >>492
俺はそんな感じで自分の想いも伝えて話し合って共通の課題にしていく事を水辺に連れて行くことと認識してますね >>494
追記
例えが馬だからこんがらがるんですよね(笑)
対人であれば話し合えばいい
「勉強することであなたの将来の選択肢増えるだろうし、勉強してもらえると私は嬉しい。だから勉強してみない?」みたいにお願いする感じならありだと思う やりたくないことを無理やりやらせるのは課題の侵害だろう
学校の勉強をした先が自由かと言うとそんなこともない
戦後世代の社会通念は時代が進んで通じなくなり
社会に通用する職業や職業選択の自由と目まぐるしく変わってる
親が余計なお世話をやかない方が柔軟に時代に合わせられる子に育つだろうね >>496
そうですよね。アドラー心理学について少し本を読むなり、調べてから書き込みして欲しいです。全く理解しようとしてない人がいますよね。
受け入れろ、ではなくてある程度基本的な考え方を学んでから議論したいです。九九に全く触れていないのに、掛け算割り算で議論したい人は書き込みで一発でわかります。 一番良い育て方は、どんな子に育って欲しいのかを自らが体現して背中を見せることだ
子はそんな親を見て育ち、自分で自分の道を選べば良い >495
思いは伝えて本人に意思決定を委ねるのは大いに理解できますし同意します。
そもそも勉強したくないとならないように皆さん子が小さいときから環境を与え誘導してる気もしますが。。
勉強はあくまでも例ですが仕事の依頼も然り、どちらか一方だけが全ての結果を背負う課題って少ないように感じ、境界が腹落ちしないのです。 >>499
腑落ちしてるところからコツコツ実践して経験を増やしてみては?
理解したくないところを無理矢理言いくるめられても、
それをされてる子供の気持ちが分かるだけだろうし ちなみに信頼されていることを感じ自分の能力を信じ人々は仲間だと感じられてる子供は進んで問題行動なんか起こしはしない
子供の問題行動ばかり目を向けてると子供は進んで問題行動を起こす様になる
我が子を信頼して任せるトレーニングから始めてみたら良い まあ自分を肯定できるレスにしか反応できてないからなあ >>499
どちらか一方が全ての責任を背負う課題じゃないと感じたら
それは共通の課題として協力関係を築くチャンスなんじゃないでしょうか
俺は学歴を大事だと思わないけど、学校という課題を通じて
子供が豊かに成長してくれたら嬉しいし
宿題を見ることを通じてスキンシップを楽しんでます
逆に子供の遅刻とか忘れ物に対しては何も口出しはしないですね
子供から相談があった時だけ一緒にどうしたら良くなるか考える手伝いをします >>499
その通りだと思いますよ
集団においては共同の課題をルールづくりや役割分担によってしっかり言葉によって分離を相互に意識化していくのが大事みたいです
野田さんによると日本の家庭内では、言わなくてもわかってくれるだろうっていう「甘え/思いやり構造」が問題を引き起こしてると >>503
流れ読んでみたが課題の境界線の疑問が主旨なのに子供の育て方みたいな論点にズレてるから反応しにくいんじゃね? >504
境界が分からなかったら共通の課題として貢献し、いかに協力関係を築いていくかに考え方をシフトすること、納得感がありました。(その後の踏み込み/踏み込まれも確認しつつ)
ありがとうございます。
>505
仕事ではロジカルにできても家庭だと感情論に負けて。。という方多いんじゃないでしょうか。でもまずは根気よく話し合って役割(課題)分担を認識統一する。これができれば境界は見えたも同然でしょうか。 >>509
まだ働いたことがないのだろうけどビジネスの世界は理性からかけ離れた世界だよ 人間が絡むと基本ろくなことはなく当然論理的ではない >>510
ごめんその言葉本の引用ですよ
わかりにくくてすまん >>514
契約関係というか約束事に基づく属人性が薄い関係 >>510
>>515
うまく説明できる自信ないからできれば読んでほしいんだけど簡潔に説明してみます
>>509はビジネスがどういう世界かを語ってる話ではなくて、集団があるときにはそれぞれが私的なルール(ライフスタイル)でものを判断しているから感情をうまく建設的に使えないんだって感じの話です
ビジネスの世界では理性的にルールを設けることで、自己主張しやすくなったりするという効果があったりするわけです
だから家庭においても双方の権利を尊重した上でビジネスと同じくルールを作って守るようにすれば、理性で片付く問題に振り回されなくなるので、愛情のある関係を育みやすくなるよって話です
だいぶ意訳もあるしいろんな前提を踏まえなきゃだと思うから俺の説明よりも是非読んでみてくれるといいかなと思います >>516
ルールがあっても強い奴の味方になるだけだよ
弱い奴がルールを持ち出しても空気が読めない馬鹿扱いされるだけだよ >>520
合意がなきゃそもそもルールじゃないしな
合意が得られないようなルールを持ち出すほうが下手ってこったな >>520
守られるルールの条件なんかが書いてあるから読んでみて感想貰えたら嬉しいっす アンチがまた暴れてるのか。機嫌が悪いからこのスレで憂さ晴らしってか >>527
ルール制定に全員がコミットすること、例外的特権階級が存在しないこととか 臨床医出身者はあまり尊ばれない時代を経験するだろう。 特権階級という人格も体格が想像つかないな。まだ会えずか。 >>536
現実がそうなのは認めた上での「ルール作り」の話ですよ
縦の関係に基づくルールのある集団はファシズム的だし現実はほとんどの集団がそうなっていると
だからってルール化しないのもアナーキズム的で縦の関係を生んでしまう
じゃあここはアドラースレなので「どうすればいいのか」っていう本に載ってる代替案の良し悪しをあなたと話せたらいいですね
なので前提を共有したいので読んでもらえるとありがたいです ヒーラーの方がいい時代が来てる。信じる/信じない。 >>489
これな
課題としては、小学生にはしばしば難しすぎるんだよね
だから、親も教師も、子供が自然に興味を持てるような授業教育をしようと言っている
たしか野田先生も >>538
ルールと縦の関係は切り離せない
ルールを作る側と作られる側だけではなく、
作られる側でも能力によって有利な立場と不利な立場が生まれてしまう
言葉で作られたものは必ず二元性が伴ってしまう >>541
そんなことはないよ?
どうしてそう思ったし? >>541
個人の能力差なんかも踏まえて統合して考えてあるよ
逆にルールを作らないことの問題点も踏まえてる
俺の拙い言葉で部分的に説明しても伝わらないだろうから読んで理解してから批判してみてほしい タイプ診断から流れてきた荒らしか。運命論が好きなんだろうから占い板とかいいんじゃないか >>543
本を読んでいない私はあなたを批判する資格は無いということですか
つまり読書の有無によってあなたは私よりも優れているということですか >>549
そうですか
それはよかったです
僕はあまり嬉しくはないですけど やっぱり仏教だね
心理学はなんか薄っぺらい
ぼくは権威主義者なのでペラペラしたのはあんまり好きじゃないです 因果論にどっぷり浸かってる身としては目的論は斬新でもあり、とても身につけられるような気がしないが、アドラー心理学の生き方が身につくには生きてきた年数の半分がかかるとのことだから焦らずじっくりいこう アドラー心理学のスレに来て仏教がいいと言うような輩は、何を学んでもダメだろうよ 岡野守也さんの仏教とアドラー心理学はおすすめ
貢献感があっても相手に迷惑かけるなら意味ないんじゃとか課題の分離って自己満足なんじゃないかとか
ふわふわしてた部分がすっきりしてアドラー心理学を指針じゃなくて道具として使えるようになったと思う どう生きるべきかを論じてる時点でもう自然科学としての心理学ではないんだよね
もう自然科学ではないのだからアドラー倫理学と呼ぶべきだな 確かに心理学って言葉には違和感を感じる
事実を客観的に考察したものではないもんな アドラーの心理学は日本人にとって考え方は斬新だけど、
実践においてはただやってみればいいという、
なんの工夫もないことを主張してるだけ
仏教は実践の困難さを最初から提示してるところにおいても
人の現実の生活を前提にした教えだと思う 「考え方を変えたら生き方がガラッと変わりました!」
本当に??そもそもそんなことありえるの???? 一時的なものだと思う。たまーに今日は見え方が違うな〜って思う事があるけど結局いつもと同じ認識さ。 仏教に限定しなくてもいいよ
キリスト教やイスラム教など一神教の強烈な宗教の教えに基づいて生きてる敬虔な信者の人生すらも
バカみたいに単純に否定してるだけだからね
アドラー心理学に惹かれてる人は、おそらく精神が弱り切ってると思われる
自分の生き方の心配するより、弱り切った精神の養生が必要よ 前に誰かが言ってたけど、アドラーやマズローなどの心理学は
ユダヤ教の教えがベースにある人向けの心理学だと
日本人のようなあまちゃんの民族はユダヤ的に生きることはそもそも無理なので
これらの心理学をそれぞれの人生に適用させることには意味がないとね 生き方は変わらないにしても生きる事をどう感じるかはガラッと変わるということはありうるだろう。
宗教でいえば回心という事で、歴史でも個人でも数限りなく事例のある話。 そうは書いてみたが、なんでわざわざ日本社会の日本社会らしい良さから
外れて別の思想を選ぶのかよくわからないというところもある。
たぶん非正規問題とかあるんだろう。正社員なら日本式村社会万歳でいいわけだしな。 試してみればわかるのに、どうして試す前から難癖をつけるのか謎で草ww アドラー心理学に飛び込んで考え方がアドラー心理学になっても、
そこからまた別の生き方も選べるよ。アドラー心理学には宗教色がない
(特定の共同体に参加することが前提になっていない)ので、
かえって人生や思想を選べる自由が増える。やってみて損はないし、
選んでみて気に入らなければもとの生き方の枠に戻ったっていい。 >>568
ユダヤ人の心理学と言われるのをいちばん嫌ったのがフロイトだったんだよね
だからフロイトは精神分析が自然科学の一分野だといことに苦心したし政治的にも精神分析学会の会長にユダヤ人でないユングを押したりしていた >>572
正直なんとでも言えるんだよね
うまくいけば「ほら!うまくいったしょう!」だし、うまくいかなければ「まだまだあなたの実践が足りないせいです!」だし 神も仏も生き方も、任意に選びうるようなものでは断じてありませんよ まあ、いらないひと、疑いのある人に無理に勧めてないんじゃないの?
アドラーが要らない人もいると思う >>573
だな
共同体感覚も単なるアドラーの主観にすぎないんだから幸福に至る道は他にもある >>576
やっぱり宗教について学んだほうがいいか
生き方に関するものを、科学だけにするのが無理だしな >>575
いや、自分で判断すりゃいいじゃん?
なんで他人をひっぱり出すん?
かまってちゃん? >>579
アドラーについて考えるならユダヤ教の勉強は欠かせないでしょうね
私はアイザックドイッチャーのような部外者にとって分かりやすいところから入りました 人のことなんて好きにさせときゃいいのに、ユダヤ人の教えだから日本人には意味ないとか生き方学びたいなら仏教じゃないとーとか一生懸命頑張ってアドラーを否定しようとしてるのが謎
おまえら目を覚ませよみたいな正義感でやってるの? 全て目的なんですか?不安神経症も目的があって神経症で在り続けるのですか? >>577
同感。「人生は複雑で生きづらい、その理由は何か?どうすればもっと人生をシンプルに考える事ができて生きやすくなるのか?」と問いに対する一つの考え方、答えをアドラーは提言した。
現状や未来に不安や迷いがなくて、心から幸せを感じてる人には学んだり実践する必要はないと思います。 臨床医のボキャブラリー純正の心理学のそれの方がいいと思うよ。 おお、学術の壊れた日本語を読むと、自分の幸福をかみしめるなぁ。 日本人に欠けているのは幸福についての議論だな。感動ポルノの高校野球や駅伝、24時間テレビ ついての批判がない。そりゃ、ブラック企業や過労死は無くならないわけだ >>589
生き物としての学術を全力で愛しているつもりなんだけどなぁ。
人間に固有の高次の言語能力にちょっと不調があるのは学術の個性であって劣等性ではないだろ? 最後に1つ、いいかい。日本の陸上界にいいたい。
桐生にあまりプレッシャーをかけないでほしい。
いいか、桐生。自分のために走れ。それが国のためになればいい。
まずは『自分のために走る』。そして『楽しむ』。
それが日本のためになるんだ。決して国のためだけに走ってはだめだ。
ボルトの言葉だけどいいね 認められたい気持ちを"認知バイアス"という言葉で片付けられたことで傷ついたっていう心の叫びがこういった無意味なレスの繰り返しといった破壊的行為として現れるんだよね。
ブーメランだけど、だからアドラー実践者は他者の心境を指摘するんじゃなくて、建設的な提案で勇気付けること自体が対応として建設的なんじゃないかな。 >>596
お前は「>>594 それはあなたの認知バイアスかもね」と言う >>593
相手がどう受け取るかは相手の課題なのでねぇ
あの指摘自体は中立的のように見えるし それにしてもアドラーアンチがわざわざ書き込みにくる心理は未だに謎。
何か私怨があるのかな? みんな荒らしてるのが全部同一人物だって片付けてる節があるけど違うだけなんじゃないの? >>598
いや、同一人物じゃなくても謎じゃん。
興味なかったら他のことをしてれば良いわけだし。 >>597
優越コンプレックスの持ち主だから他人を上から目線で嘲笑いたいんだよ
自我が肥大してるから他人を貶さないと鬱が襲って来るから。彼らもそういう意味で大変 劣等コンプレックスに向かい合うことを強制されていると感じて抵抗するというのもある。 >>604 >>605
なぜアドラースレを選ぶのかという謎が解けないしいったい誰に強制されてるというのか甚だ謎。 >>606
たまたまアドラースレを見ているからアドラーのアンチが目に付くだけ。
以前合気道をしていたが合気道も精神性があるので合気道のスレには
合気道のアンチがやってきたもの。精神性のあるものはなんだってそう。 精神性、人格を向上させる道はいくらでもある。誰もが各人のご縁で
そういうものに触れる。それで受け入れて向上する人もいれば拒否して
抵抗する人もいる。そりゃそうだ。誰もがご立派にはなれるものではない。
人間だもの。 昔からよく言うだろう?
愛の反対は憎悪ではなく無関心だ
興味が無いのなら、わざわざ見たり書いたりはしないんだ
なんてね うーん。宗教の勧誘みたいに日常的に被害を受けてるならまだ分からないでもないが。。。嫌なら関わらなきゃいいだけなのにね。まあ追求したって仕方のないことなんだろうな。これからもこの謎は晴れない気はする。 嫌じゃないんじゃない?楽しいんだよ荒らすのが
しかもこのスレの人たちしっかりレスポンスしてくれるから居心地いいんだよ 荒らしがアドラー心理学との関係で劣等コンプレックスをもっていれば
それに向かい合うのにほんのわずかの言い訳の材料があればそれに全力でしがみつく。
優越コンプレックスを持っていれば自分自身の「高貴な」考えからアドラー心理学を否定するが
自分がなぜアドラー心理学に興味を持っているかを分析的に自覚することはないだろう。 荒らしがアドラー心理学との関係で劣等コンプレックスをもっていれば
劣等コンプレックスに向かい合うのにほんのわずかの言い訳の材料があれば
その言い訳の材料にに全力でしがみつく。
翻訳調はわかりにくいよね。 みんなはどうすればいいかの話より、荒らしの心理構造の分析が好きなのかな? すべて荒らしというわけではないだろう
アドラー心理学の本質を突く書き込みもあった >>507、>>509
家庭の中は仕事、交友、愛のタスクが入り乱れがちで、
信頼関係の度合いによって難易度が変わってくるんだと思います
逆に職場での実践や友達間での実践の方が難しいって人も多いですし >>614
俺はこのスレをアドラー心理学の共同体だと思って救われた。
荒らしといえど問題があってそこからアドラー心理学にご縁があり
このスレへやってきている。荒らしというのはレッテルで、
実際には彼らもチャンスのある一人一人の人間に過ぎない。
皆が荒らしの議論をしているのは、アドレリアンとしての
共同体でのありかたをお互いに考えての事だと思うよ。 アドラー心理学を貶すわけじゃないんだけど、心理学というよりは哲学に思える ほら。見ろ。彼らはわざわざアドラー心理学のスレに来てアドラー心理学を低く言う。
自らのアドラー心理学に対する優越コンプレックスに自覚がない。自らも彼らのようでありうるということを見ろ。 あれ?貶しにきこえたの?
あなたはアドラー心理学を低く見てるの? 現代のカテゴリーで言うと心理学って感じじゃないよね
元々哲学生まれな思想が多く含まれるし、儒教や老荘思想とも似てるところが沢山ある
宗教は神や仏や悟りや終末への信仰、思想ありきで教義や戒律に言語化されていくし
アドラー心理学も共同体感覚ありきで教義に落とし込まれてる
儒教は仁義礼智信で老子なら道かな
健康的に社会活動に溶け込む為の思想だと思えば確かに処世術と呼んでも良いかもしれない この、思想への共感、信仰心ありきで理論への納得感が変わるんだと思う
人は見たいもの信じてるものしか見えないものだから、
それによってみるみるうちに根拠となる事例も積み上がっていく
それを踏まえると、意見が合わない人は信仰してる思想が違うだけなんだなと、
違いに納得し易くなるんじゃないかと思う
そしてここも、共同体感覚を信仰してるからこそ
他者の違いを納得する論法に対して共感してるだけだとも思う
だから、共同体感覚的じゃないことを信仰してれば、
考え方の違いすぎる思想があるのを見つけてしまったときに
邪教徒に対する魔女狩りの様な気持ちが出てくるんじゃないかな
身内の思想や行動が変わっていくことに不安を覚えて
なんとか思い留まらせようとする人の心理となんか似てる気がする
コンフォートゾーンってやつか ていうか、役に立つんだから毀誉褒貶はどうでもいいな
自分が知らなかった知識が出てくるんじゃないかと思ってチェックしてるだけなので、荒らしとか既知の知識の議論とかはどうでもいい まとめるとアドラー心理学は数多くある世渡り術の一つにすぎず
共同体感覚に共感しなくても他にも幸福に至る道はあるということでおk? アドラー心理学の神の名前が「共同体感覚」であるというだけで、
名前は違っても同じ神を仰いで共同体を作るのが人間の幸福だとは思うけどな。
真理は一つしかないから真理で、ただ言葉の表現がいろいろというだけで。 いや、雰囲気でふわふわ生きている日本のひきこもりに「神」は不要か。
断酒会とか、本当に困っている人の集団には、なにか信念めいたものが必要だけれども。 正社員:学歴・就労者などの名誉と家族
非正規:就労者としての名誉と家族
その他:家族なし
という秩序の中で、精神病患者やひきこもりなどのその他の人にも、
何らかの知的見識の持ち主であるという名誉の可能性が開かれているという事だな。
日本はいい国だな。 精神病患者でも働いている人はいるか。
正社員、管理職になりうる
非正規、精神病患者、管理職にはなれない
無職、ひきこもり
に修正。 >>628
荒らしがイライラするのはアドレリアンが幸福至る道は共同体感覚しかない!みたいな態度をとるからですねえ
そういう態度が●●学会や●●の科学の信者のような自分は世界と人生の真理を知っている!この真理を知らない人は可哀想(笑)みたいな傲慢さを感じさせるわけです 要するに共同体感覚めいた何か素敵なことを、クライエントに干渉せず、
自然発生的に、覗かず、支援できればいいとかそんなことかなあ。 >>620
あれ?貶しにきこえたの?
あなたはアドラー心理学を低く見てるの? >>634
少なくとも自分は真実を知ってる
まああなたがそれを受け入れるかどうかは別だけどね笑
って態度が節々に感じられるよな アドラー心理学に触れて真理を知ったかのような錯覚を覚え、それにより優越コンプレックスが見かけ上解消されて気持ちよくなってる残念なやつもけっこう多そうだな 2ちゃんねるは底辺暇人の溜まり場だからね
肝心なのは問題行動に注目を与えないこと
いい書き込みにだけレスを返そう >>643
いい書き込みという超主観的な基準で言われてもね..
みんなそれぞれ自分としてはいい書き込みと考えてるんじゃないの いや。そこまでは。過労も疲れが取れて、頻繁にじゃなきゃわるくないです。
ヨガとか、太極拳とか 気持ちいいし ☯ >>645
いい書き込みというのは、建設的な書き込みのことさ
主観的な基準じゃない 建設的=いいという前提は本当にコンセンサスがとれているのか よい、よくないという言葉を使うと善悪論となり一方を認めると一方を否定することになる
本当に建設的な話ができる人はそういう言葉は使わない
建設には一旦破壊して整地する工程も含まれる 建設的って横の関係共同体感覚ベースの価値基準だからな
2ちゃんねるが底辺とか縦関係ワード使ってて建設的っていうのはどういうことなのかな 横関係といいつつアドラー心理学を知らない人を下に見てる態度が透けて見えるんだよね アドラー教信者の共同体感覚って言えば納得できるだろ ごめん質問が悪かった
>>620の書き込みを見て、下に見てるなーと解釈した人は誰? 共同体感覚を知ることでワンランク上がったような錯覚 荒らしをスルーするのもアドラー心理学の実践だと思うんだが 機械的なレスを連投するのはともかくとしても、荒らしと判定する発言は見下している現れである 自分の信ずるものに疑問を呈されたら誰だって嫌な気持ちになるからな
人間なんてそういうもんなんですよ なのでアドラー心理学にたいして疑問をていするレスに対して苛立ちを感じる人は真のアドラー信者ではないのだろう お前ら信仰が足りん
課題の分離ができてるなら否定されても痛くも痒くもない まー荒らしは優越コンプレックスがどーたらって書き込みはちょっと違うと思うけどな ってなんでアドラー信者でもないおれがフォローしなきゃいけないんだよ >>664
優越コンプレックスという言葉を持ち出す人に限って本人がそうである法則 >>642が悪いとは思わないが>>642のような人は否定された時脆そう >>649
アドラー心理学を知っている人なら皆知ってると思うよ >>673
つまりアドラー心理学を知らない人はout of scopeってわけね >>674
知ればいいだけさ
別に難しいことじゃない >>675
これで他のアドラー信者にそんなコンセンサス勝手に決められても言われたら面白いな
課題の分離ができてないって怒られたりして 学んでる人みんなは知らないと思うな
でも自分と他者にとって建設的かどうかってのは一貫したアドラー心理学の判断力基準だと思うよ
この基準を放棄したらいくら理論を展開してもアドラー心理学ではないと思う 建設的という言葉に隠れた自分の都合に合致しているという前提 ・建設的=自分の意図や目的に沿っている
・建設的=いいこと
上記の連立方程式を解くと、自分の意図や目的に沿っていることがいいことになる
そしてその解の補集合は悪である よりよくしていこうとすることを建設的というが、ではそのよりよいとされる状態は誰にとってよりよいものなのか?を考える時、建設的という言葉を使う人にとってよりよいとされる状態であることは自明であろう
そしてアドラー心理学に共感した人が共同体だとしたら、その人たちにとってよりよいものであることが条件となる
これは表面的に宇宙全体が共同体であるという論理と矛盾する
仮にアドラー心理学に共感していない人もひっくるめて共同体であると考えるのであれば、全ての人の意見が建設的であるはずである >>672
1 自分の意見を述べる→どうやら相手は納得してないようだ→世の中にはいろんな考え方の人がいる。相手の意見を聞いた上で自分が正しいと思った(信じた)時点で話は完結する→正解はそれぞれが判断すれば良く、批判や煽り合いは必要ない。
2 自分の意見を述べる→どうやら相手は納得してないようだ→相手は間違った事を言っている。自分の意見が正しい→相手を納得させたい
→事象を議論する事が目的ではなく自分の方が正しいと相手に分からせる事が目的となり難解な専門用語を散りばめたり、偉人の言葉を持ち出して相手を批判する→対人関係は闘いとなり、その後復讐心が芽生える。
アドラー心理学が正しい、正しくない、間違ってない、間違ってるという二極化の議論はする必要がない。アドラー心理学自体をトンデモ学問と思う事は自由、批判も自由。
だけどアドラー心理学を勉強しようとしている人を間違ってると批判しだすと、対人関係の悩みが増えます。
アドラー心理学をキリスト教や仏教、自分の信念、政党支持に置き換えても同じ。 ああ、ごめんなさい。>>672へのレスではないです。 つまるところ心理学じゃないからなんだろうな
幸せになるためなどという目的意識が含まれた時点でそれはある種の個人的な信条となる >>679
おもしろい視点だね
建設的ってもっと複合的な要素があると思うからもっといろいろ連立させてみたらどうだろう?
自分の意図や目的に沿っている
善いこと
に加えて
相手の意図や目的に沿っている
非アドレリアンの意図や目的に沿っている
人間の根本の目的は所属である
方法に違いはあってもすべての人の目的は所属という意味で善いことである
この辺が加わったらどう?
矛盾感じる? >>683
そうですよね。生き方や信念の問題ですよね。「個人心理学」という表現は言い得て妙だと思います。 疑いに疑いをかけてそれでもふるいを通り抜けて初めて納得できるものになるわけで、否定自体は肯定するための建設的な検証行為としても使われることを忘れてはならないと思う 否定意見に対して真摯に向き合わずに頭ごなしに否定意見を否定すると、結果として信念の自分にとっての信頼性が低下する >>686
もちろん事象について議論する中で批判や否定はあって良いと思います。アドラーは議論を好んだと言いますが、論破を好んだとは私は思えません。
議論の目的がアドラー心理学の是非そのものに向いている場合は問題ないと思います。問題はその議論の目的がアドラー心理学に触れている人の是非となる事だと思います。
建設的か、非建設的かの話がありますが、「共同体感覚に酔ってる」「ワンランク上がったと思う錯覚」「アドラー教の信者」などの言葉を使用する人の目的はアドラー心理学の是非を議論したいのではなく、対人関係の優位に立つ事を目的としていると思います。
書き込みしている人の「目的」はその内容で見分ける事ができると私は思います。すると非建設的な意見を述べている人が誘っている闘いの場に自分が出て行く必要がないと思う事ができます。 >>684
レスありがとう
せっかくなので真面目に考えてみるね
式1: 建設的=自分の意図や目的に沿っている
式2: 建設的=いいこと
式3: 建設的=相手の意図や目的に沿っている
式4: 建設的=非アドレリアンの意図や目的に沿っている
式5: 建設的=人間の根本の目的は所属である
式6: 建設的=方法に違いはあってもすべての人の目的は所属という意味で善いことである
上式の連立解を求めると結局、>>680の最後に書いた通り全ての人の意見が建設的であるということになる
そうすると建設的なレス以外はスルーすべきという発言自体が矛盾している
もちろん例えばアフィリンクの連投や無意味なコピペの連投などはただの迷惑行為なので荒らし行為になるだろうが >>688
「共同体感覚に酔ってる」
「ワンランク上がったと思う錯覚」
はアドラー心理学に対する検証行為の一つかと
その反証を解決できればその人にとってアドラー心理学は受け入れ得るものになるということでもあるのだから
そもそも反証可能性のないものを人は心から信じることはできないだろう
反証可能性がなくても信じているものは刷り込みや洗脳と呼ばれている >>687
>否定意見に対して真摯に向き合わずに頭ごなしに否定意見を否定すると、結果として信念の自分にとっての信頼性が低下する
否定意見がアドラー心理学の是非についてなら、議論可能でしょう。このスレでも度々議論されています。「頭ごなしに否定意見を否定する」という時点で目的がすり替わっています。頭ごなしや上から目線で意見を述べる必要がないのです。
もっと論理的な言葉の力を信じましょう。例え議論の末に自分の考えが間違っていたと自覚しても「負け」ではないのです。相手の真の目的に気がつかず闘いの場にでてしまう事が「負け」なのです。
間違っていても自分に対する信頼を失わなくていいのです。人は自らの意志で変われる、成長できるのですから。 >>689
>>484です
なるほど俺はそれに賛成かな
あくまで俺はだけど建設的なレス以外はスルーすべきだとは思ってないしそう書き込んだことはないよ
スルーすべきだろうと思うならスルーすればいいだろうし、何か深いところには協力的な意図があるんじゃないかと思って関わるのもありだと思うな
それによって学べたこともあるし >>690
>>>688
>「共同体感覚に酔ってる」
>「ワンランク上がったと思う錯覚」
>はアドラー心理学に対する検証行為の一つかと
それはアドラー心理学の是非に向いた議論ではないですよね。アドラー心理学を実践している人への是非が議論になってますよね。目的がずれています。アドラー心理学の是非を議論したいなら、課題の分離、目的論、共同体感覚、幸福感などに疑念や否定を示す意見となる筈です。
アドラー心理学に酔ってる人間を否定したいという目的があなたの書き込みから滲み出ています。「私」はそう感じるので、あなたとの闘いには参加しません。 結局、疑いに疑いをかけてその結果としてアドラー心理学を受け入れた人と、ぱっと聞きで受け入れた人とでは、人からその考え方について否定検証を受けた時の反応の仕方が違う
疑いに疑いをかけて受け入れた人は受け入れるまでに同様のプロセスを自分自身で経験しているわけで、自身が否定されたとは感じない
逆にあまり考えずに賛同した人はそれを信じた自分が否定されていると勘違いしてしまうのである 端的にいうとアドラー心理学がある種の防衛機制なのかどうかを検証したいのです
なので下記のようなある人にとっては刺激的な表現を用いています
>「共同体感覚に酔ってる」
>「ワンランク上がったと思う錯覚」 >>696
アドラー心理学そのものを議論するのは、疑いに疑いをかけて議論すべきでしょうし、実際にアドラーが死んでからも世界中で議論されています。
「にわか」アドラー教信者が不快だから、アドラー心理学ではなくアドラー教信者を否定したい人とどのような対人関係を築けるのかを勉強するのも良い経験になります。
こんなレスを返したり、イラっとするのはまだまだ私もアドラー心理学を実践できてないと痛感します。 >>699
不快にさせていることは申し訳なく思いますが、あなたとは論理的な話ができそうです >>700
ありがとうございます。防衛機制とはどのような意味でしょうか? アドラー心理学を批判してもいいけど、アドラーの本は読んで
理解しているんだよね?
アドラーコミュニティの批判だけで、踏み入った批判がないように
感じたので
アドラーを読まないと、周辺的な批判に終始して終わりだと思う 既出だけど、心理学という言葉が使われてるからこのような議論が生むのだと思う
アドラー心理学によって救われたとかそういう話になってしまうから
人間の心理反応を事実から統計的にまとめたものではないからねもはや 批判対象の本をよく読まず、評判や周辺情報だけから、
批判をする人が世の中には多い
そういう人には知的誠実さを感じないな
べつにここで批判している人がそうだと言いたいわけ
ではないが、そういう人も世の中にいたりする >>701
自分の不完全さを補うための心理的防衛反応として現れるものと言う意味です >>704
私は「嫌われる勇気」というタイトルは失敗だったのかなと思っています。裾野を広げたい岸見先生の意図は分かりますが、アドラー心理学の最終目的と捉えられても仕方ないのかなと思います 発展に必要な苦悩と対立
人は愛するものを否認してこそ、はじめてそれを
ふたたび作りだすことができるのかもしれない >>703
人は意味付けを通してしか物事を感受できないから「事実」に意味を持たせないという認知心理学の考え方はむしろ今の心理学の主流ですよ
それよりもアドラー心理学の他と違うところは共同体感覚という思想が理論の土台になっているところ 外見を綺麗にしたリフォーム物件と壊して整地して建て直した物件の堅牢性の違い >>445
>自分の考える自己像から逃れられない
正直何から手をつけたらいいのかとは思ってます
変えようとする最中にまたやはりダメな自分を目の当たりにしてしまいますし
変わりたいというか、過度ではなく一般化、所謂普通にはならないといけない、自分の歳相応の心持ちにならないとならないと思ってますが
既に経過した時間は取り戻せないですし、仮に変わっても埋められない溝として残りますし・・・
自分の信じるものって全て未成年者だったころに好きになったものですね
漢字、地理歴史、とあるアイドル、スポーツ
全てさらけ出してしまうと特定されてしまうので書けませんが >>708
物理的測定結果や事実からも人は物事を感受することは可能かと思いますが
>>710
>ダメな自分
ダメだと判定している基準をあなたの中に持っているということですので、それが存在し続ける限りあなたのあなた自身に対する評価は変わりません >>710
アドラー心理学とは関係ないと思いますが、そもそも自分を評価する必要がないことを知るのもヒントになるかもしれません あと岩井先生の大人のための心理学の本も読み出してますが
こうしたらいいよと提案されることを自分の実生活に落とし込めないですね
理屈で解っていても頭や心でこんな自分と認められない、受け入れられないので >>705
自分が不完全だという意識はふた通りあると思います。一つは他の誰かと自分を比べて、もう一つは理想の自分と比べて感じる不完全さです。
前者は劣等コンプレックスを生み出し、卑屈な人生を歩むことになります。後者を自覚し、自分の考え方と努力でそれを乗り越えるのがアドラーの考え方だと思います。
劣等感自体はそれが理想の自分に近づくための努力や研鑽の促進剤になります。変わりたいという勇気を持てば、いつでも理想の自分に近づく為に人は変われます。
その勇気付けは実践が難しく、アドラー心理学の根幹だと思います。できない自分を守るための防衛機制ではなく、逆に積極的にできない自分を自覚し前を(未来を)向く事を求めるアドラー心理学はある意味で逃げを許さない厳しい考え方だと思います。
だから心理学というよりは哲学や宗教観が近いと他の方も言うのではないでしょうか。 主体性のない、本気でやろうと変わろうとしてない自分の発言は迷惑なだけでしょうか
自分など居てはいけないと思いつつ死ねもしないので
どちらにしろ勇気も覚悟もないのです >>714
なるほど
やはりアドラー心理学という言葉が誤解を生むきがしますね
心理学といった場合、事実に基づいた客観的な知見をまとめたものという認識が一般にはなされると思います
一見人生における処世術の一つのような内容だったり、これを受け入れるのは自由と言っておきながら、心理学という言葉によってこの「真実」を受け入れないのはおかしいとみなされている「気」がしがちなのはこのギャップのせいなのかもしれません >>713
http://adler.cside.ne.jp/
日本アドラー心理学会から「パセージテキスト」取り寄せてみるのおすすめです
子育てプログラムだから参加しにくい人もいるだろうけど、内容は自分の自己勇気づけに使えるアイディアばっかりです >>715
物理的にあなたがこの世に存在している時点で既に許された存在であるというのが事実です
あなたがあなた自身のことをどう思うがこの事実を変えることはできません
ですので、変わりたくなければ変わる必要はありません
苦しさの原因は「社会」がそれを許さないことがあるからです
でも本質は変わりたくなければ変わらなくていいのです
なぜなら今の状態でもこの世に存在しているわけで、それは既に存在を許されているからに他ならないからです たしかに哲学板にあれば、もっと深い議論に発展しそうだな
〜心理学という名前だから心理学板にあるが、
心理学板=主流の実験心理学と理解する人が多いから相性が悪い
批判があっても、科学的心理学ではない、という理由からの
批判であって、そういう人も、科学以外の分析手法を
持ち合わせていないから、踏み込んだ批判も提示できないと思う
次にスレを立てるなら哲学板に立ててそこに集まるのも
いいかもしれないな あっちはなんでもありだから 正直なことをいうと「嫌われる勇気」を見た時、考え方という点ではなるほどなと思うことがありましたが、アドラー「心理学」という言葉には違和感を感じていました
まるでその考え方がゆるぎない「真理」でありそれを否定することは許されずナンセンスなんだと感じさせる威力がありましたので >>716
まさに仰る通りだと思います。フロイトやユングの心理学を勉強した人ほど、そう思うのではないでしょうか。 実験することは悲しいことだし。実験的に生きて死んでみて
どうだったかというと。世界は美しく、生まれてきてよかったこと。 例えば物理学などの自然科学では反証可能性に基づいて検証実験が行われその実験結果を事実として素直に受け入れ、その積み上げとして成り立っているからこそ広く認められているのです
心理学といった場合も通常はそういう実験的検証プロセスを経たものであると認識されますが、アドラー心理学は違うのでしょう
アドラー哲学なら非常にしっくりきます >>723
あれたしかポパーの反証可能性パラダイムってクーンに反証されたよね
ポパー自体もそれを受けて最終的には科学は真実に向かうものではなくて、進化していく知恵であるって感じで自ら誤りとして訂正してたし
反証可能性自体は有益な基準ではあると思うけど、そうなると物理学でも量子力学は疑似科学になるよ >>725
量子力学は実証が困難な領域を扱うことが多いですからね
ただし反証可能性は必ずしも実験である必要はなく論理として矛盾していない範囲での数学を使って導かれていれば理論としては客観性を持って成り立っています
もちろん量子力学は期待値という形で日常にも役立っていますが、実証実験が難しいトピックにおいては自然科学という領域からは遠くなっているのかもしれません ある程度知識が進んだら日常の中での学びは少なくなっていきますよね
何かしらの波風が立った時に新たな気付きがある感じ 発見のために波風を欲しちゃっている自分に気づくときあるかも
不健康やなw >>719
アドラー心理学は実践的な心理学だから理論をいくら議論しても意味はないと思う
医学で言えば、臨床・手術経験の蓄積が重要であるのと似ているのではないか
実際の人間関係で通用するようなリアルな議論が必要だろう 待ち合わせに遅れそうなときの車の運転なんかは
ちょうど良いケーススタディな気がするね 実際やることはそんなに複雑じゃないんだけどな
非建設的な反応が始まる前に建設的な代替行動をとるように意識して人と関わって見届けることの繰り返し >>723
「心理学」と呼ばれているけど、まだ反証主義どころか論理実証主義も確立していなかった古い時代の学問だからね
実証性を重視する現在主流の認知心理学とは根本的な成り立ちがちがう
(仮説 → 検証 → 一般化という科学的な手続きを踏んでいない)
精神分析が心理学史上の重要な学問であっても、現在の臨床現場で使われることはまずないのと同じ
現役の精神科医または医療機関が、アドラー心理学を臨床でバリバリ使っていますという話もちょっと聞いたことがない
あくまで民間資格でのカウンセリングに活用されている程度
現代的な見方では、哲学というよりは倫理学(道徳哲学)に近い >>731
>非建設的な反応
建設的かどうかを決めるのは誰ですか? >>732
このスレからもわかるように心理学は人をタイプ別に分類してあーだこーだいってわかって気になってるだけなのか? >>734
自分にも相手にとっても善いこととか共同体にとってのコモンとかを考えるけど最終的に決めるのは「私」でしょうね
それが可能なのは自分も他者もひとりひとりが本質的には全体論として建設的存在なんだって実感から来るものだと思います 書き込んでて思ったけど何が建設的なのかってのがわからないと私はオーケーだって感覚がないときに足踏みしてしまうのかもなと感じた
わかっておきたいわけだ
だから共同体感覚の議論が絶えないのかもね
行動するのに担保がほしいわけだ
だから担保がなくてもとりあえず行動に移してみるって意味で勇気なんだろうね 綿密に計画を練って実行に移すタイプ
と
ある程度ざっくり決めて行動してその場その場で対応するタイプ
の違いであってそれはアドラー心理学云々じゃないような気もするけど 考える暇があったら行動しろという言葉をよく聞くので後者が一般には「正しいこと」とされているのだろうと思うが そういうタイプでいうなら俺は前者のタイプなんだろうな
トーキングセミナー20回くらい読み込んでからやっとスタートできた気がする
でも思ったのはそこまで臆病にならなくても人は十分信頼に値する建設的な存在なんだってこと
体感させることは難しくてもそこだけは関わる人に伝えていきたいなとは思う まあなんだろう、アドラー心理学云々は抜きにして自分が普段思うのは自分が何か行動を起こすとその時はあまりうまくいかなかったとしても物事は何かしら動くよなってこと 自分の性格なんだろうけど、人に期待されると途端にやる気が無くなるんだよね
自分の中でやる自分なりのやる意味だったりがちゃんと腹落ちしてないと始める気力もproactiveに行動し続ける気力も最後までやり抜き気力も出ない
みんなはどう? どーでもいいけど日本語がひどいorz
自分の中で自分なりにやる意味がちゃんと腹落ちしてないと
始める気力もproactiveに行動し続ける気力も最後までやり切る気力も出ない
人の期待に応えるのがとても苦手
成果を期待されると途端に怖気ずく
失敗しないようにと計画に時間がかかり歩みも遅くなる
失敗の責任が自分だけに降りかかる内容ならフットワーク軽くどんどんできるのに...
やっぱり「嫌われる勇気」がないんだろうな >>744
馴れ合いに見えるなら参加しないてOKです ○○した方がいい
××しなさい
と小さい頃言われて育った人は嫌われる勇気を持ちにくいのだろう
もちろんアドラーによればライフスタイルはいつでも変えられるそうなので、過去の境遇を持ち出すのは端的に言えばただの甘えであり、今の自分で居続けるための道具でしかないと一蹴されて終わるのだろうな >>745
もしかしたら勇気を自信みたいな意味付けで捉えてるんじゃないかな?
怖じ気づかないってのは自信ってニュアンスな気がする
勇気ってのは、
あ、俺怖じ気づいてるなーびびってる、でも踏み出した方が自分のためにもみんなのためにもなるよね、えいっ!
って感じかと I want something just like this... >>745
意訳すると人の期待に応えるのをやめて、自分なりに意味付けしてアクティブに動けるようになりたいってことだよね?
だいぶアドラー的に前に進んでいるように見えた。 >>750
そうです、そういうことです
>だいぶアドラー的に前に進んでいるように見えた。
あっ、そういうことなの?? >>751
その意味付けってのを共同体感覚ベースにすれば生き生きできるよってのがアドラー心理学の提案だと俺は思ってるんだけど、スレ見ればわかるようにその共同体感覚がクセモノな訳だよね。
共同体感覚ってのは別の角度から言うと、私はこんな自分が好きだ、人々は信頼できる仲間なんだ、私は人々の役に立てているんだっていう自分自身の感覚で、なかなかうまく説明するのが難しいし、しかもエンジンかけないとそれぞれの感覚が循環していかないんだと思う。
そのエンジンになるのが「行動」なんだって俺は位置づけてるかな。
共同体感覚が育って、自分が好きだ、みんな仲間なんだって思いが強まれば当然のように自分にあるものを使って仲間の役に立ちたいって思えそうな気がするよね?
そうすれば行動もどんどん簡単になっていくんだけど、その循環に入っていくために、最初は貢献したいなんて全然思えてないわけだ。
それでもその循環に入っていくため、貢献感ってものを味わうために行動してみる「勇気」がいるんだろうね。
だから頭じゃ分かんないから実践してみようよって話なんだと思う。 世界一受けたい授業
作家:伊集院静
「社会は理不尽だと思え」
アドラー心理学とは、真逆だが日本社会はこれで動いているように見える
ブラック企業を支える言葉だな 日本社会はこれだと思う(以下引用
”日本は法治国家ではなく納得治国家で、罰しなければ国民が納得しないほど目に余るものは罰する法律を探してでも(別件逮捕同然のことをしてでも)罰するが、罰しなくとも国民が納得するものは違法であっても大目に見て何もしない” 端的に言うと(これ口癖かも)、自分が我慢していることを人がやった時に異常に叩くのが日本人 >>741
そんだけ読んだらなんかわかってくるものかね? わかるというより刷り込みによる洗脳が完了しそう... >>756
俺もトーキングセミナー組だけど、一二回目で気付いて三四回目で見えてきてみたいな感じで、十回くらい読まないと実践する指針が立たなかった気がするよ >>758
一冊の本繰り返し読むのがなんか苦手でさ、実践よりもアドラー読んでから関連させた読書にはまっちゃって他の心理学から宗教から哲学からコーチングやらカウンセリングやらここ3年くらい乱読しまくってたんだよな
純粋におもしろくて。
広くなったけどかなり浅いから一個くらい深く学んだ方がいい気がしてるんだけどやっぱアドラーがあってそうだなと
アドラー心理学を語るシリーズが今なら良さげなんかな?
1回は読んだ 勇気シリーズは面白いんだけど、そこからどうすればいいかが良くわからない
語るシリーズには多少でも症例が書いてあるから、少しはイメージがわきやすい
そのくらいかなあ だいぶ前に買って途中で止まっていた嫌われる勇気を今日一気に読みきった
正直な感想を述べると
社会の中で人生のタスクを全うすることでしか人は幸せになれないという事実を突きつけられただけだった 結局社会の中でしか人は幸福を得られないように作られているという事実を知ることで果たしてどのくらいの人が勇気付けられ前へ進むことができるのだろうか... >>766
俺もその社会のうちの一人だよ
仲良く幸せ目指そうよ まあ、実際社会の中でしか生きられないよな。
宗教団体に出家でもすれば違うのかもしれないが、
それはそれで、違ったしがらみがあるからな。 3つの人生のタスク全て必要なのは個人的にはしんどい social interestを持てれば自然と3つの人生のタスクは達成できるのかなぁ
なんか疲れたよ.. 人生のタスクをつまれてると言われると幸せにならなきゃいけない焦燥感が生まれてつらい 周囲が3つのタスクを成就しているなかで仕事のタスクしか達成できていない状態において劣等コンプレックスに陥らずに歩みを進める原動力をどこに見出すかが課題だ
アドラー心理学ではそれを勇気と呼ぶのだろうが仕事での貢献感を勇気に変えて歩みを進めろということなのだろうか
たぶんそうなんだろうが頭でわかってても実現しようとする気力がわかない
結局それは自意識過剰でありsocial interestが足りていないのが原因なんだろうが正直読まなければよかったと後悔している 幸福に他者は必要ないと思いますけどね
1人でもあるいは動物達と暮らしても幸福になれると思う >>773
経験上、やる気がしないのに何かをやろうとし続けると嫌な気持ちがますます高まって
現状が固まってしまう。高い目標に目覚めたのなら、なおさら嫌な気持ちを刺激せず
無理せず泥のように眠れる暮らしをしたほうがいい。 >>774
人間は人格に触れあっていなければ生きていけないと思う。人格には今生きている人の人格と
過去に存在した人格と空想された人格とがある。宇宙そのものを一個の対象としそれに人格を見るのが
神だ。神とともに生き砂漠で一人で生涯を全うした隠者は歴史上いくらでもいる。 実際には隠者はほとんどの時間を一人で過ごした訳ではない。
五感から人格的なものを完全に隔離する装置にアイソレーションタンクがあるが、
やはり幻覚が見えたり異常な精神状態になるらしい。 >>777
それは社会性のない一人が云々というより単純に閉空間すぎてきつそう 「嫌われる勇気」では、「宇宙でたった一人の私」では生きていても意味がないといい、
それは確かにそうなんだが、「ほぼ宇宙でたった一人の私」で生きていけなというものでもない。
近所の喫茶店に毎日そこで新聞を読んでは切り抜く老人がいる。ファッションも独特で
たぶん独身独居なのだろう。しかし新聞の文字を通して社会に触れてそれを切り抜くことで
人格的に社会に関われば生きていけるという風に受け止めている。いつもいるから、
本人にとってはとても意味のある作業であり生活スタイルなのだろう。 そりゃ、進化論的に一人で生きてきた人類はいないんだから。そういう人間は淘汰された
一人でテレビ見るのもある種の社会参加だから >>779
いちいち他人にレッテルを貼っている面倒くさい人だなあ たとえばひきこもりで自殺しようとばかりに思い悩んだ人がいるとする。
しかし思い返して、人のお世話になって社会には貢献しない自分でも
自殺をしたりなにか反社会的な暴挙にでて世の中に迷惑をかけることは
すまいと決めたとする。するとそれはもうアドラー心理学では「社会貢献」なのではないか。
これを否定する人は、要はお前は死ね、あるいは暴れて自身の無価値さを
世間に証明しろと迫るようなものだ。日本で自殺が絶えないのは、
深い自覚はなくてもこのように考えている人が少なからずいるからなのではないか。 確かにな
他人の洞察ばっかしてないで毎日来てるならいつでも会えるんだろうし話しかけて聞いてみればいいんだよな
新たな発見もあるだろうし誤解もあるかもしれない
話してみなきゃ人なんてわかんないよ タヒにたいって人に、それでどうしたいの?と聞けば、
◯◯に謝罪したい
◯◯に思い知らせたい
◯◯に会いに行きたい
という様な答えが返ってくる。
タヒぬことよりも所属を選ぶってことなんだよね。
因みに日本に伝わった仏教の地獄の最下層は無間地獄。
これは永遠にひとりぼっちっていうことらしい。 服従不服従の問題もある。人間は自らの利益のためにのみ服従すべきだ。
これは選択肢としてありうるごく自然な発想だと思う。
しかし振り返っても公教育でこのような考え方を教わった覚えがない。
これでは生徒は自由に自分の人生を選べない。
日本の社会には何か根本的な病理がある。 oh i want something just like this 服従するかしないかを自分で選べるように自然になったリーダーの素質がある奴が
周りが盲目的に服従するのでいじめっ子ややくざの親分ややくざみたいな政治家になったり、
いじめられっ子がいじめっ子に抵抗してもいいという事をちゃんと考えられず犠牲になったりする。
バカな話だ。誰が悪いわけでもない、歴史的な経緯でこうなっているんだろうが、いい加減日本も
大人の国にならないとな。 横の関係という意味では年齢を気にする日本は遅れてるな とりあえずなんか救われる内容ではないと思う「嫌われる勇気」 こんなこというとそりゃそうだろ
実践のメソッドだからなって言われそう とりあえず日本が悪い誰が悪いと言ってる間は救われないだろうね。 ある人と付き合えたとして客観的に見て自分がブサイクすぎてつらいと思うのは課題の分離ができていないでしょうか?
また自分がブサイクであると言うことを免罪符にしていると一蹴されておわりでしょうか? ブサイクは結婚しないでブサイク遺伝子をを残さないというのも貢献と考えるしかないな
辛すぎるが共同体の幸せのためだ >>789
なるほど
誰も悪い訳じゃなくて歴史とかに問題があると考える訳だな
それで、日本が大人の国になるためにあなたにできることはなにがある? どうせ目的論で全て自分の選択のせいなんでしょ
わかったもう まじで逃げ場をあらゆる方向から絶って追い詰める理論だなアドラー心理学は >>801
目的論によって逃げ場を断たれたと感じる苦しさを2ちゃんでアドラー心理学を悪く言うことで、なにか前に進める材料は見つかりそう? アンチに対してはスルーしてもらえると助かるんだが。アドラー心理学以前に2ちゃんのルールなので >>804
あるわけねぇだろ
正論きいて素直に行動できてるやつはとっくに幸せになってんだよね >>805
アンチを排除するのもアドラー心理学ですか
アンチってなんですか? 注目されると嬉しくて万能しちゃうでしょ。
反対に荒ぶっても相手にされないと学べば後は自分が建設的に行動を始めるしかない。 >>808
それも書いてあったな
非行に走る目的論の件で
まったく全て正論なんだよな
だからムカつく >>806
そっかなにか力になれればと俺が勝手に感じたんだけど余計だったかな? じぶんでどうにもできないこととどうにかできることを分離してどうにかできることに対してどうすればいいかを考えて勇気を持って行動する
ごもっともだよったく
はぁ。。。 >>796
遺伝子に自分の意志を任せるのかよ。本当にバカだな。 >>811
いや、あなたの気持ちには素直に感謝します
自分の弱さゆえ荒ぶって迷惑かけて申し訳ない
人間が論理だけで動けれてればいまごろ世界は平和なんですよ 劣等性を劣等生として受け入れるのが自己受容・・・というのがアドラー心理学ではない。
劣等性などないというのがアドラー心理学だから。そこんとこよろしく。 劣等性がない、と書いたが、物理面での劣等性はないが、
心理面での劣等性は当然ある。なので心理面で劣っているのは
これはいかんともしがたくバカだ。 アドラー「あなたが辛いのはあなたの課題であって私の課題ではありません」
アドラー「私はあなたを援助することはできますがあなたの課題を解決することはできません」
アドラー「あなたは怒っているようですが、それは周囲に注目されたいという目的、あるいは自分の弱さや嫌な部分を覆い隠すという目的で行っているのでしょう」
アドラー「わめき散らして何か前に進みますか?」
アドラー「あなたに足りないのは能力ではありません。前に進む勇気です」
アドラー「劣等感は持っていても構いません。でも劣等コンプレックスに陥ってはなりません」
アドラー「今あなたが不幸なのは、あなたの過去や容姿や境遇のせいではありません。単にあなたが不幸であることを選択しているだけなのです」
。。。 >>815
なるほど
論理は納得できるからこそ、感情がついていけなくて気持ち悪いって感じなのかな?
アドラー心理学だけに頼る必要はないけど、もうちょっと学んでみると、陰性感情を使わずに理性的に解決のために行動するための技法とかも学べるはずだからよければどうぞ アドラーの言葉を借りて、しかしもとの居心地はいいが進歩のない
考えで集団を作っても仕方ないだろ?
そうでもないのかな。そういうものが必要な人がここに残っているのかな。 >>821
本読んだ限りではどんな共同体でもそこで貢献感が持てれば幸せなのだとアドラーは言ってると思う >>822
あなたのような人がいて安心だよ。
アドラー心理学を正面からうけとめて人生の高い価値に目覚めて
苦しんでいる人を、あたかも自分はアドラー心理学で完成されたかのような視点で
見下して批判する輩にいら立っただけだ。でもそれだって関わり方か。
確かに、属する共同体があって、その共同体の趣旨に合った理解をしていなくても、
本人が主観的に貢献しているという風に思えたら、それは幸福だという事なのだろう。
心理面で愚かでも幸福になれるというのは確かにそうだ。上の書き込みは訂正するよ。 >>820
ありがとうございます
まさにそのような感じです
たぶんこの状況をアドラーに見られたらこう言われるんだろうなというのを>>819に書き出しました
論理はわかってるんだけど、まだ自分の脳内のニューラルネットワークの重み係数が安定しない状態です
もう少し時間が必要かもしれません >>825
いや。よく考えたら、このスレはアドラー心理学の指導者の共同体でなく、
ただアドラー心理学に縁のあった人の共同体という事で、当然指導者的な人もいて
その人は立派だと思うし、共同体にダメな人がいたって共同体は共同体だし。
要するに勘違いです。すみません。 信玄のアドラー的名言
為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなさ 厳しいのはたしかに厳しいね、アドラー心理学は
でも実際の指導では上手く勇気づける手法のほうが大切で重視されてると思うよ
ここでは具体例がないこともあってうまく勇気づけを見せられないので厳しさだけが目についてしまうんだとおもうんだ >>829
生が永遠のものならば不可能なことはなくなります
なのでまず輪廻転生を信じるところから始めなければなりません 1番万能だなと思ってて個人的にいつも使ってる勇気づけの言葉は
うれしいな
かな
まじおすすめ アドラー本人も当然メタフィジカル(ユダヤ?)なものがベースとなって自分の説を展開してる
だけどそのような領域はむしろ何でもいい、各人がそれぞれ別々のバックボーンを
持ちながら、みなが幸せに生きる一つの道は何かを考えてるよね
中国思想とかに近い気がする
アドラー本人について知りたいならヘブライズムについて考えなければならない
アドラーの思想について勉強したいなら中国思想
アドラー心理学を実践するだけなら何も知らなくていい、むしろ知らないほうがいい
宗教からの独立を目指しながら、結局キリスト教神学のための題材提供しか出来なかった
西洋哲学とはまったくの無関係だと思う 思ったけど働いて稼いだお金で何かを食べたり家に住んだりするだけで実は共同体に貢献している
結局幸せを感じる閾値の問題な気がしてきた 狭義としての共同体を思うとそう言うことになるのかもしれない でもそれでいいんじゃねぇの?
共同体が広い必要もないし貢献度の物量の条件もないし、結局のところ本人がその貢献感によって幸せを感じるかどうかなだけで 仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスク全て全うしないと幸せにはならないって言ってるなら別だがそこはどうなんだろう 極論言うとお金を使う時点で非常に大きな共同体に貢献することになる仕組みを人間は作って使っている お金は天下の回りものであり、一人のほんの小さな努力や貢献がお金という付加価値となって世界を流れている
お金を直接使う相手は身近な人だったり小さな共同体だったとしても、お金は連鎖的に消費されより大きな共同体を流れていく
それって結局世界全体に貢献していることになる お金を稼いでそれを使うだけでは満足できる貢献感を得られない(人もいる)ことが課題なのではないか これを言い出すと最初に戻るけど幸せかどうかは個々人が幸せと判定する貢献感のしきい値に依存する
という結論に達する
そうするとしきい値に際限がない場合いつまでたっても幸せになれないことになる
これに対してアドラー心理学はどう応えるのだろうか >>841
その閾値はいつでも引き下げることができる。本人がそれを受け入れるかどうかだけ。
他者貢献はその為の練習に過ぎない。 >>841
勇気づけの手法と一緒
理想に対しての減点方式をやめて、できたことに意識を向ける
存在レベルでOK出せたら破壊的行動じゃなければなんでも貢献感持てる そうそう
気づいてしまえば簡単なことなんだけど、出来るようになるまではとんでもなく難しいことのように思えるよね
>>843 しきい値で語れるのかな
@1億円寄付した
A道路のゴミを片付けた
一見すると@の方が大きな貢献に思えるけど、その貢献の内容に上下をつけることはできないんじゃないかな
とすればしきい値は存在しない 紙切れに価値を乗せてるのは人の心。
国家の保証に安心感を持つ様に教育され、その数値によって叶えられることを試算して価値を感じてる。
誰かの労働や知識を変換した価値が乗っているから、共同体の人生の一部だと考えることもできる。
お金はそうやって心と分かりやすく繋がってるからアドラー心理学実践の度合いを客観的に確認できる。
自己受容が薄ければ、お金を使って自分の価値を高めようとしたり、自己の無価値感から無駄に散財してしまったりする。
共同体感覚が濃ければ、感謝の気持ちや貢献の気持ちでお金を使う様になる。
自己受容が薄ければお金を得ることも申し訳なく感じたり、お金をもらえなかったことで馬鹿にされた気持ちになったりもする。
共同体感覚が濃ければ、感謝の気持ちや貢献の気持ちでお金を受け取ることができる。 お金を払うことで貢献感や感謝の気持ちや、学びなんかも受け取れるっていう経験があれば、お金を受け取る時にも感謝だけでなく貢献感なんかも持てるってことね。 >>842
なるほど
結局「足るを知る」というところに帰着していくのだろうか
>>843
> 理想に対しての減点方式をやめて、できたことに意識を向ける
なるほどです
それが勇気付けの手法なのか!
そういえば本にも書いてあったかも
出発点をゼロとして何かできたら加点していく的なことが
>>845
そう、まだもやっとしている部分がそこなんだけど、
しきい値は存在しないと思えれば不幸問題は解決するんだろうと思うんだけど、実際はそうじゃないところに課題があると思っており... >>846
確かにその通りだと思う
あなたのレスを読んで思ったことはやはり共同体感覚や貢献感はアナログ量であり連続量であるということ
この点が課題を難しくしているところだと思う
この性質により、ちょっと幸せ、割と幸せ、結構幸せ、かなり幸せ、めっちゃ幸せという感じが滑らかに存在している
この連続的な状態に対してどう受け入れ幸せを感じれば良いのか
何気にこれが難しい気がしてきた >>848
劣等感は無くならなくて良いってことなんじゃないかな?
全部解決したらもうやることが無いけど、前に歩き出す要素が残ってた方が人生を楽しめると思う。 何かを目指してるだけで幸せな場合もある。
みんなのためになるこのプロジェクトに取り掛かってる自分というのが既に貢献感で幸せ〜だったり、そこに向かうことができることについてみんなに感謝〜って思ったりね。 >>849
0<<<1=(ニアイコール)100
なんじゃないかな
0と1は雲泥の差があるけど、1か100かは主観でしかない
アナログ量とすると、
ビルゲイツは大きな貢献ができ(大きな幸せ)で、乞食は小さな貢献(小さな幸せ)
となる。
アドラーが目指す理想はそうかな? >>850
なるほど
劣等感=不幸感ではなく劣等感=幸福への原動力と捉えればもはやそれが不幸の原因ではなくなるのかもしれない
>>851
完全に満たされていないことに嘆くのではなく、満たされていない差分を埋めていく喜びを幸せに変換しつづけていくのことが即ち幸せな人生を送るということになのだろうか だけども、あなたの周りの人の助けになるのはあなたであって、ビル・ゲイツにはできないんだよね
そこをよく考えたほうがいいかな 劣等感と、劣等コンプレックスは別物だからね、区別してね〜 ちなみに慣れると無限の自家発電が可能になる。
失敗しても貢献感だし破壊的行為だったことに気づいたときも貢献感を持てる。
そうやって自分で自分を勇気付けられたという成功体験がまた貢献感だし、それが素晴らしいことだと思えてまた勇気付けられる。 >>852
確かに
非ゼロで足るを知れる人が実はこの世で最も幸せな人なのかもしれない >>853
漫画のジョジョリオンでもそういうセリフがあったね。
貧乏でも金持ちのボンボンでも、上に登ろうとしてる時が幸せなのであって、止まったら幸福を感じない的な。 >>858
ほう
幸福度=∫貢献dt
だと思いきや、実は
幸福度=d貢献/dt
ということなのか? 貢献度なんて言葉は本に出てこない、貢献感だろ
量じゃないと なんか昔、劣等感をバネに成り上がった男の劣等感の部分を魔法使いが解決したことで、不幸になってしまったってストーリーを読んだことがあるな〜なんだっけ。 >>860
なるほど確かに
そうすると
幸福度=∫(主観的な貢献感)dt
ではなく
幸福度=d(主観的な貢献感)/dt
ということ?
それともそもそも貢献感は「量」でないとすればやはり幸せをもたらす貢献のしきい値などというものは存在せず、貢献感が非ゼロであればたちまち無限大の幸福が生じるというのがアドラー心理学の教えるところになるのかな 結局つまり今見えるもの全てを共同体感覚に対してポジティブに捉えることができるってことだな。
どんな人間も共同体に対してポジティブな存在だと言えるのと同じでね。
破壊的な劣等コンプレックスの持ち主だって共同体に対してネガティブなわけではないってこと。
ただ、どんな人に対しても共同体感覚に向けて勇気付けるから相手にしないだけであってね。 話がずれてくけどちなみに、自分の中で共同体に対する破壊的衝動があれば、自分の中で相手にしなければやがて治る。 >>863
計算式は俺頭良くないならあんま分からないけど、幸福も貢献も数値の問題じゃない気がするな
人生を今の連続だとするならば、ただ目の前に今自分のできることがあって、それに取り組むのが貢献感って感じ >>864
幸福はやはり量じゃないですか...
量だと比較対象が存在し得るけど幸福ってそういうものじゃないよね?ってことだよね? >>867
すみません、理系なもので理詰めで理解しないと自分のものにならないタチでして...
嫌われる勇気をもって(使い方間違ってる?)私が言いたかったことを一応説明させてもらうと
>>858さんからヒントをもらって下記のように考えました
幸福度=∫(主観的な貢献感)dt
→これは小さな貢献を少しづつ積み上げていくとそれに伴って幸せ感が上がっていくことを表現した式
幸福度=d(主観的な貢献感)/dt
→これは小さな貢献をし続けることが幸せである、そしてより強い貢献感を感じた時ほどより強い幸せ感を感じることを表現した式
でも、あなたの
>人生を今の連続だとするならば、ただ目の前に今自分のできることがあって、それに取り組むのが貢献感って感じ
という言葉を受けてつまるところそうなのかもと思いました >>869
幸福度=∫(主観的な貢献感)dt
→こちらを「嫌われる勇気」では「キネーシス的人生」とし
幸福度=d(主観的な貢献感)/dt
→こちらを「エネルゲイア的人生」とし、
エネルゲイア的人生という人生観を推奨していたと思う。 >>868
うんごめんね、言い方がちょっときつかったかも
量の違いがあるのなら、何かと比べられるはずだけど、なにとどうやって比べるの?という意味で書きました 幸福感とか貢献感には等号とか保存則とかないですしね… >>870
なるほど!!そういうことだったんですね!
私の中でキネーシス的人生とエネルゲイア的人生の意味が今繋がりました!
ありがとうございます!!
>>871
幸せは比べるものではないですよね
比べた時点で不幸が始まりますね
>>872
すみません、幸い今回に限っては私にはこの手法での理解がうまくいったようです 今までの社会は数値化しなくても上手くいってた(と思う)のに、昨今の人事評価等数字でしか評価されなくなってきたからなぁ
賞罰教育、競争社会の弊害だよ >>873
確かにそうですね
幸福感や貢献感に保存則がないとするとやはりエネルゲイア的人生観(強いていえば2つ目の式)が該当しますね >>875
自分のように幸福に大小という量を感じてしまう(人もいる)のは社会のせいではないのかもしれません
アドラー心理学の目的論によれば環境や境遇のせいにするのは自分が不幸であることに対する外的で不可避な理由づけを目的としているだけということになる
自分の中にはそういう転嫁による防衛機制が働いているのかも... このスレ、久々に面白い議論が出てるな 見ててよかった >>877
社会的な価値を量に還元するというのはようするにお金が物差しだという事だと思うよ。
自覚ななくても、突き詰めれば。でもお金は最低限必要な分がないと生きていけないし
それ以上のプラスアルファがないと心理的にやはりきつい。心理学で改善できるのは
そのあたり、プラスアルファの部分の扱いではないかと思う。 >>877
もしかすると、あなたが感じているのは、幸福ではなくて、幸運なのかもしれないですね 「なぜ自分がそうなのかを考えず、自分がそうである幸運を考えろ」という、あれか。 >>879
なるほど
確かにお金は一つの物差しになっていると思います
そのせいもあって幸せにも量があると思ってしまうのかも...
>>880
すみません、私の中では何か核心に迫っているような気もしているのですが、それはどういうことです?
自分には幸運がない、それによって不幸になっているのだと思っているのではないか?
とそういう意味でしょうか? >>882
幸運はあらかじめ配られるもの。麻雀でいえば最初に配られる配牌だな。たとえが悪くてすまん。
それの良し悪しを気にしすぎると、これから勝利へ向けて最善を尽くすという自分の人生の価値まで
疑ってしまうという事ではないか。家の土台が完璧じゃないからといって建物の価値まで疑うのは
バカげている。その種の誤りがあるのを感じて指摘した人がいるのではないか。 >>883
スタートポイントの悪さを他と比較して出来の悪さを嘆くことで自分が歩む人生の価値を決めてしまうのは勿体無いということですね
確かに自分に幸せ感がない状態だとそのような思考に陥ってしまいがちだと思いますし、実際そうなっている部分もありそうです >>みなさん
なんか私のしがない悩みに遅くまで真摯に付き合っていただいてどうもありがとうございました
まだまだ先は長そうですが、少なくとも今この瞬間、こうして私のためにいろいろと話をしてくれる人がいるんだということに少し幸せを感じることができました
貴重な時間をどうもありがとうございました
もしかしたらまた来るかもしれませんがその時はまたよろしくお願いします >>885
うん、またきてよ 話題を提供してくれるのは歓迎する 何かをすることに抵抗を感じたときに 、ただ一つしなければならないことは 、そのことをすること 。一番してはいけないことは 、なぜ抵抗を感じるのか分析しはじめること >>887
教義のようでよくわからない。どういうこと? >>889
抵抗を感じるということはライフスタイルに反することをしようとしているということ
分析するってのは今の自分のライフスタイルから出てくる思考を働かせるということだから、分析すればするほど、分析力に長けてるほど、ああやっぱりやらない方がいいよねって感じる論理的な納得できる正しい理由を作り出すので、今のライフスタイルがより強固になる
こんなことしたら嫌われるんじゃないかって頭では抵抗があっても、行動してみて結末を見届けて自分の体に体験させてみなってのが嫌われる勇気のタイトルの意図だと思う >>890
返答、ありがとう
思考より行動ということか。具体例がないとわからないな
強姦やるから見張りを頼まれる事ではないのはわかるが
良いことだと理解しながら、何がしかの抵抗感がある場合なのかな >>887
例えば人を殺すことに抵抗を感じた場合、人を殺さなければならないのですか? >>891
強姦、殺人なんかがいいことかどうか、その判断基準になるのが、建設的であること、共同体感覚、貢献感ってことなんだと思う
もっとも最近は、自分も人も本来はみんな所属に向かう建設的存在なんだなって感じてるから、思考を放棄して信じて委ねてみてもいいとは思えてるけど、まあほっといたら変な行動しちゃわないかは心配になる気持ちはわかる
建設的とか貢献感の議論はいつもここでやってることだと思うから、自分はこの辺で逃げまーすw >>892
共同体感覚に沿ってよりよいライフスタイルを選んだ後での話だろう。
人を殺してよい、というライフスタイルを持っている場合は
まずはそのライフスタイルを共同体感覚に沿ったライフスタイルに選び変えないと。
何事にも順序というものがある。 もちろん、あなたが軍人で、敵を滅ぼすことが世界のためになると信じていて
そこで人を殺すのに戦場で躊躇していては自分が死んでしまうだろう。
そういう話をしているのならわかるけども。 全くこの心理学を理解出来ていないんだけど、良い年して女性経験がなくて、でも彼女が欲しくてたまらん俺はどういう考え方をすれば良いの? >>896
そういう自分の利益を増やす心理学じゃないよ。強いて言えば、異性の出会いの場を作る主宰者になれば
或いは、自分のパートナーになる人がきっといるんだと信じて色々な出会いの場に出かけ続けるとか >>897
なんかそうだよなあ、イマイチ自分の悩みにストライクしなかった 幸せ=貢献感 という事なので
自分に貢献感を感じて幸せに思ってくれる相手と付き合えばいいという事になるなぁ。
自分が女性に貢献感を感じて幸せにすごしていれば見つかるものはみつかるという。 >>894
いやたしかこれ非建設的なライフスタイルによって問題が生じている場合の話ですよ >>894
それなら抵抗が生じた場合、行動を自分に強いるのではなく、ライフスタイルを選び直したほうが良いのではないのですか >>893
それらはあなたが先ほど言った行動を抑制する分析ではないのですか >>895
敵を滅ぼすことが世界のためになると信じているのならば、敵対者を殺すことに抵抗は生まれないと思います みんな極論が好きなんだな〜
自分はこんな人、世界はこんな場所、だから自分はこうしなければならない
っていうのはこれまでの経験から決まりがちだから
視界の広がる新しい経験があるなら
飛び込んだ方がライフスタイルが楽な方向に変化するよっていうだけの話でしょ 極論は境界条件での検証行為なのかもしれない
極論に耐えうる論理は強い >>905
じゃあ強くないなw
極論とか詭弁にはつきあわないよってのがアドラー心理学の人たちの立場だよ確か
強い必要性も感じないけど 抵抗感があるものに取り組むという発想に納得がいかないだけだよ。根性と気合いのヤンキー魂のような 端的にいうとやりたくないあるいは気が乗らないことほどやったほうがプラスになることが多いってことじゃないの やりたくないとか抵抗感ていう言葉より、
冒険って言葉の方がしっくりくるかな 極論を言うと、積極的に曖昧を増やすのがアドラー心理学だよwww 抵抗があるかもしれないけど言い訳してないで勇気を出して建設的に生きようぜ
ってことだよ 神経回路が複雑怪奇に絡み合っていつまでたっても結果が収束しない
内向的な人はよくいえば思慮深く悪くいえば優柔不断
嫌われる勇気も外交的な人に比べて相対的に大きい気がする ブラック企業に利用されそうな考え方だな。或いは、怪しげなセミナーにも
「冒険があなたを強くするのだ!!」。ブラック企業の幹部が新入社員に 冒険すること=いいこと
冒険しないこと=悪いわけじゃないけど...
という風潮 ブラック企業は何でも利用するからな
まあアドラー心理学を学んでればブラック企業に負けないで自由に生きられる 積極的=いいこと
消極的=うーん...
という風潮 外向的=いいねっ!
内向的=あぁ...うん
という風潮 ちなみにアドラー心理学の解釈だと積極的も消極的も良いことだな
消極的は思慮深いと解釈できる 勇気がある=幸せ
勇気がない=あぁ…うん
これは大いにある 表と裏
光と陰
二極性、二元性というだけで本来両者に優劣はない
片方だけでは存在し得ずお互いがお互いの存在を定義している相補的な存在 「嫌われる勇気」というタイトルは、アドラー心理学素人の古賀氏が売れ線を狙って付けたタイトルだから
もっとも、この挑発的なタイトルによって協調性優位の稲作文明社会、日本と韓国でベストセラーになったわけだが >>923乙です。
今回のスレは否定的な人とも徐々に和解していく様がよく見られて面白かったな。 >>903
敵を滅ぼすことが世界のためになるとだいたいは思っている軍人が
敵対者を殺すことについ疑いが生じて抵抗は生まれた場合には、
抵抗を乗り越えて敵を殺さないと自分が殺されてしまう。
これでOK? >>925
この場合はより大きな共同体を意識した建設的な対応を考え、
そうすると、軍を抜けて平和活動を行うべきなのではないか?
時には亡命が必要なのかも知れない。という様な葛藤が生まれるのではないかと思います。 より大きな共同体を意識すれば、戦闘による解決ではなく、
マイノリティと共存するための平和的解決を模索することが世界平和への道だと気付くことができる。 >>926
いまいる共同体に不満を感じればそうだけど、単に目の前の殺し合いに
躊躇するのであれば、そこはアドラー心理学的には殺す一択ではないか。 >>929
より大きな共同体感覚に向けた建設的な対応がそうなら仕方のないことかも知れません。
ただし、共同体感覚は自己受容、他者信頼、他者貢献からなり、
ライフスタイルとして、自分には能力があり世界の皆は仲間である
だから私は建設的に生きる。
という生き方に向けて進むことですよ。 >>930
たとえば犯罪者を取り締まる警察官にとっての建設的な行動を言うのは、
目の前にいる犯人を確保することだと思う。
その上で犯罪者が社会復帰できるように彼らを仲間とみなす事はありうるし
推奨されることだと思うが、ともあれ行動としては犯人の不利益になっても
取り締まるという事。
大きな視野も大事だが、目の前のやらなければならないことをするというのは
もっと大事だと思う。 今いる共同体に不満があるないに関わらずアドラー心理学の実践では
より大きな共同体に向けて建設的に生きることを目指すよ。 >>931
共同体感覚と照らし合わせれば、今いる共同体の仲間が望んでいなくても
より建設的な対応を選ぶことが望ましい。
警察は犯人が望んでいなくても犯人が善に向かう様に取り締まる。
紛争で相手を倒すこととは根本的に違いますね。
今目の前にある課題は紛争で相手を倒すことなのか、
平和的解決を選ぶことなのか。 >>933
敵が世界征服を狙う独裁者であれば、平和的外交を求めることは不幸の原因になります。
歴史的には、ヒトラーに対するイギリスのチェンバレンの外交、いわゆるチェンバレン外交がそれです。
歴史的事実からしても、滅ぼすべき敵は滅ぼさなければなりません。
それともあなたはヒトラーを支持するのですか? 江戸末期、尊王攘夷の志士達が江戸幕府を倒すことに躍起になる中、
船中八策が練られ大政奉還が行われた。 アドラーの弟子たちはみんなユダヤ人だったから強制収容所に送られたんだけど、ナチズム対して共同体感覚の側に立つこと、つまり最後まで抵抗して死を選んだんだとか。 >>934
世界平和と紛争的解決は矛盾します。
世界はまだこの問題を解決できていません。
しかし長い道のりだとしても、この問題を解決し、紛争的解決のない
世界平和の実現に向けた対応を歩み続けなければいけません。
今ある国際連合はそのさきがけですが、まだまだ改善の余地がありますね。 >>937
世界は平和になるべきですしその歩みを止めてはならないと思います。
しかしながら中国は領土的野心を燃やし北朝鮮は日本人を拉致しアメリカは
自然環境保護の理念を先進国でありながら否定します。
世界で理想を求めるという事は、現実が理想的でないと認める事でもあります。
なので個別具体的には問題解決が必要であり、それには悪の上に胡坐をかいている
相手との戦いが生じるという事もつきものなのだと思います。 >>931
犯罪者にとっての不利益は共同体にたいして非建設的な行動をとってしまうことだよ
大きな視野と矛盾はない >>934
チェンバレン外交のお陰でイギリスは苦戦を免れたと言われていますね。
紛争問題は難しいですが、だから戦わなくてはならないという解は凡庸です。
ガンジーの例もあります。
世界は理想的でない人々や国家の集まりです。
だから、それを踏まえた平和的均衡状態を目指さなければいけません。
世界平和と紛争的解決は矛盾するというのは、大きな極論として正しい解に繋がります。 >>940
>だから戦わなくてはならないという解は凡庸です。
あなたの意見はわかるし、日本の教育を受けた人の平均的なものの考え方だとは思うが、
しかし例えばナチスの支配の状況下でナチスに反抗し死んでいった初期のアドレリアンは
「凡庸」であるがゆえに死んだのだろうか。
アドレリアンとしての意見とは受け取れない。要は自分は平和主義者だと思うと気分がよいので
アドラー風の言葉をもてあそんでいるのではないかな。 そういう大きな話やお互いの権力争いはなしにしても、例えばあなたの父親だ。
あなたの父親はあなたを育てるためにおそらく企業で戦った企業戦士だろう。
あなたの父親が努力すればライバル会社は苦しむ。それが世の理だ。
それを無視して、戦うあなたの父親は「凡庸」だといい、そうでないあなたは
「非凡」であり優れているというのか。
どこかおかしいとは思わないか? >>941
収容所を生き延びたフランクルもアドラーから精神分析学を学んでいました。
選んだものが正しいかどうかは分からないけど、それぞれが共同体感覚と照らし合わせて建設的に生きれば良いということです。
共同体感覚として戦争で相手を殺すべきか?という極論への解を求められたから
共同体感覚的な極論は紛争的解決は世界平和と矛盾する
というのが答えだと僕は思いますよっていう話です。 >>942
いいえ。
例えば企業戦士としてライバル会社を陥れるのは共同体感覚的ではありません。
企業の在り方をアドラー心理学として捉えやすいのはドラッカーの考え方です。
父親だから肯定しなければならないのではなく、父親も自分の考えうる共同体感覚として生きたなら感謝すれば良いですが、
だから極論の解はそれを許さなければならないというのとは別問題だということです。 アドラーは戦時中に軍医を任される中で、神経症を患い、
共同体への貢献を行わない軍人は甘えているのだと考えました。
しかし、その神経症の目的は、より大きな共同体として人類の仲間意識によるものだと気付き、
共同体感覚への理論を展開していきました。
共同体感覚とはそういう思想によって生まれたものです。 >>941
>>936書き込んだものだけど反抗っていっても殺しあった訳じゃないよ
自分の解釈に都合よく使うのやめてください
おやすみなさい >>942
http://adler.cside.com/library/gemeinschaft.pdf
共同体感覚の歌を読んでみるといいよ
個人の中に共同体感覚を育成することで、それを世界のあらゆる個人に広げて、話し合いですべての問題を解決する協力的な平和な世界を目指すという社会運動の側面があるから >>947
これで国を作ると、地上の楽園()になりそうな気が・・・ でもまあ、平和な日本でのカウンターカルチャーとしてはいいか。
昔の学生運動やヒッピームーブメントみたいなもんだな。 そういう社会活動や思想と自分を重ねることで平穏な心持ちを作れるっていう話なだけなんだよ。 >>951
気持ちの平穏よりは、「そのために今ここで自分の持っているものをどう使うのが建設的なのか」の行動の軸ができるのがポイントだったはず
ちなみに社会運動って言っても同士が集まって団結して何かを訴えかける訳じゃなくて、個人が人生の課題に取り組む中で自分自身、それと直接関わる人を勇気づけていく姿勢を持つことしかできないよ >>954
相手には勇気が足りないと決めつけているようでキモい >>954
建設的な行動の軸をポイントに置くのは、アドラー心理学的にどういった目的があると思う? >>955
勇気が足りないから勇気付けるのではなく、基本姿勢として勇気付ける様にに振る舞うんだよ 相手の行動を賞罰で制御しようとせず、"ありがとう"や"嬉しい"という言葉を使う
これを選ぶのも勇気付けの姿勢ね >>957
個人の中に共同体感覚に根ざしたライフスタイルを芽生えさせるためだと思う >>960
どうして共同体感覚のライフスタイルが必要なのよ? アドラーはなんで共同体感覚を採用すると良いって思ったんだろうな? >>961
自分の場合はあった方が自由に健康的なパーソナリティーを持ちながら暮らしていけるという実感があるから
共同体感覚が必要かどうかはそれぞれで判断すればいいんじゃないかな? >>962
>>945は答えになってるんじゃない? >>959
嬉しいは微妙だが上から目線の言葉じゃね。例えば、上司「最近君がテキパキと仕事をこなしているので嬉しい」
又は、財布を拾って貰った時に「ありがとうございます」「助かりました」は自然だが
「大変嬉しいです」はどうか >>964
それが平穏って意味ってことじゃね?
>>965
それは経緯の説明じゃね? いやつまり、アドラーは神経症なんかの患者の治療法の為に共同体感覚を持ち出したんだから、
建設的に勇気付けていく姿勢が本質ておかしかろ? まあ本質なんて分かってなくたって実践してればなんとかなるよ
南無阿弥陀仏って拝んでれば大丈夫 努力するのもいいけど人間はいつまでたっても満たされない >>958
それは十分に勇気がある人に対して失礼だろ >>959
どうしてありがとうや嬉しいで相手を制御することは良いのだ? >>972
アドラー心理学の勇気とは共同体感覚を指すから
私には能力があり他者は仲間だから私はみんなへの建設的な生き方を選ぶ
という力が勇気ということになる。
そんな人はありがとうとか嬉しいと言われて、こいつ失礼だななどと感じることはないだろう。
逆にそうじゃない人はありがとうとか嬉しいと言われれば貢献感を感じる。
この貢献感はアドラー心理学の勇気に繋がる。
ありがとうや嬉しいと言われると腹が立つって人はそうじゃない誰と話すのも大変だろう。 >>974
それは制御ではないですか?
相手の行動を自分が気持ち良くなる方向に誘導していませんか?
感謝をするかしないかは人それぞれでしょう >>975
制御や誘導が悪いことだとは言ってないよ
賞罰による制御は相手の共同体感覚的な勇気を奪うからアドラー心理学では奨励しませんよって話
ダブルバインドに陥る可能性もあるしね
自分が気持ち良くなる為にだろうがなんだろうが、自分が嬉しい気持ち、
感謝の気持ちを伝えて、相手の貢献感に餌を与えれば勇気が育つってのは
共同体感覚に繋がるから良いですよってことで矛盾がないんだよね
感謝をするしないは人それぞれだね
同じ意見ですよ 実際に困っている人の同意を得て勇気づける場合の「勇気付け」は、もっと違う形を取るよ
相手の同意を得ずに勇気付けようとするのは、俺はあんまり好きじゃない
ありがとう、うれしいとか言うのとは別のレベルの話でね >>977
TPOだよね
同意のない中での具体的な勇気付けは逆に勇気挫きになりかねない
見守る姿勢もまた勇気付けの姿勢ってね 子供と関わってる中だと「手助けは必要ですか?」っていう質問が良い感じに機能してる気がするなぁ。 >>976
あなたの言っていることは感謝を伝えて教育する側がアドラー心理学の体現者ではないと危険です
例えば他者に自分の利益になる犯罪を行わせるために、
感謝や嬉しい気持ちを使って操作することが、勇気付けになり、共同体感覚の発達に繋がるとは思えません
なので感謝や嬉しい気持ちを使って他者をより良くしようとすることは自分勝手だと思います
感謝や嬉しい気持ちは目的のために利用する道具ではないでしょう >>980
おっと北米アドラー心理学会の悪口はそこまでだ >>980
貢献感や共同体感覚が育てば犯罪が破壊的行為だと気付いたときに訂正する心も育つよ。
感謝などの気持ちを伝えることが悪いというよりは、論理的結末を学べる環境の有無は影響が大きそうだね。
例えば躾ってのは、背中を見せつつモラルやマナーについて
論理的結末を踏まえて伝えるだけで良いものだしね。 >>980
>感謝や嬉しい気持ちは目的のために利用する道具ではないでしょう
なんだか名言って感じがして気に入りました。素敵だと思います。
人の言葉には「ありがとう」があります。
いろんな言語がありますが、感謝を伝えるための言葉です。
人は自分の感情を伝え合う生き物です。
本来は快と不快だけで良いのですが、いろんな感情が存在します。
それは所属して生きる以上、自分の感情を周囲に伝え合って協力し合う為だと思います。
怒りも悲しみもコミュニケーションの手段だと言えます。
同様に感謝や嬉しいの気持ちがあり、それを他者に表現する「ありがとう」は
とても建設的で有意義な言葉だと思っています。
その言葉を受け取れば、自分の能力に自信が出てきて勇気が湧いてきます。 感謝の言葉は悪用されるものだと感じてるんだろうと思います。
だけど世の中、素直な気持ちでありがとうを伝えられる人の方が圧倒的多数だと思いますよ。
世の中のみんなは仲間で私には能力がある。だから私はみんなに建設的な行動を選ぶ。
そんな気持ちで自分勝手に生きていける人が増えると良いという思想に
共感できるかどうかの違いなんだお思いますよ。 てかそもそも、アドラー心理学の理論だと感情は目的のために利用する道具でいいんだよね?
で、「私には能力がある」「人々は私の仲間だ」って相手が感じてもらえるように対応するのが勇気づけと
「操作」って呼ぶのかは知らないけど、そのために話す場を積極的につくったり、うれしいとか感謝の気持ち伝えたり、適切な行動だけに注目したり、信頼して結末を体験させたり、要請に応えるために動いたりいろいろするよね?
それによって自分も勇気づけられるし
http://adler.cside.com/library/gemeinschaft.pdf 岸見先生もアドラー心理学を用いて子供を操作、支配する事はやめてくれと言ってたなぁ 操作になるかどうかの境界はなに?
人と人が関わったら影響は多かれ少なかれあるよね 岸見さんや西側の人が言う操作は、親の思う通りに子供達を操作するために使わないでほしいって話だよ
適切、不適切を親の尺度で決めて、嬉しいと言ったり注目を外したりするのは巧妙に賞罰を与えてるのと同じこと
>>982はそれを容認する形になるのかな
でも>>982の言ってることが間違いだとも感じないな >>985
逆に理論が感情に利用されることがありますよ 論点は「自立のための援助」を操作とするかどうかってことじゃないかな? >>987
そりゃ、親の目的及び課題の分離ができているかどうかです。 >>991
課題の分離ができてたとして、例えば親がどんな目的で関わるのがいいの? >>992
横からだけど、そりゃあ自立して共同体感覚にあふれた建設的な人間に育てるためでしょう >>992
少し上に何人かの人が書いてますけど、子供に自分の思い通りになって欲しい、行動して欲しいという目的が隠れてる場合でしょうね。 >>992さんへの答えは>>993の通りだと思います。支配して育てるのではなく、子供が自ら育つために援助する姿勢が大事と思います。
私も親としてそれが凄く難しい事だとは自覚しています。子供を自分と対等の人間として扱うのは容易ではないです。 >>993
>>994
なるほどありがとうございます
そうなると親が子供を勇気づけるというのは、
子供が主体的に共同体感覚を養いながら成長していく、ということを援助したい、という目的あっての「ありがとう」「うれしい」という言葉かけじゃないと意味がないって感じ? >>998
基本的にはそうだと思います。
横からだけど、アドラー心理学の実践に悩む親御さんにとって
>>982の様な考え方をあてはめるとちょっと面白いと思いました。
実践は下手でも、ありがとうで貢献感を養えば相手にとっては
勇気に繋がる方向だと考えれば、実践のハードルが下がって楽に考えれる様な気がします。 ありがとうを言う立場のくせに
相手を教育してやろうという意図があるのがキモい
親切にされたなら素直な気持ちで感謝しろよ このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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