16タイプ診断(MBTI)について語る 32 [無断転載禁止]©2ch.net
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誰も立てないので立てる
荒らすなよ!
前スレ
ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1502125409/ 昨日で逆説の程度がこんなもんかとわかった人はおおいんじゃない? 逆説のMBTIの判定も前は独自だったのが今は普通になっているし
でしゃばりでおせっかいなただのおばさん 逆説のタイプを特定して突き付けてやりたいと思ったら関係が断てない
そう見切った だってあるがままに素朴に考えてみてよ
脳を解剖したところで 器官自体は大差ないでしょう
誰かにはこの器官はあって 他の誰かにはないとかそんな違いはない
せいぜい注意深く観察すれば細い太いの違いとか 大小の差とかがあるのがわかるって程度でしょう
脳内物質だって みんな使ってるの同じだよね
多少多い少ないはあるけど それも多少の差で
んじゃ 現に立ちはだかる個々の差はなんなのっていったら 器官使う順番くらいなもんじゃね
それを一般にシステムといいますよね
ユングはそういうことを主張してんすけど
そういう考え方がオカルトだって まさか誰も言わないよね
ユングがオカルトって言われるのは タロットやら錬金術やら 夢分析に研究の手が及んだからってだけで タイプ論そのものはユングの集大成として 現代の心理学にもフロイトよりよほど受け容れられているという心理学界での専らの話ですよ
しかもMBTIが日本で広まった素地はユングにあるはずなんですけど
協会が肝心のタイプ論を否定て。クラクラするわ >>8 ENTJが判明したから流れが止まったんだろ >>5 コテと俺と荒らししか残ってないんじゃなかったっけ 5は多い少ないいう以前に過疎を極めてるという現状を無視した発言ですが 意図的なものを感じますね? >>6 反逆説派と論争するうちに 心理機能論が説得力をもって浸透してきたという現実を反映したものと思われます
課金ゲー化前のあのネトゲで JP1を数年間維持。少なくとも普通のおばさんではないよねえ 469 没個性化されたレス↓ sage 2017/09/03(日) 16:51:03.81
何気にいろんな人に助けてもらってるさ
俺のためじゃなくて 心理機能論のために >>18
ごめん!
じゃあこのスレは実質33ということで
皆様お願いします。 >>23 自分が正しいのでないよ 心理機能論の筋を通せといってるだけだよ これだけいってもまだしつこいこの御仁23 心理学の無力化を図っているとしか思えん INFJの「他者の感情を吸収する」
INFPの「他者に感情移入する」
の違いが分からない
多分、FeとFiの違いなんだろうけど
共感の仕方にちがいがあるということ? >>27
>しかし、覚えておいてください。これはINFPの心の中に他者の感情があるということではありません。これはINFPが長年にわたって自分自身の感情をマッピングし、他者の体験しているものと最も近いものを見つけ出すということです。
>さて、より個人的な経験はより普遍的な経験だということをINFPほどよく理解している者はいません。「もし私があなただったら、私はどう感じるだろう?」とはINFJの「あなたの痛みが私の心の中にある」の真実性バージョンです。
>もしINFPが絶えず自己参照しているように見えるなら、それは彼らがそうしているからです。彼らは自分自身の理解に基づいてあなたを理解します。
>おそらく、これらの2つのスタイル(INFJの吸収とINFPの反映)の違いを理解する最も簡単な方法は、時間との関係です。
>他者の感情を吸収するため、INFJとその人(感情を抱いている人)はリアルタイムで一緒にいる必要があります。この感情は後で処理されるような感情体験ではなく、エネルギー的な近さによってINFJに訴える感情です。
>INFPにとって、感情移入とは他者が感じている―感じた―または感じるであろう―経験を自分自身の中に見つけることです。この感情は芸術作品、文学、雑誌、そして私達が私達自身の感情を表現できるあらゆる方法によって時を越えて結びつくことができます。
>INFPは芸術との特別な関係を持っていることで有名ですが、これが大きな理由です。芸術は他の人々がINFPの感情体験を忠実に映し出す(または再-創造する)ことをINFPが助けるための偉大な手段です。
>真に偉大な芸術は私達の中で反応を呼び起こし、時には私達が持っていたことを知らなかった自分の中の感情を発見します。真実に仕える芸術家は他の人が感情を映し出すことを助ける能力においてほとんど誰よりも優れています。
>繰り返しますが、これは吸収ではなく反映(あなたの立場だったら私はどう感じるか)であり、このため芸術はすべての人に少しづつ違った語りかけ方をするのです。
>要約すると:INFJの感情吸収はリアルタイム的/同期的に行われますが、これに対してINFPの感情反映は時を越えて/非同期的に行われます。
https://personalityhacker.com/infp-vs-infj/ >>27 Feは客体(他人)が基準で主体(自分)が影響される
Fiは主体が基準で他人を考える Feはその場その場のノリでころころ自分が変わるってこと?
すさまじくアホみたいだな 気分が変わるんじゃないよ 共感してものごとの価値判断基準にするってこと だからFeは権威主義 ブランド好き 周りに認められる意見に賛同ってなる 周りがよしとするものの見方を判断軸とする
認められたがり 寂しがり みんなと同じの日本人志向な情緒判断軸かと ところがどうだろう いわゆる厨二肌天才肌 ってのは それと逆行するじゃん
特に団塊世代の次世代は そういう革新と個の尊重 少数派に対する憧れを抱えてて子育てをしてきた
その結果 世間知らずのFe/Si持ち定型が非定型を蔑みつつ 偶像の正体がサンドバックの一部であるとも気づかず 性格診断にぬけぬけとおだてられてこの板に集まってきていたと
そういう構図っすね 世間知らずというか 深くものごとを考えないんだよね
それがよさでもあるけれど それはそれで親の刷り込みとの狭間で悩むんだろうか どっちにしても彼らに心理機能論MBTIを受け容れさせるのは無理があるよ サンドバックと同じにはされたくない さりとて厨二病は手離したくないでは心理学も匙を投げる せいぜい協会や性格診断サイトをはじめとする商業心理にカモられとくがよろしいわ
どうせさして生きづらくもないんだしNPNP INFJはどう説明するの?
Feが第2機能だけど
タイプの解説を読む限り
周りに影響されるタイプには見えないんだが INFJは 漱石のこころに出てくる先生みたいな人かと
いろんな感情の類似性から 客体の本質を読み込んで 共感する だから本人は白い紙みたいなこころでありたがるんじゃないかな
K(INFP)に対するメサコンにその姿勢がよくうかがわれる 「わたし」に東大卒の卒業証書なんかわざわざ見せたりね オナニーというのは投影であり、実際のタイプはその逆 まあー心理機能論わかってくると 偏りのあるものが仮面を演じるのは実際難しいわけで
それを否定しにかかるほうがバイアス入ってるというオチが簡単に導き出されるかと ノーコメですが 村上龍を実験文学とかいいだす時点で 抽象力かなり落ちますね 脱力です
ノンフィクションのほうがまだ近い
語義もろくにググって確かめもせず突っ走ってたし キーワードのソースは大抵漫画だし
あれで高みにいるつもりなのだから始末に負えません
というかどう見ても人形 で けっこう前にわからないひとスレでENTPと見立てた人が 協会で診断してもらったらENFPだったとぼやいておいでだったことがあるのですが(自己申告)
そういう周りの意見(逆説叩き)や権威に頼るあたり は やはりFeと解釈できるんじゃないかなと思うんです 俺的にはFeを説得するにはFe的な材料を用いるしかないってなるんですが こういうパターン掲示板では不毛ですよね
だからノーコメに花をもたせたことがあるんです
それを否定できないって曲解してるのがまた痛いですね >>40
心理機能の問題点は
こういうことの説明がうまくできないこと。
何百とキャラクターを診断してわかったが
MBTIの心理機能を、ユングのタイプ論とイコールにして解釈すると
どうしてもつじつまの合わない部分が出てくる。
外人のタイプ診断を読んでみると
みんなそこの部分を無理してねじ曲げて、分かった気になっているような気がする。
MBTIの心理機能には、より洗練された新しい解釈が必要だと思う。 >>51 同感です
心理機能論とタイプ論が違いはまさにそこにあります
考えかたは至って単純かつ抽象的ですが 具体例をどこに帰納解釈するかという点においては 全体を通して眺める必要があり
一貫させるには豊富で確かな本人による判断材料の提供と見立て人の熟練を要する問題と思われます >>40 内向直観がまず来るので 事象のパターン推測が先行するんです
次に外向感情による共感的判断がそれを受けますので
いわゆる感情エンパスによる感情の吸収と調和の実現というところが落としどころになり ヒーラーだのメサイアだのと呼ばれる表現を生むことになるようです 順列で考えるとうまくいくはずが バラバラに分解して心理機能をあてがってしまうとなんでもありになってしまい
最終的に都合の悪いところは全部仮面に押し付けられ 不自然で恣意的な解釈とならざるを得なくなります タイプの説明に書いてないだけで 他者依存 寄らば大樹的な発想はINFJにも少なからずあるかと >>51
知覚優位でも判断の影響を受けた見方をするし、個々の機能は完全には独立してないんじゃね
機能二つで一つの働きをすると考え、機能自体は表現的なものとでもするといいかもね ちなみに機能-性格-仮面の三層モデルで、個々の機能と8機能全体を考えるのが仮面理論となるかもね 仮面は環境との不適応の間で形成されるもので それ自体は理論とはなり得ないのですが MBTIのタイプは他人から見た自分の傾向を他人の言葉で表したものだと思う
なので主にカウンセリングで特定される流れになっていたのだと思う
それに対して、自分の心を自分の言葉で分析したものを仮に「仮面」と呼ぶとして
仮面をユングの心理機能で表そうとしたものがユングが考えていた心理機能の扱いだと思う 内省的に心理を検討するのがユングも含めた精神分析全体に一貫する姿勢だから
自分の心を自分で分析したものは本人の考えが変われば変わるものなので
MBTIのタイプが一生変わらないという定義を考えると
MBTIでいう心理機能がユングの考えていた扱いと変わっているという指摘は
正しいと思う
だから何という訳ではないんですがw >>60
>それに対して、自分の心を自分の言葉で分析したものを仮に「仮面」と呼ぶとして
では 心理機能論の理解者が自己分析をしたものは仮面ということになってしまい 根本的に矛盾するのですが大丈夫ですか >>61
???「仮面」をユングのいうペルソナの意味だと取ると定義通りで問題ないと思いますよ 環境との不適応により「こうじゃなきゃいけない こうありたい」という偶像があって
未発達の心理機能を無理矢理使おうと背伸びをしそれと本来のタイプとの乖離を埋められず苦しむ姿を仮面と呼ぶんです
苦しみがない状態を仮面とは言いません >>60
そう考えるとMBTIよりもソシオニクスの方がユングに近いかもね だいたい人の性格は外から見て決めるものなんでしょうか
それだから 本人の意向を無視して 精神的に問題のない少数派が異常者と決めつけられることになる
こう唱えたのがユングです >>63
ユングのいう個性化というのは苦痛を伴う自己探求の長い旅の果てに獲得される
状態だと思うのでまったくおっしゃる通りだと思います >>68 必ずしも苦痛は必要ではありません
それはユングの個人的体験です >>66
そういう意味では、MBTIはそもそもおっしゃる意味でのユングの思想とは
最初から真逆のものだったのかもしれませんね ツアラトゥストラはかく語りきにあるようなくだりです >>70 違います ユングも環境不適応により仮面に苦しんだひとりだったというだけです
ユングはフロイトと違って 個人的な体験を全人類に拡大解釈するような人物ではありませんので >>73 好みなど何もいっていません 区別なく見解を述べているだけです >>73 ご指摘が斜め上です MBTIがユングであり 他者視点依存のソシオニクスはフロイトであるといっているだけです >>75
MBTIが他者視点依存でないというのがわかりにくいのですが
カウンセリングを受けてカウンセラーに言われた結果を受け入れるというのは
他者視点依存ですよね >>76 カウンセラーが 本人の話をよく聞いて 本人とともに心理機能論という第三者的視点に従い分析するのがMBTIだと思いますが >>77
すくなくとも内省的な自己分析でないという意味で他者視点依存といっています
客観的で例外を認めないとする体系であるので
>>66でおっしゃる
>だいたい人の性格は外から見て決めるものなんでしょうか
というくだりでいえば
外(自他で共有された心理機能の共通の理解という基準)で決めるものという考えが
MBTIであると言っていいと思います 他者依存といってもカウンセラー自身の勝手な解釈は極力避けるべきですよね
同様に 来談者の曲解により 心理機能の定義自体も曲げられるべきものではありません >>78 心理機能論を間に挟んだメタ認知的視点という意味でしょうか >>79
>>80
同じ方なのでしょうか
>心理機能論を間に挟んだメタ認知的視点という意味でしょうか
そう思います 78さんはクオリアという概念から客観性というものの定義を見直したほうがよいと思いますよ >>81 同じです あなたにとって 「多くの人のものの見方」が客観性なのでしょうか メタ認知的視点は決してそのようなものではありませんが大丈夫でしょうか 例えば当方に限らず キャラ管様も心理機能論から発達を追われ 自己分析の結果ENTPとされていますが それも仮面だとおっしゃるのでしょうか >>83
物理の法則は多くの人にとって共通に体験されるものですが
実際にはある有限の精度で観測されるだけの近似的なものです
そのような物理の法則を「客観」と呼ぶか「近似」と呼ぶかを断定しようとする議論は
ある種の言葉遊びの領域を出ないものと思います
同様に「クオリア」がその人にとって確からしいというのもある種の哲学的主張であり
主観的に議論しあうことで結論の出る問題設定ではないと思います
ある種の近似であるという限界はあっても体験を分類するのに
物理法則レベルの極めて精度の高い分類が可能な概念の体系を認識することに
価値があると考えています
そしてMBTIにはその価値があると考えていますね >>86 心理統計という主観による自己の定義が 物理法則の概念に近いとおっしゃるのですか 現行のMBTI及びソシオニクスは 心理統計的な視点によるものですよ それを科学と同列に扱われるとは まさにあべこべなものの見方です
85について もう一度よくお考えください >>85
MBTIのタイプはおそらく極めて幼いころに定まり一生変わらないものであるでしょうから
個人的な体験を自他で共有された心理機能の概念を頼りに記憶を「さかのぼって」
特定するものだと思います
発達を「追う」と、それは「仮面」の分析になりますので、おっしゃる意味がそうなのであれば
その通りだと思います そんなことタイプ論にはひとことも書いてありませんよ >>91
タイプ論ではなくMBTIの議論をしています
MBTIはタイプ論から発展したものですがタイプ論そのものではありません
>>90
ユングのタイプ論は仮面(ペルソナ)の分析ですのでユングの話をするのであれば
仮面(ペルソナ)の話をしていいと思います
しかしMBTIは人間がまだ自由意志を働かす以前に物体と同様ただ周囲の刺激に
反応する過程で獲得されそのために自由意志の力では変える事のできない
人間の傾向を表しているものだと思います
つまり全然別物なのです >>92 ユングのタイプ論はペルソナの分析ではありません >>93
ユングのペルソナとは単に人間の内面の生理と外面の環境をつなぐ部分を指した語にすぎません
なので生理的なものを除く心理的な分析をすれば、ユングの言葉でいえばそれはすべてペルソナの分析になります もとのMBTIとタイプ論の違いは タイプ論では主機能と補助機能くらいだったものが 8機能すべて揃ってシステム的に働くものとされ代替と劣等まで広げて16類型にモデル化したという点においてです >>95
モデルは同じでも扱いは真逆です
ユングは発展し個性化に至る発展的なものと扱い
MBTIは幼児期の記憶までたどっても一生変わらない固定的なものとして扱います >>96
逆に、そうでなければどういうものなのでしょうか >>97
>MBTIは幼児期の記憶までたどっても一生変わらない固定的なものとして扱います
これは仮面ではありませんね 本質です ユングが唱えたものも同じです >>98 ただ単にそういう記述は見られないと述べているだけですが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています