0914没個性化されたレス↓
2018/03/18(日) 17:24:40.51承認欲求って言葉自体が実はアドラー心理学的な表現じゃない
嫌われる勇気で承認欲求の否定がメインテーマの1つだったからややこしくなってしまった感がある
全体論って発想が前提としてあって、葛藤や対立は自分の内側には存在せず、自分の外側に、対人関係に存在しているとみる
だから本来はアドラー心理学では「欲求」って表現は使わないんだよな
見るべきポイントは、人との関わり方が競合的なのか、それとも協力的なのか
承認欲求は競合的なものである、というのが岸見さんの見立てなんだろう