知らぬが仏
よく理解してしまうことでデメリットも生じてくるっていうあれか
適当に考えてみるに原始的って言葉がポイントで、何にも左右されない本当の素の自分に近い存在のようなものを示しているのだと思う
自分という性格を基礎として生まれ意識を持ち始めた頃から教育などの環境を受けることで積み重ね、性格の上に被せるようにして外見上の変形が成されてゆく
社会に適応するにはよりきれいな形でなければならなく(奇形の野菜は弾かれるように)周囲の人は教育という形で素の良くない形を正そうとする
また、本人は常識を知り、物事を認知し、成熟するにつれて己のコントロール柔軟な変形という技すら覚え、生まれたときの自分を無意識化に忘れてゆく
だから多くの人は経験と知識と理性によって形作られた今の自分を「自分」と認識いていて、前提にある、そして知らないうちに否定している「原始的な自分」を意識すること、思い出すことというのは基本的にはありえないことだ
思い出してしまえばいろいろヤバい…

ってことなのだろうか