嬉しい限りであります。

秋葉原通り魔事件がありました。今回は犯人の弟の話です。

犯人である兄の両親は躾と称して虐待を行っていたようである。弟は成長する過程で虐待される兄を横目で見ながら、息をひそめ、矢面に立たない技術を身につけたことだろう。そして兄は事件を起こした。

弟のもとにはマスメディアが集団ストーカーのように押し寄せ、住居を移し職を転々としながら暮らしたそうだ。しかしマスコミは何処まで行っても弟の所在を嗅ぎつけた。そのとき付き合っていた彼女に、こういわれたそうだ。
あなたは犯人の弟だから、、そして結婚は彼女側の両親の反対により破談。このことが自殺の決め手では?と言われている。俺は兄とは違う、がこれは俺の運命である、というのが彼の残した言葉である。

岸見よ、彼の立場に置かれた上で課題の分離やらで幸せになってみよ。土地を変え職場を変えても、彼には生まれによる不幸から逃れられない。
どこまで逃げても、たとえ一見では周囲に悟られないことができたとしても、彼が逃げ続けたという歴史は彼のキャリアとして偽らざる歴史として残る。

面接官はいう。「あなたは職を転々とされていますね、なぜこうなったのですか」彼は本来であればつけた職業には就けないだろう。悲惨な家庭で生まれ育ち、悲惨な形で社会に放り出される。

過去のトラウマを現在理由としてでっちあげている?では彼のような境遇の人にそう言ってみるがいい。

彼を救う方法は、社会が彼を守る覚悟を持つことだけだった。しかしこうした不安も残る。「彼もいつか豹変するのではないか」彼が生き延びたとしても、常にこうした恐怖に本人も周囲も支配される。これがでっち上げだというのか。

アドラーの言い分は軽症患者にしか通用しない。学者を自負するのであれば、冒頭にその断りを入れるべきであり、あくまで元々幸せな人がより人生を豊かに生きるためのテクニックの紹介本という触れ込みとすべきである。

全ての人が考え方を変えるだけで幸せになれる?そんなのは大法螺である。そして社会はこの手の本の著者に、名声を与えてはならず、ましてや権威などはもってのほかである。