それと、俺の共同体感覚について、改めて語りたい。

俺は比較的運の悪い育ちだ。辛いことが沢山あったが、何より理解者が居なかった。
誰も助けてくれなかったし、それどころか軽んじられた。

そんな中で、思ったのは人類の歴史には悲劇としか言いようのない人生を送った人が沢山いる。
そして、現代社会にも悲劇はいっぱいある。

俺は、自分が多少なりとも自分でどうしようもない悲劇を抱えてしまったのであれば、より苦しむ人たちに寄り添い救いたいと思った。
俺は、原爆の手記や写真など、沢山見る。それは、俺よりもはるかに困難な悲劇を押し付けられ、その中で棄民となった人たちへの弔いだ。

そして、俺はそうした悲劇を憎んだ。あらゆる種の、人間の尊厳を叩きのめす悲劇を憎んだ。
そうした思いをこれから生まれてくる子供たちにさせたくない。だから、自分は出来るだけのことをしたいと思った。

これが俺の共同体感覚だ。