被害者役も非常にありふれた役割の一つで、同情や憐れみや自分の問題、「私と私の物語」への興味という形で関心を求める。
不満や、侮辱された、立腹したというような多くのエゴのパターンには被害者意識という要素がある。
もちろん、自分に被害者の役割を振り当てた物語に自分を同一化してしまうと、その物語を終わらせたくないと思う。
だからセラピストなら誰でも知っているように、エゴはアイデンティティの一部になった「問題」の終結を望まない。