アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 人生には「今」しかない
なぜなら、あなたの全人生は「今この瞬間」で成り立っているからです。
もしあなたが「あなたの全人生は今この瞬間で成り立っている」ということを真に理解したら、あなたの人生は「今この瞬間」でないことがなくなります。
たとえ過去を思い出したとしても、あなたが過去を思い出せるのは「今」しかありません。
また、未来のことを考えるとしても、あなたが未来を考えられるのは「今」しかないのです。
でも、人々は「今この瞬間」は乗り越えなくてはならない障害物であるかのように生きているのです。
どこかもっといいところにたどり着くために生きているのです。
でもその時は決してやってこないのです。
それは馬鹿げた生き方です。それは人生を辛くするだけです。人生が「努力」になってしまう生き方です。 「今いるところ」で、「今していること」に最善を尽くす。
あなたが今いるところに調和させていくことです。
あなたが今いるところ、あなたがどんなことをしていようと今していること、そこに没頭するのです。
たとえそれが、これからの30年間にあなたが望む人生の目的にそぐわないように思えても、あなたが今どんなことをしていようと、今していることに没頭するのです。
この瞬間に対して忠実であることが、人生に対して忠実であることなのです。 どんなときも、この第一歩しかありません。だから、そこにあなたの最大限の注意を向けていくのです。
だからといって、あなたに方向性がなくなるというわけではありません。
今あなたが歩んでいるその一歩が第一だということです。
目的地は二次的なものです。
あなたがあなたの目的を達成して、そこで出会うものは、この第一歩の資質次第なのです。 与えられた瞬間瞬間に、あなたがどんなことをしていようと、あなたが最善を尽くしてやっていれば、それが最高な次の瞬間へと導いてくれるのです。だから、次にどうなるのだろうかと心配する必要がなくなるのです。
あなたは今この瞬間に最善を尽くすだけです。 どんな未来を体験するかは「今」のあなたで決まる!
その通りです。
なぜなら、「次の瞬間」が来るとき、それは「この瞬間」としてやってくるからです。
あなたは未来を「未来」として体験することはできず、あなた「今」としてやってきた「未来」を体験するからです。なぜなら、それがすべてであり、「今」しかないからなのです。
人々がここに気づくことは素晴らしいことなのです!
「人生には今しかない、いつも今なんだ!」この気づきは、すごいことなのです! でも実際は、ほとんどの人が、目的地、ゴールを重要視して人生を生きています。
そうですね。目的とそのための手段の方が「今」よりもっと重要視されているのです。
目的のための手段と目的は同じようなものです。
つまり、あなたがどんな未来を体験するかは、あなた自身が決めているということです。
それは、あなたがこの瞬間と完全にひとつになろうと決めることで決まっていくのです。 >>186
実際はアドラーの著書から学ぶなり
海外のアドラー心理学会から学ぶなりしないとだめだろうね
大乗仏教が日本に来てから鎌倉時代に日本流の仏教に変化したように
アドラー心理学も日本産は変質してしまっているようだ >>187、>>190、>>192
>>192 これですね
情報古くて申し訳ない >>201
確かにアドラーの著書はきっと役に立つと思います
ただ、ドライカーズで理論が形になったこともあるし
日本心理学会はその系譜だということもあるし
日本文化用に最適化してるのは悪いことじゃない様に感じるので
アドラー著書じゃないとダメという程ではない様な気がしますがいかがですか? 日本の「偽アドラー心理学」は、学ぶ価値があるかというと、
あれはアドラー心理学の振幅の外側に逸脱してしまっていて、
名前だけがアドラー心理学で実質はアドラー心理学ではないので、学ぶ価値がない。
日本の「正しいアドラー心理学」は大丈夫かというと、
振幅の中にはもちろんあるけれど、揺れ幅があまりに小さい。
鎖国的で、たとえば私が教えたことを無批判に伝承している。
私がどんなに気をつけていても、私の考え方には偏りがある。
だから、別の系統のアドラー心理学を学ぶ必要がある。
日本のアドラー心理学がこれからも生き残っていくためには、
1)外国語を学んで外国へ学びに行く人を増やし、
2)研究者を増やしてアドラー心理学の理論や技術を発達させ、
それを国際学会などで発表して外国のアドラー心理学とのすりあわせをし、
3)教育者や教育プログラムを充実させて学習者のレベルアップをはかり、
4)まだアドラー心理学を知らない人たちへの広報宣伝活動を充実させる必要がある。
http://jalsha.cside8.com/diary/2010/06/29.html >>204
情報ありがとうございます
ただ、俺らが学ぶにあたり、>>204だとしても
>>201じゃないとだめっていうわけではない印象ですがどうですかね?
アドラー心理学会から学んで>>204を自分ごととして受け継ぐ立場になってからの話の様な感じがします きっかけはいろいろあっていいけれど
次の段階は本人の著書という1次情報にあたって
その後の段階で他の人の著書という2次情報にあたるのがいいのでは
5chでも他の人のレスという2次情報より
ニュースソースという1次情報にあたるのが先で
それを読むことで2次情報のどこが正しくてどこが間違っているかが判断できる
アドラー心理学の場合はどこがアドラー自身の考えで
どこが他の人の考えかがわかる なんか謎のネガティブな流れだけど嫌われる勇気のおかげで日本は世界で一番アドラー心理学が大衆化されているんじゃない? 正しいアドラー心理学ってなんなんだろ?
アドラー心理学が大事にしているのは人間が幸福になることだろ?
アドラー自身が自分の考えが一般化してアドラー心理学という学問がなくなってしまっても良いと言っていたらしいから正しいかどうかは問題にすることじゃないでしょ アドラー心理学の学者になりたいわけでもないのに正しいアドラー心理学に拘る人はアドラー心理学を実践できていない気がする >>207
アドラー心理学じゃなくて岸見氏による哲学がでしょ
哲人は岸見氏なんだろうから >>210
岸見のアドラー心理学に関する本でしょ?
アドラーの本ではないけどアドラー心理学の本ではあるでしょ 正しいアドラー知識を得ることに意味がないとは言わないけどそんなことよりずっとアドラー心理学を実践して自分を変えることのほうが大切だと思うわ 「偽アドラー心理学」と「正しいアドラー心理学」は
何が違うかだね
野田さんが「正しい」のかどうか
岸見さんが「正しい」のかどうか
アドラーと違うことを書いたら「偽アドラー心理学」なのか アドラー心理学の正しさに拘る人はアドラー心理学をオモチャにしている気がするわ
ちょっとキツい言い方だけどオモチャで遊んで自分の問題から逃げている気がする >>186
んーまあ、実際そこまで途中の骨格に違いはないから現状のテンプレで十分かと思うな。
深く学ぼうとすると学会の知識は必須になってくるけどね。 >日本の「偽アドラー心理学」は、学ぶ価値があるかというと、
>あれはアドラー心理学の振幅の外側に逸脱してしまっていて、
>名前だけがアドラー心理学で実質はアドラー心理学ではないので、学ぶ価値がない。
これが学会の創始者の見解だからね >>216
なるほど、確かにそれも言えますね
ちな、>>185の話と>>185と>>204のリンク先見ると
自己のタスクとスピリチュアルタスクはバーナード・シャルマンの理論だから
日本アドラー心理学会も受け継いでるはずってことか スピリチュアルタスクは向後さんの本で読んだ。
でも詳しくはないなあ。
タスクの切り分けは臨床上の技術だと思ってる。
その人との関わりをどの程度まで持つべきかという。
スピリチュアルタスクはまた違った局面で使われる気がするね。 >>186
大きく3派あることはテンプレに入れておけばいいのでは
自己啓発かどうかなんてのは派の違いで処理できる >>206
確かに、補正項や学会論文が役立つのもありますしね
深く学ぶときは仰る順番が分かりやすいと思います >>208
人が幸せになる事っていうのは、アドラー的には目標というか手段って感じなんだよね
アドラーの本来の狙いは、人が人を支配しない、所属を妨害しない、信頼しあい、協力できる社会を実現すること
そのための手段として、個人の心構えから競合的なものをなくし、一人一人を協力的な構えに変えていくしかないと考えたんだよ
まずは個人が人類共同体に対する所属感を獲得して、自分にできること、つまり目の前の人に対して現実的な貢献をしようと思えるようにする
それを幸せと定義しているんだよね
みんな上手にはいえていないけど、本物のアドラー心理学にこだわっている人は、この思想部分を無視しないで欲しいと思っているんだと思うよ
営業成績を上げるためとか、弱い自分を変えるためとか、金持ちになるためとか、人気者になるため、みたいな理由で使える理論ではあるんだけど、アドラー心理学の本質である、思想部分を忘れて欲しくないというのが
きっとスレの嫌われる勇気批判のメインの理由だと思う >>221
とはいえ岸見さんは総会出席で学会に和合されたでしょ?
参加者様のお話では懇談会にも出て和やかに問題解決したとのこと。
アドラー的ちゃんちゃん。
まあ最初から反目を解決したというより、伝え方の齟齬を修正したようなものでしたが。
なので嫌われる勇気からの派生を考えないとすると実質二派なのでは?
ただし当方、残る二派の違いもよく分かっておりません。
書籍をあたる限りさしたる違いはないように考えてはいますが。 >>207
大衆化される必要がなかったんだよ
それまでは理論思想技法は臨床とか教育のいろんな流派で応用されててコモンセンス化されつつあったんだから
認知行動療法とかポジティブ心理学とかね
アドラーの望み通り忘れられて全然良かった
岸見さんはいろんな先人から学んで、人から嫌われることを恐れず、自由に今を生きる、課題の分離哲学をわかりやすく体系化したわけだからアドラー心理学の名前を出さずに売り込めば、哲学者としてもっと大御所になれたかもしれないよ >>221
同じ意見です
>>186はそう思って書きました
ある程度無駄な言い合いを避けれるかなと
>>224
岸見さん自身は日本アドラー心理学会系譜なんですがら嫌われる勇気が一派相当のビッグウェーブを生んでるので
それしか読んでない人たちの人口から考慮した方が良いのでは?と考えてます
確かにヒューマンギルドは理論上ほぼほぼ大差ないですよね
運営上の考え方が違うとかそんな感じだったかな? >>220
タスク違いは日常生活でこそ使えるんじゃない?
仕事にと家庭に追われて交友のタスクに向き合えてないなーとか気づいたら、ちょっと時間作って友達と過ごしたりしてみると人生のバランスとれる気がしてる >>226
まあ、岸見さんとしては嫌われる勇気を特段一派立てる気はなさそうですから、
三派ありと記載するとご本人の意向を弾きかねないのかな、と思うわけです。
岸見さんの意向に沿う解決としては、嫌われる勇気の記述に関して、取り沙汰されている問題の解説を行い、
学会にソフトランディングする、そうした手立てなのではないでしょうかね?
ですよね、当方の素人考えではエピソード分析がないだけのような気がw
現場の詳細が分かりませんが。思想への意識が関わっているのかもしれないですね。 >>228
会話内容が治療的じゃないってことじゃない?
「つまりあなたは過去の記憶を持ち出して人生の課題から逃げてるわけですね」って言っても、普通は反発されて余計厄介になことになって治療が成立しないような
青年はどんなに反発しててもすぐ素直になるからちょろすぎるw 一時期岩井さんがここで嫌われてたから変なこと書いてあるのかなと思ってなんとなく避けてたけど、そろそろ読んでみようかなと思ってる
とりあえず岩井さんの本を一冊読むならどの本がおすすめ? >>230
岩井さんのがっつりな著書は分からないけど、
テンプレのアドラー心理学ワークブックはセルフエピソード分析プラスアルファな感じで良いと思います >>220、>>227
>>185のリンク先見てなるほどと思ったんやけど
自分のストレスや劣等感や悩みをタスクに分類するっていう使い方は良いと感じた
これはつまり臨床的な使い方ってことなのかな? >>228、>>229
学会にソフトライディングというのは良さげな考え方ですね
実際は哲人よりも臨床寄りの関わり方が望ましいのでアドラー心理学会の著書から学び直すのをお勧めします的な
>>229
>>228の下はヒューマンギルドとの比較についてだと思いますよ >>231
おもしろそうだけどKindle化してなかった
ありがとう今度買ってみます
見た感じ「勇気づけの心理学」がアドラーブーム以前から出ててベストセラーっぽいね
とりあえず先にKindleでこれ読んでみる >>229
哲学者との問答だから
別に治療する必要もないよ
>>228
嫌われる勇気で特徴的なのは
>わたしにとってのアドラー心理学とは、(略)哲学です
と規定している点
そして自己啓発としての位置づけも題名で示されている
アドラー心理学は哲学に含まれるものであり
また自己啓発の意味合いも持つ
ここが異質ではある
そして筆者は他の心理学についてはよくわからない あの嫌われる勇気の対話をちゃんとした専門的なカウンセリング形式でやったらおもしろそうだけどなー
難しいものかな? >>229
治療的枠組みは出来てなさそうだから、
まあ、しかめ面で許容範囲じゃないですか、と無責任w
>>232
自分としては、タスクを、カウンセラーがクライアントの問題を区別する際のもの、
という認識で使う場合に臨床的だと言ってますね。
つまりクライアントが人間関係で悩んでいる時に、
相手役との関係の深さで対応策が変わりますよね。
愛のタスク関係なら根気強く話し合うのがベターだったり、
仕事のタスク関係なら連絡を断つのがベターだったり、逆に家族とコミュニケーションを断つなんてのはダメージ大きくなるわけで。
関係の深さによって対応策は大きく分かれると。
診断初期に手掛かりのないカウンセラーが相手役の区別を行うために使う、
そのやり方が臨床上の用法だという認識。
なので個人が自分にセルフケア的に同じことをする場合も臨床的と言ってもいいでしょうね。
セルフタスク、スピリチュアルタスク、どう使うんだろう。
悩みを、相手役のみならず自己や自然を含めた大きな入り口で捉える、ということになるのかな? >>235
岸見さんは哲学出身のお方ですからね。
そして嫌われる勇気には、マーケットの考えが入り込んでいる気配があるw >>234
良さげなタイトルですね!
違いとか面白いとことか発見して面倒でなければ共有いただきたいです
>>236
前スレかその前のスレ辺りで、昔はそれあったらしいってレスがあったよ
ドーン形式って例えが面白かったw >>237
余談だが、たった今リーガルハイのスペシャルのドラマを見てて、夫を医療ミスで亡くした妻が裁判で、病院側についた堺雅人に負けるんだよね
夫ひとりのかえがえのない命も、妻のやりきれない気持ちも、日本の医療の進歩の礎になるという理論で納得するしかなかったけど、そこをなんとか納得させて前を向かせるものがスピリチュアルタスクなんだろうなとなんとなくリンクした >>237
セルフタスクは自己受容とか認知行動療法の領域っぽい匂いがするけどどうなんですかね?
スピリチュアルタスクは世界への決めつけ認知への対応かな?
新幹線無差別辺り酷い様に考えてそうとか引き合いに出してみたり
あれ事前にアドレリアンと関わる機会あったらなと思っちゃう(レス不要です) ライターの人が岸見アドラー学を提唱しているから
アドラー心理学と岸見アドラー学は分離したらいいのでは >>240
なるほど、公憤のそれを建設的とか協力的な行動に仕向ける辺りを説明すると該当しそうな予感っすね 本出版にこぎ着けた人たちから聞いた話だと、
編集に話をねじ込むコンサルタントの時点で思い切りプランを尖らせても
編集でさらに売れ筋にする為にバラバラに解体されるって話だったしね >>239
とりあえず「勇気づけの心理学」一章だけ読んでみた
今の日本を取り巻く問題をみるとどうも人々が勇気欠乏症に陥っているようだ、この問題に取り組まないと未来がない、立ち上がろう!みたいな始まりで好き嫌い分かれそうw
俺は好きだけど
読み終わったらシェアします >>240
うんうん。
スピリチュアルな領域でしか解決しえない問題。 誰が死んでも、遺された生きているものは生きていかねばならない
じゃあ、どう生きようか?
とても簡単な話ですよね、アドレリアンにとっては >>244
岸見さんの他の本だと課題の分離に拘って強調してるかといえばそうでもないもんね
まあ確かに日本で共同体感覚全面に押し出した作りにしてもほとんど食いつかれなかっただろうけど このスレはアドラー心理学を玩具にしている気がするわ >>250
いや釣りとか煽りじゃないよ
アドラー心理学の中で間違い探しをしたり優劣をつけたりして遊んでいる気がするんだよ
大事なのはそれらを使って自分を成長させることなのに >>252
理解を深めようとしていると考えてみるのはいかがですか? >>253
派閥争いを話し合っている姿を見て理解を深めているとは思えないな >>252
今している正しいアドラーとはなにかのの議論のポイントの1つは、自己啓発とか成長のためにアドラーを使うってどうなの?ってとこだと思う
飛躍してる人もいるけど
自己成長とか欲求充足、願望実現よりも、共同体感覚の観点からすべき協力的なことを選べる、理論技法思想が一体となっているアドラー心理学をどう学べるのかって事 >>254
アドラー心理学を語る上での基本定義を整理しようとしてるんだと考えてみるのはいかがかな? >>254
つまり、今のスレの流れとあなたの考え方は競合しているということかな? >>254
単に成長するのをよしとするのではなく
動物的な成長よりも社会的な成長という感じなんだよな このスレの住人のタチ悪いところ
荒らし相手の口論でも学んだ事のアウトプット材料に変えているところ
そうして結果的には成長してしまうところ笑 またカウンセリング風レス番荒らしみたいな流れになっちゃうのは
見過ごせないというか見飽きたのでおそらく狙いとなってる流れ答えを言っちゃうと
スレの流れをネガティブに捉えているということは、
自分の考えに対して競合しているという認知があるのだと考えられるから
>>127にある様に、競合的かどうか確認してる
それが競合的なら、アドラーカウンセリングなら競合的な言い争いではなく
当人はアドラー心理学を成長の為に使うべきだと言っているのだから
その為に協力的解決を提案し、協力的な手段を話し合う流れになるって感じかな
さらにこれまでの流れを踏まえると、このスレへの不満は交友のタスク的だと見れるから
課題を分離して様子を見るということも提案できるし、
アドラー心理学を使って成長することとスレの流れを建設的に転換することを
協力的に進めるために提案できることは何か考えてもらうことも提案できるかもね >>252
まさに>>8の事だと思う
ここを押さえないてアドラー心理学と冠している本を読んで使ってもアドラーの実践にはならないと思うよ >>259
それに合わせて荒らし側のネタの巧妙さも成長していってる気もするなw
意外にちゃんとレス番を追ってそれに沿った釣り方をするw >>255
アドラー心理学を自己啓発や成長に使うのは当たり前だろ
このスレの人はアドラー心理学による治療を否定しているのか!? >>256
そんなもの学会なりが決めているからそういう本やサイトをみればいいだろ
なんでわざわざ素人の集まりがアドラー心理学の基本定義について議論しているのかホントに不思議だわ
こういう部分がこのスレの人はアドラー心理学で遊んでいるように見えるんだよ 日本アドラー心理学会より
治療技法としては、
·現実的に達成可能な治療目標の一致をとること(目標の一致)
·クライエントの言うことの主として目的について推量をして、それをクライエントに確認をとること(解釈と推量)
·クライエント自身が自分の責任で解決しなければならない課題と、クライエントには責任がなく介入する権利がない課題とを区別すること(課題の分離)
·目標達成のためのさまざまなアイディアを提供すること(代替案の提示)
学会がアドラー心理学を自己啓発や成長に使っているのにどうしていまさら問題にするんだ?
学会が絶対的に正しいわけじゃないけどはっきりいって素人のお前らよりは信用出来るだろ アドラー心理学で遊んでたとしてもそれってあかんことなんかな? お前らはアドラー心理学の定義を議論することではなくアドラー心理学を実践してみて起こったことや気づいたことを伝えあうことのほうが建設的だと思うんだけどな >>266
俺アドラー派のカウンセリング受けた事あるけど達成したい目標のままではいさせてくれなかったよ
狙いは一緒に役割を果たしてる感なんだろうなと思った >>262>>265
お前らが一番の荒らしなんだよ
会話に混ざらずに外野から荒らしだのなんだの中傷するだけの奴が一番ウザい アドラー的に見ると
一人の強い競合的な意見に対して全体が協力的に合わせるよりは、
ここは生暖かい目で華麗にスルーしていく方が推奨されるかな。 >>271
そうやって対立を煽る発言をするお前が競合的なんだよ 嫌われる勇気だけの考え方だとどうなの?が出発点で
テンプレでその議論を少なくする目的の話し合いだから
そこをおさえておけば今の荒らしの流れも少なくなるって寸法でやんすね 笹やんはそろそろ人はなぜ神経症になるのかを読み終わる頃かな? 平日のど真ん中の午前中にレスできるアドレリアン多すぎw >>245
ありがとうございます!
熱い方向に偏ってますねw
そして俺もそういうの好きかもw >>269
カウンセラー側にも、クライアントだけでなく相手役の所属のニーズを満たすという思想が必要って話だったね
その辺が他の手法やコーチングなんかとは違うところって補正項に書いてあった 理論見落としてるかも知れない話だけど
所属する会社の社会存在意義とそのやり方に対して自分の思想が明確に競合してる感じて、協力の目線に切り替えられないとしたら
仕事の話だし課題を分離して完全に労使の課題しか残らないってなっても辻褄が合うよね?
さらに協力的な行動を実践する為には、対話を試み続けることになると思うけど
少なくとも対話の機会が作れない間はただ給料分働くか、
嫌なら辞めて別のところで働くかってくらいしかやることないよね? >>204
「正しいアドラー心理学」と「偽アドラー心理学」
っていう基準がどうなのだろう
学会の初代会長はある本の序文で
アドラー本人の論を「古すぎる」と書いてるようだから
アドラー自身が正しくないともいえるし
逆にそれにアドラーが賛成するとも思えないから
日本の学会が正しくないとも言われそう >>285
協力の目線に切り替えられないのはひょっとすると思い込みかもよ? >>286
アドラーは死ぬのちょっと早かったからね
アドラーが死んでからアドラー心理学が体系立てられている >>266
嫌われる勇気至上主義やめたのね
キミも成長したんだね >>287
>>285ですがそれはそれであるかも知れない
辞めたいから競合の目線を利用している可能性はある >>290
事情はわからないけど
いかなる時も協力的に暮らす事ができるというのがアドラー心理学よ考えだし実践らしいよ
協力的と競合的については一時的この論文を読み込んで学んだよ
http://adler.cside.ne.jp/database/064/064_02_ihara.pdf
一部引用
集団との関係
「優越と劣等」
個人の求めるものは集団の求めるものと、しばしば対立している
「平等」
個人の求めるものと、 集団、 夫婦、 家族、 人類の求めるものは、 同じひとつのものである
したがってそれが共同体の利益となる >>263
自己啓発や成長と 治療は違うところがある
前者はプラスをよりプラスにすることだが
治療はマイナスを減らしたりゼロにしていくこと >>292
アドラーの場合はさらにそこに別のベクトルが加わる
ゼロからプラスでも、マイナスからゼロでも、つまり結局は相対的マイナスから相対的プラスへの力動だよね
このようにどちらも同じ地平で捉えた上で、勇気づけを使って相対的マイナス状態のままでもすでに所属を達成できていることを認識にあげる
そうすると、相対的プラスに向かって「協力的な」力動に変化する >>292>>293
その内容だと別にアドラー心理学は自己啓発や成長でも良くね?
わざわざアドラー心理学を他とは違う特別な思想にする必要はないと思う
同じ自己啓発や成長でも色々な手段があるんだしアドラー心理学はその中の一つでいいだろ >>292
自己啓発本読んだことある?
マイナスをプラスにする本が多いぞ
特に有名な道はひらけるなんてネガティブな状況から活路を見出したという内容が多いし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています