アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>765
凄いという言葉は評価を表す言葉であり感動を表す言葉ではありません >>768~774 >>778
よそでやって下さい 褒めたらだめは嫌われる勇気オリジナルか日本オリジナルだろうから
ここは納得できない人は除外すればいいのでは
実社会でほめることなしは現実的でない
計画経済みたいに理想的な人間ばかりが想定されていれば理論上は可能かもだが >>782
アドラー心理学では褒めるのではなく感謝を伝えます >>782
褒めない叱らないはドライカースからだよ
褒めない代わりに勇気付けるとという観点が抜けてるから、「実社会では〜」なんて論点がそれてしまうんだよ
感謝を示したり、長所を指摘したり、横の関係を意図した勇気付け的なコミュニケーションはどんどんやるんだよ >>787
意味が分からないので説明をお願いします >>782
部下「〇〇様との商談がまとまりました!」
褒める上司「よくやった。これからも期待してるぞ!」
勇気付ける上司「やるなー。君の頑張りに元気をもらったよ。俺も頑張らなきゃな。」
褒めない上司「了解。で、次の仕事なんだけどさ、」←これだと思ってるでしょ? >>785
学校教育としても中学校ではもう無理なような
中学受験するような小学生も難しい アドラー心理学で社長に上り詰めたとか上場したとか聞かないな
東大に合格しましたさせましたというのも聞かない アドラー心理学を使って成功者を目指すようなことを謳ってるのは似非アドラーだってある人が言ってたよ お金や地位権力みたいな意味での成功とは別の文脈で存在する心理学だからあたり前やな アドラーの基本テーマは
人間の行動原理は権力への意思である
権力への意思は共同体感覚で代替できる
だから普通に考えたら成功者からは遠ざかる人の方が多いんじゃないか? >>797
そうやね
個人的には権力に向かう社会通念からドロップアウトする為の心理学だと思ってる まあより社会の役に立とうとした結果社会的成功をおさめちゃった人はいるとして
その人たちがアドラー心理学を実践したわけではなくともアドラー心理学的だと見れるから
アドラー心理学を使うと必ず成功しないと言い切ってしまうとまた違うとは思う >>801
先取りしてラインを明確にしてみただけだからそこは普通にスルーしてもらえると助かる 横関係の人でも褒めることあるし、
操作目的でなくても褒めることはあるよ >>803
そんなことないんだよ
協力的な暮らし方を身につけた子どもは上手に競争を楽しめるようになる 最近というか癖としてどうしても自分を呪う言葉が一人になると口を突いて出てしまいます
環境のせいにはしません、環境は全て自分が作り出したもの、自分が悪なのです
人生を諦めるには長すぎるとは解ってますしそう諦めないですし
そうは言っても絶対に自分を好きになることはないとも思ってます
常日々自分の無能さを思い知り自分には生きる資格がないと最終的にはそこに帰結する
結局人生の責任を取ることから逃げているのだとは思います
甘えまくっているこの考えだからこそ生きる資格がないのだとも
他の人ならば当たり前なのに
アドラーを学んでも常に自分が周りを敵にしてしまっている
自分が自分の人生を生きようとしないから生きている意味があるのか…と >>807
アドラーにはまると究極は自己責任になるから
そう考えるのも仕方ない >>786
自分で自分を褒めるのはいいのでしょうか? >>876
どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている誰か≠ェいて、あなたを待っている何か≠ェある。
そしてその何か≠竍誰か≠フためにあなたにもできることがある。 >>810
自分を褒めるのは褒める人と褒められる人が同一人物だから操作的になる弊害がないのでどんどん褒めておけ >>809
一見自己責任に思えるかもだけど
むしろ究極は自己責任にはならなくね?
責任をそれぞれが分担して協力してるとするわけだから >>812
それはアドラーの全体論として矛盾してますよ。
褒める自分と褒められる自分がいることになりますから。 >>814
全体論は部分が存在しないという意味ではなく、部分と部分が協働関係にあるという意味です
ちなみに自分を褒める事は>>812の理屈で岩井さんが大いに推奨してます
岩井さんはアドラー心理学の本流ではないと思うので異論は認めますけど 多くの人々が、あらゆる物質に中毒になっています。
中でも最も重症な中毒症は「思考中毒」です。
なぜなら、人々は中毒になっていることにさえ気がついていないからです。
お酒や煙草、食べることをやめられないのと同じように、考えることがやめられないのです。 考えることを完全にやめるという意味ではありません。そうではなく、条件付けられた思考、止まない頭の中のおしゃべりの奴隷になることから自由になることです。 >>807
ある一定の水準に達したら好きになれるとお考えなのかな
まあそう考えて足りないところを探してしまうのも仕方ないのかも知れない
オススメなのは、演技でも良いから毎日自分を許したり褒めたり感謝したりの言葉をかけたり
自分で自分の頭を撫でたり心の中の弱い自分を抱きしめる様に自分を抱えこんでみてほしい
最初は違和感あるかもだけど、そうする自分を自然と受け入れられるようになってきたら
だんだんと他者貢献による貢献感も増してくるんじゃないかと思うよ >>807
自分には生きる資格がない
なんて自分で決めることでもない
神様に委ねる性質のものでしょ 資格はあっても権利は剥奪される場合があるということでは?
法を犯せば法で守られる権利を剥奪される様に 少し質問です
自分について最近気付いたのですが、自分は自立していないのかと思って悩んでいます
まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
これも「誰かに頼る」という目的があるからと考えています
髪の毛をよく触るクセもあります。
なにも手入れをしていないときは触らないのですが
ワックスなどでセットした後の毛束になっている部分などを触ってしまいます。
これも髪の毛を触ることで「誰かに守られている安心感を得たい」という目的があるのかなと思いました。
最近はこのクセが本当に嫌で、でも気付いたら触っています。
たまに爪を弄るクセもあります。
共通しているのは気になったら無意識でやってしまってるくらいになっているということです。
これはアドラーとは違いますが軽度の強迫性障害?というやつなのかなとも思っています。
長くなって申し訳ございません、まとめると
1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
です、宜しくお願い致します。 >>826
>1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
アドラーで言う自立とは、共同体感覚で生きることだと思うので
とりあえず自立しているかどうかは気にしないことを含めて自分を勇気付けを行い、
共同体感覚を育成していくのが良いのではないかと思います
ちなみに、近年の心理学界隈では自立とは依存の対象を特定の範囲から
多方向に広げることだと定義されつつあるそうなので、
自己執着から共同体感覚に変革させるということでつじつまが合うと思います
>2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
>まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
私も方向音痴ですが、Googleナビに頼って頑張っています
基本的に、得意不得意の範囲のことなんじゃないかな?と思ってますが
頭の中でMapを描ける人への憧れはちょっとありますね
つまり、気にしなくても相互協力的に生きることで解決できるのでは?と思います
>髪の毛をよく触るクセもあります。
>たまに爪を弄るクセもあります。
癖があるのは全体論的なメリットがあるからで、自分にとって望ましい方法で
目的を達成する様な方法を作るのが良いと思います
「誰かに守られている安心感を得たい」は究極そうなのかも知れないですが、
セットした髪の毛を触ることで「人から良く見られたい」とか
「欠点を露呈させないでいたい」という願望もあり得るんじゃないかと思いました
そしてそれは別に悪いことではない様に感じます
まあ、それを直すとすれば共同体感覚によって代替え的に叶えられることになりそうですが、
髪型をセットしないで人前(信頼できる人)に出る癖を付けると自己受容や、
他者信頼への刺激にもなるかも知れません >>827
すいません言うの忘れていましたが、僕は以前に相談させていただいた音楽やっているものですw
1.自立というのは一般的に使われる意味でのもののつもりで書きました。
2にも繋がる話なのですが、「誰かに甘えてしまっている」現状が問題があるなと認識していまして。
というのも、音楽の専門的な話になって恐縮ですが、演奏をするときに例えばリズムを他の演奏者に任せてしまうのです。
これは僕の師匠曰く「他のプレイヤーにおんぶだっこしてもらっている状態」で
本当に良いアンサンブルをするためには、まず自分が一人でも完結するように自立していないといけない、と言われました。
それを踏まえると、日々の行動からも他人任せというか他人に甘えてしまっていることが多かったのかなと思ったのです。
そういう意識を改善することで自分の音楽にプラスになるのでは、と考えて今悩んでいます。
申し訳ないです、この前提がないとダメでしたね(^_^; >>828
お久しぶりですw
リズムを取るのが自分の課題であるのに関わらず、他者に依存している現状から脱却したいわけですね
あくまでアドラー心理学として考えていくと、まあ恐らく、
リズム取りは一人で完結するものではなく、メンバー共通の共同の目標ということだと思いますが、
その役割分担の一旦を担えていない現状からレベルアップすることで
アンサンブルの中で貢献したい、という話になるのだと思います
解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
>>826->>827の内容を踏まえると、「欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼」が
テーマになりそうだと感じました
先ずは完璧なリズム取りのできない、不完全な自分を受け入れつつ、
アンサンブルの中で最初はリズムを乱すかも知れない可能性について
みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました >>829
お久しぶりです、いつもためになる意見をありがとうございます。
>解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
もちろんそう思いますし、練習もしているのですが
全体論?の考えから、普段の行いを変えていくことにも意味があるのかなと思い>>826のようなことを考えました
欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼、は確かにその通りですね。
僕のまだまだ至らない点であることは自覚しています。
>みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました
言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
「自分は上手く出来ない、下手ですけど」と前置きした状態で一緒に演奏してもらう。
ある意味保険をかけていると思われる危険性もあるのでは?と思います。なまじ僕も一応趣味の枠を越えて活動しているものなので尚更です。
ですが、今僕が書いたことは多分にアドラー的ではありませんねw
もっと良いやり方ももちろんあるのだと思います 嫌われる勇気のドーン形式で付け加えると、音楽家としてリズム取りに問題があるという欠点から目を背ける為に
他人に甘えて自立できていないという言葉を利用していると考えることができます
そうではなく、自分の課題となる仕事にそのまま向き合うために、
自分の欠点をそのまま受け入れ、立ち向かう姿勢が必要になるのではないかと思います
その欠点を受け入れて立ち向かうためには、師匠や他のメンバーから許されないという認知を変えて
自分の欠点克服の為にみんなは協力してくれるというライフスタイルに変容することが効果的だと考えます
さらにこの他者信頼、自己受容を育てるためには、共同体感覚の育成が重要になるので
アンサンブルの中で自分のリズム取りの課題に取り組むという合意を得ることに加えて
自分がどのようにリズム以外の項目で役立っているのか認識して自分を勇気付けるのも効果的だと思います >言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
ここは趣味の枠を超えた音楽家として猶更難しい問題なのかも知れないですね
個人的には、自分の欠点や、それに対してどう取り組んでいるのかをそのまま伝えることで
プロとして課題に対して甘えのない状態で且つ、協力関係を結ぶことができると感じているので、
一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみるのがお勧めに感じています
あえて現実的な基本を申し上げると、練習中は失敗しながら克服することに利用し、
本番は完成度、クオリティを高めることに全力で貢献するという流れになると思います >>831
なるほど!
自分はちゃんと考えていると思っていたことが実は自己欺瞞だったのですね
これは言われなければ気付きませんでした。
ありがとうございます!
ライフスタイルを変えるべく努力します!
全て腑に落ちました。 >>832
>一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみる
これというのは「僕はリズムが甘いので、みなさん協力してください」みたいなことを言うということですか?
「どうせ僕なんかリズム悪いし…」じゃあダメですよね。
「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
色々な言い方がありますね(^_^;
すみません、最後の2行少しよくわかりませんでした。
利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk? >>834
> 「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
これ良いと思いました
「リズムの良くない箇所に気付いたらどんどん指摘してください」とかも有りかも?と思います
> 利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk?
単純に練習時間を利用する、という意味で書きました >>835
そうですか!
実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
自分よりも年下の自分よりも優れたプレイヤーに、ダメなところを指摘してもらって、改善策も教えてもらったりしました。
もちろんそれは中々精神的にダメージがありましたがw
結果的には以前よりも改善出来てきたように思います
>単純に練習時間を利用する、という意味で書きました
ありがとうございます意味がわかりました(^_^) >>836
> 実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
そのご経験は今回の対応にうまく役立ちそうな感じですね!
こちらこそありがとうございました
お話を伺っていて、自分にも当てはまる部分があるなと我が身を振り返る良い機会にもなりました
またやってみてどうだったのかシェアいただけると嬉しいです(^^) >>833
努力はやめなさい
努力しなくても出来ることをしなさい >>838
努力しなくてもできることをするのはやめなさい
変わらないための努力を全力でしていることに気づきなさい
変わらないための努力をやめれば人は必然的に変わることを知りなさい >>837
シェア、もちろんです!
今回思ったのが、自分が目的だと捉えていたことが実は自己欺瞞の考えだったというパターンもあるということですね
というかそういう解釈もできる、ということですね >>839
努力しなくても変化を起こせることに気づきなさい
苦しい思いをしなくても楽になれることに気づきなさい >>840
シンプルに考えてみることで本当に問題がシンプルになるっていう考え方は
確かにアドラーっぽいと感じました
複雑に考えてる時ほど自己欺瞞が隠されてる場合も多いしこの考え方は役立ちそうですね
結果のシェア、楽しみに待ってます♪ >>838
それはあなたの考え?
アドラーはどんな時も人の行動は劣等感補填のための努力である
というのが基本前提だよね? 努力の行動だろうが努力じゃない行動だろうが、自分がワクワク楽しめる何かから始めてみるのは意外にオススメかな 努力は行うことの喜びや楽しみを奪います
努力は現在を未来のための犠牲にします
努力は今の自分を受け入れられない人がすることです やる前は億劫で自己犠牲の努力だと感じる内容でも
やってみると意外に楽しくて自律神経を整えたり毎日が楽しくなる様な行動もあるから
一概には言えないと思ったりするけどね〜 >>849
認知論〜結果論的にそうなるよねって話しね 例えば野球の練習、素振りや守備練習は完全に努力だけど、
上手くなっていく感覚は実に楽しいものだしね〜 >>836・>>837
ビートルズと、ピート・ベストの話を参考にしろ >>851
練習を楽しむ人もいます
目的のために苦労して練習をする人もいます つまりは、楽しくなければやってはいけないなんて理論はどこにもないわけで
アドラーは目の前の楽しい欲求を叶えることよりも、理性的に建設的な生き方を選ぶ勇気を推奨したとも言える >>855
そもそも楽しくなければやってはいけないという理論がありません >>850
あなたは時間がズレています
私は行っているときの話をしているのに対してあなたは行う前の話をしています >>855
そもそも楽しいことをしなければならないという理論がありません まあ努力云々は語弊があるが、言わんとすることはなんとなく分かるわ 苦しまなければ対価を得ることはできないっていう認知の人とか
そういったブラック企業的なコモンセンスも存在するしね 極論かもだけど>>847は一理あると思ってしまった 未来のために行動をしてはいけません
今のために行動をしましょう
今の積み重ねが未来の目標に繋がり今の質の高さが未来の質の高さに繋がります >>863
そら売れてる本のコピペだからそうだろうな >>860
苫米地じゃないよエックハルトトールのコピペだよ >>865
なんて本?
嫌われる勇気にこんな文章あったっけか アドラー的な教育をしたらガキ大将とかはいなくなるのかな? アドラー心理学はガキ大将心理学と言われているみたいな内容をどこかで読んだことある気がする
うろ覚え アドラー自身がガキ大将だったときいたことがあるが、
くる病やら声帯の痙攣やら、肺炎にかかったりあまり、体は強くなかった
ようなので本当にガキ大将だったかは疑問。
友達との関係が横の関係ならガキ大将は出現するのか?
子供なりのルールを作って民主的に行うにしても仕切る子は出てくるだろうけど。 それも聞いたことあるけどそこじゃなくて、ロジャースとかの心理療法と比較してアドラーはみたいな感じ 因みにおれが子供の時に同級生で権力を持っていた奴は、ガキ大将ぽくなく
ケンカも強くなく、勉強もできるわけでもなかったが、
ただ、人を無視したり、仲間外れにする能力が高くて、皆からゴマをすられていた。
やはり、所属なんだと思う。
ひょっとしたら、アドラーも同じタイプだったのかも知れない。 >>874
どんな意味か良くわからないけど気に障ったならすまなかった >>797
野田さんの本で金儲けの話あったよな
金儲けしたいけどなかなかうまくいかない→実はクリスチャンで金儲けに罪悪感を抱いていた→金儲けを共同体への協力行為と見做すみたいな方向に変えていきましたよみたいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています