>>697のつづき

高校3年生の夏休みの1ヵ月間、東京の塾に通うために兄貴のアパートに居候したんです。昼は予備校に行って、ライブのある日は夜、ライブハウスに行っていました。
その年の夏、今はマリオンが建っている場所にあった日劇で『ゴジラ大全集』というイベントをやっていて、『キングコング対ゴジラ』『怪獣大戦争』『ゴジラ対メカゴジラ』の3本を毎日上映して、
最後にその日だけのスペシャルな東宝特撮映画を上映するというイベントがありました。
ライブに行かない日は、そっちに行っていました。そんな生活でよく大学に受かったもんです(笑)。大学入学後も、新宿のロフト、渋谷の屋根裏によく行きました。

─その頃のエピソードを先生の同級生の方がブログに書いてあるのを拝見しました。ミッション系の大学のキャンパスに異様に黒ずくめの人がいて……という。

山岡:あぁ。ちなみにあのブログだと私のことをGENETと父親が違う義理の弟と書いてあるんですが、本当の兄弟です。
まぁその方がドラマチックな感じがするのかもしれませんが(笑)、私が祖母の姉の家を継ぐために養子に行ったことで18歳から名字が変わっているので、勘違いしたんだと思います。
その頃からAUTO-MODのステージにも上がるようになったんです。最初は81年ぐらいだったかな。
屋根裏の昼、ルースターズが初めて東京に出てきた頃のライブで、対バンがAUTO-MODだったんですが、ジュネから「風邪引いて声が出ないから」と前の晩に電話が掛かってきて、ツインボーカルでやりました。
それが私のステージデビューです。その後、メンバーがリザードに持っていかれる事件があったり、ジュネもステージで「AUTO-MODは辞める」と言ったり……。
メンバーが足りないこともあって、リズムボックスとベースシーケンサーをくっつけて、それプラス、ギターで変則的にやろうと。リズムボックスなどの機械のオペレーションは「お前がやれ」みたいな感じで私が担当しました。

つづく