堤信三主計少佐 →→    堤新三主計少佐(正)

最期の戦闘
堀口軍医少佐戦死のその8月8日は、激戦となり総指揮官の深見盛雄大佐もこの日に戦死していますから
英軍とグルカ兵の待ち伏せ攻撃を受けたものと思われます。大混戦となったその日の戦闘の
状況はは生存者の堤新三主計少佐も把握して
おらず、三八小銃を構えて進むうちに遭遇したか、あるいは有利な陣地に潜んだグルカ兵の機関短銃の掃射などで、
撃ち倒されたものと思われます。このシッタン作戦よりずっと前のインパール作戦時より、難解であった日本陸軍の暗号が解読
され、米軍の司令官スティウェル中将いわく「うちは日本軍より速く情報を入手」の惨状。
1944年2月より米軍ニュ―デリー暗号解読支隊が稼働、同時にIBM製暗号解読機が稼働開始。
米軍は日本軍の動きを伝える日報の作成を開始。