>>408        続く
これは凄いと思うもの、中国・天津市に永く住んでいた、私の母が遺した伝言。

海から上陸すると、北京の手前に在った天津市。多くの欧州巨大財閥もここを足掛かりにして
奥の院である
北京の政治さえ左右していた。小上海といえるほど、多くの謀略機関、アヘンの販売屋、
アヘンの輸入屋、輸出屋などが集まり。WW2の間は活況を呈していた。上海を
小ぶりにしたような歴史の街の、日本租界の中に母は住んでいた。

母は機嫌のいい時は寝物語で、天津時代を懐かしむ様にして、次の話をしてくれた。母は
軍属の娘であったため、大きな屋敷で、中国人と朝鮮人のマーマと呼ばれる、年配の
家政婦を、3,4人雇い、帰国した日本では貧乏地獄に堕ちたが、天津では裕福だった。母の
放課後は、フランス租界の豪勢ぶりや、そこのアイスクリーム、英国租界の冷暖房完備、日焼け防止用
の紫外線カットの紫色の分厚いガラスのはまった、豪快な英国製ビルディングに圧倒されていた。

繰り返して、耳にタコが出来るほど母から、聞かされた伝言

1  中国人はすごいのよ。畑に入っていって、そこで青ネギを抜いて土を払って
   そのまま、畑の中で食事を始める。口の中に入った土や泥は、ぺっ と吐き出して
   おしまい。そして「メイファース」?  明日がある、明日になったらきっと良い事もあるさ
   と言いながら死んでいくの。胃が強く、たくましいのね。日本人とは全然、違うのよ。
2  日本軍は反抗する中国人を捕虜にして、憲兵隊の入り口近くの、外から誰でも
   見える位置まで引きずりだして、そこで水責めみたいな、ホースを口に突っ込んでね
   そしてね、そこでな、うっつ、うっつ
3  朝鮮人は中国人からいつも罵倒されていたの。 「日本人と同じだからといって、いばりやがって
   今にみていろ」
4  周恩来首相には地元で有名なお金持ちの女性が応援についていたのよ
5  日本人の食べる白米は中国では値打ちのあるぜいたく品だったらしく、どんぶりいっぱいの
   お米を持ってよく、中国人の家にいって、マントウという中に野菜や肉が入った中国人が
   主食にする饅頭と交換してもらったの。珍しかったのね、お米の量の何倍もの量の饅頭をくれるの。