桂小南を、かたろう
三十石、代書屋など、師匠でなければ・・・という
文字どおり孤高の名人でしたね・・・
CDやビデオがあまりないようです。 代書屋は・・・
まあ〜〜 今はこう便利になりましてな、司法書士さんっち言うんですか
昔はこの〜 代書屋さんと言いましてな、
年の功はそお〜60を越えて、いつも表向かって眼鏡をこう・・・
鼻眼鏡にいたしましてな、何が世の中おもろいんや?っちゅう顔しとる
で、机なんてもう何年前拭き掃除をしたかわからん・・・まあ、鳥羽伏見の戦い
よりあとにはふいたやろ・・・っちゅな机の上に、筆と硯・・・もう、
かすがこびりついとりますな。なんかでもろた、文鎮と
茶渋が何層にもくっついとる湯飲みにこれ以上の出涸らしはないで・・っちゅう
お茶がはいっとります・・・
てな、感じでしたね。 「菜刀息子」や「茛の火」も良いぞ。
暖かくて上品な感じの江戸の上方落語家でしたな。
すげぇ好き。
弟子には文朝もいたし。 「へぇ」とか「ほぉ」とか「ふぁ」の使い方が
絶妙だった。
袴姿が似合ってる。 ええ、ようこそのおはこびでございます。
もうしばらくの間でございます。
ハイジャックにでも遭ったつもりで我慢をして
いただきますが……。
このフレーズ、なんか、好き。 私も小南さんの「いかけや」好きでした。
あと、仕草が非常に上手い人でしたね。
寄席に通うようになって、
生で見て好きになった噺家さんが亡くなったのは、この人が最初でした。
けっこうショックでした。
亡くなってから、ものすごい名人だと言うことを
改めて感じました。師匠でなければ出来ない話が、実に多いです。 「何を言ってるのじゃ、おまえは」
「用事をな、すましてしまわねばいけないのでな、ちょっとすまんがな」
という上方に混じる江戸のイントネーションがたまらない。 菜刀息子。米団治のテキストをもとにやり始められたそうですが良かった。
下げ間際,父親が餅や団子を母親に渡すシーンが忘れられません。
あと四人癖やドクトルなど仕草のある噺を子供にもわかりやすくやってくれた 上方ファンとしては一寸 物足りおもいが、
特に喜六が政ヤンのことを「兄貴」と読んでいたのに「違和感」を感じました 国立演芸場で「寄席囃子の会」(うろ覚え・・)をやったときに、
小南が出て「たばこの火」(はめもの)をやってた。
初めて聞いて感動した。
マジにおもしろかったし、きれいな高座だと思った。
ほんとに袴がすごくかっこよかったです。 sage間違えたー♪ わーーーーい(ここも「いかけや」の口調で) 上方落語のファンには蛇蝎のごとく嫌われてるね。
俺は好きな方。上品だし、単純に面白いと思うし。
大体、上方落語ファンって、イントネーションがどうしたとか、うるさすぎ! 上方落語というより「小南落語」でしょう。
いい噺家さんでした。 ―あなたの学歴はどうなってていますか?
―瘰癧(るいれき)は〜まだ患ったことがない...
90年代に生で見ておきたかった。無念!
百円札一枚でよろしゅうございますか?
あぁ、百円でいい。
残念でした。
何や、残念でしたちゅうのは。
十円玉じゃ、だめでしょ。
いや、いいよ。
残念でした。一円玉じゃ、駄目でしょ?
うるさいな、お前は。何でもいいの!
ほは、何にもないの!
張り倒すぞ、このガキャ。
「運回し」より。 だんさん・・・はよ・・・たべなはれ
番頭さんこそ たべなはれ 日頃、よう働いてくれはるさかいなあ・・・
だんさん・・・てつ・・冷めまっせ
番頭さんこそ 野菜ばかり掬ってどないするねん
だんさん わて 見られてるとたべられないんですわ
てつちり より
何年か前に豊田書房(神保町)で東宝名人会のビデオが出ていた。
10本くらいあったが、買ったのはその中の、小南師匠の『三十石』。
円熟期の小南師匠の、聞き応えのある芸を見ることができるビデオを買ったのは
何にも勝るいい買い物をした(確か1500円くらい)。
小南師匠は、定席でも手を抜かず、スケの時にも軽くとも
『いかけや』『ぜんざい公社』などをきっちりとした噺をしてくれていたし、
トリ席の時には『三十石』『貝野村』『宇治の芝舟』『河豚鍋』などをみっしりと
聴かせてくれた・・・。
わかりやすさを身上とした小南師匠の噺は、今にして思うと名演と感じるし、
賞こそとったが、決して落語協会の「中堅」よりも評価されていたわけではなかったのではないか。
だからこそ、彼を知り、彼の噺を聴くようになってからは、自分だけの宝物を
見つけたような気がしたものです。学生時代は、それこそ追っかけをしてました。
広小路に行ったとき、金太郎が珍しく『野崎』で上がったんですが、
その日がたまたま師匠の命日だったんだそうです。 「菊江仏壇」最高でした。最初のだんさんの語りで泣きました。
あくまで崩さず上品で。。。 高座に上がって最初の一言「ようこそでございます」が懐かしい。
「つる」については、師より面白く演る人はまだ出てきてないな。
この噺を”前座噺”だと思ったら大間違いである。
「転失気」や「河豚鍋(てっちり)」でハネたこともあったなぁ。
でもそれが出来るのは師ぐらいなもの。 上方モンですが,なんかしみじみ小南が思い出される今日この頃・・・。
鷹揚・上品でしたなぁ。語り口,舞台の雰囲気がね。行儀がいいというのは
あのことですわ。エエ意味でのもうひとつの「上方」がそこにはありました。 「しじみ屋」を聞いたあと、しばらく席を立てなかった。 ああ、なつかしい。上品な芸で大好きでした。
初めての生落語が、小南師の「転失気」でした。
「七度狐」も良かったなあ・・・。
なろう事ならもう一度『いかけや』を聞きたい。 この噺家は自分でも「小南落語」と称して「大阪落語」とは言わなかった。
先代小文治も江戸弁とも大阪弁とも言えない変な日本語だったが、色気もあり
情もあって「稽古屋」「菊江仏壇」など無類だった。
この両者ともに、関西の噺家達には認められなかったようです。 >39 みとめられなかった
そういう人もいますが,全部が全部そうではない。
小南からネタをもらった人も多いしね。
たまたま歌舞伎座で隣り合わせた花柳の名取さんの体験談(専門部だか
なんだかよくわかんないけど)。
まず試験会場に入ると、中央に寿輔、左右に寿楽、寿南海の三巨頭が
居並んで、気の弱いやつはここで既にビビり倒す。初代、ニ代の家元
の写真に礼をするのだが、動転した挙げ句に舞扇で着物の裾を捌いて、
それだけで落第した人もいるそうだ。それから三人に見ていただくわ
けなんだけども、性根の表現を大切にする寿楽師に対して、技術の確
かさを重んじる寿南海師(逆だったかも)、と二人でてんでんバラバラ
なことをいうので弱った、とそんなお話。コレが何の役に立つのか、
よくわからないが。
私も関西人ですが、小南さん好きでしたよ。
先代小文治さんや百生さんと比べて聞きやすいし、
独特のクスグリがあって、結構、笑わしてもらいました。
七度狐とか良かったと思います。 小南師匠は、伸ばしてオールバックみたいにしていた髪の毛を
なぜか短く刈ってしまった。
その理由が知りたい。 休演は少なかったですよね。
中入り後とかの深い出番で出られないときは、代演を立てず出番の交代で超浅いところでも出ていたりして。
それでもしっかり落語して、ドカドカ受けていた場面も何度も遭遇しました。
寄席を大事にしていらしてた方だと思います。 その姿勢に感服です。
小南師匠の芸に対する思い入れが伝わってきますね。
お弟子さんも短い時間でも漫談でなくきちっと落語で
寄席をつとめる方が多い気がします。 私は、著書で小南師匠を誹謗したON氏に札位を抱いたことさえあります。
今はなーんとも思っていませんが。 >>58
大○信○。
ろくに落語を聞かないくせに落語評論をするインチキ男。
ひたすら噺家さんの悪口を書いて食っていた。
元NHKで、現在は劇作家・脚本家。
ある師匠は、雑誌でこいつを名指しで糾弾したし、
こいつに対して、「暴力も辞さない」と抗議した師匠もおられる。
スレ違いですので、もうこいつのことを書くのはやめます。 俺は、恥ずかしながら、
小南師匠は先代小文治師匠の弟子だと思っていたことがあった。 ━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━― ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
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= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン >63 小南、誰が継ぐかねー。高弟文朝、南喬は芸協を離れたので継げないだろう。
そうすると惣領弟子は南八だけど。
南なんが継ぐといいね。小南の前名をもらった山遊亭金太郎も有力か? 小南師匠 小文治師匠 百生師匠・・・
東京の寄席で活躍した上方噺家がもっと注目されてしかるべきだね。
音源なんて結構あると思うけどねぇ。 文朝の師匠は金馬。
亡き後に本来兄弟子の小南門下へ。 >>82
いえ、元々は小南が山遊亭金太郎時代に
少年落語家として山遊亭タア坊で入門。
後に本格修行の為、大師匠の先代金馬に預けられた。 このもひとつ前の小南さん聞いてみたい。
音源って入手可能???? 小南もだけど、文朝とか南喬というのも、もともとは上方系の名跡だってね。 桂文朝さんは昭和30年代まで大阪でヘタリだったのでは? >>92
APPの「古今東西噺家紳士録」に有る。
文蝶「歌根問」文治郎「親子茶屋」
亡き枝雀は当時千日劇場のヘタリだった文蝶から
「牛ほめ」「八五郎坊主」を習ってる。
>>80
「古今東西噺家紳士録」に無いから無いんじゃないかなあ。 珍しく興味深いお話ですね。ヘタリを教えて下さい。不勉強で申し訳ありません。 自分で調べたよ。
ヘタリは、前座のことだった。
やな言い方だね。 その寄席に常駐して鳴り物を打つからヘタリ。
関西のへたる(そこにいる)という言葉から来てるはず。
いわゆる罵倒語のヘタレ(根性なし)とは関係ないので悪い用語じゃない
と思うが…。 ヘタリは前座というよりも、年配の万年前座という鳴り物を打つ人の事。
二つ目より怖い存在だった。
小南さんの話に戻すけど、京都新京極にあった「富貴」という寄席で
当時ヘタリをしていた文の家かしく、晩年に笑福亭福松と改めた師匠に
小南さんが上方噺に転向する為、京都に泊りがけで多くの噺を習った。
>>99
小南という名前は南光の弟子筋の名跡だから、
現・南光の弟子こごろうが継いだら、非難ゴーゴーか?
へん公の師匠にへん公の弟子だから気にしないかなあ? 小南って、小米、小染、小春、小つる、小枝、小福、小朝
なんていうような扱いの名前でしょうか?元は前座名前か? 京都出身で関西訛りが抜けず先代のやかんの金馬さんに入門したものの上手くいかず
先代小文治の教えを請うた。ところが、小文治に上方の大ネタを高座にかける事を禁じられた為
自分で色々工夫した。その為、所謂上方のやり方とは違う小南落語が出来たと思う。 (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
47 :重要無名文化財 :2005/04/19(火) 00:21:49
びっくりしました。
小南師匠のお通夜で、文治師匠が大声で「文朝!おまえが小南さんの命を奪ったようなもんだ。
出て行け!」って怒鳴っていたのが、昨日のようなことに思い出されます。
ご冥福お祈りいたします。 >107
小南も文治も文朝も、もうみんなこの世にいないんだねぇ。。 お初デース。
TBでつー。
よろしくー
容疑者 同志社 犯罪者♪
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生きてる〜 価値無し そりゃ君さ〜〜♪
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でも〜 その下には ♪ 惆ツがいる〜〜♪
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惆ツがい〜〜る〜さ〜〜〜〜〜〜♪
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高師直(吉良上野介を仮託)が塩冶判官(浅野内匠頭)を愚弄、
鼻でフンと嘲笑した所から物語が始まった。
本来はハナデフン忠臣蔵が正しい。
最後にゴッホが出て来る事でも有名。
イロハは四十七文字か、四十八文字か。
んを入れれば48だが、いろは歌は雪山偈の和訳だとか弘法大師の作とかの伝説が語るとおり
仏教に縁が深い。となると、弥陀の四十八願に因む四十八を取りたい。
日光のいろは坂も四十八曲がり(これは一時50だった時期も有ったがわざわざ改修して48に直した)
四十八から一つ抜けて四十七士。抜けたンに相当するのが勘平と言われている。
そして、この四十七文字には昔から奇怪な伝承がある。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
七文字づつ区切り最後の文字を繋げると
「とかなくてしす」=咎無くて死す
無実の罪で腹を切った四十七士を暗示している、と。
うーん、オカルト
抜けた筈の勘平さんもびっくりだ。
これを称して
オカルト勘平 だからどうした。
つまんね。
もじるくらいならもっとひねろ。マルチうぜえ。低脳、くたばれ。芸協のべん橋の方がよっぽどマシだ。
もう出て来るな。 談笑さんの披露目に行ったら、キウイさんが物販やっててがっかり。
見たくないよ。不愉快。 |
| 東京都立松沢病院ですが何か?。
| _____________________
| / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――' (●ヽ
| / ̄ ̄ ̄ ̄http://ime.nu/www.matsuzawa-hp.metro.tokyo.jp/ヽ
/| /______________________ヽ
,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_.,/. ( ゚Д゚ ) | :::|// ( ゚Д゚ ) :内キ三太楼 ◆uq9G5vevuQ を迎えに来ました。
|/,,,,,へ⊂ ヽ .// ,/ ノ/ ||\______________
,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━...............|
|______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,都立松沢病院,,,,,[|
._|]0::∴:::0::[二二il:] ,-―-、 ,,| | . [|
|====== ;...........| /,  ̄ヽ |~~|. | /,  ̄ヽ | {|
ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
昔、お正月にテレビで見た「つる」で
ファンになりました
あれは前座話というやつだったんですね
もうみんなネタがないの? 浅草のトリの時、膝代わりがキャンデーボーイズのお師匠さんで、いつ見ても息を呑まされる芸の後、開口一番、
「えー、只今はキャンデーボーイズさんの曲芸でございますが、あんなモノは誰でもできるんでございますんで・・・」
オイオイ、爆弾発言か?と思いつつ見ていたら、鼻くそをほじる仕草の後、ほじった鼻くそを延ばして棒のようにする(ような仕草)、その後、
その見えない、(鼻くそで作ったと思しき・もちろん仕草)棒を鼻に立てたり、あごに立てたり、指先に立てたり、・・・
目使いといい、動きといい、曲芸を見ているような気分になってしまった。
その後は、三十石を舟歌までみっしりとやって下さった。
いかん、これ書いてるうちに涙出てきた。
ヤレサ、ヨイヨイヨ〜イ。 高校の頃、学校にきてくれたんだよなー。
あの頃、ろくに興味も無かったから演目も覚えて
いないんだけど、今考えれば、もっと真剣に
聴いておけばよかったと後悔しきりです。
二代目小南さんは不思議な魅力がありましたね。
師匠の金馬から上方落語を演じるようすすめられ、
前座からの再出発、それでもめげずに小文治の身内になり、
大阪へ噺を習いに行き、引退した噺家に再度舞台に復帰させる
気を起こさせ、小文治在世時はブリネタをかけず、その後、
ブリネタ、小品を問わず高座にかけ、自ら小南落語は静岡落語と
称し、弟子にも恵まれた。
わたしは大阪人だが、発音には違和感を感じなかった。
借家怪談、代書は本当に面白かった。
青蛙房から円生全集等が出版されたころには小南集も店頭に並んでいた。
東京から上方落語に再び灯をともした功績は松鶴、米朝にも遜色はない。
もっと再評価されてもいいと思う。
>>128
高校に来るなんてなんと羨まし
NHKから出てるDVDを、今度手に入れようかと思ってますが、お持ちの方いらっしゃいますか?
いかがなもんでしょうか >>129
小南さんの言った事や書いたことを鵜呑みにしてるね。 そのお子さんお嬢ちゃんでっか?お坊っちゃんでっか?
いかけやにお嬢ちゃんもお坊っちゃんもないの
男の子でございます
ほほぅよくやった
米朝の「百年目」もいいが
小南の「百年目」もよかったね。
音源残っているんだろうか。 「船弁慶」は高座にかけていたのかな?
「船弁慶」の喜六は小南が演じていたら
ハマリ役だったのじゃないかな。 >>139
喜六は出来ても、雀のお松ができないと思う。
文枝師が得意だったお松っあんの一人しゃべりが一つの見せ場、
小南さんのとんとんとした、タテ弁の台詞を聞いた事が無い。
東京じゃ百生師の売りものだったからね。 今日はNHKラジオ演芸特選で七度狐が聴けてよかった 桂小南のせいで幕末明治の思想家横井小南(ショウナン)を
横井コナンと言ってしまい恥をかいたことを思い出すな。 このスレ初めて見たが
>>126のエピいいね
見たかったな 中野区北西部の都営団地
お邪魔したことがあるのは懐かしい思い出 >小南の「百年目」もよかったね。 音源残っているんだろうか。
NHK「日本の話芸」でやった30分ヴァージョンの録画がウチにある。
とにかく、判りやすく、楽しく、一生懸命な噺家だった。
ガキの頃「いかけや」にハマッた。みんなが言ってるフレーズ、みんな好き。
「僕ビョーキ」「高血圧」。
ナマでは「眼鏡屋泥」「兵庫船」、放送では「帯久」が思い出。
>中野区北西部の都営団地
公団じゃなかったっけ?俺もNノ宮駅前で3度ほどナマ小南師見たことある。
いずれにしても、どっかの生臭坊主みたいに、
お屋敷建てたのを自慢たらたら喋るのと違い、
あれだけ大御所になったのに団地住まいってぇのが「稲荷町」の了見みたいで
大好き。
>小南師匠の本てどんなものがでてますか?
ご本人著「落語案内」立風書房。昔サイン入りを末廣でGET 米朝師も小南師も、いわば「橘ノ円都」学校の生徒だからね。
円都師に「もうお前に教える噺ないわ」と言われたそうな。 「ふぐ鍋」が芸協の後輩に伝わっているけど、
(もちろん皆東京弁で演じているけど)
「ベンチャラ?いやホンチャラです」のクスグリをまんま使っている。
「ベンチャラ」は西の言葉なので、違和感がある。
カットするなり、工夫して欲しいなぁ。 弟子の文朝、南八、南治と早世。
天国で小南師、小言云ってるでしょうね。
「お前が来るのと違う!!」 南光の襲名披露落語会(於・東宝ホール)で見た。
…しかし見たのは口上のみ。当時大学生で金がなく、小南師が落語をしなかった『昼の部』しか見られなかった。
借金してでも小南師匠観ておくべきだった、いま激しく後悔しているぜ。
口上の内容は忘れちまった。
ちなみに枝雀師匠の口上は、「よろずのひかりで“萬光”を推したが、NHKの昼の番組に全国区で出ている(生活笑百科)から、その名前はマズイということになり“南光”になった」というものだった。 ↑職場が役所だから「赤旗」日曜版取ってる輩がいたんだ。
南光のインタビューで、「萬光」は全国放送NGってなことが堂々と記事になってた。
共〇党って、デリカシーのない団体だなって思った。
女性も読んでるんだぜ。 ↑「赤旗」って出しちゃった俺もデリカシーがなかった。猛省。 とにかくLIVE、しかも至近距離で「観る」のが楽しかったね。
眼の動きが本当に楽しかった。 小南師の着物は黒紋付羽織袴が多かったけど、
末廣で紫色の紋付の対(袴なし)を見た時は驚いた。
白髪を刈り込んだお爺さんが(笑)。 小南師匠の奥さん、えらく若い人だったらしいですね。 日本の話芸〜珠玉の名演セレクション〜
1/2 (月) 5:00 〜 6:00
二代目桂小南「菜刀息子」
師匠にあえるぞ! なごやか寄席の 菜刀息子(上)/菜刀息子(下)ってどんなん?
オチの「菜刀あつらえまして、なんじゅうしておりま〜す」の
更にその続きがあると思っていいの?
買おうかどうか迷ってるんだけど、だれか知らない? 菜刀息子買ったw
CDの解説によると、本落語は四代目桂米團治の残した本を元に
師匠が復活させたみたい。
寄席や、TV、ラジオで演じるため、30分程度に簡約した物が
よく演じられてたらしいのだが、
師匠としては、自分で起こした落語をきちんと演じたかったらしく、
なごやか寄席では2週に分けて(演じたのは続けて)、放送した完全バージョンらしいね。
そういった意味では、貴重な音源かな 創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
桂小南集 CBS-SONY
[其の一]
代書屋/鼻ねじ/三十石
転失気/権兵衛狸/菜刀息子
[其の二]
皿屋敷/東の旅/胴乱の幸助
いかけや/兵庫船/百年目
[其の三]
仔猫/堀越村
金の大黒/
菊江仏壇/
[其の四]
愛宕山/ひなつば
七度狐/正月丁稚/運廻し
[其の五]
野崎詣り/鶴満寺/くやみ
ふぐなべ/煙草の火 [其の六]
宇治の柴船/めがねどろ/平林
八五郎坊主/箒屋娘
[其の七]
貝の村/夢見八兵衛/半分あか
次の御用日/土橋萬才
[其の八]
花の都/帯久
写真の仇討/
狂歌家主/かるわざ
[其の九]
植木屋娘/月宮殿/つる
借家怪談/ざこ八
[其の十]
しじみや/悋気の独楽/しりもち/
とろろん/片袖 鼻ねじ
番頭に鼻を捩じられた先生
先生:「あいたたた、なにをするんじゃ」
番頭:「先生、今朝方の返歌です」
番頭:「塀越しに隣の庭に出た花(鼻)はねじょとたおろとこちらまかせ」 上方の多くの師匠連中が桂小南の名跡を狙ってるようだね >>174
こんな上方では馴染みが無い、というか全く知られてない名前。なんで狙うの?
ソースは?
現在上方に噺家が250人ほどいるけど、小南さんを知ってる人は
20人も居るかどうか解らないし、その中で直に有った事が有る人は
10人に満たないでしょ?
それほど晩年は上方へは来なかった、また来れなかった。
お客もあんな違和感のある上方風な言葉使いは、大阪人にとって一番嫌うからね。 >>175
噺家で小南師匠しらなんだら、おわっとる
上方の珍しい話たくさん残してくれたのに
恩人ジャン 上方の噺家で小南師匠に稽古付けて貰って
自分のネタにしているって誰かいる? 間接的なら居る。
『四人ぐせ』は米朝師が小南師とネタの交換した。
今、上方で演じられてる『四人ぐせ』はこの流れ。
後、何席かはおそらく小南師の音源で覚えたであろうと
思われるネタをやってる人があるが、直接稽古はしてもらってないだろう。 しかし、今まで散々保守するだけのスレだったから
貴方のような奇特な人が出て来て正直嬉しいな。 小南師匠と似たようなポジションに、共に先代となる桂小文治と三遊亭圓馬がいるが、両名とも (小南師匠もそうだが)妙な癖のある上方弁だったために、上方の若手が東京に来ても稽古を付けて貰おうとはしなかったらしいね。 >>180
“七度狐”は、初代の小南が得意にしていた
ネタだから覚えておいた方が良いからと
「自分は初代の型覚えてるさかいに」
米朝師匠が言い出してネタ交換したんだよね。
ソースは米朝師匠の
「上方落語ノート」 の3巻の筈。違ってたらスマン。 現在、上方で「四人ぐせ」を得意にしてる桂文三。
出所を遡ったら小南になるな。
小南→米朝→米紫(先代)→文枝(先代)→文三
>>183
「畑の大根抜いておりました」は初代桂小南の型だね。
米朝師が大東文化学院の学生時代、東京の寄席に通ってたから
先代小南をよく聞いていたそうだ。 知り合いに元々米朝師匠の関係者で、今は関西で
会計士やってる人が居るのだが、その人も
「小南師匠の落語は自分の中で評価は高いのだが、
かと言って東京まで出掛けて稽古を受けたいとは思わなかった」
と言ってたな。 二代目桂小南は初代が考案、得意としていた
“電気踊り”をやらなかった(弟子の八代目桂文楽はこの踊りを手伝わされ大変嫌っていたと言う)
次の三代目にはこの“電気踊り”を実演し受け継いで貰いたいものだwww 二代目小南さんは踊り自体やってませんからね。
小文治さんから「お前は踊られへんからこの噺はやるな」と言われて
出来なかった噺が何席かありますから。
小南さんは「駕籠屋が踊って出るわけでもないのに」と反発されてますが。
そうじゃなくて、踊りの下地があるのと無いのでは落語を演じるにあたって
身のこなしや仕草がちがいますからね。決して芝居噺や音曲噺じゃない普通の噺でも。
小文治さんはそれが言いたかったのに、小南さんは理解できなかった。 二代目桂小南の名跡は当初、三遊亭百生に送られる予定であったのは多分御存じだろう。
八代目桂文楽は、自分の弟子の文雀に大名跡の橘家圓蔵を継がせるべく、圓蔵名跡を管理していた六代目三遊亭圓生と折衝を開始した。
圓生の元に当時上方から預かり弟子となっていた桂梅團治に、上方所縁の桂小南をトレードしようと躍起となったが、格的な問題等で折り合わず断念。
梅團治は上方落語とは無縁の百生となる。
最終的に文楽は旧友・三代目三遊亭金馬の弟子の山遊亭金太郎に、小南の名を贈ったのだった。 小南は右女助が欲しかったが、文楽から「君なら小南を上げる」と言われて
感激したそうですね。 自分の最初の師匠の初代桂小南が上方落語だったせいか先代桂文楽は上方落語にリスペクトしていた。
そこに東京で上方落語をしていた金太郎が現われ
文楽に見込まれたと言う事だね。 >>187
大西信行という男はあまり信用しないほうがいいよ。 >>197
上方の桂南光が弟子の南天に弟子が出来たら小南を継がそうと画策してると言う噂が有るな。
元々初代桂小南は桂南天の弟子だったからね。名跡を継ぐ正統性が有るっちゃ有るわな。 >>198
>初代桂小南は桂南天の弟子だったからね
初代小南は二代目南光(先代)の弟子。
先代南天は同じ二代目南光の弟子だったから初代小南の弟弟子。 今の二代目桂小南の弟子に三代目継がせても、
全員東京落語なのが痛し痒し。 .
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※検索結果の3番以内に、【婚約]秋條宮の圭子・・・が出てきます。 小南師匠は、米朝師匠のうまさと、
枝雀師匠の面白さを兼ねたような味のある落語
こういう人、出てこないもんかね >>203
上方の噺家が東京に行った時にでも、小南師匠の家を訪ねて ちゃんと噺を教わっておけば良かったんや。 >>204
大阪の人にとってあんな違和感のある落語。
大阪の観客が一番嫌う言葉使いだからまず拒絶される。
だから誰もわざわざ習いに何か行かなかったんだよ。
芸術協会に小南さんの噺がたくさん伝わってるんだからそれでいいじゃん。
上方の事はほっといてくれ。 日本の話芸で再放送してくんないかな
この師匠もそうだけど
60年代〜90年代にかけて、魅力的な噺家多いから見てみたい
地方の人間なんて、寄席なんて通えなかったんだし お神酒徳利って、元ネタ関西だろ
関西でやる人っていないの?
文珍のやつはCDで聞いたことあるけど、柳家流のやつであんま好かん
鴻池までやってるやつ聞きたいんだけど >>205
米朝はんは京都のふるーい噺家にも
落語復活させるためいろいろ勉強したというのに
なんか、大阪の噺家さんはえろー了見がせもーおすな
そういえば、米朝はんは兵庫育ちやおまへんか 米朝の場合は姫路育ちで正岡容門下だし
その辺がいい具合に作用したんやろね 小南師匠は京都の文の家かしく師匠から「ドクトル」とか多くの上方噺(ドクトルは当時の新作だが)を貰って来た。米朝師匠が貰わなかったようなマイナーな噺を多く貰っていた。
そこの所の事情を上方四天王の御歴々が承知してたなら上方の若手に
「東京いったら小南さんに稽古付けて貰うとええ」
とアドバイス出来たと思う。
上方で修業した東京の噺家が上方の噺家達に恩返し出来る絶好の機会だったと思うと、後年の落語ファンから言わせて貰えば残念至極の一語です。 >>210
文の家かしく(笑福亭福松)直系が今の森乃福郎一門。
ちゃんと「ドクトル」も継承してるからご安心ください。 先代森乃福郎師匠とか桂文紅師匠とか自分の師匠の噺を受け継いでようですね。
文紅師匠は文団治師匠から鬼薊受け継いでるし。 >>859
w それでタケノコデビュー
WW すればいいのこ♪
WWW
WWWW
【 ^ω^ 】
【 】
”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”
>>177
/⌒⌒\ エリンギたんの加入で
( =^ω^)立脚系のキノコが
( つ凹) 増えたおね♪
“”“”“”“”“”“”“”“”“”
>>174
/⌒⌒\ オールドファッションは
( =^ω^)ウイスキーのツマミにいいお
( つ凹)
“”“”“”“”“”“”“”“”“” 桂吉朝の河豚鍋が好きだけど小南さんもおもしろい桂技雀の代書屋が好きだけど小南さんもおもしろい。小南さんをイビったら金馬やっつけるヽ(*`Д´)ノ いやいや、金馬師匠の慧眼でしょ
あの落語を江戸落語にとられなくてよかったでしょ
上方落語の珍しい話をたくさん残してくれて良かったでしょ
小南師匠の素晴らしい上方落語をたくさん聞けて本当にありがとう 「夢見の八兵衛」で一体寄席でどんな顔をしてお客を楽しませたのか。そこの部分を聴いてるとおいてけぼりをくらう気になって、出来れば生卵を観たかった Wikipediaに
3代目 桂小南 - 2代目門下の桂小南治が2017年秋に3代目桂小南を襲名予定。
ってしたるで
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/桂小南 >>223
この情報に全く気が付かなかった
お教え願って有難う御座居ます
小南治師匠の三代目桂小南 御目出当ー! 劇場/公演 日本の話芸 桂千朝 落語「ながたん息子」[解][字]
2017/05/21 1400 2.NHKEテレ1 先代は、米朝クラスの名人だから
歌丸も今いる落語家の中では頭一つ抜け出てるし
頑張ってこの二人を抜かしてほしい
今生きている人だと、五街道雲助とか柳家さん喬ぐらいか
このレベルになってくれれば 文句なし 末廣亭の三代目小南襲名披露目興業も中日
七度狐、絶品でした
協会を越えた二楽さんが兄の膝という兄弟競演に感激 巷で話題のPCを使って稼げる方法とか
⇒ 『山中のムロロモノス』 というブログで見れるらしいです。
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役に立つかもしれません
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
EN45U 2018年7月2日 桂歌丸さん死去
ご冥福をお祈りいたします ちなみに高田馬場ゲーセン〜スレを軒並み荒らし回っている犯人の名前は
鈴木ドイツ(鈴木あきら)。昭和36年生まれ北海道札幌市出身の57才無職・年金未納者
以前はゲーム雑誌、出版関連の業界人だったが、下記の文のとおり
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ADVANCED大戦略 38(t)式戦車G型
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/166-
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へたくそな自作自演それも
ニホンゴ覚えたてのネット工作朝鮮人が調子こいて書きまくってるかのような
そんな非常に読みづらい稚拙な文章構成
そして捻くれた的外れな私見が多くどこの出版社も彼を使わなくなり
かれこれ15年以上も前から2ちゃんねるで不正IPを駆使しつつモロバレなネット工作・ジサクジエンをしながら
内職に等しい収入で貧しい生活の日々を送っています
(ドリームキャストマガジンのアドバンスド大戦略の項でナチス軍服を着た痛い格好で写ってるのが犯人)
鈴木よ、おまえさテレビ板でも言えるんだけどIP偽装して会話を装うんだったら
A者とB者の個性をもっとつけような
あとアドバンスド大戦略はwin7以降のOSではマトモに動かない(win10では完全に動かない)
需要、プレイ人口皆無に等しい骨董ゲーだから
IPを切り替えすぎてプレイヤー総人口の水増しバレないように自重しろよ
プレイ人口皆無なゲームのスレで
初登場それも二度と出てこないIPが
似たような文章を毎日のように書いて去っていく・・・
これどう思うよ?おまえ 先代小南の音源は
本牧亭独演会のライブが
LPレコード2枚組で10巻程
発売されました
残念ながらCDの復刻盤は
ないようです 見た目と話し方が麻生太郎系。
なんかの余興でいいから、青年団とコラボしてほしい。 今の小南たいなゲロゲロした声では落語としては楽しめない。先代小南は苦労したたけあって、
ネタの幅も広ければ、面白さも丸で違った。悪いけど今の小南の襲名は間違いだったと思う。 あの口調いいと思ってるのかな
何を話しても声ばかりしか思いつかない 火カシテ(o・_・)y―~―v(・。・o)ドゾ 今の小南みたいなマグロの握りのようなヘアスタイルでは落語としては楽しめない。先代小南は苦労したたけあって、
ネタの幅も広ければ、面白さも丸で違った。悪いけど今の小南の襲名は間違いだったと思う。 騙される人は、最低三年間半年毎にMRAを受け入れたのは なんか
> 1000兆円規模の個人のファンは2000人以上やると、無関心ともいう。
「なにあれは子ども部屋おばさんだった しょまたんのエンスカイカレンダー買ってくれよ
仕返しならアンチOKになってもグングン上向きだろうが ToLoveるの原作がなあ
バーターヲタなんて登録できんよ
寝ていたい 順位スレではだめっていう要素があるけどどうだろう
本当に凄いんだよ ヘブバンの寄与度でかいとこだけ下げてないライターが書いたサイゾー記事だった
700割ったらまた買うわ 鼻の付け根(眉間)の介護をさせよう
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