観世会定期能開催日の二階食堂は満席が常態の事とて、事前予約の有無に拘らず相席となるのが決まり。
限られた時間内に希望者全員が等しく食事ができるよう配慮した約束事で、此れは何人も例外無く守ることが求められる。
故関根祥雪、野村四郎をはじめとする古参幹部、また当代銕之丞のような分家当主の身分でも四人席の卓では一角を占めるに止まり、空席を作ることを決して良しとしなかった。
然るに二人若しくは四人が着座可能の卓ひとつを一人で占領することは道理に外れた行為となるが、村上湛はその非法を最後まで押し通した。
入口には未だ数人の客が席が空くのを待つために列をなしているにも拘らず、四人着座可能の「1番」卓を唯一人で占め、悠然とサンドウイツチ(税込壱仟圓)を頬張る始末。
時折、給仕や事務員を卓の横に立たせての放談は声高かつ得意気ではあるものの実体を欠き低調。
野卑極まる面遣い共々、気が緩み、身体操作の骨法が崩れている証拠と言える。

これは自己の膨張、特権の拡大が一人の人間をどこまで堕落させるかを示す一好例。
食事ひとつとっても道理から外れる未熟者が他方、己の非法を棚に上げて平然と「調身」「調心」を振り翳すのもまた「邪禅」であると、私は考える。


上村祟「舗古珍日乗」2015年1月4日(日)観世能楽堂