>>222
質問者です。いろいろありがとうございました

文楽もきちんと観たことがないし、浄瑠璃の三段目を斜め読みしかしてないですが
自分も石塔の誂え主は敦盛かと思ってましたが自分で工作するのは言われれば確かに違和感がありますね
義経と聞いて意表を突かれたと同時になるほどと思いました

ただ義経が青葉の笛を手にしていたとしたらいつ手に入れたのでしょうか
以前から疑問でしたが陣屋で軍次が相模に「小次郎様は先頃より御前勤めでお下りに」と言っているのは軍次は全て分かっているのですか?
御前=義経?なら、義経は小次郎の面相を知らなかったのでしょうか
義経が?鎧櫃に敦盛を入れさせたのはいつのことなのでしょうか

分かりませんが、敦盛が小次郎になりきって御前勤めに行って、
義経が小次郎が敦盛の青葉の笛を持っていたので(小次郎の手柄の証明か)それを持って弥陀六に石塔を作らせた
このとき小次郎が実は敦盛かもしれないが半信半疑
(制札が正しく解釈されたか分からないがいずれにしろ敦盛の死亡工作はした方がいい)
直実の、首実検延引といい、戦の最中の暇乞いといい、訝しくて義経は陣屋まで訪ねてきて奥で話を聞いていた
→首実検→制札は正しく解釈されていた
→弥陀六のことは実は石塔を頼むときに宗清とわかったが、その時の義経とは誰にも悟られまいと、眉間の黒子でわかったという
弥陀六はあのときのお若衆は敦盛の幽霊だと思っていたが鎧櫃の中の敦盛を見て生きた敦盛だったと思ったか義経とわかったか……??

長くなりましたが、そのあたりが自分には明確ではなく気になるところです