他者へのレス厳禁スレッド@宝塚 [転載禁止]©2ch.net
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公序良俗に反する非常識なもの以外は書いて結構です。
対象の時代も過去、現在、未来を問いません。
この板の現状への要望も可。
ただし!他人の投稿へのレスを厳しく禁止するスレッドです。
これを守れない投稿は、どんな内容でもスレ違いです。
王様の耳はロバの耳!王様は裸だ!など、ここで存分に叫んで
すっきりして下さい。
<レスしたい方、会話を楽しみたい方は「つぶやき」や「心の闇」スレッドを
ご利用下さい>。 こういうスレを地味に待ち望んでたよ
では僭越ながら一番に書き込ませて頂きます
最近はどのスレ見ても舞台の感想や希望が少なくて
話題は人事関係ばかりで(しかも重複多し)げっそりする
より良い舞台になればという気持ちが希薄に見える
男役に早くから3番手以下の番手のレッテルは不要と思う
こういう無駄なことは個人の中の妄想だけにしてほしい
ここで話しても無用な争いを生むだけ
辛口の舞台評の方が、まだずっといい 先日のスカステで某OGが、昔と比べて今は特にショーで主演級スターの場面が多くて
歌なり踊りなりの技術を磨いてきた才能ある人の活躍場面が非常に少ない、
生徒は路線に乗らなくても、個々の技術が高い人も大勢いるのだから
その人達の努力の成果を見せる場も必要だというようなことを話していた。
職人芸を見せることで、舞台成果自体も上がると思う。
芝居に関しても、過去には名脇役も大勢いたが、今はかなり少なくなっている。
ショーは画一化して、主演者の顔ぶれを除けば、なんだかどれも同じに
見えるのもそのせいかもなあ。
フィナーレなんてその最たるもので、トップコンビの同じようなデュエットダンスは
昔はなかった。歌ウマコンビなら、二人で歌った方がいいと思うし。
過去には観客自体がスターを観に来るだけでなく、もっと舞台全体をトータルに
楽しんでいたようにも思うわ。 どのスレ見ても同じような言い争いばかりで
げっそりする
2だからしかたないと言う人もいるが、 少なくとも個人スレが
許されてた頃はまだスルー出来る人も多かったし、
必要な時には本気で諌める人もいた
ローカルルール守らない奴の方が肩身の狭い思いを
する流れが自然に作られてた
他の板はどうあれ、自分の好きなものに関する板が
こう酷いと、ほんと情けなくなる
ごく一部の人の騒ぎであれ、やっぱり宝塚ファンの
総体的な品も堕ちたように思えてくるわ 歌が下手と言われている人は音程が悪いと
いうより、発声が悪いことが多いように思う
基礎的な、お腹で息を支えるのが下手なような
声が前に出ないから、歌詞もわかりにくいしね
それに男役は特に音域を広める勉強もしてほしい
バレエは入学前から勉強してる人が多いだろうから
音校ではまず発声、歌の訓練を重視してみたらいいのでは?
発声がいいと芝居も良くなるしね 「星逢」の作家は、確かにある魅力的な素質を持っている人なのかもしれない。
しかし今回が大劇場デビュー作だからし方ないとは言え、あの作品は
ストーリーと言うか、作品のねらい自体が、大きな劇場の90分作品向きではなく、
小劇場、いやもしかしたら、むしろ映像作品向きなのではないのかなと感じた。
観る人の感情に強く訴えようとしたり、台詞が充分でなく観客各々の解釈に
任せる面が大きいので、画面で主人公の表情やしぐさをクローズアップして
それを補う映像媒体の方が合っているのではないのかということ。
3人の主要な人物の互いの交流場面、エピソード、伏線もまだ足りないように思う。
夜鷹やラストの子供時代に帰る場面は、やや安易なつくりで、むしろそこに
逃げないで欲しいし、その分の時間を上のことのために使って欲しかった。 ぎょえ〜
sageを入れ間違えてしまいました。
申し訳ありませんでした。 「星逢一夜」
背景となる社会を表現するリアルさに、欠ける点が多いように思った
一般の武士ではない藩主の子息と農民の子供達が、あそこまで頻繁に
交流出来るものなのかとか、江戸時代の将軍と大名との関係が
何だか現実味がない=村社会とは違う重厚感がなく
悪い意味で軽い漫画のような雰囲気(晴興の父の演じ方初め)
そこで主人公がどのように老中にまで抜擢されたかも明確ではない
そしてこれは重要な場面だが、当時の農民が、幼馴染とは言え藩主の
息子に向かって、農民の女を嫁にもらってくれと頼むことには
かなりの非現実味を感じた…いくら源太の個人的な思いが勝っている
場面とは言え…
「台詞の行間を感じて欲しい芝居」らしいが、その行自体が粗いし
的確でないこともあって、むしろ言語を使わない舞踊劇、日本物のショーに
した方が却って気持ちよく観られるのではないかとさえ感じた
いや現状でも、情緒的な日本物のショーのようにも思える
宝塚でよくある敵と味方に別れて、恋人を取り合うようなストーリー性の
あるショーの一場面、或いは権力者と弱者との争いの場面もよく
使われることだし
もちろん今のままでは、歌や踊りだけで表現する場面に魅力が
足りないとも思う
例えば三角関係を現す象徴的な舞踊場面などを入れたら、情緒的にも
もっと盛り上がって良かったのにな(「あかねさす紫の花」のような)
源太や泉にも幻想の舞踊場面では、少しだけ見栄えの良い姿をさせた上でだが
長文失礼しました 作者自身が「歌劇」だったかに書いていたことだが
咲妃が彼女自身の生の感情で芝居をする傾向があることについて
もう少し役を客観的に突き放して演じることが出来たら
より良い芝居になるのではないかと言っていたことが気になった
なるほど彼女は「星逢」でも他の生徒に比べ、際立ってリアルな
芝居をしていた感じがあるなあ…
元々そういう芸質なのだろうが、そのことが女性が男性を演じる
舞台においては時に彼女が、(二重に虚構を演じる)男役よりも
観客に分かりやすく強くて明確な存在に映る理由なのかもなあ
出しゃばってるということではなくて、リアリズムの勝った
(舞台より映像向きかも)芝居になって、宝塚の舞台では少し
異質なものに見えることもあるのかも
そのことで女というものが本来、男より精神的には強い存在で
リアリストでもあることを表現出来ているなら、それはむしろ
この芝居の主題に添うことなのかもしれないし、作者自身も
実はそれを狙っているところがあるのかもしれないけれどね
主に私的な人間関係の中で生きる泉と、公の場に出て行きそこと
私的な人間関係との間で葛藤のある晴興と源太
あの芝居ではこの公の世界の描かれ方のほうが、より説明不足に
思えるので、ますますこの男性二人と女性との間に
芝居の質だけでなく、時にはその存在感においてさえ
ある格差、距離みたいなものを作ってしまっているのかもしれないな
とも思った
このみゆの個性は、これからの公演の芝居にどう作用するかな 元々宝塚って、超絶美人、超絶スタイルのスターが主だったわけではない。
美しいことだけが取り柄の人は、映画専科?みたいなところに行ったり
すぐ外部の映画会社に引き抜かれたりしていたと思うな。
トップクラスも昔から長い間、各々何らかの技術的な武器を
一つは持っていたはず。歌、ダンス、芝居、日舞などなど。
男役は言うまでもなく、娘役も女性を相手役とする特殊性から
普通の女性として演技をしていてはだめで、娘役芸というものが
要るし、何にしろ一般の芸能界とは異なる「芸の力」が
必要なところのはずだと思うな。 3、4番手以降の順番なんて公演ごとに変化しても
おかしくもなんともないよ
作品内容によって、個性に合った役付きがされた方が断然いいし
作品の出来が良くなることの方が大切だ
最近のファンって、もうあらゆる要素、配役、階段降りの順番、
パレードの並びなどなどから下級生まで番手を必死に
分析して一喜一憂して、ほんとなんだかなあと思う
それに大作もの、海外ミュージカルなんかは特に、
役に合わないのに路線と言われる人にあてて
悲惨な出来になるのはやめて欲しい
挙げ句のはてが「もうなんでもありだから」なんて
作品の価値を貶める言い訳は認められんわ
せっかくの宝塚の名作が、再演繰り返して迷作になってしまうなら
過去に頑張った生徒達も気の毒だと思う 今は昔のことを言うと、たちまち反論されるけど
今よりもっと生徒を本気で育てようとする演出家、先生が
昔はたくさんいたことは確か。
特に娘役については、優れた先生ほど大切にしていた。
娘役あっての男役と言う考えを強くもってらしたよな。
生徒との年代差も大きかったんだけど、本当の父親のような
気持ちで、生徒を厳しくも愛情を持って育てていたように思えた。
作品や役柄のあてがいかたにも、それが現われていた。
ごくごく子供の頃だけど、白井、高木、内海先生なんかの
作品を、ギリギリ観られたことは、すごく良かったと思う。
「ファンコンテスト」での内海先生の批評も、いい味があったよな〜。
いや「ファンコン」が開けるファンと身近な宝塚が、好きだった。 勿論、これから小池がアレンジして宝塚風味に仕立て上げるから
印象もかなり変わるんだろうけど、映画見ただけではなんか
陰鬱で、殺しの場面が嫌に詳細というのか、マニアはあれが楽しみ
なんかもしれないが、気分の良いものではなかったから、わざわざ
宝塚で上演しなきゃならないのかなあと疑問に思った
それにアニメや映画なら超人的な技も、簡単に見せられるだろうが
女性が生の舞台で再現出来るのかなあ
結局アニメや映画ファンにも、中途半端な印象与えるだけなのでは?
少女漫画は宝塚に合ってると思うが、少年漫画は異質。
特に殺しのための殺しみたいな場面は、見たくないや
人間の捉らえ方が、宝塚向きじゃないんだよ 「今の雪組が2009年同時期と同じ」と書いたのは水会スタを首になった百貫デブス
古参スタなのにゆみこの人事2に漏らして得意気になって結局罰受けて首
この前カレーのとこでチケ出ししてたが
あいつが欲しいのは情報でそれを餌に寄ってくる雑魚から
金巻き上げるのが常套手段
たかりに強請に恫喝に転売繰り返し
立派な犯罪者だがこんなのに情報欲しさに群がるバカどものほうが卑し過ぎて吐き気がする この半年くらいで急激にヅカにハマり、色々映像を観てきたけどまだまだニワカの域を脱してない。それでも色んな人と話したりしたいなと思うけど、歴史が長いだけにニワカは歓迎されないだろうなと思うと踏み出せないので大人しくROMに徹していよう… もういいかげん耳福になる舞台をお願いしたい
昔と比べて、全体的に確かに歌のレベルが凄く落ちたと思う
宝塚は主演クラスはセリフの延長に歌があり、
物語はそれで進み、盛り上がるんだよ
何十年たってもそういう脚本は変わってないじゃない
ならなんで生徒の歌を、もっと厳しく鍛えないのだ?
スター級はダンスが下手でも、横を見てればいいが
下手な歌に耳をふさいで観劇は出来ないし
ストーリーも理解できないんだよ
名歌手でかつスターは、昔はたくさんいた
等身バランスなんてモデルみたいなことを
宝塚では元々要求されなかったんだよ
その代わりに劇場を圧する美声や、巧みな歌の技術に酔える
ことの方がずっと大切だった
スータン、カンサマ、ゴンチャン、加茂、八汐路、初風、
他にもたくさん歌手トップはいたし、彼らは
他の組にも特出して(一公演まるごと)、その組を盛り上げる
ことまでしていた
せめて、かなみはもっと歌のある役をさせたかったし
和音のトップで、素晴らしい歌声の作品を聴きたかった
たとえ短期間でもね
例えば「メリーウイドウ」なんて絶対そういう
プリマ達で観て(聴いて)みたかったわ どこもかしこも無駄な空上げ
スレちも横行
いくら2ちゃんねるでも
自分が好きな事に関する板で
こういうことになってると
心底がっかりするわ
本当の宝塚ファンは、もうここにはいない
とさえ言われてるなんて、悲しいことだ… もう暫くはアニメ、劇画からの転用を観たくない。
注目している人のいる雪組では、特にね
。少女漫画からでもご免こうむる。
特にあの少女漫画特有のヒロインの性格も、生き方も共感
出来ないしね。
宝塚以上に古臭いし、おまけに湿度が高い。
むしろ男女混合の舞台でやってくれ。
今では漫画にぴったりのビジュアルの俳優も、たくさん
いるだろう。
宝塚にしか出来ない魅力あるオリジナル作品を、今いる演出家を
鍛えて作らせないと将来ほんとに、それが消えてしまいそうで
すごく嫌だ。 オサアサの男役時代の映像見直してるけど、やっぱり超絶美形と超絶イケメンだった。
今はまあ、2人とも伴侶得て幸せみたいだから、ファンとしては安心だけど。
それにあそこまで変わってくれたら、ある意味ふっきれやすいけど、でも昔の彼女達にひたすら逢いたくなる今日この頃。 少し前までは他のスレと違って、
ファンの大先輩達が、生き字引のように
過去の舞台の配役や感想、歌劇などの雑誌の話などを
楽しく話して下さって、珍しく和やかでほっと出来る所に
なってたあの過去についてのスレッド
今やあそこさえも一部の人たちのせいで、現役スレと同じく
人事、それも人事への不満話ばかりになってしまった
ほんと、がっかりだよ! 71期4人揃ってディナーショーやってほしい。理事が現役だから難しいところがあるのは承知してるけどもさ…。もしあったら絶対行く 公演がある度にあと何回理事の舞台観れるのかなって思う
すみれコードだけど年齢を考えると主演を退く日はそう遠くない
そのあと本来の専科生の立ち位置で出演するか分からない
でも出演する可能性はほぼないだろうなぁ。
理事の舞台が観れるなら主演でも脇でも構わない
できる限り長く舞台を観たい。 最近はこういう特別公演は、実際の舞台を観てはいないのだが
大昔の「愛読者大会」のような、柔軟で上品なおふざけの場面も
あるようなお楽しみ舞台を、ぜひ観てみたいなあ。
現在も少しはあるようだけど、男役がかわいい娘役になり、
娘役が男役になってキザったりさ。脇の技術のある人も活躍したし。
昔は今みたいな、がちがちの「スミレコード」もなかったし、
ファンと舞台がもっと近い感じがした。大地真央の時代でさえそう。
「スミレコード」や「スミレのカーテン」なんて、長い歴史の中では
ほんの少し前に出来たものだと思うわ。
生徒も先生も、もっと気さくだったし、誰が今のような雰囲気に
変えちゃったのかなあ。ほんと味気ない。 もうエリザ飽きたよ!うんざり!少しは再演周期考えろ阿呆! 下がりすぎたから、いったん上げます
今のうちに…
腰掛けじゃない舞台人が宝塚にもいていいはずだ
例えば往年の銘脇役
過去にはたくさんいた
勉強のために在団中から他の舞台に出ることもあったし
霞を食べる雰囲気というより、力強い肉厚な劇団だったはず 私には、ふみかさんはそうだと思ってただけに、ちょっとショックだった。 ちょっと上げますね。
むしろ昔から、宝塚のトップ娘役って、男役に対して包容力の
あるタイプの方が上手くいくように思う。
それは別にお母さんタイプという意味ではなくね。
美貌はトップ男役に任せて、娘役は技術面で穴がないタイプである方が
良いコンビになるとも思うし。
コンビの学年が余りにも開き過ぎていたり、娘役が拙い技術の
人だと、
男役は却って気を遣いすぎて、自分の魅力を100%出しにくい。
それにファンの女性達の多くは、色々な面でその男役に対し、
お世話する、育てる気持ちを持つものだから、それを舞台上で体現
してくれる相手役の方が、自分を投影しやすいということもあるかも。
かなり昔は、学年が上の娘役と組んで芝居をする場合だって、
あったよなあ。
ま、それを知る人は、今では客席に多くはいないけれど。
ただの学年の上下だけでは語れないものが、トップコンビ、
或いは名コンビと言われる人達にはあると思うんだよな。 >>29ちぎちゃんの歌をみゆちゃんがフォローしてて、
そんなコンビだなあと好感持ってる
でも、今は星も花も月も娘1がみんな
似たような、出来た嫁さんタイプだよね
危なっかしくても綺麗とか可愛いタイプが
一人くらいいてもいいかな。
だって、本命男役だから下手に見せ場かっさらわれたら
嫌だもん
月組、なんか気の毒
雪、伯爵って作品は大好きだけど
自分の贔屓がやるのはイヤー
主役ちゃうやん >>27に、肉厚?!
それいうなら、肉食とかアグレッシブじゃ… あ、宙も出来た嫁さんタイプだね
男役ありきの話とかショーをお願いしまーす この貴重なスレの特性が、いつまでも守られますように… のぞみさんの将来の相手役が、歌の上手い、お芝居も出来る
(色々な役の出来る)、かつ色気もある人だといいなあ・・・
顔の美醜よりも、余りがりがりの人でない方がいいと思う エリザベートのあと、1作品だけでもみりだいの芝居見たかった 安蘭のパーシー、夢輝のショーヴランがぜひ観てみたかった。
夢輝は一途過ぎて滑稽になってしまうキャラクターを
上手く演じてくれたのではないかなあ。
そしてヒロインへの思いを歌うあのソロも、ぜひ聴いてみたかった。 某まぐれトップは再来年1作目でやっと消えてくれる
延命は恩情人事だから1作しか延ばさないと釘刺された
次期は二番手が順当昇格 今日人事発表あるが 月への落下傘は無い だいもんも紅も異動しない
男役三番目以下の異動はある
娘役も大異動あり
トップ人事は絡まない どのスレ覗いてもなんだかささくれ立ってる気がして…ほのぼのした昔語りはもう見れないのだろうか…自分が宝塚にはまったのが遅かったせいもあるのかもしれないけど、ちょっと悲しい タカスペ中継の画面で、まさおと紅を観て改めて顔の小さを再確認した、ホントアップでもやっぱり小顔は小顔なんだね。
紅と真風はスタイル良くてステキだった。
まさおのキラキラもまだ健在だった。
ちぎとだいもんはやっぱり男前でステキだった。
まなとは足長いし歌上手くなったね。
逆にみちこは顔デカくてアップがかなりきつくて顔ぶくぶくのビジュ難…、理事は干からびてた。
轟みちこの二人はやっぱり老けと歳を感じた…。若いトップの中に轟みちこの年寄り二人は出すなよと思った。。。 本当に舞台上の実力や魅力がある人が、バックアップしてくれる人がいて
スターになれるというのは、むしろ素敵なことだと思う
でも、そうではない人が、ただただ経済的力やその他もろもろの理由で
早くからたくさんの機会を与えられ、無理やりのようにスターにされていくのは
観ていて全然楽しくない
「おとなの事情だからしかたない」なんて、なんで自分のお金を出して
観ている観客の方が納得しなければならないのか、納得できないと言うことを
遠慮しないといけない風潮になっているのか
そのこと自体を、全く納得できないし、ものすごく不思議だ
良い才能の芽を持った人を入学させ、大切に育てる気概のある「先生」は
もうここにはいなくなってしまったのかなと淋しく思う みんな舞台の出来栄えより、何より人事の話が
好きなのだなあ〜。
どこを読んでも何番手なのか、何番目なのかの話ばかり・・・。
若いうちから番手に入らなくてもいいじゃないよ。
劇団も悪いのかもしれないが、舞台で色々挑戦させて
その出来栄えから観客が、そりゃそうだろう、納得だと
いう人を、トップへの道乗りに参加させるなら、
いいよ。
でもまだ何もしていない、何も出来ない人をスター候補扱い
するのはおかしいと思う。
しかも4番手、5番手なんて必要ない。
お金出している観客のための舞台を、まず第一に考えて
欲しいんだけどなあ。
創業者なら、絶対にそうしたと思うわ。
まず顧客サービス第一にね。
元々は、それが売りの劇団だったのではないの? 穏やかなスレの流れとかほのぼのした昔話が見たいな…無理かな… 少し穿った考え方だろうけれど・・・。
K先生、最近ではなんだか宝塚での公演を、自分の作品製作の
「試演版」とし、その後の外部の男女出演版こそを、「完成作」と
しているように感じられてならないんだよな。
元々の外国での作品が、男女出演版なのだから、もちろんその方が
すっきりと作れるのだろうし、宝塚には色々とタブーがあって
表現出来ないことも多いことは、充分分かるよ。
でもさあ、先生はあくまでも宝塚所属の演出家なんだし、ここでしか
出来ない、しかも魅力あるものを作って欲しいんだけどなあ。
過去には、宝塚だけが持つ特性を愛しているようにも思えたんだけど、
最近は、その縛りをむしろ窮屈に感じているように思える。
キャスティングに関しても、彼自身の意向は余り活かせないんだろうし。
そして、出来ないことがあることを逆手に取って、逆に面白いものを
作るってことに、もはや興味がなくなってしまったのかもね。それに
外部でも名前が売れ始めると、誰しも演出・製作に対する自分の欲望が
大きく膨らんだり、外で受けることこそ名誉という気持ちが生まれる
可能性もある。
はたまた、涼風や杜、紫苑などがいた頃(つまり彼とは同期とも言える
共に戦った戦友たちの時代)と違って、彼が本当に魅力を感じる人材が
劇団の中に払底してしまった現実があるからなのかも・・・。
このことは、最も深刻な事実なのかもしれない。 おじさん風味(エロも含め)が、重要要素だからこそ面白いアニメは
ちっとも宝塚に合ってるとは思えなかったし(別物になってた)
殺しの美学追求、人の死に現実味を感じなくなるようなアニメも
敢えて男装した女性達にやらせたくはない
最近の作品選びには、全く共感できないわ 絶対に無理な話だが、例えばあの「グランドホテル」のグルーシンスカヤと
マネージャーのエピソード(みたいなもの)を、宝塚でこそきちんと
描いて欲しいわ。
男性同士の友情以上の関係を美しく描くことは
いくらでもするのにさ。ちょっと偏向している。
腐の人に受けることを作者は理解して作っているのだろうが
なら、女性の話もご法度にしないで、それを多くの現実のファンの
心に染みるような表現で(スターへの感情を想起させるからね)
宝塚的に美しく描いてもいいじゃない。
これは決してあるセクシャリティの人だけの為にではなくだよ。
もちろんそう言う人も深くうなずけるものにして欲しいが…。 なんか突然下がったので、いったん上げておきます。
100台から555番まで下がるのは、過疎スレで下げられたのか・・・。
ここは他にない貴重な個性のスレッドなので、上げまする。 さっきCSで、平成の第一期の「ベルサイユのばら」についての短い番組を
やっていたんだけれど、あれを見ると、その時の主要なキャストの殆どが、
昭和の同作品を観て、宝塚に熱狂的に惹かれたり、入学を決めた人達
だったんだよなあ・・・。
そして平成の初めにスターとして、同じ作品に出られる喜びに感激して
いた人達であった・・・と(番組の意図がそんな感じもあるが)。
もちろん世代の差っていうものもあると思うけれど(原作自体の流行期間も
関係している)、この後、現在に至るまでこの作品においてスターだった人達は、
おそらくは上の彼らほどには、入学前にこの作品に憧れたり、これで宝塚に
入ろうとは思っていなかったように感じる。
もちろんこれにとって代わるような作品が、その後作られた(少し後だが
「エリザベート」など)ということも、影響しているだろうけどね。
それにこの平成初期のベルばらの舞台の出来自体が、これにどう関係して
いたかも、問題ではあるのだけれど・・・。
でもこの作品から離れても、なんだかこの「平成第一期ベルサイユのばら
世代」までと、その後とでは、生徒の宝塚に寄せる精神性に少し違うものを
感じることは確か。
その人が持つ宝塚への熱みたいなものが、薄れていっているような。
(他にも行きたい道はあるんだけど、一応入ってみようかくらいの気持ちに
なってしまっていないかなあ・・と)。
もう少し世代を広げて、平成第一期ベルサイユのばらに「下級生」で出ていた
人達くらいまでは、上の世代と似たようなものを引き継いでいるかなとは思う
けれども・・・。 テレビで新公の「PUCK」を観て、意外にダニーがなかなか良かった
目が効くしスタイルもいい、歌もまあまあ
もう少しだけ繊細に演じれば、なお良し
まあ新公なんだから、まだまだ頑張れ
今回の本公演は観ていないが、初演は観た
ボビーは初演も大味、今回も…
余りに下がってるから今のうちに、一旦上げます 退団発表を受けてなかなか浮上できない
本人が決めたことだから、祝福して送りださなくてはいけないのはわかってる
だけど辛すぎるよ 何故今になって『生え抜き』にこだわるのだろう。意味わからん組替えを繰り返してきたのは劇団側じゃないんか?大人の事情()なんだろうけど、今更生え抜き生え抜き言うなら過去のあの人とかあの人とかたくさん、動かさなかったら生え抜きトップにできたじゃん。何なんだ。 今のファンは、大昔からそう呼ばれていたと思ってるかもしれないけど
昔(昭和のベルばらの少し前)は、退団のことを殊更「卒業」とは言わなかった。
宝塚を卒業して、と言う言い方は、ある意味、比喩に近いものだったと思う。
今は、退める最後まで生徒なんだということを、強調したいがための用語になって
いるみたいだけど、今は逆に?退団時でも全然芸が成熟していなくて構わないみたいな
風になっているみたいに感じる。
昔は、自分の芸をもっと磨いてから退団した人が大勢いたもの。
だがその頃は、専科生を気味悪い敬語で紹介なんぞはしなかったしなあ…。
なんだか奇妙なことがたくさんある。 少し上げます
宝塚を単に芸能界への登竜門に使うだけの人は、出来れば
来て欲しくない
ここにある美学を殆ど学ばずに、通過して行くだけの人も
少なくないから
舞台でそういう人を観ると、たとえスターと言われていても
とても物足りなくて、つまらないから このスレ、いいな。
古き良き時代の宝塚の話や微笑ましいエピソードとか、たくさん聞きたい。
人事や番手の話でギスギスするの、疲れる。 ゴミがたくさん捨ててあるところならポイ捨てが後ろめたくないのと同じ感じなのかな
同じことを書き込むにしても無意味に煽り口調だったり、乱暴だったりすると「そういう場所」になってしまうよね
そして、ここ2ちゃんだよ?wという言葉が嫌
匿名だったら何を言ってもいいわけではないと思うし、そういう冷笑は決してかっこよくはない 昔はトップ娘役の方が、トップ男役より上級生であったり
年上であることもあった。
例えば淀かおるや、八汐路まり、初風諄、あと一時、近衛真理なんかも
名ダンスコンビとして下級生の甲にしきと組んでいたし。
最近は上のようなことは、絶対あり得ないように思われている。
必ずトップ男役は、上級生と決まっているみたい。
でも、もっと柔軟に考えてもいいと思うな。
特に娘役が、複数のトップ男役と組むことになる場合は、
時には男役より上級生、あるいは年上になってもいいじゃない。
それよりも相性がいい人と組むことの方が遙かに重要だと思う。
娘役の方が包容力があり、男役が母性本能をくすぐるタイプ
っていう組み合わせでもいいんだしさ。
ものごと、ぎちぎちに決めてしまわず、融通性を持たせた方が
舞台なんてものは、うまくいくのでは?と考える。 「最近は」ってのは、四半世紀前ぐらいも含むんですよね?w 昨今は、トップコンビはスタイルや顔が美しいことがまず第一と
思っている人が多いみたいだけど
宝塚では元来、そのことよりもむしろ、特殊な男役芸、娘役芸を
舞台で見せられることの方が尊重されてきたんだし、今のように
海外ミュージカルを目玉作品にすることが多いのであれば
なおのこと、作品の出来に関わる芸の力(歌、ダンス、芝居)を
主演者が持っていることの方が良いに違いないと思う。
一つの組だけでも、なんてことでなく、せめて5組の半分は
主演者がもっと実力本位で選ばれてもいいとさえ、私は思う。
これからの選抜には、ぜひそれが重要視されますように・・・。
そして、よくトップコンビは片方の弱点を片方が補うのがいいと
言われるが、この点も余りにそのバランスが悪くて、片方が
足を引っ張るようでは、良い作品は作れない(特に海外ミュージカル)と
思うので、優れた力を持つ同士が相乗効果でますます素晴らしい舞台を
作った・・・というような感想の出てくるコンビが生まれることを
切に望む。 ああいう移民ものとか、低い地位から上に上っていく人物を
上手く演じるのを見られたから、これからは『バレンチノ』や
『ギャツビー』なんかも、単にスタイリッシュに演じる
だけにとどまらないものを、見せてくれるだろうなと夢が膨らむ。
勿論、海外ミュージカルもいろいろ観てみたいけど、
こういう作品もぜひぜひ!
さて、きらりさん、『シカゴ』に出るんだなあ。これからも宝塚と
繋がりを断たずに、ぜひ下級生娘役の良きアドバイザーで
い続けて欲しいな。
本当は現役でそういう立場の女役が、昔みたいに、多数いるのが
理想なんだけれどさ。 大路三千緒さんの番組、観られて良かった
まだご存命なのだろうな
大関先生も、とにかく素晴らしい舞台人、大天才として
尊敬してらした
そして現専科生の大ベテラン、汝鳥伶さんが話していた言葉が印象的
決して大芝居でなく、とてもナチュラル、自分の理想の役者だ
そして自分たちの次の世代(つまり現在の演出家が育てられる世代)
くらいまでは、まだなんとかなるかもしれないが、その次の世代には、
はたして(大路さんのような)脇をしっかりしめる芝居の出来る人が
出てくるだろうか、そんな生徒を育てられる先生も、いないのでは
ないかと心配している・・・と
本当にその通りだと思う
大路さんが過去に重厚な役柄で活躍し、宝塚の看板作品ともなった
「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」さえ、
未来には、作れなくなってしまうのではないかと彼女は感じている
それでいいのかなあ、宝塚・・・・
ショーだけしか出来ないアイドル・レビュー劇団になってしまったりして・・
私はそれではすごくつまらないと思う 海外ミュージカルなら、あくまで歌のうまい人を集めてやってほしかった。
初演ならなおさらだ。対外的にもそうやって、劇団の質のアップを
発信して欲しい、一舞台作品として。
舞台裏の事情なんて、観客が納得してあげる必要など全くない。
舞台上の成果のみをチケット代金と交換したい。
海外キャストの扮装写真を見ると、意外にも主要女性キャストの
姿が、いわゆる「カルメン」と「ミカエラ」のようでびっくり。
もしその通りのキャラなら、むしろミカエラ的な方が、一般の
宝塚ファンには受けたり、同情票が集まりそうにも思える。
そして、もしかしたら歌の量や難しさも、後者の方が上だったりして。
実質的主役(に見えるの)は、果たしてどちらなんだろうな。
それぞれが歌う歌も芝居も全く知らないので、想像の域にすぎないが・・。 実は外見のことではなくて、歌の実力を気にして疑問符の人が
かなりいるんだと思う
主演者に合わせたせっかくの作品が惜しい、ってなるんじゃないかとね まるでテレビタレントを評するように、首から上のことばかりに
こだわり、貶しあって異常な感じだ。
舞台での出来、歌、ダンス、芝居は二の次、三の次らしい。
二次元アイドルじゃないし、他にはない特徴のある舞台での
出演者なんだってことを全く考えない人達が増えてきたんだなと
つくづく…。
あと芝居には、主役も脇役も必要なんだということも
てんで理解してない人たちもね。
皆同じようなタイプの人が並んでいないと、安心しないんだろうな…。 2ちゃんだから露悪趣味は当然って、なんだかなあ。
他の板を見たことないんだろうな。
そして最近ここに来て活躍するようになった人達なのかもな。
私もここを覗くようになってそう長くはないけど、それでも別の趣味的な板で
今でももっと楽しく和やかに話している場所があるのを知ってるし、
ここでさえ、今よりずっと自浄作用の働いていた頃のことを知っている。
「個人スレ」が禁止になって以降、絶対にそれを立てさせないように
みんなが気を配っていたこともあったし、そういう時には違反者の方が
肩身の狭い思いをしていたしね。それが今や・・・。
「ここで清いこと言ってるのは、逆にあきれる」って風潮が気持ち悪い。
少なくてもファンくらいは、「清く正しく美しくの宝塚」っていう
良い面を保って(実際は違っていても)、「本体」の方を逆に我に返らせる
くらいのことをしなきゃね。
ネットでは、ここ以外でも、ファンは大勢いるんだと言うかもしれないが
ここを見て「やっぱりなあ」と、外部の人に思わせてしまうことも
大いにあるんだよ。
金コネが舞台をだめにしているとしたなら、それを容認している風に見える
コアなファンの存在も、一つの大きな問題なのかもしれないなとも思うわ。 プロ級に歌が上手いのは、ここには必要ない、とか
宝塚らしくない、外で活躍してくれ・・・ってなんなんだろう。
宝塚も高いチケット代をとる以上、プロなんですけど。
そして、ダンスの場合はそれほどでもないのに、歌には
超甘くて、そう言って許されることが最近特に多いのはなんで?
宝塚の舞台は、主演級になればなるほど、歌でお客をストーリーの
中に引き込まないといけない作り(脚本)になっているんだよ。
それは何十年たっても変わっていない。
それに下手な踊りは、下でも横でも見てればいいが、
大音量で嫌でも耳に入ってくる歌からは、観客は逃げられない。
下手な前例があるから、って観客側が納得している現状って、
劇団の奇妙な抜擢を横行させるのに、ものすごく好都合だろうな。
今は、もうまず歌の実力アップを願いたいわ。
それも多くは、発声の貧弱さが問題。これ音楽学校でなんとか
ならないものか・・・。なるはずだと思うんだけどなあ。 前列にスタイル悪い子は並べないで欲しいですの。
容姿のバランスがいいか、ダンスがかけるクラスに上手いか、
顔がひたすら良くて、スタイルも良いかだけにして欲しいですの。
歌は歌えない人にはソロは一切あげないで欲しいですの。
それより何より、もうタニには演出も脚本もさせないで欲しいですの。
こうもりの演出の酷さ、OPの古臭さ、昭和30年代かよ、
ミル星人パピ―とたいして変わらねーじゃねーかよ。な舞台で、
もう溜息しか出ませんでしたの。
あんなのやらせるなんて、生徒が可哀想過ぎますの。
あれでチケットが売れないのは当たり前ですの。
生徒のせいにすんなや。
曲もつまんねー曲ばっかり。
途中でマジで帰ろうかと思いましたの。 DAMのカラオケ映像、
素敵なパッチワークにしてくれて飽きない。
本音は選曲している舞台映像を流してほしいが。
オサアサが前後に重なって、ドンドンドン!と腰振るところで
毎回 お お お、となる。
ふたりのせつない表情もすばらしい。 お芝居の評価は、観客の個人の好き嫌いなんかでは決まらないよ。
やはり生徒の技術、センス、才能で決まる。
宝塚だからって、観客の方が馬鹿にしすぎだと思う。
特に最近その傾向が強い。
だから生徒の中にも、芝居を極めようとする人がなかなか
出てこないのかもしれない。
昔は良かったというのは、ただのノスタルジーや幻想じゃないよ。
本当に芝居の上手い人は、昔は今よりもずっとたくさんいたのは確か。
そしてそれは、観客の舞台を観る目、要求するものの高さによって
鍛えられたからとも言える。
それから今ほど観客の求めるものが外見優先じゃなかったから、
長く在団して技術を磨いていくことも出来たしね。
水穂さんなんか今なら、たとえ脇役専科であっても、そこに至るまでに
観客のバッシングで退めざるをえなくなっただろうなあ・・・。
あんなに上品なコメディが出来る人は、今はもう皆無。
残念なことだよ。そういうジャンルは宝塚の真骨頂・・・だったのに。
観客の変質が、生徒、劇団の変質(悪い意味での)も生み出すんだと思うわ。 最近は複数のスレッドを同時に使って印象操作する人も少なくないのだなあ
自分の意見が多数派だと見せかけるために、やることが陰謀の様相を帯びてきている 某スレで思う存分書けないう書き込みを読むたびに、
ここを使わないのかな?と思ったりもする。
だが結局は、レスを少しは欲しいんだろうなという結論にたどり着くが。 歌にしろ、ダンスにしろ、芝居にしろ、得意な者同士が
主演者になり、かつ他の面でも概ね相性が良ければ、いい組み合わせじゃないか〜
という、しごく真っ当な意見を書くことを、ためらっている人の
本当に多いことに驚く
そんなの宝塚であっても、以前から舞台を愛するファンの、
ごく普通の意見だったよ
それをいちいち劇団の都合はこうだろうが、とか、他の組の
その分野が弱い主演候補の補い要因に飛ばされるかもだとか
いう前置きを付けて、遠慮がちに語らないといけないなんて、
ほんと奇妙過ぎて…呆れるほどだ
保守上げしておく 贔屓にはやはり娘役との恋愛もので、魅力ある作品をやって欲しい
綺麗なデュエットも聴かせて欲しいし、情熱的な芝居も
期待している
娘役を脇において、男役との間柄ばかり強調する作品は
絶対に回って来ませんように
切に願う!
一部のマニアにだけ受ける作品は、ほんとにガッカリする 最近思うこと
舞台を見ずに、ただ画像だけ(それも入り出など普段の写真)を見て
かわいいから舞台ではこうなってほしいと書いている人
逆に、こうならないでほしいと書いている人の多いことと言ったら
ちょっと驚く
宝塚の主演級は、テレビやグラビアのアイドルで、芸無しでもいいのとは
違うんだからさ
それも自信たっぶりの断定口調、文章も途切れず書いているから読みにくい
これはもう、ある異人種の人達の印象操作かもなあ
2ちゃんもたいがいだけど、他の場所から多くの人がやって来て
確かに空気が変わったなとつくづく感じる タカラジェンヌを舞台人として観るか、アイドルとして観るか、二つの価値観があるから面白くも面倒臭くもある
前者の価値観であれば舞台外の事は不問にできるだろうし、後者であればSNSや映像でもそれなりに満足いくヲタ活が送れるだろう ここの特徴はタイトルを読めは分かるはず
いつまでもここだけの貴重なルールが守られますように
請い願う 「芸能人の方達は」・・・、この生徒自らの言葉が、生徒が自分達を
どう見ているかを端的に現していると思う。
劇団を退団してから、一般の芸能界へ移る人達が、なかなか苦戦することが
多いのも、在団中、自分達を芸能人の一部とは認識していない点も、また
その遠因の一つかもしれないなと思う。
特殊な舞台人としての自覚はあっても、一般芸能界で生きているとは思わない、
ということを、過去においては観客の側も、同じように思った上で応援して
いるところがあった。
だが、今では何でもかんでも芸能人と比較、或いは二次元の誰かと比べる、
宝塚には今までなかった類いの萌えまでも持ちこもうとする。つまり
外部にあるものを使って、宝塚を見たり、評する人達が増えたなあという
印象だ。
時代の流れとは言え、なんだか奇妙な思いを抱いているファンも少なくないと
思う。
たいてい上のような人達は、チェスの駒のように生徒をその組の中の「順位」や
「位置づけ」に押し込むことにやっきになっていて、舞台成果よりもまず、
キャラクターを決めるのに必死なんだなあ、と感じる。
新人で、舞台で大して結果を出せてない人にまで「番手」をつけるなんて
無意味だろうよ。
もしかしたら、少し出遅れていても、後にいい結果を残すタイプもいるかも
しれないのに、「下級生に今の時点で抜かれていてはもう絶対だめ」と、
せわしなく断定するなど、なんだかなあと思うわ。
晩成型のスターは、昔はたくさんいた。退団後一般芸能界で売れなくなるからと
せかしてばかりじゃ、本末転倒もいいところでしょ。
今どき、他のスター養成機関に敢えて行かずに、あの特殊な音楽学校に敢えて
入りたいという人達の心根を、あまりにも理解していないんだなあと感じる。 少し下がりすぎたから一度上げておく
スマホ握りしめて各所を徘徊する大勢の人達を見るにつけ
ここで生徒の進退をからかい半分なのに異様なほど熱心に
丁度ゲームの話のように語る人達と重なって、ため息が出るばかり ちょい追加
人にぶつかりそうになっても、お前が譲って自分の方を通せよ
くらいの厚かましさ、こんな基礎的なマナーを逸脱するくらい
じゃ済まないで、高速道路に迷い込む、運転ミスで人身事故まで起こすなど
個人的な遊びから、公共に大迷惑な交通事故を起こす(予備軍含め)大人たち
実際に自分が見たり聞いたり、体験したことでもないのに
憂さ晴らしで噂を拡散、あげくの果てはスレちの事件についてまで
人の命に係わることを、軽率に書き込みしちゃう
ってほんと、同じような幼稚な大人たちの姿、って感じだよ 昔が全て美しく見えるのではなく
現実的に見て、近い将来の人材不足が
想像がつき、なんとも言えない気持ちになる
娘役より男役の方がより危うそうだ
海外ミュージカルどころか、お家芸の大作さえ
役者が揃わなくなるのではないか?
谷の時代、なんて悠長なことさえ言えない時代が
来そうで怖いし、淋しい 本当に気持ち悪いスレだな。あそこ。
2の塚板は、時には情報が早く手に入るかと覗いてみたりもしていたが
どこも今は、黒ぐろとした感情のぶつけ合いばかり。だが、あそこはまた格別。
もしかしてAKBなんとかみたく、選挙してその順位の通り、センターをとったり
する方が、皆、心安らかになれるのだろうか。
そういう明確な順位を、早く見極めたくてしかたない、他組への移動まで
想定して、そのピラミッドの組み立てを考えている。
おまけにもしかしたら、各人のバックの強さの順位までも考慮に入れながら・・・。
舞台の楽しさより、トップへの道のすごろくをどう進むかに虎視眈々。
あの熱に浮かされたようなスレは、昨今のファンのある面を凝縮させて
見せているとするならば、なんだかこの劇団も、いよいよ終わりの始まりかなと感じる。 久しぶりでテレビで「ベルサイユのばら」を観た
この組のは、実際の舞台では観ていないのだが当時、登り調子で勢いのある、
そして共に容姿に恵まれた主演者の作品だから、期待して観たのだったが・・・
詳細な感想はここでは控えるけれど、二人ともに過去の演技「様式」を
十分学んでの出来だったのだろうけれど、様式は学んでも、作品の魂の
部分は、どうだったのかなと、感じた
なんだか美しい着せ替え人形のようで、「王宮の飾り人形」とか言う
どこぞで聞いたことのある台詞を思い出した
本編にも疑問は多く感じたけれど、フィナーレの有名なダンス
これが双方、余りダンスが得意でない人だったとは言え
(過去の公演の組み合わせでも、必ずしもダンス巧者ばかりではなかったが)
う・・・ん・・なんだか体操競技のようで、心に何も響かなかった
つまりは人の情緒が殆ど感じられないのは、なぜなんだろうな・・・
情緒、そしてパッション・・・
もうこの作品(脚本)は、現代の生徒にとって、それらを表現するのが
難しい作品となってしまったのかもしれない
でも原作は今読んでも、とても優れたものだと思うから、やはり脚色の
問題なのか
あるいは・・・もしかしたら、生徒自体の変化なのかもしれない
衣装も装置も豪華になっても、形だけ頑張って過去のものを再現して
いるのなら、むしろむなしく見えてしまい、残念だけど余り観たくないと
思ってしまう 往々にして、一番分かって欲しい人ほど
他人事だと感じているものなんだよな。
実生活でもネットの世界においても。
あの二人はとてもよく似ている。
全く周囲の気持ちをくめない、自分の言いたいことは
頑として譲らず書き続けるところがね
いつかはそのことに気付いて欲しいものだが
せめてスレをこれ以上、汚して欲しくはない どこもかしこも、人がものすごく攻撃的なのには驚くな。
皆、アドレナリンか何か知らないが、脳内の興奮物質とか攻撃的になる物質を
体の中へ噴出しまくっているようだ。
ちょっとした他人の書き間違いはもちろん、重箱の隅をどこまでもつついたり、
文脈を曲解してまでして、ことごとく他人と対立し、攻撃をしかけているように見える。
結局は、そんなに違うことを言ってはいないのに、どこまでも議論を平行線に
しておきたいようだ。
なんだかなあ・・・。
ここは人を、融和とか、もしかしたら信頼とかいうものから、最も遠ざける
荒んだ場所、なんだか世の果ての場所のようにも思えるほど・・・。 だれにも文句がつけようのない芸の披露なんてむずかしいものだ。
文句を言わせない芸、遠くになりにけり。 なんとか主役を演じる人はいても、例えば
ショーヴランにぴったりな人、
この人にぜひキャリエールになって貰いたい人が
見つからない・・・。
これが今の劇団の現状だと思う。
どんな作品も、決して主役だけでは作れないんだよ。
キャリアも実力もある生徒がいないことには
どんな名作も、素晴らしいものにはならない。
本当に人材が払底していると思う。
そしてそういう状況は、これから想像以上に続くと思う。 どこを見ても言い争いばかりで殺伐としている
せめてあそこだけは、優しい平和なスレであらんことを願う
保守上げ 大劇場のくすのき
なぜ、カウンター席なくしたのかな
お一人様には居心地が良い席だったのに
一人でふらりと観に行きづらくなった
四季劇場では幕間、一人で過ごす場所が少なくて困ったっけ
だから、宝塚の方がいいやってなったのに
最近、また一人で観なくちゃいけなくなった
子供の教育で観劇してる暇がないんだって
やっぱり子供がバレエうまくなるほうがいいのが親心?
自分は根っからの趣味人だから、そんな風にはなれない
ゆっくり幕間に時間をつぶせる場所ないかな・・ 相も変わらずスレ違いの話題を、タイトルにそぐわない人達ばかりで
延々と続けているなあ。そしてそこに本当に相応しい人達は、どんどん
離れて行ってしまったみたい。
日本で恋愛や人生や芸術と、「妄想」や「萌え」とを勘違いしている人の
多いことには、心底からがっかりする。
これでは、世界からこれからもどんどん置き去りにされるのもしかたない。
来たるオリンピックへの出演も、数十年前の大阪万博出演や関連公演を
華やかに行った時代とは、世界のものの見方が大きく変わっている。
どこかのスレで今の宝塚のここを考え直さなくては、五輪参加も無理という
レスは、とても興味深く読ませてもらったけど、そこにもう一つ
「セクシャリティ観」ってものも、付け加えたいなと思った。
セクシャリティって、恋愛に関するだけでなく、本来は人の人生そのもの、
マジョリティにとっても同じこと。そして芸術でそれをどう表現するかは
それに関心のある人ならば(少なくとも諸外国では)、重要なポイントとなる。
100周年を迎えたことはめでたいが、世界(特に先進国)に出て行くのなら
そこのところが、何も変わらないままなら、齟齬が生まれてくるのは
必至だと思う。
日本の常識は世界の非常識の典型っていうことだろうな。 あれは誰かに得になる人事なのか
本人と劇団の一部の人だけに、なんだろうな
バックが強いのか経済力が強いのか知らないが
舞台上の出来栄えは無視、さらにはもしかしたら相手役になる
人に期待されるものをも、激減させるだろうな
個人ファンだけでなくライトな組ファン、宝塚ファンの抱く夢も
消えていく
お金の力には勝てないと言うなら、観客が財布の紐を締めることも
またお金の力になるんだよ
宝塚ファンもぜひ、それを使わなきゃ、もったいないと思うわ
高いチケット代に見合うものを受け取る権利は、観客側にこそある
劇団が尊敬する創業者なら、絶対にそう考えると思うしね あの男役には、例えばシェークスピアなら
オセロより、マクベスを演じてほしい
そしてその相手役も、マクベス夫人「も」出来るような
タイプとぜひ組んで欲しいな
宝塚にはデスデモーナを演じられる娘役は数多いけれど、
それしか出来ない人は、彼女には物足りない相手役だと思う
ヒロインが黒い役柄であっても、それはそれでとても興味深い
きっと二人で、良い意味で宝塚の殻を破り、新しい舞台を
見せてくれるはず
少なくともあの男役には、それが出来る力があるんだしね
ひと組くらい、大人の芝居、それも一見宝塚らしくない
人間の心理、そして真理がテーマになるような作品を
主演スターの個性、能力で作り上げることが出来たとしたら
とても興味深いと思う
そんな芝居、よそでやれば、というような人は
見に来なければいいんだし、そういう芝居を宝塚で
やることが、他の舞台とはまた違った面白さを生み出すに
違いないと思う
こういう点に興味を覚える人が、見に来ればいいんだもの
主演スターのファンや、組ファンでなくても
おお〜っと、惹きつけられる舞台を見せて欲しいよ
そしてもちろん二人で、丁々発止のドラマティックな
歌も聴かせて欲しい
芝居でも歌でも、クオリティの高い舞台になることを
大いに期待するよ 古いヅカファンの婆が煩く自慢やまではしかとだが、LINEまで聞いてきてあー一人なんだウザッきもち悪までじゃなかった 髪は黒かったが、鼻毛が真っ白にはビックリしたさ 神様お願いします
あの人をどうかトップにして下さい
私の出来ることは全てします金銭面でも支えます、だからどうかトップ羽根背負ったあの人を見させて下さい どこからの情報なのか知らないが
1789は、あの組の新トップお披露目には全く合わない作品だ
楽曲にはいいものもあるから、トップが単独でソロで歌うのなら
聞いてみたいが、農民出の世間知らずの若者というキャラクターには
最も遠いのに、それをやらせる意味合いはない
彼女にはもっと大人の役柄、人生の苦さを知っているが故の
恋愛を演じて貰いたい
アントワネットを前任の主演娘役にと言うのも、全くもって
柄違い
彼女には桁違いの浪費や放蕩は似合わない
他を圧するような華やかなプリマ役の雰囲気もない
彼女はもっと複雑な心理描写のある役が相応しい
1789は実は宝塚には不似合いな演目なのかも
トップ男役が生きる作品とは言えないからね
3人の革命家は、女性が演じてもなんだか非現実的
あれなら「ベルサイユのばら」のベルナールの方が
ずっと胸に迫るものがあった
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