宝塚エリザベート総合スレ 17 [無断転載禁止]©2ch.net
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96年の初演雪組エリザから16年の宙組エリザまでの本公演に
今年開催された20周年ガラコンサートまで、
宝塚の超ヒット作エリザベートについて色々語りませう。
ただし「あらすじ」はもうお腹いっぱいw
前スレ
宝塚エリザベート総合スレ 16
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/siki/1484260244/ 高島兄のルキーニと寿つかさのルキーニどっちが好き? ルキーニの客席いじりといえば
轟ルキーニのビデオ版だった?
客席の隠し撮り客に『カメラ?』って指摘してなかったっけ? >>58
それは隠し撮りじゃなくて販売ビデオ(当時)収録用の
カメラへのツッコミ>理事ルキ
本日収録してるよ、と客席に知らせる意味もあった
銀橋付け根辺りからの煽り角度でパレードのトップさんが
最後本舞台に戻る前に振り返ったりする時の映像を撮る
ヤツな >>59
そうなんか!ありがとうずっと隠し撮り指摘かと思ってた…あの頃、隠し撮りがすごーい多かったから。 星はあやかのサヨナラ公演の一回こっきりなんだよね。
琴トート舞空シシィの新星エリザの実現性は果たしてどうなんだろうか?
本当ならとうこ&あすかの頃にやるべきだったな・・・
その頃新雪エリザは悪声ズコボエの水とお色気うっふんのとなみで酷評だったから余計にそう感じる。
或いはあれだけちえがトートやりたがってのを聞いてるけど・・・ねねじゃ無理だと納得した。
ちえの相手役、最初に2〜3作をあいあいと組ませてその後にねねと組ませてもよかったんじゃないかと。
ちえとあいあいの超大型ダンサーコンビは見たかったけどね。
あいあいのサヨナラでエリザやってもよかった気もするんだが・・・踊るエリザって感じで 東宝、松竹、劇団四季、ホリプロ、東急文化村、パルコ、吉本興業、明治座、アミューズ、シス・カンパニー、
NODA・MAP、劇団☆新感線、大人計画など演劇関係の約40の会社、
団体、劇場が新型コロナウイルスによる公演の中止や延期に伴う演劇界の危機的状況を受けて
「緊急事態舞台芸術ネットワーク」を組織し、14日、中止や延期による損害などについての緊急アンケート結果を発表した。
アンケートは4月10日以前に中止・延期を決めた5月末までの公演を対象に実施し、数万人から数十万人を動員す
る規模の演劇イベントを主催する16の主催団体が回答を寄せた。
それによると、損失額が「30億円以上」が2団体、「10〜30億円」が3団体、「5〜10億円」が2団体、「1〜5億円」が7団体、
「1億円未満」が2団体となっている。中止・延期となったステージ数は「210以上」4団体、「101〜200」2団体、「51〜100」5団体、「1〜50」5団体。
また、現状の支援策を利用した場合の事業継続可能性については、「可能」が8団体、「困難(大幅縮小不可避)」
が6団体、「どちらともいえない」が2団体で、「困難」と答えた6団体に、予想時期を質問すると「半年以内」1団体、
「1年以内」が2団体、「無回答」3団体だった。自由記述では「年内の興行が難しければ、会社の休眠、あるいは倒
産も致し方ない」「21年4月には事業継続が不可能」などと危機的な状況を訴えている。
また、装置・照明などイベントスタッフの6つの会社も回答を寄せ、事業継続可能性については「可能」2社、「困
難」3社、「無回答」1社と、同様に厳しい状況にあることが明らかになっている。
http://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/202005140000345.html
前
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589471588/
関連
劇団四季に大人計画、新感線、NODA・MAPも参加…オール演劇界で結束「支援ネットワーク」発足
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020051402100148.html >>62
となみのシシィかなり野暮ったくてがっかりだった思い出
ベルばらのアントワネットとシシィじゃ求められる綺麗さの
ベクトルが真逆なんだなあと認識させられた 今週初めて見た
衝撃的な面白さだった
轟とかいう人が圧倒的に演技が上手いと思った
調べてみたらまだ現役だったのに驚き あんなつまらないルキーニもいないと思ったけどな
愛の下品なルキーニが好きすぎて、れいこの美形ルキーニも退屈としか思えなかった
自分は下品で能天気で顔芸激しいルキーニが好きなんだなと 歴代イチつまらんルキーニと言えば音月
次点がまさみり >>67
あぁ、つまらなそう…キム好きなんだけど
ってか水トートだよね??絶対観てるはずなのに記憶すらないとは 私の皇后に手を出すやつ
無礼な若造 愚か者め
パパが教えてくれた 曲芸の天使が
教えてくれたの 私に馬術を〜 倒れるほどのダイエット私にはできへんで〜
駄目だわ・・・ちえトート 今更月組エリザ見た
みやとれいこは逆の方が良かったのでは >>76
加美乃素の貸切公演の時のれいこフランツすごく良かった
ルキーニもフランツもれいこでいい たしかにれいこフランツみやルキーニ観てみたかった
たまきちエリザとちゃぴトートも エリザベート (ミュージカル)
『エリザベート』(原題:Elisabeth)は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートの生涯を描いた、ウィーン発のミュージカル。脚本・作詞はミヒャエル・クンツェ、作曲はシルヴェスター・リーヴァイ。 長きにわたりヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国末期19世紀後半のオーストリアを舞台に、ドイツ地方・バイエルン王国公爵の次女として自由な環境で生まれ育ち、偶然にも皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から見初められ、16歳でヨーロッパ宮廷随一と謳われる美貌のオーストリア皇后となるが、 伝統と格式を重んじる宮廷との軋轢の中で苦しみ、やがてウィーンを離れヨーロッパ中を流浪する日々を送り、その旅の果てに暗殺された皇妃エリザベートのベールに包まれた半生を、彼女につきまとい誘惑する「死」という架空の存在を通して迫り、これを以って中央ヨーロッパにおける帝国支配の終焉と新時代の萌芽を描いた作品。 「ブロードウェイ・ミュージカルとは違う世界観の作品を作りたい」との理念の下、グラミー賞を獲得するなどアメリカで作曲家として活躍していたハンガリー人のシルヴェスター・リーヴァイと、数々のミュージカルのドイツ語翻訳を手がけ、小説家としても成功を収めていたチェコ・プラハ生まれのドイツ人ミヒャエル・クンツェが共同で制作を始める。 ミュージカルの題材として伝説的な皇妃を選んだ理由としてクンツェは、「一つの時代、王朝の終焉を描くと同時に、その最後の時に生きた人々の内面を描きたかった」と言う。
そして、「古い時代を代表するハプスブルク王朝にあって、新しい現代的な感性を持ったエリザベートはその宮廷文化の凋落を予見していた。その没落する船に囚われ逃れられないと知りながら、誰よりも自由を追い求め、それゆえに死に惹かれていく一人の女性を通して、懐古趣味ではない現代にも通じるドラマを描きたかった」と述べている。 1992年9月3日、オペラ演出家として名高いハリー・クプファーの演出により、アン・デア・ウィーン劇場で初演され、6年のロングランを記録する。その後、世界各地で上演されドイツ語ミュージカルとして史上最大のヒット作となった。日本においては、宝塚歌劇団による1996年の初演以来上演が続いており、2000年からは東宝版も上演されている。
ドイツ語表記では本来エリーザベトだが、日本の演劇界では慣例でエリザベートと表記されている。 登場人物
エリザベート - オーストリア帝国の皇后。愛称はシシィ(Sissy)。バイエルン王国出身。
死(トート) - 死の抽象概念を擬人化[1]した存在。その外見はシシィが心酔した詩人ハインリヒ・ハイネや、ロック歌手のデヴィッド・ボウイがモデルとされる。
フランツ・ヨーゼフ1世 - オーストリア帝国の皇帝。エリザベートの夫。
ルイージ・ルキーニ - イタリア人無政府主義者。エリザベートの暗殺犯。物語の狂言回しの役割を担っている。
ルドルフ皇太子 - オーストリア帝国の皇太子。フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの息子。
ゾフィー - オーストリア帝国の皇太后。フランツ・ヨーゼフの母親。 第一幕
オーストリア皇后エリザベートの暗殺者ルキーニは、暗殺から100年経った後も死者の世界で裁判にかけられていた。彼は皇后暗殺の動機と背後関係を問う裁判官の尋問に、「動機は愛、黒幕は死だ。
なぜ殺したかって?彼女自身が望んだんだ!」と不可解な供述をする。そして証人として、未だに煉獄で自由を得られずに彷徨い続けている、エリザベートと同じ時代を生きたハプスブルク帝国の亡霊を呼び起こし、彼らはエリザベートについて語り始めるのだった。("プロローグ") 1853年、南ドイツの緑に囲まれた湖畔のポッセンホーフェン城では、エリザベートの父マックス公爵が旅に出ようとしていた。自由奔放に生きる父親の影響で、宮廷生活とは無縁の片田舎で詩や乗馬を好む少女として育ったシシィは、予定されている親戚同士の集まりから逃げだすため、父と一緒に行きたいと願い出る。
("パパみたいに") 親戚の集いでは、母ルドヴィカから長女ヘレネがオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とお見合いをするとの発表がある。 縁談はルドヴィカの姉でオーストリア皇太后のゾフィーが取り持った。("ようこそみなさま") しかし、一同が縁談の話で持ちきりとなる中、興味を示さず一人で木に登り曲芸の練習をしていたシシィは、足を滑らせ高所から落下して意識を失う。
その後、目を覚ました彼女は中性的な美しい姿の青年が自分を抱えベッドに連れ帰してくれたことを感じる。彼女はそれが「死」だと気づくが、彼に何にも縛られない自由な父親の面影を重ね、強い憧れを感じる。("黒い王子") その頃、ウィーンのホーフブルク宮殿謁見の間では、若き皇帝フランツ・ヨーゼフが執務机に腰掛け書類に目を通していた。その傍らには「宮廷でただ一人の男」と呼ばれる皇太后ゾフィーの姿がある。ある死刑囚の母が陳情に訪れる。
彼女は自由と叫んだだけで死刑を宣告された息子の減刑を願い出る。1848年に起こったフランス2月革命の余波で、ウィーンでも3月革命が勃発、宰相メッテルニヒが失脚、皇帝フェルディナント1世が退位する事態となった。 革命は鎮圧されたものの、その影響を押さえ込むためゾフィーは当時18歳の息子フランツ・ヨーゼフを次期皇帝として即位させ、反君主制的な動きを弾圧していた。皇帝は母親の悲痛な叫びに苦悩する表情を見せるが、皇太后に促され陳情を却下する。
次に、臣下よりクリミア戦争の情勢について、革命の鎮圧に手を貸してくれたロシア側について参戦すべきと進言を受ける。ゾフィーは「戦争は他家に任せておけ、幸運なオーストリアは結婚で勢力を拡大せよ」というハプスブルク家の家訓を例にして、戦争には中立の立場を取り、皇帝は縁談の席に出発するよう指示する。("皇帝の義務")
(この旧態依然の日和見的な判断によって、結果としてオーストリアはヨーロッパ大陸におけるロシアという後ろ盾を失うことになる) 2021年4〜5月
『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』
https://www.umegei.com/elisabethgala25/
1.4月5日(月)〜4月11日(日)
大阪・梅田芸術劇場メインホール
2.4月17日(土)〜5月5日(水・祝)
東京・東急シアターオーブ
「アニヴァーサリーバージョン」
メインキャストが役をイメージした衣裳でコンサート形式にて本編を上演する
1.歴代出演者が共演する“25周年バージョン”
2.上演当時のメンバーを中心にお届けする“花組・月組・雪組・星組・宙組の各組バージョン”
3.夢の競演として新しい組合せでお届けする“スペシャルバージョン”
「フルコスチュームバージョン」
出演者全員が扮装しコンサート形式で本編を上演する その頃、ウィーンのホーフブルク宮殿謁見の間では、若き皇帝フランツ・ヨーゼフが執務机に腰掛け書類に目を通していた。その傍らには「宮廷でただ一人の男」と呼ばれる皇太后ゾフィーの姿がある。ある死刑囚の母が陳情に訪れる。彼女は自由と叫んだだけで死刑を宣告された息子の減刑を願い出る。1848年に起こったフランス2月革命の余波で、ウィーンでも3月革命が勃発、宰相メッテルニヒが失脚、皇帝フェルディナント1世が退位する事態となった。 革命は鎮圧されたものの、その影響を押さえ込むためゾフィーは当時18歳の息子フランツ・ヨーゼフを次期皇帝として即位させ、反君主制的な動きを弾圧していた。皇帝は母親の悲痛な叫びに苦悩する表情を見せるが、皇太后に促され陳情を却下する。次に、臣下よりクリミア戦争の情勢について、革命の鎮圧に手を貸してくれたロシア側について参戦すべきと進言を受ける。 ゾフィーは「戦争は他家に任せておけ、幸運なオーストリアは結婚で勢力を拡大せよ」というハプスブルク家の家訓を例にして、戦争には中立の立場を取り、皇帝は縁談の席に出発するよう指示する。("皇帝の義務")
(この旧態依然の日和見的な判断によって、結果としてオーストリアはヨーロッパ大陸におけるロシアという後ろ盾を失うことになる) 1853年8月、オーストリアの保養地バート・イシュルではフランツ・ヨーゼフとヘレネの縁談が行われていた。
ゾフィーの当初の目論みは、息子とドイツ連邦で勢力を拡大するプロイセンの王女アンナと政略結婚させることにあった。しかし、これが破談したため、友好国バイエルン王国の公女で操りやすい妹の娘に白羽の矢が立ったのである。 一方、バイエルン王女の生まれでありながら身分の劣るヴィッテルスバッハ公爵家に嫁いだルドヴィカにとっても、娘と皇帝の結婚は願ってもない名誉挽回の機会であった。しかし、縁談は両家の母親の思惑を通りには運ばない。
皇帝は、お后教育を受けて育った礼儀正しいヘレネではなく、たまたま同行していた妹のシシィに一目ぼれしてしまう。皇帝を前にしても天真爛漫に振る舞う美しい少女に心を奪われた彼は、生まれて初めて母親の意向に逆らい、彼女との結婚を決意する。("計画通り") ガラコンはスルー。オリバーを検討。
数打てば当たるボックス券じゃないでしょうに・・・ 数日後、彼は将来皇后として負うことになる義務や束縛について告げ、それでも私を支えてくれるかシシィに尋ねる。
彼女は婚約の証に送られたネックレスの重さに戸惑いの表情を見せるが、「あなたが側にいれば、どんな困難でも乗り越えられる」と、皇帝からの求婚を受け入れる。
15歳の少女はおとぎ話のような恋に胸がいっぱいになったが、宮廷での結婚生活という現実に直面する準備はできていなかった。("あなたが側にいれば")
(結婚までの短期間にシシィへの語学や宮廷作法などのお后教育が施されたが、成果は思わしくなく、母親が結婚式を延期してほしいと願い出るほどだったという。) 1854年4月24日午後6時半、ウィーンのアウグスティーナー教会(英語版)で、エリザベートと皇帝フランツ・ヨーゼフの結婚式が執り行われた。
夕刻時という珍しい時間帯の結婚式も、災いの幕開けにはぴったりだとルキーニが野次を飛ばす。ルドヴィカとゾフィーに付き添われた新郎新婦は、大司教の前にひざまずく。 「結婚はあなたの意志であるか」との問いに、エリザベートは「はい」と返答する。するとその声は教会内に何度もこだまし、いつとはなしに教会の鐘が打ち鳴らされる。
黄昏時に不気味に鳴り響く鐘の音はまるで、この結婚によりハプスブルク終焉のための最後のピースが揃ったことを祝すかのようであった。("不幸の始まり") 数日後、シェーンブルン宮殿では盛大な宮廷舞踏会が催された。大広間の外では、新婦の父親と新郎の母親が結婚への不満を漏らしている。マックスは宮廷の堅苦しさがシシィを殺してしまうと心配しており、ゾフィーはエリザベートには皇后としての資質が欠けていると苛立っていた。
また、舞踏会の参加者もめいめいに新婦の噂話に興じている。彼女の美しさを称える者、身分の低さを揶揄する者、狂気の血筋を危惧する者、若さや無作法を心配する者など様々である。("結婚の失敗") やがて、皇帝夫婦が広間に姿を現す。連日の行事に神経をすり減らしてたエリザベートは、皇帝の腕の中で安堵の表情を浮かべ、無邪気にワルツを踊る。しかし、突然音楽が鳴り止むと、エリザベート以外の人間は蝋人形のように血の気を失い、彼女の前に再び「死」が現れる。
彼は「お前は彼を相手に選んだが、最後にお前と踊るのは私だ(意中の異性と舞踏会で最後にダンスを踊るという意味と、人が死ぬ間際に死神と死の舞踏を踊るという中世ヨーロッパの死生観の意味)」と告げて消える。 我に返り動揺するエリザベートの様子を、まるで見世物小屋の展示物を見るような好奇の目で周囲の人々が見つめる。その瞬間彼女は、自分が宮廷という異質な世界に嫁いでしまったことを真に実感したのだった。("最後のダンス") 行事や式典が落ち着くと、皇帝夫婦はウィーン郊外のラクセンブルク宮殿に居を構えた。しかし、皇帝は執務で夜遅くまで宮殿を留守にしていたため、一人取り残されたエリザベートを待っていたのは、夫との幸せな新婚生活ではなく、姑の厳しい皇后教育であった。
朝5時から綿密にスケジュールが組まれ、歩き方から、お辞儀の仕方、言葉遣いまで厳しく躾けられた。女官の手を借りず一人で着替えをしたり、入浴することも禁止された。 自分のことは自分でする環境で育ったエリザベートにとって、耐え難いことであった。プライベートはなく、お世継ぎ作りを催促され、何よりも好きであった乗馬も禁じられた。("皇后の務め") 宮廷の息苦しさと孤独感に耐えかねた彼女は夫に助けを求めるが、「母の言う通りにすることが君のためにもなる」と、皇帝は母親の味方をする。
エリザベートは自らが宮廷で孤立無援であることを悟るが、「私は誰の所有物でもない、私は私だけのもの」と、姑の言いなりとなり、宮廷に飼い慣らされることを拒否する。("私だけに") 結婚1年目、クリミア戦争の戦火拡大のため皇帝は執務室に篭ることが多く、宮殿に取り残されたエリザベートの話し相手は、皇帝からの誕生日プレゼントのオウムだけであった。
結婚2年目、待望の長女が生まれるが、エリザベートは育児を許されず、名前も皇太后と同じゾフィーと決められてしまう。母親であるのに授乳も許されず、我が子に謁見できるのは皇太后の許可が出たわずかな時間だけであった。 結婚3年目、次女が生まれるが、またして姑に子供を奪われてしまう。しかし、転機が訪れる。当時帝国の一部であったハンガリーでは独立の気運が高まりをみせていた。
皇帝は支配権の誇示のためのハンガリー訪問に皇后を同行させ、その美貌で人々の敵対心を和らげ、独立の動きを沈静化しようと試みる。
エリザベートは娘を皇太后の元から引き離し、旅に同行させることを条件に協力を約束する。宮廷で彼女が初めて手にした勝利であった。("結婚生活の様子") 1848年のハンガリー革命後の弾圧を主導していた皇太后との不和が噂されていた人物ということもあり、その美貌とともにエリザベートの訪問はハンガリーの人々に好意的に迎えられた。
また、彼女も姑への反発や、権威主義的なウィーン宮廷とは異なるハンガリーの自由な空気を気に入り、以後ハンガリーに対する抑圧を緩和する政策をたびたび皇帝に口添えすることとなる。 しかし、旅先で彼女を待っていたものが他にもいた。その勝利の矢先、慣れない長旅に疲弊した長女ゾフィーが病死してしまう。突然の娘の死に動揺し、棺から目を逸らした瞬間、彼女は「死」がずっと傍らに寄り添い、自分を見つめていたことに気がつく。
彼は「お前が偽りの愛にすがるほど、皇帝と帝国を闇に引きづりこむことになる」と警告する。("闇が広がる") 19世紀末、ヨーロッパの東西南北の人と文化が交差するウィーンでは、没落に向かうハプスブルク帝国の混乱や陰鬱な時代背景の下で世紀末ウィーンと呼ばれる退廃的な文化の爛熟が興っていた。
今日もウィーンのカフェでは、多種多様な知識人が集まり、新聞を読み、皇室や政治の話題で暇を持て余していた。カフェで一番の話題は、皇太子ルドルフの誕生である。 帝国にとって待ち望まれたお世継ぎであるが、痛ましいことにまたしても息子は母親の手から引き離されてしまう。次に、当時帝国の一部であった北イタリアがフランス皇帝ナポレオン3世と組み、オーストリアに対して独立戦争を起こした話題となる。
次々と領地を失い国際的に孤立する帝国の現状を「俺たちにできることは、カフェで他愛もない話をして、ただ破滅の時を待つことだけさ」とカフェの客たちは皮肉たっぷりに笑い飛ばす。("楽しい黙示録") 関西の人が愛する人物
くいだおれ太郎
ランディ・バース
宮根誠司
死ではないでしょ 1865年のある夜、宮殿のエリザベートの鍵のかかった寝室の前では、皇帝が扉を開けてほしいと妻に呼びかけている。イタリア独立戦争に敗れ、北イタリアの領地を失ったオーストリア帝国は窮地に陥っていた。
帝国の各地で独立の気運が再燃し、小ドイツ主義を掲げるビスマルク率いるプロイセンは、ドイツ統一に向け虎視眈々とオーストリアとの開戦の準備を進めていた。度重なる戦争で国家財政は破綻寸前であり、そのすべての重圧が皇帝の肩に重く圧しかかっていた。 彼は一晩だけでもあなたのそばで心休まる夜を送りたいと懇願する。一方、エリザベートはルドルフが臣下に虐待されていると訴え、「息子の養育を自分に任せてほしい、さもなければ私は宮廷を出て行く」と悲壮な覚悟で夫に最後通牒を伝える。
しかし、あくまで母親への忠誠心を崩さない夫の態度に彼女は絶望する。そして「死」が彼女に囁きかける。「全ての葛藤は終わる、苦しみから救ってやろう」と。しかし、エリザベートは宮廷での自由を手にするためなら自らの美貌さえ武器にしてみせると、彼の誘惑を拒絶する。("エリザベート、開けておくれ") ウィーンの中央広場ではミルクの配給を求める市民が集まっている。何故ミルクがないのか詰め寄る市民をルキーニは、「皇后が横取りしてミルク風呂に使っているからだ」と扇動する。
戦費をまかなうための重税で市民生活は困窮し、皇室の求心力は著しく低下していた。市民は「子供が死んでいるんだ!」、「皇后に思い知らせてやる!」と叫び声を上げる。再びウィーンでは革命の火種がくすぶり始めていた。("ミルク") 一方宮殿では、女官が皇后の入浴用の大量のミルクを化粧室に運んでいた。彼女はミルク風呂だけではなく、オリーブ油風呂、苺や生肉のパック、仔牛の肉汁のジュースなど、効果があると思われるあらゆる美容法を実践していた。その長く美しい髪は、卵とコニャックを調合した特製シャンプーで、3週間に一度、丸一日かけて手入れをした。
身長172cm、ウェスト50cm、体重50kg以下と言われるスタイルを維持するため、ほとんど食事は口にせず、一日の大半を体操などの運動に費やすこともあった。過剰ともいえる美容やダイエットと引き換えに、彼女の美貌はヨーロッパ中に知れ渡り、宮廷も無視できない程の影響力を持つこととなる。("皇后の務め〈リプライズ〉") しばらくして、皇后の寝室の前に皇帝が現れる。彼は突然の訪問に驚く女官たちに下がるよう命じると、衝立越しに妻に語りかける。
彼は「統治者は自らの感情を抑えなければならないが、君を失うくらいなら唯一の掟をも破れる」と、エリザベートの美貌の前に敗北を認め、母親ではなく妻を選び、彼女の要求をすべて受け入れることを決める。 夫の言葉を聞き終え、姿を現したエリザベートは「これからもあなたと生きていきます、でも私は私だけのもの」と高らかに勝利を宣言する。その姿は、美の神と称えられたかの有名なヴィンターハルターの肖像画で描かれたエリザベートそのものであった。("私だけに〈リプライズ〉") 第二幕
ブダペストの大聖堂前は、フランツ・ヨーゼフのハンガリー国王としての戴冠式を祝う人々で溢れかえっていた。ハンガリー国民は大規模な自治権を認めるオーストリア=ハンガリー二重帝国の実現に力添えをしたエリザベートに対して「エーヤン、エリザベート!(エリザベート、万歳!)」と歓声を送っている。("エーヤン") 一方、ルキーニは群衆の前でトランクを広げ、記念品の即売会を始める。国王夫婦の仲睦ましい姿が描かれたグラスや、王妃と息子が並び描かれた肖像画を手にして、「こんなものはキッチュ(まがいもの)だ!」と切り捨てる。
二重帝国など茶番であり、死後100年間、本や映画で好意的に描かれてきたエリザベートの姿はどれも偽者や偶像で、本当の彼女は傲慢なエゴイストだと彼は言う。("キッチュ") 反対するゾフィーらウィーン宮廷の多数を屈服させ、自らの希望を実現させたエリザベートは人生の絶頂の時を迎えていた。自信と威厳に溢れた表情で、「私は自分の意志で踊る、もう誰にも操られない」と、夫や宮廷だけでなく、「死」との決別をも誓う。
しかし、すべてを見透かす彼は「この満ち足りた瞬間は、すぐに生への憎しみに変わる」「なぜなら、お前は私を愛している」と不敵な笑みを浮かべ立ち去る。("私が踊る時") ホーフブルク宮殿の寝室では、9歳になったルドルフが熱に浮かされていた。真っ暗の部屋の中で一人寒さに震える皇太子は、母にそばにいて欲しいとつぶやく。
息子の養育権を取り戻したエリザベートは、息子に軍隊式の訓練を施していた臣下を解任して、肉体的訓練よりも精神的教育を重視するリベラルな教育係を自ら選任した。虚弱体質であったルドルフは、自由な環境を与え、苦しみから解放してくれた母への感謝の念を生涯忘れなかった。 しかし反対に、姑に勝利して満足したエリザベートは、徐々に宮廷や息子との距離を取り始め、堅苦しいウィーンを離れ、多くの時間をハンガリーのゲデレー宮殿で過ごすようになる。
ルドルフは母親を慕っていたが、母は息子の気持ちに答えようとはしなかった。母の愛を知らずに育ったルドルフは、かつてのシシィのように「死」に母の面影を重ね、彼を友として慕うようになっていた。("ママ、どこにいるの?") (ルドルフの教師は、慣例であった聖職者や貴族という地位に囚われず、能力のある市民の知識人から選任された。結果として皇太子は、皇帝を頂点とする君主制とは相容れない自由主義的な思想に惹かれるようになり、母親と同じように父親やウィーン宮廷と対立していくこととなる。) 宮廷の義務からは逃避したエリザベートであるが、孤児院や救貧員への慰問など社会奉仕活動には積極的であった。貧民や病人の世話が幼い頃からのヴィッテルスバッハ家の伝統であり、また彼女自身も、自分が興味を持つことに関しては、偏見を持たず、相手の地位や身分にとらわれず接する人物であった。特に、彼女が生涯足しげく通ったのが精神病院であった。これは親類が多く精神の病を患っていたことも関係する。 そして、ウィーン郊外のとある精神病院を慰問した際、エリザベートは一人の女性患者と出会う。彼女は自分こそが気高き皇后であり、エリザベートこそ狂った精神病者だと叫び、拘束具で取り押さえられる。彼女は、皇后というしがらみに拘束されている己を省みて、肉体は拘束されていても、何も縛られない無垢な魂を持つその女性に惹かれる。 敬愛する戯曲『真夏の夜の夢』に登場する妖精ティターニアのように、周りからどんなに奇異な目で見られ狂ったと言われようと、気高く心のままに生きられたらどんなに素晴らしいかと。そして、ウィーン宮廷や姑との戦いに勝利しても、結局何一つ自分が望むものは手にいれられていないことに気づかされる。 まるで今の自分は、自由の象徴であった曲芸のロープの上で、暗闇の中、恐怖に震え立ち竦んでいるようだと。「いっそ足元の深淵に身を投げてしまいたい」と本心では願っていても、暗闇の先に待つ虚無の不安に怯えながら、見せかけの人生を歩み続けるしかないのか、彼女は自問自答する。(“魂の自由”) >>1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【SNSやインターネット上における誹謗中傷等への対応について】
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ttps://kageki.hankyu.co.jp/sp/news/20210301_006.html
いつも宝塚歌劇にご愛顧を賜り、ありがとうございます。
昨今、TwitterやInstagram等のSNSやインターネット上の掲示板等において、
出演者やスタッフに対する誹謗中傷や、事実に基づかない悪意ある憶測を
流布する行為などが多くみられており、
例えば現在、以下のようなものを確認しております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆特定の出演者やスタッフを名指しのうえ、
事実ではない情報をもとに、非難、攻撃をすること。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆特定の出演者やスタッフの技量、成果物その他に対し、
本人を傷付ける意図を持って、批評や個人的感想を超えた言葉で攻撃すること。
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◆特定の出演者の人事情報について、
あたかも事実であるかのような表現を使い、事実ではない情報を拡散すること。
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宝塚歌劇団といたしましては、
お客様よりいただく様々なご意見や叱咤激励を有難く拝見し、
より良い舞台をお届けするための励みとさせていただいておりますが、
上記のように、
特定の個人を攻撃するような行為によって、
出演者やスタッフが万全な状態で公演に邁進できない事態に
なりかねない状況は大変遺憾であり、
非常に危惧すべき状況であると考えております。
なお、
今後上記行為を確認しました場合には、
弁護士等と協議のうえ、
しかるべき法的措置を検討させていただくとともに、
発信者情報開示請求を実施するなど
インターネット上の誹謗中傷等にも対応してまいります。
何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 退団記者会見の時も散々言われてたけどちゃぴの服のセンスはなんとかならんのか。
他のシシィはキラキラ衣装を着てるのに白にウエスト刺繍?だけだと地味で貧相に見える。
フィナーレはドレスを着たとなみが隣に立ってたからやっぱり見劣りする。 退団会見は私物だろうけど舞台のは衣装だろうし一獅ノするのもね シンプルなのがスタイルよく見えてほめてる感想あるし別にいいんじゃないの 細くてキレイに見えるシンプルなドレスを選んだと思ったけど。
むしろ死んですぐ着替えて出てきたとなみのプロ根性に驚いた。
ネタバレしてもいいですかね? オサトートはやっぱり声がエロかった
花組02ver楽しみにしてる
あさこはやっぱりルキーニだよ
キッチュに入るまでのアドリブが良かった
幕間に愛希が全部持っていったってプンスカしてた水となオタは成仏されたと思うので良かった
ミズの遠慮がちなスコッた歌声が懐かしかったわ フランツ出番割振はどでした?最下のみっちゃん少なめ? >>148
たかこゆみこがおいしい場面だったけど後はほぼ同じ。
ノルさん→たかこ→ガイチ→みっちゃん→ゆみこ ホーフブルク宮殿のサロンでは、ゾフィーと近親が、皇帝を皇后から引き離すための策を話し合っていた。皇帝は、オーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王国の初代首相に、1848年のハンガリー革命の首謀者の一人であるアンドラーシを任命した。彼はエリザベートと親しい関係にあり、後に帝国の外相も勤めることになる。これ以上皇后の介入を許すと帝国が瓦解してしまうと恐れた彼女らは、非常手段として皇帝に愛人を用意する。("我々か彼女か") しかし売春宿から連れてこられた娘は病気持ちだった。("マダム・ヴォルフのコレクション") 体操室で運動中に倒れたエリザベートは、医師から原因は過剰なダイエットではなくフランス病だと告げられる。
夫の忠誠心を信じきっていた彼女は取り乱し、自ら命を絶つと口ばしる。すると、その言葉を待っていた「死」が現れ、最後の決断を迫る。しかし、彼女は皇帝との婚約の証を首から外すと、この裏切りをむしろ宮廷とのしがらみを絶つために夫が自分に与えた救いなのだと受け取る。そして以後、彼女はウィーンを離れ、旅から旅への流浪の生活を続けることになる。("微熱") トートだけでも8人だもの主演で出番多いけど年々人数増えてるもんな ホーフブルク宮殿では、フランツ・ヨーゼフが、エリザベートを自身から引き離す策略に対して母ゾフィーに抗議している。私は帝国のためにやったという母の言葉に、もう二度と夫婦の間に干渉はさせないと言い残し、彼は立ち去る。1848年の革命は、皇帝が退位する事態にまで発展してオーストリアは危機に陥った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています