職業格差が人生格差(運命格差)
みんな自分のことで精一杯。
他人のことにかまけてる余裕はない。
また情けをかけている相手がそれをすんなりと受け取るかどうかという矜持の問題もある。
明日は我が身という緊張感があれば過度の深情けはお互いの為にならないと気づくはずだ。 他者への善行は身の丈の自分にできることの積み重ねに過ぎないということを弁えないから、
同調しない人間にむやみに攻撃的になるんだよな。
歯止めの利かない思いやりは裏に憎悪が貼りついている。 善意であればなんでも受け入れてもらえるとは思わないこと。
押しつけの善意は相手のプライドを傷つける場合もある。
相手の人格を認めるということは、相手を救う対象としてのみ見ないということ。
過度の深情けが相手の人格を踏みにじることにつながることもあるってこと。 もう少し噛み砕いて言うと
他者への親切も所詮自己満足に過ぎないという自覚があれば、
親切も相手あってのもの、
相手の存在が見えれば相手の為であると同時に自分の為でもある
お互いの為のものだと分かるはず。
いずれにせよ義務ではないのでやりたければやればいいし、嫌ならやらなければいい。
相手の存在が見えるとはそういうこと。 スクールカースト頂点も卒業後は貧困…ニッポン階層社会の現実 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/126465 失敗を受け入れろとまでは言わないが、闘争本能でねじ伏せること。
失敗は誰にでもあるが、どう処理するかで差がでる。
あと少々の成功で中途半端に喜ぶと、現実から裏切られる緩みが生まれることも押さえておくべき。 【上流きどり、都民″】 マ7トLーヤ『大洪水は都会人の弱者切捨ての結果、大地震は核爆発の結果』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531363082/l50
豪雨のどさくさにカジノ法案強行、火事場泥棒! 労働者の地位って言うか、ストレス耐性の高さを過剰に求め発散できない国民性の問題だと思うよ。
今の状況で労働者の負荷を強引に下げても、別の難儀が降りかかるだけ。
要は苦労に見合った賃金を払うしかない。 人生は細かな成功と失敗の積み重ねだが、自分に原因のある失敗とない失敗がある。
自分に非のない敗北はダメージが大きいが、それは絶対あるものだと割り切って後に引きずらないことも大切。 限界に挑戦するためには、まず自分の限界がどこにあるかを正確に把握しておく必要がある。
掛け値なしの現実に即した上積みを図ることが、安定したモチベーションを保つことにつながる。 正確に→ある程度
人は知らず知らず自分に過大な要求を課してしまいがちなので、
自分を高めようと思うなら、なおさらできることとできないことを認識しておく必要がある。
手に入れたいものは一足飛びには手に入らないということ。 全力で自分と闘わざるを得ないにせよ思いつめないこと。
手応えがなく袋小路に迷い込みそうな時はさっさと見切りをつけること。
人間はその程度には不完全なもの。 どんな不細工な形でもいいから勝負に勝ちたいという気持ちは大事。
テクニックも結局は向かっていく気持ちを方法化したもの。 野球選手に送った意見
真剣勝負だという緊張感はもちろん必要ですが、
同時にやることをやっても負ける時は負けるというさばけたあきらめも必要です。
飯を食うためにやってるんだというプロのプライドは、そういうドライな職業意識の上に宿るものだと思います。
どんなに自分の全ての力を出し切っても、勝つときは勝つし負ける時は負けます。
勝負にこだわらなくていいと言っているのではなく、戦いとは常にそういうものだということです。
勝負事で飯を食ってる全ての人間が肝に銘じておくべきことです。 勝ち組も負け組も死ぬことに変わりはない。
幸や不幸を墓の向こうに持っていけるわけではない。
であるなら与えられた条件をどう生きたかだけがその人間の価値を決めるのだろう。 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。 これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。 どこで働くかで出会う人も収入もスキルも休みも全然違ってくる
しかし孫や介護職員に殺されたり、きんさんぎんさんのように100歳から脚光を浴びる人もいる
人生最期まで何が起きるかわからない 2000年代、格差はほとんど広がっていない
格差が強く意識されるのは、実態として格差が深刻化している時よりも、たとえば、まだ給与水準全体は引き上げられていないけれども、株価が上昇に転じて、高級品や高額のマンションが売れ出したというような時が多いのです。2013年から2015年にかけてがそうでした。
実際は、80年代から90年代にかけて格差が拡大していったのですが、これは人口の高齢化によるもので、年齢間の格差と高齢者の間で格差が広がった結果です。
しかし、2000年代に入ると、格差はほとんど広がっていません。この背景には、社会保障の充実などで65歳以上の高齢層の格差が縮まったこと、そして年齢間の格差も縮小したことがあります。
一方で、20代から30代では正規雇用、非正規雇用の問題などが生じていますが、先に挙げた2つの縮小傾向と相殺され、全体として格差は広がっていません。
格差の議論が盛んになるもう1つの要因としては、成長率が下がって、親から相続する資産が比較的大きな価値を持つようになってきた点があると思います。成長率が高い時は、親から相続する分は、自分の稼ぐ分と比べて相対的に小さかったのですが、
あまり成長が期待できない社会では、親からもらう分の重要度が相対的に高まります。日本の資産格差は、アメリカなどに比べるとずっと低いのですが、それでもそういう資産格差を実感するようになってきたのではないでしょうか。
https://www.7andi.com/company/conversation/1959/1.html 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 職業でもファッションなんかは格差の追及で割り切れないと思う。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 >>14
ばーか、産まれだよ
>>575
菅直人でしょ?