>子猫を殺せないとか奴隷を殺せるとかいうことには
>もちろん感情も関わるけど、より大きく関わるのは知識だけどな

詳しく説明すれば、
例えば、都市に暮らす現代日本人は動物を殺すと気持ち悪くなるけど、
森とかで猟をしても全然平気な社会もある。
このことは、何を殺すと気持ち悪くなるか(=感情)は、
「文化=知識」に左右されるということを示している。
「知識」が独立変数で「感情」が従属変数。


>豊穣な感情こそが人間の証だろう。誰が子猫を殺せるか? おかしな奴だけだろう。
この書きかたは、我々が子猫を殺せない要因を「感情」に求めている説明。
しかしながら、上記の説明で示されたように、我々が子猫を殺せない根本的な要因は「知識」にある。
したがって、この説明は正しいとはいえない。

だが、知識と感情は関係し合っているのもたしか。
子猫を殺す前、殺そうとしているときに気持ち悪くなったりするのはそのため。
このとき、感情も子猫を殺すことの阻害要因になっているといえる。
だから、子猫を殺せない要因として感情がまったく関わっていないとはいえない。