こうした慣習はある理念の部分では合理的な面があったのかもしれないが、
現実の場面では倫理的・人道的に耐えがたい理不尽さをいっぱいもっていたと思われる。
誰もが一度はその理不尽さを感じずにはいなかったくらいに矛盾を孕んでいた。

にもかかわらず、なぜか引き継がれてきた。
下っ端としてこき使われる時代は誰もが一度はその理不尽さを痛感するのだが、
それを我慢してしのげば、いずれは自分も他人を奴隷のように扱える立場に立つのだ。

自分が後輩を奴隷にできる先輩の側に立つようになったとき、
多くの者はその理不尽さへの憤りを無かったことにしてしまう。
まさしくアメとムチのエコノミーである。

そのように権力ゲームが仕組まれていた秩序だったため、誰もが一度は理不尽な秩序である
と感じようとも、なかなか社会的に淘汰されずに再生産され続けてきたのかもしれない。