11歳のときにギムナジウムに入学した。ギムナジウムでは文学や哲学を学び、自作の詩を作った。一方で化学にも興味を持った。はじめ自宅で実験を行っていたが、異臭がするからなどといった理由で父親に禁止されたため、その後は叔父のヘルマンの家で実験を行っていた[3]。
卒業後、家業を手伝わせたいという父親の意向により、ハンブルクの染料商に弟子入りし教育を受けた。しかしこの仕事場はフリッツには合わなかった。そのため2、3か月後に、叔父と継母の協力を得て、父親を説得し、染料商の仕事を辞め、1886年、ベルリン大学へと進学した[5]。