鹿児島で中央からトレーナーを呼び出したのは、松陽が走りじゃないんだろうか。
東京のプロオケのクラリネット奏者とか。
松陽が出来るまでは、せいぜい鹿響やウインドで吹いているような人を呼ぶだけだった。
松陽は、公立として税金で音楽科を作ったから、結果を出さなきゃならない。
創設期、トレーナーを呼ぶのはその特効薬だったんだろう。
今でも、音楽科があるから結果を出さなきゃいけないというプレッシャーは多分ある。
もっとも松陽でもトレーナーに依存したコンクールを批判する先生はいたそうな。
でもその先生は正顧問にはなれなかったという。