4楽章はバーンズ曰く悲しみを甘んじて受け入れる音楽なのだから
その悲しみの本体であるところの1楽章や2楽章がないと意味合いが変わってしまう
「そういう1楽章がある」という事前の知識で保管して聴く分には気にならないだろうけど、それこそ抜粋した上でそういう作品としてみるのならば前提が欠けていて意味が通らない

既に書いたことだが自分に都合が悪いものは根拠と認めないのな
カットに寛容な自分に酔ってるのはどっちだ