第25週 さらば北村商店
映画の完成をみないまま伊能は北村を辞めアメリカへ行く
その半年後、何度も修正を重ねて
やっと検閲を通過した「お笑い忠臣蔵」が公開され大ヒットとなる
昭和16年12月 太平洋戦争勃発
アメリカの伊能は行方知れずとなる
庶民の暮らしがだんだん不自由になっていく
風鳥亭は営業を続け客の入りも良くて活気があったが
芸人の千次万次などにも召集令状が届くようになる
芸人が次々と出征する状況に合わせて
台本を修正しなければならない万丈目は
激務のなかで心を傷めて仕事が続けられなくなる
昭和18年1月
庶民の暮らしに戦争が色濃く影をおとし食料物資不足が深刻に
てんは寄席興行を続けるが千日前の南地風鳥亭が
建物疎開で取り壊されることにる
南地風鳥亭の取り壊しからほどなくして
てん宅に隼也の召集令状が届く 入隊の日付は四日後
風太は赤紙をもってすぐに川崎へ向かい
大阪に帰り挨拶をしてから出征しろと説得する
てんは藤吉を召喚して
落語の「ん回し」を演じながら隼也の無事を祈る
大阪に帰った隼也はてんに勝手を詫び
自分がいない間のつばきと藤一郎のことを頼む
てんが食材を集めて作った祝い膳を
隼也は「お母ちゃんの手料理や」と喜ぶ
隼也を育てた長屋仲間が集まってきて出征祝をする
つばきと藤一郎が大阪に着く
ふたりが寝付いたあと、てんと隼也は仏間の縁側に座って語る
てんは駆け落ちした自分たちのこと、
勘当された身で謝金頼みに行ったこと、などを隼也に話して聞かせる
「花と信じればどんな寒空の下でも花は咲く」と
縁側で父が語った言葉を伝え
その時に父がてんに「お前はわろうてるか」と聞いたように
隼也に「親子三人、わろうて暮らしていますか」と尋ねる

戦況は悪化し、空襲がはじまる
てんたちは風太を残して疎開することになり北村商店を解散する
芸人専属契約を全解消して一時金を渡し
北村商店は約35年の歴史に幕を下ろした
てんはりんの夫の親戚のツテで滋賀の薬草農家のもとに疎開する