大阪・天満天神裏の小さな寄席「第二文芸館」を買い取り、
1912年4月に寄席経営を始めた吉兵衛とせい。
当時、寄席の一般的な入場料が15銭程度だったのに対し、
破格の5銭を打ち出し一躍話題となる。
(5銭=当時のうどん一杯ほどの値段)
木戸銭の5銭とは別に下足代2銭があり客は7銭払うのだが
「木戸銭5銭」のインパクトが強く
あそこは安いと評判が広がり、客が集まった。

5銭という破格の入場料を補うべく、
せいは客の回転をよくして薄利多売に励んだ。
場内には定数の倍の客を入れた。
寄席で冷やしラムネやせんべいを売るなどして
物販で大きな利益を上げたのもせいの発案だった。

こうして商い夏枯れ期を無事に乗り切って
開業資金の500円を各所へ返済することができたのだ。

34歳で夫を急逝すると
約32万円(現在の約20億円)の借金が残された。
せいは女だてらに経営者となって寄席と芸人を采配し、
月々に約3000円(現在の約2,000万円)の積立貯金をはじめた。
当時の吉本では無謀とも言える額だったが、
天性の商才で乗り越えた。