https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/14/70years-post-war_n_7986524.html

2015年08月16日 21時19分
【戦後70年】1945年8月15日、人々はどう受け止め、何を思ったか。
当時の日記から終戦を追体験



■「お母さんが小さな声で『ああ、よかった』と言った」

この日記は、香川県高松市の小学4年生だった少年が書いた。「その日」は晴れだった。

きのう回覧板が回ってきて、今日の正午にラジオで重大放送があるのでかならず聞くように
と書いてあった。きのうお父さんは、「いよいよ本土決戦になるから、最後の一人になるまで
戦えという天皇陛下のお言葉が伝えられるのだろう」とおっしゃった。

昼前に寮の中庭にラジオを用意して、みんながその前に集まった。ラジオの具合が悪く、
おじさんがいろいろやっているが、ガーガーと雑音ばかりする。そのうち男の人が甲高い声で
むずかしいことを言っているのが聞こえてきた。放送が終わっても、ぼくには何のことか
分からなかった。

寮のおじさんが「戦争が終わったんだ。日本は負けたんだ。今のは天皇陛下のお声だ。
おいたわしい」と言って、目からなみだをこぼした。

その時、お母さんが小さな声で「ああ、よかった」と言った。

日記を書いたのは、首藤隆司さん。1936年、愛媛県に生まれ、1945年に高松市空襲で
罹災している。日記は首藤さんが「夏休みに戦争が終わった〜ある国民学校生徒の日記」
(文芸社)として2012年に上梓したもの。日記はその後も続き、終戦の約1カ月後、
9月14日には、学校で野球クラブができ、父が闇市でミットを買ってきてくれたことが「夢のようだ」とつづられている。

その日の日記は、こんなふうに締めくくられていた。

野球というのは、なかなかおもしろいスポーツだ。戦争が終わってから、毎日が楽しくて仕方ない。