>>750
徴兵忌避をめぐって…これを読めと?

 大正11年、里村欣三(本名前川二享)は徴兵を忌避し、満州に逃亡した。
 明治35(1902)年3月15日生まれの里村欣三は、大正11(1922)年、20歳となり、
6月ないし7月に(『神戸又新新聞』等)徴兵検査を受けた。「甲種合格」した
(昭和10年7月10日付里村欣三の葉山嘉樹宛手紙、『葉山嘉樹』浦西和彦、昭和48年6月15日、桜楓社)が、
そのまま郷里を飛び出し、入隊日である大正12年2 月にはすでに満州に渡っており、
金もなく帰ってこれなかった(「或る左翼作家の生涯」堺誠一郎『思想の科学』1978年7月号)。
 ところが、この6月ないし7月の徴兵検査のとき、本サイト考察「労働運動上の傷害事件はあった」
(ご参照ください)で見たように、神戸市電労働運動をめぐって里村欣三(前川二享)が時の電車課長を刺し、
大正11年4月25日から同10月25日まで獄中にいたのである(『労働週報』大正11年7月19日(通巻第17号)第3面)。
 『労働週報』には、「前川君が何故投獄されたかといふに、神戸の市電を馘首されたので
運輸課長に抗議をし再入職を要求したが其ゴマカシ的謝絶を聞くや何だ此野郎と、
其横ツ腹を刺し、殺人未遂で起訴されたが、結局脅迫罪と宣告されたのであるさうな」と記されている。
 この下獄前後をめぐる状況については、本サイト考察「労働運動上の傷害事件はあった」を
ご覧いただくとして、里村欣三が大正11年に徴兵検査を受けたのは、「以前の時は
甲種合格だったが」という、里村欣三の葉山嘉樹宛手紙(上記、浦西和彦
『葉山嘉樹』収載)で、確かだと思われる。すなわち、里村欣三は、徴兵検査は受けたが、徴兵には応じず、満州に逃亡した、ということである。

>>751
何かネトウヨガー、みたいに文盲ガー言って
暴れるのが今のトレンドなんかね