>>912
こんな記事があったよ

今、半年間のドラマを見終えた印象は......すみれの口ぐせのフレーズそのもの。

「なんか、なんかなー」

一言でいえば、「キアリス」という企業の仕事ぶり、ものづくりへのこだわり、仕事と人、
仕事と社会、仕事と街との関係について、描写が極端に少なくてものたりなかった。

ものづくりとは何か、手間のかけ方、独特の企画やデザイン、仕立ての工夫といったことが、
オママゴト程度には描かれていたけれど、プロの仕事としてリアルに伝わってこなかったのです。

むしろ印象に残ったのは、家族や仲間内のゴタゴタ。夫婦げんかに嫁姑のグチ、娘の恋愛事件、
家出。人が集まればどこにでも生じそうな小エピソードに多くの時間を消費していました。

あるいは、せっかく万博を描いても、諸外国と「キアリス」との関係が今一つわからない。
モデルの企業「ファミリア」は、真っ先にスヌーピーのぬいぐるみを販売した企業だったはずです。
あるいはヨーロッパの複数メーカーと提携し、日本の子供服メーカーとして国際交流のパイオニアだったはず。
そうした企業の個性はほとんどスルーされて、せいぜい家族経営的な中小企業にしか見えなかったのが残念。

つまりこの朝ドラは、『カーネーション』や『あさが来た』で的確に描き出されていた「仕事」と「時代」
「人」との緊張した関係・温かな関係をすっとばし、家族とごく身近な仲間の内部へ逃げ込んでしまった
のではないでしょうか?

史実もたいして下敷きにせず、仕事も時代性も地域性も描かれないのだとすれば。わざわざ「ファミリア」
というモデルを示した意義はいったいどこにあったのでしょう?

これを機に今一度、朝ドラにおける「モデル」とは何なのかを、よく考えてみる必要がありそうです。

出典 NEWS ポストセブン 2017.4/1)