探検は段階踏まないと駄目だから、当時の日本人には長距離は無理だって。
特に寒冷地は。

大体、当時の日本人には宗教的な理由で、動物を殺すことが一応禁忌だった。

樺太南部なら何とか日本人的生活でなんとかなるが、中部以北だとギリヤークや
アイヌの知識を得て、動物を殺し毛皮をまとい、家も地下に半分埋めるなど対策しないと
死んでしまう。

間宮林蔵はそんな倫理とかはそっちのけの忍者だから、OKだった訳だが…。
(実際後に、シーボルト事件で師を売るから、江戸時代当時から既に忍者扱い)