X



【三代】夏殷周を語る【理想】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001寂しい唐揚
垢版 |
2010/09/15(水) 23:14:040
汲めども尽きぬロマンを語れ!
0002世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 02:33:260
双脚羊うめぇ
0003世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 03:13:53O
夏王朝だけでなく三皇五帝時代も歴史的事実アルヨ
0004世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 03:33:180
>>2
五胡十六国時代に逆襲されちゃったくせにw
0005世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 07:28:490
夏=古羌
0006世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 07:36:400
夏人が匈奴の先祖と記されている

匈奴の支配層はトルコ民族というが

匈奴の一部族長は夏人だったのかもしれない
0007世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 08:24:320
羌の生き埋めうめぇ
0008世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 15:40:450
天乙
「雷怖いから帰るね」
0009世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 18:42:300
スープー
0010世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 22:04:420
太伯
「tattoo似合ってる?」
0011世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/17(金) 22:43:310
>>6
トルコ系の王 ビルマ系の臣民 → 吐谷渾
五胡に追放されて、殷や周の子孫は華北にはいなくなりました。
0012世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 08:30:540
夏はチベット
0013世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 13:23:440
慕容てトルコ系だっけ
0014世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 13:28:160
慕容の王はトルコ(突厥)系orツングース(東胡)系
モンゴロイドであることが確かでイラン系ではなさそう。
0015世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 13:45:410
五胡は、生き埋めにされていた弱小グループだったのに
後の時代に強大になったのは、河西回廊あたりでスキタイ文明を
突厥によって注入されたからだろう。
0016世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 13:57:290
夏は羌だろう
夏が滅亡して以降
敵対していた殷に生き埋めされるようになった。
0017世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 14:04:030
2008年にも生き埋めになっちゃいましたか _| ̄|○
ナムナム(-人-)
0019世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/18(土) 16:37:070
シナ・チベット祖語が分裂したのはいつごろだ?
0020世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/19(日) 14:44:390
夏のころはまだシナ語族とチベット語族は分れていないぽい
0021世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/19(日) 14:54:000
漢語はミャオヤオやタイカダイとのクレオール言語っぽいわな
0022世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/19(日) 17:40:42O
西楚の義帝は夏殷周の王、覇王は覇者から取ったんだな。
今まで気づかなかった。
0024世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/20(月) 17:38:16P
しかし殷の頃から宮殿ってむちゃくちゃ大きかったんだな
再現CGでやっていたけど藁葺き屋根と木造の見張り櫓だけど
規模は日本の戦国時代の小田原城クラスはあったんだな。

こうなると夏王朝の宮殿も吉野ヶ里クラスはあったんだろうか
0025世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/21(火) 17:15:430
ゲルのテントなんじゃねーの?
0026世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/23(木) 00:19:25O
羌は遊牧のイメージがあるからなぁ

定住用の宮殿、住宅みたいな建築技術は巨大化より簡素化、運搬性に向けられてたかも知れないな


でも元のカラコルムは巨大なゲルの回りには廻廊と木造の官庁街に囲まれていたみたいだし


どうなんだろうな
0027世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/23(木) 07:30:020
羌族はチベット系ではない
チベット族こそ羌族(チャン系)民族と言われないと
0028世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/23(木) 10:47:25P
確か夏時代の邑と思われる都市遺跡で
100mくらいの宮殿の基壇が発掘されていたよね
0029世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/23(木) 11:20:150
>>27
雍正帝乾隆帝の時代にチベット仏教を雲南四川に布教させたので
チベット人以外のチベット族が増える結果となり、民族内人口も清朝期に逆転してしまった。
チベット人が800万人もいるはずないよ。中の人は雲南四川少数民族みたいなのばっかりだから。
0030世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/24(金) 22:24:010
殷墟はウソって宮崎市定。
黄帝はマルドゥークって金光仁三郎、森雅子、貝塚茂樹。

以前の中国史の本では殷が無かったが、甲骨文字により殷が確認された。
夏朝が存在するという判断基準からすると、とっくに殷なんて存在確認されてたんじゃないの?
つまり、文字資料による追認がなければ、二里頭期辺りが夏時代だとするわけには
いかない。
甲骨文字研究の落合淳思だってそう書いてたぐらいだから。
0031世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/25(土) 09:05:510
マルドゥクwww確かに甲骨文字は楔形文字にそっくりだけどさww
0032Ryuju ◆RlujhF6VrA
垢版 |
2010/09/25(土) 12:04:290
>>29
えーと、いわゆる「チベット人」と「チベット族」は別物で
「チベット人」はチベット高原に住んでいる(いた)人、
チベット仏教を信じている人がチベット族という理解で良いのかな。
0033世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/25(土) 16:20:060
チベット人とされている白馬族なんて
あれはチャン族だ。
0034世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/25(土) 17:21:570
気にしない、気にしない。
ダライラマ14世猊下は、信者に対してチベット人(藏人)という風に呼びかけず
チベット族(藏民,藏族)という呼びかけをしている。
血統がどうであれ、ポン教信者であっても、みんな広義の信者というスタンスをとっている。
0035世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/29(水) 21:28:170
なんだクソスレか。
0036世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/30(木) 17:29:500
ユダヤも基本的にユダヤ教を信仰していれば
ユダヤだったと思うけど。
ノーベル賞の受賞者もユダヤが多いとか言われているけど
実際は近親者にユダヤが居れば、ユダヤに認定されているだけとかな。
0037世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/30(木) 19:21:430
シナ・チベット祖語族が夏を立てたのか?
0038世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/30(木) 20:19:330
Y-D系絡みじゃないの?
語は変化しやすいだろ民族移動量の大きい集団は異民族やチベット仏教
導入の文化的影響も受ける。
0039世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/30(木) 20:30:250
3300年前ぐらいからの歴史書を読んでいけば
古羌族が、甘粛からどんどん南下してミャンマーまで達していることがわかる。
しかし、犬戎などのチュルク系の民族が北から追いかけてきて
南に進んだ古羌族は、ほとんど犬戎の奴隷になってしまっていた。
犬戎がチュルク系からシナチベット系へ言語が変化していることになる。
0041世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/03(日) 02:19:590
治殷 治殷 主!主!主!・・・ (ちんちんしゅっしゅっしゅっ)
(1) 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!
(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で
「治殷 治殷 主!主!主!」とヨダレを垂らしながら、
柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。
なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」
という文言と共にヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。

民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
0042世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/04(月) 01:54:060
>>25 ポン教信者にも日本の神社の氏子みたいに仏教との掛け持ちをしてる人はいるってことかな
0043世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/05(火) 07:17:250
>>42
違う。仏教側が本地垂迹説で取り込みしている。道教のように埋蔵経典で
いくらでも新解釈を付加して、悪神でも格付けが決められ一定の地位をあてがう。
さすがに後期密教でも、イスラムまで取り込めなかったので
15世紀に布教戦略を変え、浄土思想を注入し被差別民がイスラム化するのを防止した。
0044寂しい唐揚
垢版 |
2010/10/05(火) 23:59:310
みんな辺境民族が好きなんだね…。
中原大好きな俺涙目
0045世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/08(金) 18:42:570
>>39
>3300年前ぐらいからの歴史書
詩経?
0047世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 01:15:000
>>46
誰がそう決めたんだ?
論拠となる論文は誰が書いた?
0048世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 07:36:150
司馬遷が、「史記」において「山海経」の解釈しているだろう。
その後の史書でも「山海経」に出てくる集団と
その時点の民族のリンク付けを継続している。
明代の「殊域周諮録」がそういうののサマリーをした体系的な民族移動論。
0049世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 11:44:350
史書が触れている有史時代というのは
氷河期や旧石器時代の民族移動については
一切触れてないからな。

彩陶黒陶が出てくる6000年ぐらいから後しか
文物の流行や土木遺構の伝播などが一切判明しない。

それ以前は先史時代であり地球科学の範疇だ。
0050世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 11:59:220
殊域周諮録は和訳解説無しだろ。
専門書が平易でなければ、一般に分らんのと同じだな。
挙句、Geniiでも論文著作の類無し。

それから、解説はいいから、論文著作を明記しないと独りよがりのウソぐらいにしか
見られないよw

史記に書いてあるからどうしたってんだ。
警察の調書はウソだらけだぞ。そんでも信頼しろか。甘いよ。
書類てのは所詮その程度なの。

3300年前ぐらいからの歴史書ていうなら、3300年前ぐらいに書かれた証拠が必要。
つまり、3300年前ぐらいの文字資料とか。陶文・甲骨文・金文。

要するに、「3300年前ぐらい」の情報を含んだ「歴史書」と言うべきで、
同時代史料である考古資料との整合性の精査が必要となるわけ。

でも、知らなかったな。アンタ、博学だな。民族移動論か。
今では否定されたが、ハイネ・ゲルデルンの民族移動説は大林太良が
中公新書「邪馬台国」に確か書いてたな。
0051世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 13:03:350
竜山陶書が約4000年前
「突厥系が中原にいた」といわれているのはそのあたりが根拠らしいな
それがコーカソイドであるという尾ひれまでついて流布しとる
0052世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/09(土) 22:19:590
>>51
竜山陶書て丁公村のか。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:SUhICa1kjCkJ:lycos75381.w155.bizcn.com/wj/sdtopgaikuang.html+%E7%AB%9C%E5%B1%B1%E9%99%B6%E6%9B%B8&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
文字なら何て読むんだ?

呉城遺跡からも陶文があったね。
「DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史」(崎谷満)によると、
呉城遺跡からの出土人骨のDNAからインド東部由来とする旨が述べられている。
とすると、インド文字との関連を考えるべきだが、白川静著作集でもインドに関しては
殆ど触れていない。同じ立命館大学のインド哲学の大家・中村元先生がいたからか不詳だが、
白川先生はオリエントに関しては多く述べられていただけに残念。
最近、白川先生関連の著作を目にするようになったが、誰もこの点での指摘すらなく、
ヨイショに忙しいらしい。
0053世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/10(日) 20:23:490
竜山陶書は古彝文だという説もある
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1087694006/775-

シナチベット語族の古彝文はS+O+V 通常の修飾は後置。
現代のチュルク(突厥)系言語もS+O+V 通常の修飾は前置。
現代彝語には助詞があるので語順がフレキシブルだが、無い場合はS+O+V
助詞を使わない場合の修飾は後置。
チュルク系かチベットビルマ系かの区別は
古い時代に関しては難しいのではないだろうか?

0054世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/11(月) 01:09:160
考古学の人って、比較神話学の森雅子、諏訪春雄、金光仁三郎などの中国
神話に関心ないみたい。貝塚茂樹はいろいろ言ってたけど、御手洗勝が
なんで森雅子にだけ噛み付いたんだか。所詮中国という狭い視野だけしか
研究範囲としかしない学者の癖だろうな。論文でボロクソに森のことを書くなよ。

>>53
>http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1087694006/775-
インド文字との関係について述べてた人がいたが、三星堆遺跡研究してた徐朝龍
はインド考古学の論文を書いてたね。関連ありと見てたのかな。

張騫の前漢武帝帰朝報告以前にインドとのルートがあったわけだが、
福田一郎は西周時代に既にインドから織工が来ていたとか言ってた。

確か「文物」は和訳されてたと思うが、「考古」「考古学報」「中原文物」とかは
和訳されてないだろうな。中文なんてわからんよ。

松本克己は語順は変わるとか最近刊行の著書で言ってた。
むしろ別の基準で言語の系統関係を見るべきとか。

ロロだかヤオだかタイ系だか忘れたが、オリエントからウラル山脈経由で中国付近へ
来て、その後、プロト漢民族の南下に押されて南下して四川以南へ至ったとか
いう話が確かサビナの論文だったかで言ってたという。(「ケシをつくる人々」菊池一雅)

チュルク系が中央アジアから四散したとかいう内容を佐治芳彦が著書名を挙げて
述べてたんだが、なんという本だったかド忘れ。確か何かに書いてたな。
中央アジアに湖があったとかな。
0055世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/11(月) 01:56:340
北から入ってきたとしか思えないロロ人よりも
西のベンガルあたりと交流があったかもしれない
リス族なんかのほうがインドとの関係の手がかりがあるかもしれないネ。
ttp://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/56663
005655
垢版 |
2010/10/11(月) 02:16:290
南側で越境している民族だとラフ族の研究が存在する。
ttp://repository.tufs.ac.jp//handle/10108/37520

ラフ族は雲南の側にほんの少ししか顔を出していない。
だから、中国という視野ではわかりにくい。情報不足になる点ではリス以上の難関。
南のハニにしてもアカと行ったりきたりしているから
そこも一体化して眺めると見えてくるものがあるかもしれない。

彝族(ロロ)とか納西族からアプローチすると、どうしても突厥とか鮮卑側に交易範囲で
つながってしまうから、ベンガルとの関係なんか期待できないよ。
005755
垢版 |
2010/10/11(月) 02:32:520
他の蔵緬系集団については、北方のロロ人の影響が強いので
ベンガルとの交流史の手がかりがありそうなのは、
やはり、リス・ラフ・ハニに絞られてしまう。

ヤオだかタイ系・・・そっちもインドとの関係は望み薄。神話的には南下していることになるから。

でも、モン・クメール系の民族から手がかりを得るならば結構有望。
そちらは太古から東南アジアに住んでいた。
ラフ族視点だと、ワ族に注目するといい。ワ族は広義のモン・クメール系。
0059世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/11(月) 17:47:530
ロロ−ミャオ・ヤオ−タイ・カダイの抱き合わせ隔離スレがあったな〜
クメールやチャムパの話題も投下可能だろw
0061世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/14(木) 03:05:48P
このスレにいる人なら既にご存知とは思うけど
このサイトは3代を民族、住居、食事などいろいろな角度から
考察していて面白い
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point.html
0062世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/15(金) 02:47:280
>>59
チベットビルマ・ミャオヤオ・タイカダイ抱き合わせ +オーストロアジア スレ
【壮・苗・彝】中華 南方少数民族史3【白・瑶】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284786173/

満・蒙・カザフ・ハカス・キルギス・エベンキ・オロチョン・ナナイ・ダフール・
土・裕固・散拉・保安・東郷・シボ 抱き合わせスレ
  ↓
女真・満州族の歴史総合
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1286963979/

ウイグル・タジク・ウズベクなども守備範囲に広げている広域抱き合わせスレ
サモエド、フィン、マジャール、タタール、バシコルト、アルタイなどもok
アンチ・モンゴル
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284132147/


【北魏・北斉】北朝総合スレッド2【北周・隋】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284115117/

事実上の南朝総合スレ
  ↓
東晉のおはなし
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284114057/
0064世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/19(火) 03:00:050
>>60
前から思ってたんだけど、「雲南」っていう地名は、越南と同じように、
「雲」の南っていう事でしょ?
大和朝廷の前は「出雲」っていう事は、やっぱりその辺から来てる可能性が有るんじゃ?
0065世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/19(火) 08:56:180
越南は「粤」の南のことである
ベトナムは「粤」そのものではない
「出ず」はYizuである
彝族はピンインでYizuである
0067世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/19(火) 10:16:410
標高が高く紫外線がきついのです
髪の毛も砂塵の日に出歩くと痛んで変な癖がつくのです
006968
垢版 |
2010/10/19(火) 12:12:470
顔つきがオイラート・モンゴルとか土族みたいだな・・・
東方だとダフール族が似ている。
0071世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/23(土) 20:46:210
>>70
殷墟かな。
でも、宮崎市定は殷墟が別にあるんじゃないかと全集とかで書いてたからな。
それが本当なら、飯島忠夫が甲骨文字は戦国時代の文字だとかいう話が現実味
を持つし、宮崎市定は確か趙の都市遺跡ではないかと書いてたからね。
0072世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/24(日) 17:15:190
でも甲骨文字の字体や記録内容から考えて、武丁から帝辛(紂王)の時代のものだというのは、ほぼ間違いないじゃない?
0073世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/24(日) 20:56:410
>>72
>内容
これをいつ作成したかが問題だ。
0074世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/24(日) 22:12:100
>>73
戦国時代に殷の時代の事を占って何の得が有るのか?
0075世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/25(月) 19:27:330
>>74
知らねぇよ。宮崎がそう言うんだからさ。全集読んでこいよ。
0076世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/25(月) 21:25:090
宮崎氏は西周以前のことには保守的で、考古成果を軽視するきらいがあった
ようだな。さすがに今はもっと考古学成果が出てるから、殷墟と甲骨文に関
しては疑う余地がほとんどなくなってるぞ。

殷墟のすぐ側に都城遺跡が発見されてるし、土器の編年でも二里岡文化との
連続性が確認されてる。
0077世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/26(火) 12:29:540
>>76
たからさ、殷墟はどうなんだって。
遺物比較するだけで分るんじゃないの?

>殷墟のすぐ側に都城遺跡が発見されてるし、土器の編年でも二里岡文化との
連続性が確認されてる
こっちの方が殷墟なんじゃないの?
0078世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/26(火) 15:42:190
>>77
遺物比較なんかとっくにされてる。今まで見つかっていた殷墟は墓域だけ
だったのがネックで、本当に殷の都かどうかで論争があったんだよ。
それが、すぐ側に同時代の都城遺跡が出たから決定的になったってことだよ。
0079世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/26(火) 18:04:220
>>78
決定したんだ。ヘー。

>すぐ側に同時代の都城遺跡が出た
論文とか教えてちょ。
0080世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/26(火) 21:52:300
>>79
悪いが論文紹介するまで専門じゃないが、講談社の「中国の歴史1」でその時点での
最新の考古学成果は一通り紹介されてる。言っておくが、お前さん考古学に疎いみた
いだから、概説書でも相当ややこしいぞ。

んで、殷墟に隣接した形で城壁のある洹北商城遺跡が発見されてる。この本のP328
には二里岡前期から殷墟後期までの土器の編年図もしっかり載ってるから自分で確認
してくれ。
あっちの考古学は90年代からでも色々出てるんだよ。夏殷周のこと語りたいなら
向こうの情報がなかなか届かなかった時代の話を根拠にせずに、概説書くらい読んで
考古学情報くらい仕入れておけ。

宮崎先生は俺が最も尊敬してる中国史の大家だが、なんでもかんでも絶対視はしてな
いんだよ。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/27(水) 01:22:260
>>71
>飯島忠夫が甲骨文字は戦国時代の文字だとかいう話が現実味
を持つし


持たないよ。
そんなDQN説を唱えているのは世界でも飯島だけ
日本の恥さらしだ
0082世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/27(水) 19:06:230
飯島の息子は確か東大教授だよね。
日本の恥さらしだと言ってこいよ。

考古学に疎いヤツが本より論文教えろなんて言うか。
知らないなら、概説書どまりの知識ですがとか言うとけ。

夏はない。落合も言うてるし。
0083世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/27(水) 19:24:040
>>82
知らないもくそも、知らなかったのはお前じゃないかw
俺はちゃんと論文だせるような専門家じゃないこと断ってる。
概説書も読んでない、殷代の遺物比較も知らない、素人の俺より知識がない
のを露呈した奴が偉そうに論文要求してどうすんだ?

宮崎市定全集読めた所見ると、学生辺りだろうが、詳しく突っ込まれると
「全集読め」なんて言うのは内容をきちんと消化せずにあやふやな記憶で物
しゃべってる証拠だよ。
しかも全集全集って言うが、あれにはそれまでに書かれた概説書も入ってる。
お前さんが言ってるのは多分、全集の中の概説書の「中国史」だろ。
それすらまともに消化してないんだから、概説書を馬鹿にできるレベルじゃ
ないし、もし俺が専門家で論文出せたとしても、いきなり専門論文なんか
無理だよw
0084世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/27(水) 19:39:380
いやいや悪かった。

別件なんだが、埃及文字と中国の古い時代の文字が似てるとかなんとか書いてるようで。
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%9F%83%E5%8F%8A%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E6%96%87%E5%AD%97&hl=ja&safe=off&rls=ig&biw=1003&bih=423&ei=HT7HTJb_GoyyuAPK1dDwDw&start=20&sa=N
中訳できないが、google翻訳でそれらしい内容でした。
以前に埃及文字と中国・甲骨文字との比較された日本の学者の本があったが、
誰だったかな?
0086世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/29(金) 01:34:040
そうだな。
0087世界@名無史さん
垢版 |
2010/10/30(土) 23:53:360
最近、心の底から大笑いしてますか?  縄文・弥生土器でした(爆






◆江南中国土器の様々な器形 (6000年前の河姆渡文化後期の江南土器)

鼎のオンパレード。鼎の初期器形の釜形鼎、日本には弥生末まで無い蓋に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=5
水差しのオンパレード。盉(カ)、簋(サン)、長頸壺、鳥型の三足土器の鬹(キ)。単耳、把手、圏足に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=4
日本には弥生末まで無い蓋、器座という器台。使用目的さえ分からない支架。甑の双耳に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=3
日本には無い器種、盂のオンパレード。日本には弥生末まで無い蓋。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=2







0091世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/09(火) 13:21:420
呉城は年代的に新しすぎる
竜山文化から500年以上後の時代
ttp://www.peopleschina.com/zhuanti/2010-08/24/content_293453.htm
0094世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/09(火) 18:30:020
>>93
根拠は?
009593
垢版 |
2010/11/09(火) 19:11:240
>>94
文字種が多いということは
閉音節が多く
声調の存在があると考えられるからだ
0096世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/09(火) 19:41:580
สวัสดีครับの ค と บ は母音字がなく子音字しかない
こういうのを表現するのは音節文字では難しく
北方の陶文と違い、南方の陶文は文字種が多い
華南の文化は、タイ・カダイが基層にあるから
使用される漢字も非常に複雑なのだ

最近、ニコーリ笑っていますか?
0098世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/09(火) 21:36:050
hieroglyphs、ヒエログリフ、聖刻文字、聖書體、碑銘體
だいたいエジプトのことを指すぉ
0100世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 00:21:350
だけどさ、白川先生の批判して悪いけど、全集ではインドに関する指摘が殆ど
無かったのが残念。オリエントの楔形文字との関係に否定的なのは分るが。

やっぱ呉城遺跡の陶文はインド由来では無いんだな。
タイ・カダイ語族か。エバーハルトみたいだな。
0101世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 08:10:15O
述べて作らず古を好む
0102世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 09:12:460
>>52 >>100
東アジアにおけるインドからの民族移動
おそらくこの7000年以内の話ではないでせう
交易通商ルートか宗教ルートでインドから人を招聘した話は
五胡十六国時代以降に結構記録されとります

そういうのを遠心分離機にかけてからでないと
こういうレスが自動的につくようになるでしょう
  ↓
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。
0103世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 10:25:090
崎谷満と白川静ではスコープになっている年代が全く違うじゃろ。
そんな5万年前の地学の話と4000年前の出土物の話が
ごっちゃになってればお話になりません。
0104世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 19:39:040
>>103
崎谷の近著で呉城遺跡人骨DNA分析でインド東部由来の結論なのよ。
呉城遺跡からは陶文という甲骨文字に似た文字が出てるのよ。
だから、インダス文字と関係ありかなと思ったが、違うらしいのでね。
白川さんの全集を全部読んだが、インドは関心が無いようで、殆ど指摘が無かった。
年代がごっちゃになってませんから。
崎谷の近著と白川全集全部読んでから書けや、ボゲ。
0105世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 19:41:090
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。
0106世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 19:53:560
タイ族が氷河時代にインド東部から来たんだろ?
崎谷は何電波とばしてるんだ!?
0107世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/10(水) 21:47:100
>>106
インド東部由来でも、104の言い分じゃいつ頃の由来か分からんからな。電波かど
うかも判断できない。
104は多分、前にも言った奴だと思うが、読め読め言う前に自分できちんと内容を
説明できてからインダス文字だのを言え。新大陸のインディオ達のDNAがアジア
のモンゴロイド由来だからって、マヤ文字と甲骨文字に関係ないだろうが。

んで、そのインド由来のはいつ頃のものだと書いてあったんだ?
書いてなければ普通読み手は、氷河時代や文明以前のものと取るぞ。

すぐに他の文明の古代文字との類似を指摘をする奴は大抵、象形段階の文字は
似た形のものができやすいのを忘れてる。
インダス文字とロンゴロンゴ文字の類似性を指摘する意見に、旧ソ連の古代史
家のコンドラトフが随分以前に注意している話だ。
0108世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/11(木) 11:34:100
二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞
广下下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二
二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞
广下下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二
0109世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/11(木) 19:16:090
>>107
悪いけどさ、中南米の遺跡から甲骨文字らしき出土文字例が吉田信啓さんの本
にありましたよ。否定的扱いされてるがハイネ・ゲルデルンの伝播説を思わせるよ。

呉城遺跡だから紀元前1500頃の殷代中期遺跡。甲骨文字出土直前なだけに重要。
しかも、崎谷はその呉城遺跡からインド東部と同じタイプのDNAが出てると述べてるよ。

パターニ(港、ドラビダ語)の派生地名、パタニ、バタンなどが東南アジア島嶼部などに
あり、西日本は谷(タニ)地名が多く、パタニ(patani)のp音が省略されたとするなら、
patani→atani→atami(熱海)となるのでは。田中孝顕は別の説だけど無関係としていない。
上野喜一郎はビルマのディンギーはエジプト的影響、ニーダムは中国のジャンク
に西方的影響をそれぞれ述べていて、赤羽正春はエジプト・太陽の船にチキリ・タタラ技術
が既にあり、「楼蘭」(赤羽正春)では7世紀の楼蘭出土例があるというが、船製造技術なら
海路から伝播と思うが。
インド・中近東間交易は紀元前3000前後から見られるわけだが、インドから東へも同様に
開拓されていたとすれば、上記技術・地名の伝播も考えられよう。
言語は大野晋。
インドの太鼓は「トゥントゥンビ」と言い、叩く部分の皮を紐締めする技術は
中国は釘締めだから中国経由ではなく、東南アジア一帯に広がる紐締め技術も含めて
インド由来と考えられ埴輪にも見られ弥生期渡来という。日本では「つつみ」ですね。

つまり、縷々述べたような流れの中でDNA遺伝子出土例を考えられるのではなかろうか。
0110世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/11(木) 20:15:420
>>109
吉田信啓をマジ出ししてる時点で、相手のしようがないな。読書は結構だが、少
しは「疑う・考える」ということを覚えろ。中南米で甲骨文字なんて聞いておか
しいと思わないのか?

ミトコンドリアでもY染色体でもいいけど、多分ミトコンドリアDNAだとして
聞くが、呉城遺跡と同時代の東インドの遺跡の遺体が同じハブログループなのか、
現東インドの住民と同じハブログループなのか、どこか他の場所に住んでいた同じ
ハブログループの集団がそれぞれに分かれたと思われるのかとか、共通しているだ
けでなくて、長江と東インドのどちら、あるいは別のどこかが由来なのか、とか
そういうことだ。そういうことが書いてなかったか?とな。
文明の共通点じゃなくて、もっと長い人類史のスパンで聞いてるんだよ。

とりあえず、文明を起こした集団とDNAグループの集団は別に考えろ。系統的に
近くても、同じ文化集団に属しているわけじゃないんだからな。
共通してるだけじゃ、同じ文明圏の人間とは限らないんだよ。人類はもっと古くから
色々移動してDNAグループが分岐してるから、ここ数千年以内のDNAの比較なん
て文明史じゃ余り意味ないんだよ。

多分、これだけ言っても分からないだろうが、一応の忠告だ。
0111世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 02:25:560
>>110
オレだけじゃない。
吉田さんのペトログラフ通信を引用している大学教授だっている。
UFOキチ以前に吉田さんが書いた本に書いてたが、そういう情報があったというだけだ。
無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。写真とか載せてないんだから。
それに、「中南米で甲骨文字なんて聞いておかしいと思わないのか? 」ってナンだよ。
調べる前から「おかしい」と決め付けるほうがおかしいよ。
「おかしい」から調べるんだろうが。

DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

「余り意味ないんだよ」ってなんだよ。説明しろよ。
0112世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 03:15:130
最近、ニコーリ笑っていますか?
0113世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 03:29:16O
インダス文明はインド北西部に興った文明で構成民族は南インド系とされる。
つまり、インド東部由来と分かってるならインダス文字と関係ない事は明らか。
白川先生は無駄な仕事はしなかったって事だね。
0114世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 05:00:530
>無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。

信用してないなら出すな。根拠もない、自分でも信じてないのを出すのは
反論とは言わないんだよ。
調べるも何も、吉田信啓がただの岩のひびまでペトログラフだ!って騒い
でるのも、ニュージーランドにフェニキア文字があるとか、どう考えても
フェニキア人が足を踏み入れない北米中央にフェニキア文字があるとか
トンデモ説を言いまくってるバリー・フェルと交流してトンデモを高め
あってるのも知ってるわ。

中南米に甲骨文字があるかどうかなんて、人類の新大陸到達、甲骨文字の
出現時期、中南米の文明の出現時期、文字の出現と特徴くらい知ってりゃ
滅茶苦茶なこと言ってるのくらい分かる。甲骨文字が出来た頃にゃ、新大
陸への道は閉ざされてるんだよ。
こんな常識的な判断で済むことにここまで言われないといけないのが、
お前さんの一番の問題だよ。文明とか古代遺跡をよりマクロレベルで言い
たいなら、もっと他の文明の基礎知識くらい持ってろ。

>DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

お前、人が書いてるのをまともに読んでないな。お前がDNAがどうのと
こだわるから、「DNA系統は文明史においてあまり意味がない」と
言ってるだろうが。自分で鏡に向かって何言ってるんだ?

多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。基本を手取り足取りお前に教えてる
ようなもんなんだからな。今の所、お前の言ってることは妄想、よくて
夢想に過ぎない。論理的整合性も文明比較をするための基礎知識も欠けてる。
お前がこれ以上言うと、オカ板行けとかチラシの裏に書けって言われるだ
けだぞ。
0115世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 09:17:040
>>114
>多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。
まったくだ。俺はとうに匙を投げたよ。
0117世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 18:37:530
>>114
バリー・フェルだけじゃないよ。
中南米へは後藤ショウイチが染織α11号でフェニキア由来の貝紫染織を述べ、
南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
とする旨を書いている。
何にも知らねぇのはテメェじゃねぇか。

川崎真治は日本で甲骨文字と同じのを発見してるよ。
とすると、中南米の例はどうなんかなと思っただけだよ。
アンタが「ない」と断言したから、「ある」と言うてる人がいるよと言うただけやんか。
オレが信用するかしないかアンタに関係無いだろ。

石川三四郎はゲリニ報告を無批判に載せているけど、ゲリニ報告を載せた本文は
東洋大学にあるけど、写真も無く、phoenician writtingとだけある。オレは
ブラフミー石碑のと勘違いしたんじゃないかと思う。

崎谷の近著はDNA分析とアイヌの言語・文化との関係に言及してるじゃねぇか。
関係ないとか言うけど、関係ありと考えてる崎谷もいる。
それに、崎谷は斉藤成也と植田信太郎らとの共同研究成果である春秋期山東半島
のDNA分析でヨーロッパ系の確認できた旨を否定したよ。なんだよこれ。
DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
そんなに立派なもんじゃねぇだろ。

何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。
何が基本だ。笑わすな。

アンタの基本は「調べる前から分る」なんだろ?
そんなもん、捏造した藤村と何が違うんだ?
0118世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 19:56:040
>南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
>とする旨を書いている。

その論文、1970年のものだろうが。それが40年後の今も認められてないのはなぜだ?
この頃はまだ、文明の起源を古代オリエントに求める風潮が抜け切ってないんだよ。
古い文献を当たるのにそこを注意するのは当然だ。
それにパライバ碑文そのものは1870年代の発見の上、コピーだけで現物はないわけだろ?
100年間、誰も指摘もしてないのもおかしな話だが。
南米に文字文化の形跡がないという基本学説は、その1970年の発表後も何も変わってない、
パライバ碑文とやらに続く痕跡がないのをお前、説明できるのか?
碑文以外にフェニキア文化を示す遺跡は?
普通はそういうのは検証に耐えられないから消えていった説だということだ。
今、ざっと検索しただけで5分でこの程度は分かったし疑問点はもっとでたが、
検索結果、理解どっか間違ってるか?それにお前は俺の疑問に答えられるのか?
0119世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/12(金) 19:58:230
あと、貝からの紫染色料の採取方法が共通してるからフェニキア起源だってのは乱暴
だってくらい分からないか?土器の制作方法が共通してるからオリエントの土器は
日本起源だと言ってるのと同じレベルだ。
それと、南米には当時の地中海世界にでやってた虫から取る赤色染色料より遥かに効率が
高く赤色が取れるブラジルウッドという木があるんだが、そっちは無視か。
それにその貝を求めて来たんなら何らかの拠点を設けてるはずだが、前述したようにその
遺跡なり遺構なりが出ているか?でなければ、仮説か共通点の指摘のレベルの話で、それ
にこだわるなら、お前が証明するだけの話だ。

>DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
お前は何がいいたい?DNAの話を持ってきたのはお前であって俺じゃない。
それに俺は「全然関係ない」じゃなく、「あまり意味がない」と言ってるし、
その理由も挙げてあるだろうが。最初に言い出したきっかけを自分で投げるな。

>何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。

お前、なんで俺がこれだけお前の戯言潰せるか分かってるのか?基本を徹底的に
抑えてるからだよ。
それだけ今までの各文明の遺跡調査結、文明の性格、歴史、関連するもの、トンデモ
も含めて、みんな、それぞれもっと沢山の史学者や考古学者がとっくにもっと調べて
るし、色んな成果を出してるからだよ。その中にお前の主張を補強するようなもんは
ないだけだ。
こっちはネットもない時代から自分でアンテナ張ってそれを調べてチェックして本読ん
で、疑うべきは疑ってと、時間と手間をかけて、理解するための努力をしてるんだよ。
はっきり言えば、未だに全集自慢とか70年代の論文しか出せないお前と蓄積が違うの。
0120みゃお♪ ◆vHMONGpYyo
垢版 |
2010/11/13(土) 12:17:480
ありゃりゃ、「楚にドラビダ人が船で来た」とか言ってた人
ここに来てたんだ。。。
                / 待  |
_               | っ  |
.:.:.:.\            | て  |
.:.:.:.:.:.:.ヽ      , .:´.:.:..| い  |
.:.:.:.:.朴ト!     / .i、:.:.ィ.| ろ /
:.:.,:,、| } _    |ィlノ'i^'´iレL./
:/レ/ いヽ    |、 r‐.、 /.:.',
┴、.   ヽY|`.ー尖h〒彳>、:.',
  ィ\.   `\:.:.:.:.:.:^水_〃.i.\!
.//   ヽ    `ヽ:.|.:.ヽ「.:.:.:|.:.:.:.ヽ

真面目に答えを書くには、2週間ぐらい調べものする必要があるから
わたしゃ数日間ガン無視して、チャット状態を回避したんよね。
こんな喧嘩みたいなんじゃ、不満たまって嵐スパイラルになるよ。
0121世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/13(土) 14:17:580
>>120
別に調べなくても、とっくの昔に一通り調べた話と知識だし、折角全集まで読んで
るのにそれを無駄にしてるから、突っ込みたくなるんだけどね。
けど、確かにちょっとイラついてるな。少し頭冷やすとするよ。
0123世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/13(土) 16:05:560
>>119
説明めんどくせぇから、ブログでも読んでろ。
http://blog.livedoor.jp/osouji60/archives/2006-10.html
2006年10月28日の記事。

なんだよ。蓄積の違いとやらを明確に見せてみろよ、バカ野郎。
見せてから言えや。

まず川崎真治はどうなんだい。蓄積とやらで意見しろや。
どうせつまんねぇ説教か?
0124世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/13(土) 18:36:280
>>123
そのブログ、とっくに読んだ。具体性が全然ないから、聞いてるんだけど?
川崎真治が日本で甲骨文字を発見したなんて話、この流れに全然関係ない。
中南米と日本じゃ全然違う話で、中南米に甲骨文字の伝播の可能性がないことを
出しただけで十分。日本の話にするのは単なる話のすり替え。詭弁の「関係
ありそうで実は関係ないを持ち出す」の典型例だな。

そこまで付き合ったら際限なく話をずらされてくだけだ。

「DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?」

と言った段階で、最初にお前さん自身で持ち出したインド東部と呉城文化の話を
自分で否定したから、それで終わっちゃったの。

結局、お前さんの言ってるのは誰々が書いているってだけで、何も具体的な例、
その著書の論理的な内容解説すら出なかったから、後はこっちが状況を聞くしか
ないだけだったんだがな。>>118->>119の疑問に具体的に答える努力くらいして
くれ。

ただ、まあ、それやったら、完全スレ違いだから、どうしても主張したいなら、
スレ立ててくれや。よく分かったのは、お前さんは学問的思考法の訓練をして
ないことだけだ。お前さんの主張することに理があるかどうかの判断は、他の
住人に任せるわ。
0125世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/13(土) 19:21:330
ああ、あと追加。こないだパオが消えた翌日に、パオが追及に必死に対応してた
時間に何故か一切現れなかったパオ擁護をする連中(?)が、アンチパオの人間に
中傷散々やり始めて、そのズレ指摘したらピタッと止まって消えていったが、そ
ういう連中の判断は勘弁な(笑)
0126世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/13(土) 23:50:220
>>124
どうでもいいから、蓄積を披瀝してみろよ。
グダグダ言わずによ。
オレの批判なんかいいから、なんだよ蓄積バカが。
やれよ。聞いてやるからよ。バカが。
0127このAA気に入った
垢版 |
2010/11/14(日) 00:05:080
                / 待  |
_               | っ  |
.:.:.:.\            | て  |
.:.:.:.:.:.:.ヽ      , .:´.:.:..| い  |
.:.:.:.:.朴ト!     / .i、:.:.ィ.| ろ /
:.:.,:,、| } _    |ィlノ'i^'´iレL./
:/レ/ いヽ    |、 r‐.、 /.:.',
┴、.   ヽY|`.ー尖h〒彳>、:.',
  ィ\.   `\:.:.:.:.:.:^水_〃.i.\!
.//   ヽ    `ヽ:.|.:.ヽ「.:.:.:|.:.:.:.ヽ
0128世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 00:23:420
>>124
お前さんの戯言全部、根拠もって潰しただろ?
お前さんがもう罵って煽ることしかできなくなってること自体が、披露し
た結果じゃん。ってかお前さんの主張に一貫性も何にもなかったんだが。
俺をやり込めることばかりに夢中になって自分の主張までひっくり返し
ちゃった奴が、どうやってこれ以上俺から何か引き出すんだ?w

お前さんが主流でもなんでもない一部の本を鵜呑みにして疑いもしない、
学問的な懐疑精神が欠けてるのを叱り付けてるのも、その辺の経験と蓄
積の差だよ。十分身を持って体験させてあげただろ?

断っておくが、蓄積と言っても、俺とお前さんの差であって、お前さん
の相手をしなかった人間たちは俺より遥かにその辺分かってる人間がい
ることも確か。俺は所詮アマチュアだし、他の地域や時代にもあちこち
趣味持ってるからな。俺相手でそんなにムキになっちゃここで偉そうに
語れないぞ。

俺の言うことにまともに受け答えもせずに、煽ることしかできなくなっ
た以上、ここでのお前さんの知識自慢はおしまい。
読書量はまあたいした物だし、その辺もうちょっときちんとした思考法
できるようになるかなってちょっとは期待したんだけどな。
0129世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 00:49:400
ああ、あとお前さんが専門分野で言うこと何もなくなった以上、披瀝し
てみろって言うのは、お前さんが俺に「講義してくれ」って言ってる
のと同じことだぞ?
どこをどうひっくり返して考えても、この状況で俺がお前に講義して
やる義理ないだろ?
俺はマゾ趣味も野郎へのツンデレ趣味もないからなw

今後関心持てばまたお前さんの言うことに突っ込みいれるかもしれんが、
今のところこれ以上お前さんと絡む気はないから、勝手に勝利宣言でも
なんでもやってくれ。
0130世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 02:01:400
なんだ。何も言えねぇじゃんかwww
ただの文句言うだけじゃねぇか。
消えろ。
0131世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 11:45:020
>>129
おい、中央アジアで世界最古といわれる分銅が出土しているというが、
これがインダス文明圏出土例と似てるそうだ。なんで?
蓄積とやらで何か言うてみろや。この野郎。
0132世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 12:29:050
>>131
うるさいなあ・・・しょうがないなあ。一回だけ相手してやるよ。

お前さん出典もどこで出土したかも言わないから、本来相手しようがな
いんだけどな。

インダス文明圏自体が西はアラビア半島、北は中央アジアのタジキスタン
までのメソポタミアやエジプトより遥かに広い文明圏なんだよ。どうせ、
ハラッパーとかモヘンジョ・ダロみたいな西インドだけの文明圏だと勘
違いしてるんだろ?
広い範囲の文明圏と言うことは、相互作用して文明を作っていった文化・
技術も多いということ。インダス文明自体が中央アジアまで及んでるん
だから、当然中央アジアの文化の影響も受けてる可能性あるだろ?

計量史学者にはこの先インダス文明をトルクメニスタンまで広げる人も
いるみたいだけど、それに関しては俺は保留しておく。

どっちにしても中央アジアから出てるのは面白い事実だけどお前さんが
鬼の首とったみたいに大騒ぎするほど常識はずれな話じゃないよ。

ほんとに消えろと言ったり答えろと言ったり首尾一貫しない奴だな。どうせ
検索か何かでさっき見つけて、分からないから聞いてるだけだろ。
もう相手しないからな。今後そういうことふっかけてきても相手してや
らんからな。そもそも完全にスレ違いじゃないか。

ほんと、俺もお人よしだよ。
0133世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 15:13:470
アンタの本は出してないんか。
論文とか。
0134世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 17:14:050
>>133
だから、単なるアマチュアだって言っただろ。こんな程度の知識、論文と
か本なんかのレベルじゃない。

ちょっとインダスの分銅の単位見てみたけど、2進法と10進法の二通りある
らしい。んで、中央アジアの分銅も同じ形式ということだろ?
>>132は考えられる一つの可能性で、インダス文明圏の広がりとインダス式
分銅の一般化がどう繋がってるか分からないから、本当は何も言いようが
ない。
中央アジアとインダスとそれぞれの現在出土している最古の分銅の差が
2千年もあるなら、インダス文明初期に中央アジアルートの何らかの交易
でインダス人が取り入れた可能性もあるし、分銅の単位が合理的なものに
なってるから、偶々それぞれが同じ計量方式に達したのかもしれない。
もしかしたら、また別の場所に同じ形式のもっと古い分銅が埋もれてるかも
しれない。色々な可能性は考えられる。
分銅の研究をした堀晄氏はもっと大胆にインダス文明自体がいわゆる
アーリア人による中央アジア由来だと言ってるみたいだが、大胆な新説には
慎重に当たるべき。

アマチュアであちこち手を出してるから、基本概説書程度しか触れないし、
専門家より遥かに浅いが、それを自覚さえしてれば、幅は広い分、それは
それで見えてくるし、保守的と言われても慎重に考えられる。
いきなり専門書1回読むより同じ概説書10回でも何年でも読んで基本を頭
に入れておいたほうが、よほど専門的な話についていけるし、ペトログラ
フとかバリー・フェルの言ってることを鵜呑みにすれば矛盾が生じておか
しいって分かるもんなんだよ。
バリー・フェルはアメリカで6千年前の古代文字を見つけたから見て欲しいっ
て吉田信啓に言って、実際に見に行ったら近代のアメリカ移民の墓石だった
なんてレベルの人間だぞ。んなの信用しようがないだろ。

俺の言ってることをどう考えるかは、後はお前さん次第。
0135世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 18:46:430
ブログとかは?
是非読みたいよ。

堀さんの名前が出たので。
殷の馬車の車輪に関しては林巳奈夫の東方学報の論文が既にオリエント由来と述べ、
殷の二頭立て車馬は西アジアから草原地帯でスポーク式車輪に改良されたものと
高浜秀さんが指摘(「馬の博物館研究紀要」6号、1993)。
堀さんの近著では殷の馬とのDNA比較する旨を述べている。

実は中央アジアの分銅を取り上げたのは古代における基礎単位の比較に関して述べたかったから。
殷尺と周尺の違いはどうも分らんが、殷尺は身体尺によるかと思っている。

インダスとオリエントの単位に関して共通する旨を小泉袈裟勝(「単位の起源事典」)
が述べている。古代中国では黒キビだが、古代オリエントでは小麦と共通する。

「文明は虹の大河」(麗澤大学出版会、2009)は比較文明研究7号の「メソアメリカと
アジア文明-海の道はあったか?」を載せている。私の説明よりも的確に指摘している
かもしれないから一読を勧めたい。
0136世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 20:08:090
F5アタックか
0137世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/14(日) 20:34:130
>>135
ブログも今は特にやってない。気が向いたら他の掲示板に書くこともあるが、俺は
匿名でやりたいから、それまでは教えられんし、2ちゃんじゃ文体も変えてるからな。

殷尺は身体尺なんだろうな。たしか、尺の字の字形が手の形から来てると思ったが。
エジプトもそうだが、長さの単位の基本は人間の身体だし。

度量衡はほとんど詳しくないし、戦車のオリエント起源説は昔からあるが、今は
どうなってるか俺も知らない。それを決定するのに必要なのはオリエントから
中国までの経路にある、中間を埋める戦車の遺物だが、それが見つかってるのか
は把握してないしな。見つかってないのなら、まだ諸説紛々じゃないのか?

最後の本は、機会あったら目を通しておくよ。古田史学かメガース女史の影響強そう
なのが気になるがな。今のところ関心が強いのは元代の中国史とオスマン帝国だから、
古代文明にいつ関心が戻るか分からないからなあ。
0140世界@名無史さん
垢版 |
2010/11/15(月) 01:26:450
>>137
>古田史学かメガース女史の影響
古田史学は無いが、メガース女史の論文が参考文献にあった。
0141世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/08(水) 11:20:160
中国の学会では夏の実在が定説になっているらしいけど
やっぱりトンデモなんでしょ
曲学阿世
0142世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/08(水) 11:57:470
李学勤という文献史学の人は、夏は強大な王朝であるとしているが
考古学の李伯謙は、二里頭文化が周に匹敵する王朝であるという見解に否定的。
日本の岡田英弘のほうが独自理論っぽい。
0144世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/08(水) 18:33:060
殷墟に匹敵する規模を持ち、
かつ同時代に同規模の遺跡が見当たらないため。

日本の考古学者が邪馬台国を明らかに特殊な遺跡である
纒向遺跡に比定するのと同じ要領。
0145世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/09(木) 00:14:500
しかし邪馬台国は実在した筈だが、夏が実在した証拠は無いからなぁ。
0146世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/09(木) 23:36:200
神武東征は架空で神武天皇も実在しなくても
モデルになった人物や出来事はあったと考えるのが自然。
禹は神武天皇みたいなもんだ。祟神天皇が最初の実在の天皇とされており啓に相当すると思われる。
神武天皇も祟神天皇も両方とも「ハツクニシラススメラミコト」つまり始めて国を開いた天皇という意味。
二代目の王である啓も「開く、開ける」という意味で初代王だという意味になる。

禹は元々洪水神で時代が遡るほど非人間性が高くなる。明らかに人間ではない。後世の人間が禹を夏王朝と結びつけて
しまっただけで本来は無関係だったのだろう。ただ夏人の信じていた神の一人だったのだろう。
初代帝王は禹では無く啓であろう。


0147世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/09(木) 23:52:070
ユーラシア八大文明

1、メソポタミア文明=イラク
2、エジプト文明=エジプト(及び現在のイスラエル・パレスチナのあるカナン地方含む)
3、インダス文明=インド(及びパキスタン)
4、黄河文明=中国北部
5、エーゲ文明=クレタ島・キプロス島(ギリシャ文明の原型)
6、トランスエラム文明=イラン
7、長江文明=中国南部
8、オクサス文明=中央アジア(トルクメニスタン・タジキスタン)
(番外)
9、オルメカ文明=メキシコ
10、縄文文明=日本

上記のトランスエラム文明がインダス文明とメソポタミア文明間を取り持った独自の文明
オクサス文明がインダス文明の北部にあり後にスキタイに発展すると思われる。
1、メソポタミア文明→エジプト文明→エーゲ文明=ギリシャ文明に発展
2、メソポタミア文明→エジプト文明(カナン地方)=古代ユダヤ王国に発展
3、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明
4、メソポタミア文明→トランスエラム文明→オクサス文明→黄河文明
5、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明→長江文明

メソポタミアやインダスから黄河は遠いが、間の中継地点のトランスエラムとオクサスに
大きな文明が存在しているからそこを経由すれば西方の文化が中原までやってくるのも可能。
馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける、かなり平坦な土地だから
0148世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/10(金) 01:19:060
>>147
>馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける
中原では馬に乗らなかったのに?中原で馬に乗るのは、はるか後の戦国期の武霊王からだよ。
0149世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/10(金) 10:26:280
杞の現地読み=キとかクィと呼ぶ
啓の現地読み=キとかクィと呼ぶ

向こうは同音異義語が非常に少なく夏の末裔とされる杞と初代帝王啓が同音なのは
たまたまにしては出来すぎている。
既に殷時代の甲骨文字に杞の字が登場している。よく西周から杞国が始まったみたいな
事が言われているが殷の時に西周の杞寄りも前に杞国が存在した。
「杞侯」とか言われて貴族の一人として殷からも尊重されていた。
0150世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/10(金) 10:34:570
武丁の后の墓から西洋由来と思われる馬が出ているのが気になりますね。
西方の商人から買ったんでしょうかね。
オクサスの北方にはカラスク(西戎)と呼ばれる遊牧民がスポーク型車輪のついたチャリオットを
使用しており、これが殷墟から出土した物と酷似している。
明らかに西方起源でしょうね。

あと夏人(二里頭)は「焼肉文化」で殷人は「肉煮込み文化」という違いもある。
夏人は農耕民、殷人は遊牧民でしょうね。だから西戎ことカラスクと繋がりが深いと。
0151世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/10(金) 16:54:500
武丁以前の王墓が分かれば甲骨文字の原型も分かるでしょう。
呉城遺跡の文字らしき物も規則性があって文字として使われていた形跡があり。
文字を書いたところに赤墨で塗っていたようだし。何より甲骨文字に類似している。
西方起源か南方起源かそれとも独自か夏王朝から受け継いだのか不明。
二里頭からも一文字づつと思われる刻印符号が出土していてヤッパリ甲骨文字に似ている。
楔形文字やヒエログリフ、インダス文字、線文字A、原エラム文字とは似ていない。
0152世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/11(土) 18:47:540
まさにそれが待たれるね
「夏」なり「杞」なり「禹」なり「啓」なり「桀」なりに
比定が可能な文字こそが
二里頭を掘って出てくれば
「夏本紀第二」が伝説でなくて史実だったんだと
初めて言えるんじゃなかろうか
でなければ二里頭はただの先殷文化のひとつに過ぎないし
夏の実在も証明されたとは言えません
0154世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/12(日) 10:04:570
>>152
まあ、ここは世界史版だから仕方ないにしても、
考古学の手法を8割方否定するような言い分はどうかと思うけど。

ぜひその論理を宮内庁にも聞かせてあげてほしいものだ。
日本の古墳で埋葬者を特定できる文字資料なんてまず出てないから、
陵墓指定を片っ端から根拠なしにできるんだがw
0155世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/12(日) 10:52:240
大邑商に杞侯がやってきたという記述が殷時代の甲骨文字にハッキリ書かれている。
だが夏とは書かれていない事からも。夏王朝の末裔とされる杞こそが本来の国の名前だったのかもしれない。
殷の甲骨文字には湯以前の王の名前や夏と言う記述が無くあるのは杞だったり、殷は大邑商の前の大邑とされていたり
禹の名前も出てこない。

禹に関しては西周末期に初めて名が登場するがその時は夏王朝の始祖とはされておらず
洪水神とか旅行神と言う扱いで人間ではなく神と言う扱い。夏王朝とは関係ないように見える。
あと香港かどっかで西周初期の禹について書かれた金石文があるそうだがそこでもやはり夏王朝の始祖とは
書かれていない。ただこれは真贋が分からないので保留しており、禹の記述が初めて登場したのは西周末期と言うのが
定説。上記の遺物が本物であると決まったら禹は西周初期から記述されているという事になる。
>>153
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/17-ka.htm
これの事ですね。
0156世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/12(日) 12:57:450
大邑商と言うのが自称で殷と言うのはその前の大邑の名前だったはず。
西周初期も大邑商と呼んでたのに西周中期から殷と呼び始め。その後、西周後期に夏王朝
の名前が出てきた。
夏も殷も周が勝手につけた名前。
彼らの自称は杞であり商(商の前は殷で遷都するごとに自称を変えた)であったと考えられる。

春秋時代の杞国は都を20年に一度ぐらいの感覚で遷都を繰り返していた。
楚に滅ぼされたが楚の歴史書(難しい漢字の題名で文字化けする)は始皇帝によって焼き払われたので現存していない。
おそらく杞や宋、越を滅ぼした時の記録も書かれていたはず。
杞の事も楚の歴史書に詳しく書かれていただろう。楚の歴史書は一連の春秋系の歴史書と違い儒教色が薄い書物だから
見つかると歴史を塗り替える事になるだろう。
個人的には楚の歴史書と、秦記(焚書前の完全版)、晋乗、燕春秋(春秋系だが紀元前の倭国や朝鮮半島・満洲の事が判明するだろう)
の四冊が発見されることを願う。
絶対どっかに眠っているはず。特に楚関連は近年になってよく書物が発見されているから期待できる。
蜀王朝の事も分かるかも知れない。
0157世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/12(日) 19:14:500
炭素測定法で11世紀だといわれる「楚簡」ばかりじゃ期待できんわw
0160世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/18(土) 01:22:210
清華簡の『竹書紀年』に似た「編年体史書」ってのが何なのか、ずっと気になってるんだが。
0161世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/18(土) 17:28:000
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
(孔子が編纂したとされる魯の春秋を原本にそれぞれの各国が自国の正当性を訴えるために書いた歴史書、解釈が異なるだけで基本は同一)
2、逸周書
3、秦記(始皇帝の即位前に商鞅が秦にとって都合の悪い記述を削除済みで司馬遷はこの不完全な秦記を元に史記を書く)
4、晋乗
5、楚梼杌
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(あるはずだが現在存在自体不明、もしかして編年体史書かも?)
0162世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/18(土) 17:37:180
これらの書物はいずれも春秋末期から戦国初期にかけて書かれた書物。
司馬遷の時代には不完全な秦記しか無かったが司馬遷の死後に孔子の家の壁から
春秋系統の書物が発見され、更に年月を過ぎてから魏の王の墓から竹書紀年が発見されて
現在に至る。ほとんどの書物は始皇帝の焚書にあって現存しない。ただ春秋戦国時代の
王墓から見つかる可能性は高い。孔子の弟子は春秋系を優先して壁の中に隠した。
おかげで歴史書は儒教フィルターのかかった物に偏ってしまったきらいがある。
楚梼杌なんかはおそらく儒教フィルターがかかっていないから発見が待たれる。
>>160
編年体史書はひょっとしたら散逸した竹書紀年の原本かもしれない。しかし、名称が違うとなると
正体不明の趙の歴史書かも知れませんね。なぜか趙の歴史書のみ名前すら伝わっていないのが不可解です。
あと個人的には燕春秋に倭国や高句麗の前身や半島の事が書かれているんじゃないかと期待している。
0163世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/18(土) 17:48:020
現存しているのは
春秋系の魯春秋・斉春秋・春秋の解釈書である春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
と儒教フィルターのかかっていない竹書紀年と不完全な秦記を元にした史記があるだけ。
他は断片的な事が史記に載っているだけで不明。司馬遷も歴史書が焼き払われた事で始皇帝を痛烈に批判しています。
司馬遷の史記に竹書紀年に書かれていた事柄が載っていなかったのはその時点で竹書紀年が
失われていた証拠。
編年体史書の正体がなんなのかはわかりませんが気になりますね。
西周初期の事はまだ分からない事実が多いので今後の解明に期待する。
西周初期に起こった三監の乱とかいろいろ気になるところもありますし。
0165世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/18(土) 21:46:160
とりあえず始皇帝と商鞅が全部悪い。要らん事した政で先秦時代が訳分からなくなってしまったじゃないか。
春秋初期に秦の王が夏王の後継者を名乗ったりして秦自体は楚と違って夏・殷・周を軽視せず
重視していただけに惜しい。
秦記にももっと重大な事実が書かれていたはず。二里頭は魏にあったけど秦ともかなり近いし
無関係とも思えない。
0166世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/19(日) 11:53:530
二里頭の目と鼻の先に杞が存在する。桀が湯に攻められて最初に逃げ込んだのが
竹書紀年で有名な魏の土地。その後更に湯の軍に追い立てられて長江下流の良渚文化が
かつてあった巣(巣湖)まで逃げ込みここで没した。その地は禹が会盟を開いた地にも近く
また夏の末裔とされる越の地とも近い。そして、巣湖には「大昔に湖に沈んだ大都会」と言う伝説もあり
実際に近年巣湖から都市遺跡が発見されている。
ただその大都会は桀が逃げ込んだ時点では既に水没していたとも言われており実情は定かではない。
二里頭のすぐ近くに杞が存在し、桀の逃亡ルートにも夏とゆかりの土地が多い。
・桀が最初に逃げ込んだのが竹書紀年の出土した魏の地であったこと
・桀が最後を迎えた巣は湖に沈んだ大都会の伝説があり良渚文化の地であること
・また桀が最後を迎えた巣は禹が会盟を開いた会稽のすぐ近くである。ここで夏と禹が結びついたと推測される。
・そして、夏の末裔を名乗る越が起こったのもこの地方である
0168世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/19(日) 14:14:300
越人の夏人の末裔説もまんざら根拠が無い訳ではないと。
ただ匈奴が夏人の末裔を自称したのは完全に眉唾。二里頭と匈奴の支配地域は離れすぎだし
どう考えても匈奴はスキタイの末裔
0169世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/19(日) 14:29:360
吐火羅=大夏、白匈奴=エフタル
五胡十六国の匈奴とはあんまり関係ない。
0170世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/19(日) 16:25:160
>>166
越(粤)はずっと離散せずに華南に留まり、タイ系の文化を保持し
広東福建浙江の基層になっているし、
トン族やタイランドと近縁なチワン族のほうは、タイ系言語のまま残っている。
わりあい追跡が可能な系統だよ。
0171世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/24(金) 13:36:260
印鑑遠からず
0172世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/26(日) 15:58:490
テレビ東京の「鑑定団」に出品された殷の時代の青銅器が「本物」と鑑定され、
2億円の値がつけられていたな。

依頼人はアメリカで華道の先生をしていた折、生徒が使っていた「生け花の器」を
カメラと交換して手に入れたという。

さて、元の持ち主のアメリカ人は、どうやってその青銅器を手に入れたものか。
アロー戦争で分捕ってきたのかな?
0173世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/26(日) 20:00:240
>>172
多分殷の青銅器なら、アロー戦争以後の出土だと思うが。殷墟の発掘が戦
争で中断してたから、その間に盗掘・密売がかなり行われて、個人所蔵で
結構世界中に拡散してる。

そういえば、もっと昔の日テレのEXテレビでやってた頃の鑑定団の前身
コーナーじゃ後漢の外戚の竇憲だったか竇融だったかの墓から出た印が確
か4億ついた事あったなあ。
あの時は戦争でゴタゴタ状態の時に中国人の知り合いにもらって、文化財
保護の観念も薄かったから持って帰れたとか言ってたかな?
0174世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/27(月) 08:40:480
近年でも晋公墓郡が盗掘されて、
貴重な青銅器が海外流出するところを香港で買い戻しに成功した、
なんて事件があったくらいだからなぁ。
しかもそれが355字もの銘文を持ち、
史記周本紀の記述を肯定する貴重なものだったりする。
0175世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/27(月) 12:27:330
>>161-163
それ、平勢説だろ。春秋三伝が孔子に仮託して戦国国家が編纂したものって、決定的な
根拠ないし、平勢説を完全に正しいという前提で、強引に解釈してる可能性の方が高い
と思うがな。
その辺、清の時代から、数世紀も考証学の検証経てるんだが、そういう解釈したのは平
勢氏だけ、と言うこと念頭に置くべきだろうし、はっきり言えば、全然通説にもなって
いない。単に中国の歴史や世界の歴史の概説書にあるってだけだ。
昔、ここで平勢説の専用スレがあったが、そもそも本人が漢文をまともに読めないこと
とか、滅茶苦茶問題指摘されてたぞ。
0177世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/28(火) 09:27:380
黄河中流域の乾燥農耕地帯から発生したタイ系の都市国家、夏王朝。
これを、北方の森林地帯から南下してきた商が滅ぼし、都市国家と
そのネットワークを発達させた。さらにこれを、西方の遊牧民出身、
周が滅ぼして、受け継いだ。中華はその黎明期からして、タイ系とアルタイ系の
混血文化であり、はじめから「中原」に確固とした厳然たる中華的なものが
存在したわけではないことをわれわれに教えてくれる。
0178みゃお♪ ◆vHMONGpYyo
垢版 |
2010/12/28(火) 22:04:540
仰韶文化は焼畑。ミャオヤオも焼畑。タイ系のわけがない。
                    ,、
                  , ''  ̄``ヽ、     ノ i
                ,:'         、`"'' ‐'´,r'
               , '          i `"''' ´
      、,,. -_-_,---‐''           !
      =f  `<'              ,r'
      〈, '´r=ニ..         {    ,:':'
      _,>='-'´      ,...ヘ   ,'/
  r ,=ニ´‐' ´  ,,,,.---‐''"  ,,ノ ,:'ノ
  `''┴―‐ ''' ´         '-'- ''´
0180世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/31(金) 17:05:440
三皇を司馬遷は神話に過ぎないと切り捨て
五帝の事もかなり実在性を疑っていたが逸話が豊富だったので一応載せた感じがする。
三皇五帝や盤古は割りと新しい神、もちろんモデルになった人物は居ただろう。
禹王はかなり古く西周初期の段階で名前が見られる金石文が存在するようだ。
香港かどこかで所有している人物が居る。ただ夏王朝との関連性は薄い。洪水を治める神であり
旅行をつかさどる旅行神の側面があるだけだ。
0182世界@名無史さん
垢版 |
2010/12/31(金) 21:12:450
>>181
孔子が書いた証拠は何も無い。普通に考えて魯の国の歴史書なんだから魯の史官が書いたと考えるのが妥当。
0183世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/12(水) 01:58:230
>>182
ちょっと待て。

春秋なんて本当にメモ程度の書き方で
左伝が無きゃ何が書かれてるのかわからんほどだ。
史官が書いたものならもうっちょっとちゃんと記録するだろ。

あれはやっぱり専門家でない学者(孔子かどうかはわからんが)
が自分用メモとして書いたものだと思う。
他人に読ませる為に書いたにしては省略し過ぎ、断片的過ぎ、不親切このうえない。
0184世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/12(水) 19:13:070
春秋
竹書紀年
史記(秦記)
の夏・殷・西周・春秋時代に対する記述は多くで一致している。「共和」の意味の解釈が
違ったりするが大筋では一致している。
ただ甲骨や殷時代の金石文ではこれらの書物に載っていない事柄も書かれている。
三皇五帝の名前は無いが天帝とかは出てくる。夏も無いが代わりに杞は記述されており
殷の時代で既に杞国が存在しているのは興味深い。
二代目王「啓」と夏人の国「杞」が現地では同音異義語なのは興味深い。中国では日本に比べて遥かに
同音異義語が少なく偶然の一致にしては出来すぎ
0185世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/12(水) 22:28:080
>>183
そうかなぁ。当時の史書が他人に読ませる為の物かどうかすら判らんじゃないか。歴史を司る事を専門職とする
自分や後継者が理解出来ればそれで充分な、メモだったと考えたらどうだろう。(流石に無理があるか。)
0186世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/13(木) 06:35:160
>>183 >>185
元の春秋にも伝に相当するものがあっただろうが、
魯の国の史書だけに魯以外の事情には詳しくなかったため、
晋や楚の史書からも記事を収録した左氏伝の方が便利であるとして、
左氏伝が生き残り元の伝は失われたんだろう。
0188世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/15(土) 22:07:08P
良渚文化って城壁も発見されて
宮殿らしき基壇も見つかったと(しかも二頭里より大きい)
記述があるけど
夏王朝以前だと神農を祖とする炎帝一族の国家だろうか
0190世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/16(日) 16:25:300
長江上流の巴蜀王朝も気になりますね。あそこは独自の文字が発見されていますしね。
まだ未解読のようですが。
0191世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/17(月) 20:03:010
夏の系譜って、魚系(コン)・夏(カ)・啓(ケイ)・康(コウ)・槐(カイ)・
降(コウ)・戸同(ケイ)・甲(コウ)・皐(コウ)・敬(ケイ)・癸(キ)・桀(ケツ)と、やたらにk音が多い気がするな
杞もキだし
0192世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/19(水) 15:01:490
前445年に楚に滅ぼされた「杞」は、河南杞県に残っていた本国(本家)で、
山東安丘へ移住していた杞は分家(杞伯・杞子)であろう。
楚は同時期に陳・蔡などを滅ぼしているが、まだ安丘まで深く斉に攻め込んではいない。
前431年には楚がシ斤水をさかのぼってキョ国を征服し、
その前には越(夏の末裔を称する)がキョと同緯度の琅邪まで北上しているが、どちらも安丘には届いていない。

「管鮑の交わり」の鮑叔は斉に移住した杞人の子孫で、杞の隣の陳からも田完が斉へ亡命している。
前445年以後、安丘や新泰の杞はどうなったのか。斉や魯に同化したのか。
孔子が「杞に夏の礼が伝わらぬ」と嘆いたのは、魯に程近い山東の杞か、陳蔡の間を放浪した時の河南の杞か。

古都・開封は杞県の北西にあるが、前8世紀に鄭の荘公が築いたときには「啓封」といい、
漢の景帝の本名を避けて「開封」となったという。夏后啓も同様に開と改字された。
0193世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/20(木) 16:55:370
>>191
中国語で発音すると啓も(キ)だからな、ついでに杞も中国語でも(キ)と発音で
啓と全く同じ同音異義語。上でも書いてあるが向こうの同音異義語は非常に少ない。
関連は大いにありだろう。殷の甲骨にも「杞侯」と呼ばれる諸侯の存在が確認されているしね。
>>192
啓は開くと言う意味で向こうで言う「ハツクニシラススメラミコト」なんでしょうね。
実質的な初代天皇であるとされる祟神天皇の様な存在でしょう。
禹は神武天皇のような存在で実在人物ではないでしょう。
要するに王家の祖を神格化した架空の存在だと。
0194世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/21(金) 04:34:410
下七垣文化の北狄商族が南下して河南に進出し、
偃師商城を築いて夏后を滅ぼしたようであるが、斉魯の東夷諸族はどう関連していたのか。
宋の商丘は淮水に近いが、商族は北狄に東夷が混じたものか。東夷に多く鳥祖神話があり、北狄にもまたある。
夏は盛んに東夷と争っており、有窮氏には一時滅ぼされたほどだが、
その前には帝丘(僕陽)まで進出していたともいう。
少康も有虞氏に逃れて夏を復興し、その庶子は越に住み着いたとすらいう。

五帝の高陽も帝丘に都を置いたというが、彼は禹の祖父とされ、
「蜀に生まれ、洪水を治め、三苗九黎を討つ」との事績が禹に酷似する。
高陽は禹が夏の始祖となったのち、それをもとに加上されたものか。
そもそも禹が高陽の孫なのに、虞舜は高陽の八代の子孫でまったくあわず、
別々の創作系譜を下手につぎはぎしたものに過ぎない。
0197世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/26(水) 13:00:140
生きているうちに解明してほしい事

1、邪馬台国の所在地と大和朝廷の関係の判明(宮内庁は古墳を掘らせるように)
2、夏王朝の実在性の照明
3、インダス文明のインダス文字の解読
4、メソポタミア文明のウル・ウルクの水没している都市の発掘(イラク人がポンプ使って水を吸い出して欲しい)
5、エジプトの三大ピラミッドのそばの衛星ピラミッド(多分コレがクフ王やカフラー王の墓)とスフィンクスの地下通路を完全に発掘
6、長江文明の巣湖の遺跡発掘
7、巴蜀文字の解読
8、クレタ島のA線文字の解読
9、南米のオルメカ文字の解読

二里頭は夏は広大な麦畑であるため発掘が出来ない。麦を刈り取った後の今の時期以外に発掘できないのが
最大の難点。春の種まきの季節の前までに発掘を終えて埋め戻し、また秋の刈入れ後に発掘を再開すると言う
ローテーションを組んでいるから効率が悪い。
麦畑の農民も生活かかっているから仕方が無い。実質冬しか発掘調査が出来ないのはほぼ年中発掘できる纒向と比べて
効率が悪すぎる。新しい宮殿が埋まっているのも発覚しているのに中々そこまで行き着けず時間切れになる。
0200世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/30(日) 02:35:490
韓国の遺跡から土笛の出土例がない不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では日本海側の縄文、弥生遺跡を中心に数多く(100個近く)出土し(前4後2穴)で中国と同じ作りである。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前塤(けん)と呼ばれる土笛が発見され、これが最も古い ...
土笛の役割 陶塤(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカこれも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html
0201世界@名無史さん
垢版 |
2011/01/30(日) 03:20:380
>>199
卜辞は結構知ってるが、上から二番目右のカラー画像とかみると
どうだかねえー。
▽に。とかありえん。一、二、三みたいなのも縦書きってのはねー。
単なるマークではなかろーか?

上から三番目真ん中は「貞」。
呉城刻符(帯字陶鉢)のとこは、右下が「土」、左下が「田」かな?
あとはちょっと判別つかん。俺ではね。
0202世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/14(月) 22:50:170
age
0203世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/19(土) 19:12:550
二代目王啓の発音は日本語で「キ」、中国語でも「キ」そして、杞も同じく日本語で「キ」、中国語でも「キ」
キとはメソポタミア文明のシュメール語で「君主」あるいは「世界の中心」、「大地」と言う意味である。
支配する者、この世の中心、大地そのもの・・・・
そう言う意味だ。
まったく脈絡もない上に無関係なのは濃厚だけど無理やりあてはめてみた。
たまたま発音が同じで意味が似通っていただけでこじつけてみましたが。

シュメール人が崑崙山脈を越えてやってきたという説も面白いかもしれません。
0204よろずこ
垢版 |
2011/02/19(土) 20:26:51.430
>203
「啓」はふつう「ケイ」と読むと思うのだが。
0206世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/20(日) 02:56:18.290
中国語の「啓」はqiの3声だが、これは「キ」じゃないと思うんだ。
0207世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/21(月) 01:35:39.180
>>203 日本の音読みでは啓の母音は「エイ」(実際は「エー」)、古語の特徴を残す広東語では「アイ」なので中古音では二重母音だったように思えるけど、
さらに遡ると普通話みたいに単母音「イー」に戻るのか
0208世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/21(月) 18:48:42.160
日本語読みだと「啓」はケイでしかないな。
どっちにしろ啓と杞が中国読みで発音がおなじ事に変わりは無いが。qiか・・・クィ?
0209世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/21(月) 18:55:56.280
なまじ漢字が同じだから発音問題は厄介(もちろん左が中国語読みで右が日本語読み)

胡錦濤=フーチンタオ=コキントウ

小泉純一郎=シャオチュアンイーラン=コイズミジュンイチロウ
麻生太郎=マーシェンタイラン=アソウタロウ

金正日=ジンジョンリー=キンショウニチ=キムジョンイル(韓国語読み)
李明博=リーミンボー=リアキヒロ=イミョンバク(韓国語読み)

シャオチュアンイーランとかマーシェンタイランとか最早なに人か分からん(笑)
0212世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/25(金) 21:48:33.420
南方の方言は、シナ・チベット語族というより
タイ・カダイ語族といったほうがいいのかもしれん。
0213世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/26(土) 01:56:25.33P
ところで夏王朝や殷王朝の頃
それに連合する邑諸侯以外本当に国家と呼ばれる体制はなかったのだろうか
周の時代、いつの間にか南方に楚が王朝を名乗っていたとあるけど
殷や夏の時代も中原の人が三苗族とかと蔑むだけで
実際は楚の前身たる三苗王朝や
蜀の前身たる三星堆も候ではなく王朝と名乗っていたのではないだろうか
0214世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/26(土) 03:33:45.530
古代の発音がどこまで正確に現代まで残ってるか?
残ってないとちゃうかなあ。

当時今で言う王朝の概念はなかったんと違うかな。
自身も「大邑商」といってるくらいだし。他よりおおきいぞー
くらいなもんだったのでは?
0215世界@名無史さん
垢版 |
2011/02/26(土) 17:30:40.680
>>213
王朝と言うよりも部族社会だったのでしょう。蜀は相当発展しているけど中原には
及ばないし下流の方も王朝と言うよりはデカイ部族の集合体みたいな感じだしさ。
0218世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/08(金) 21:25:27.05P
夏王朝以前にも史記に記述がないだけで
日本の邪馬台国クラスの国家はいろいろあったようだね
五帝時代がそれを伝説として伝えているのだろうか
0219世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/17(日) 13:34:23.980
>>218
国家と言うよりも部族社会の集団だろうね。二里頭文化の初期は明らかに龍山文化だったし。
龍山文化の時に城壁みたいなのが村々を囲っていたのに二里頭の中期から城壁の様なものが壊されて
統一された用になっている。城壁が無くなると言うのは隣の村々が合併して国家になって行った過程だろう。
二里頭の後期は殷だと思うけどね。

五帝もおそらくは部族長とかの地位だったでしょう。それが伝説化されて強大な王になったと。
0220世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/17(日) 16:32:24.780
部族と国家の違いがよくわからん。
部族のでかいのが国家なのか?
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?
0221よろずこ
垢版 |
2011/04/25(月) 00:08:53.030
文字資料と伝承資料の違いだよ。

文字資料は、文字にした時点の事実。

伝承資料は、言い伝え・聞き伝え、
事実-αと考えるのがよいんでは?
0222世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/25(月) 10:42:12.560
>>220
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?

その通りでしょう。いくつかの部族が合併して1つの文化圏を作ったのが国家。
違う部族が乱立していて城壁で囲んでけん制しあっている段階は国家とはいえない。
龍山文化は城壁で囲まれた部族社会でしかなく国家ではない。
ギリシャのポリスとも違い本当に分裂した状態。
0223世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/25(月) 10:50:20.700
部族のデカイのが大抵ほかの部族を吸収して国家になる。
邪馬台国連合とか大和朝廷(邪馬台国が発展した物だろうが)が国家。
その前の別れて100国が争う段階は国家とはいえない。
一応、奴国とか「国」と言う名前はあったりするけど部族社会に過ぎない。
国家とは中心になる存在があって複数の部族を束ねる存在が出て初めて存在しえる物。
ギリシャもポリスは独立した存在だったけど、アテネなりテーバイなりスパルタなりがその時々に
盟主となって「ギリシャ」と言う共通の国家を形作っていた。
これと似た感じで殷や夏がその盟主となってその他の勢力を束ねてきていたから夏や殷は国家だ。
夏以前の龍山文化は国家ではない。誰も指導者となるような勢力が存在しないからね。
各邑は勝手に行動してたし。隣の邑とは交流があっても同一感は全然無かったわけで。
夏が盟主となって初めて違う邑の間にも「中華」「中原」と言う統一感が生まれた。
0224世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/25(月) 11:03:49.660
二里頭第一期=龍山文化

二里頭第二期=夏前期

二里頭第三期=夏後期

二里頭第四期=殷
0225世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/25(月) 14:27:59.850
近代的な国家(state)でなくとも、都市国家だろうと一つの「国家」だろう。
各ポリスは数個の部族(phyle)からなり、部族は胞族(phratria)から、胞族は氏族(genos)からなる。
ローマも三つの部族(tri-bus)、三十の胞族(curia)、三百の氏族(gens)から始まった。
すべてのポリスを統一的に支配するような政治機構は存在せず、隣保同盟に過ぎなかった。
0226世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/26(火) 19:04:30.27P
>>223
夏以前にも各諸侯をまとめた五帝がいるから
夏が最初の盟主って訳ではないと思う。

おそらく南の三苗(石家河文化)や東の東夷(岳石文化)
と戦うために有力な部族長であった黄帝を中心とする
連合体が生まれたのではなかろうか
0227世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/28(木) 22:20:33.560
夏は実在していたと思うニ里頭はかなり有望

半径100km以内で杞国があるし、竹書紀年が発見されているし、桀が最初に逃げ込んだ地もニ里頭から100km以内だし
後に魏が夏墟は我が国にあると言ったのもこの地だし。
かなり有望だ。文字状の刻印符号も発見されているし。

ただ夏以前の三皇五帝や禹の実在性を照明するのは神武天皇やアマテラスオオミカミの存在を立証するぐらい難しい。
0228世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/28(木) 22:28:44.480
>>224
二里頭第一期=龍山文化→それ以前から1000年以上続いている龍山文化そのもの。邑が城壁で囲まれていて互いにけん制しあっている。

二里頭第二期=夏前期→城壁が壊されて同一文化圏が出現しており。文化レベルが大幅にアップして建造物や青銅器などが段違いに。

二里頭第三期=夏後期→第二期をそのままなぞった形で拡大している。

二里頭第四期=殷→ここで新たな文化圏が誕生しており。以前の文化を吸収してしまっている。殷の文化の始まり。




0229世界@名無史さん
垢版 |
2011/04/29(金) 09:53:46.560
城壁が壊されると言うのは重要。城壁が必要無くなったというわけだから。
邑同士が連合して同一の存在になったわけだ。
二里頭で初めてそれが生じた
0230世界@名無史さん
垢版 |
2011/05/01(日) 14:15:10.530
実在性を日本に無理やり当てはめるとこんなもんだろうな

天照大神を始めとする八百万の神=三皇五帝
神武天皇=禹
祟神天皇=啓
武烈天皇=桀
継体天皇=湯

三皇は文字通り神様なので問題外だが、五帝も戦国時代の始め頃に初めて名前が登場した。
夏や禹の方がずっと古い。夏や禹は春秋初期に既に名前が見える(この時は禹は夏の初代王ではなく
洪水や旅行をつかさどる神であって人間ではなく夏とは切り離されていた)
夏の話が登場してから数百年たって始めて五帝の話が登場した。
最も何らかの人物がモデルになっていたであろうし五帝そのものは存在しなかったがそれに準じる
人物は居たであろう

0232世界@名無史さん
垢版 |
2011/06/01(水) 16:05:14.970
中国最古の長城、風力発電プロジェクトのため破壊される―
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=51706
新華網によると、中国・万里の長城で最古とされている「楚長城」が、
地で進められている風力発電建設プロジェクトによって、長さ2km余りに
わたって破壊されていることがわかった。
0234世界@名無史さん
垢版 |
2011/06/20(月) 13:54:53.380
>>233
私有地みたいだから立ち入り禁止だと思うよ。
夏の間は麦畑かなんかみたいだし
発掘できるのは農作物の刈り上げが終わった冬から春にかけてだけ

土地を国が買い取ればいいのにっていつも思うけど、大規模な農場はそう簡単に立ち退きさせる事はできない
これが経済的理由だったら喜んで立ち退きさせるだろうけど学術調査だから向こうの政府も動きが鈍い
0235世界@名無史さん
垢版 |
2011/07/10(日) 14:47:12.87P
そういえば今年の調査で
夏王朝(二頭里)の同盟国、葛国らしい都市跡が発掘された
ってニュースで言っていたけど
葛国って殷にいろいろ嫌がらせしていたみたいだが
0236寂しい唐揚げ
垢版 |
2011/07/19(火) 00:24:57.310
>>235
いつのニュース?ネットにある?
年代と規模は?文字資料は出たの?
0238よろずこ
垢版 |
2011/07/21(木) 20:04:51.990
>237
>235

前殷王朝とか、前商王朝とか、というのが科学的な考え方のような気もするのだが。。。

0239世界@名無史さん
垢版 |
2011/07/21(木) 20:21:24.420
クソコテの考え方は非科学的だな
0240世界@名無史さん
垢版 |
2011/07/22(金) 01:06:19.180
>>237
二里頭が夏都に比定られてる理由の一つは、
他にめぼしい遺跡がさっぱり出てこなかった事とか。
新遺跡が夏の比定に与える影響はいかに?

>>238
夏という語を使いたくなければ、二里頭期という言葉がある。
意見しに来る前に、きちんと勉強して来てほしいのだけど。
0241世界@名無史さん
垢版 |
2011/07/22(金) 07:35:13.58P
いずれにせよ夏に比定されている王朝が
史記にある通り、
複数の都市国家からなる連合体と言う事は明らかになったんじゃなかろうか

これまでの史記でも葛国とかは、マイナーだったし
(周の建国史を殷に当てはめただけだというのが今までの考えだったけど)
0242世界@名無史さん
垢版 |
2011/07/26(火) 19:06:44.180
夏はあっただろう。
しかし、それは周が殷の前を夏と呼んだだけで夏の自称や殷が夏をどう呼んでいたのか不明。
だから殷の甲骨文に夏に当たる国の名前が出ていたとしても文字だけではそれが夏なのか別の国なのかは分からない。
ただ杞は殷の時代から存在するのでこれが夏の末裔の可能性が高い
0243世界@名無史さん
垢版 |
2011/08/19(金) 08:01:00.440
朝歌と殷墟(大商邑)は別の場所にあって、殷墟は滅亡まで250年首都
朝歌を首都と書いたのは司馬遷だっけ?
どういう理屈で書いたんだ?
0246世界@名無史さん
垢版 |
2011/08/21(日) 12:52:09.230
なぜ周は殷と呼び始めたのか?大邑商なら商と呼べばいいのに。
そもそも殷は大邑商の前の大邑殷の事、つまりは殷墟の前の殷王朝中期の都だったのでは?
0247世界@名無史さん
垢版 |
2011/08/21(日) 14:23:18.360
殷は燕のことで、瀛や奄、偃、衛、允と同じ。
契や大業は玄鳥(燕)の卵を嚥下した母から生まれ、河北や山東に国を建てた。
北京は燕の都であったことから燕京と呼ばれるが、中原にも燕国や奄国があった。
殷の同族である孤竹や箕侯は燕京より東にあり、契の末裔には北殷氏がおり、
武庚の乱ののち朝歌付近には衛国が封建された。
0248世界@名無史さん
垢版 |
2011/08/27(土) 16:01:54.580
殷は間違いなく東夷で遊牧民。夏は中原に根を張っていた農耕民族にして商業国家。
殷に夏が乗っ取られてその文化も全て殷の物となった。
夏は龍神信仰が強い王朝、それに対して殷や周は鳥神信仰が強い王朝。後の漢王朝に居たり
龍神信仰が復活した。そして、禹は龍神であり夏の信じる神であり、決して初代王などでは無い
0250世界@名無史さん
垢版 |
2011/09/04(日) 10:30:42.800
スキタイの前身カラスクが西戎の事である。殷は東方の民族だから関係ないかも知れんが
0251世界@名無史さん
垢版 |
2011/09/10(土) 15:36:45.220
殷墟から西方由来のスポーク付き車輪のある乗り物が馬の骨とともに発見されている。
殷が滅ぶ250年前ぐらいの殷墟最初期の墓からこれらが出土している事から考えて
かなり前から西方との繋がりが示唆される。
紀元前1300年ごろの話でかなり興味深い。西方との交流はどの程度だったのか気になるな。
発見された馬のDNAも将来可能ならやる予定もあるらしいし
0252世界@名無史さん
垢版 |
2011/09/27(火) 21:08:18.66P
今日、本屋で城とか攻防戦とかの分厚い解説書があって
古代中国編というタイトルがあったから興味深く見ていたんだけど
(燕の都の復元イラストとか描いてあってなかなか良かった。)

その中で二里頭遺跡の後期の宮殿の地層の下から最近になって
二里頭初期の宮殿遺跡が見つかったと書いてあったんだけど…
0253世界@名無史さん
垢版 |
2011/10/09(日) 19:04:38.430
二里頭遺跡は上でもあるように第一期〜第四期まである。
これまで発見されていたのは第四期の殷初期にあたる物で甲骨文字の原型とされる文字状の物が
発見されたのもこの時期に当たる。第四期の前の第三期は夏後期に当たるので
新たな宮殿が発見されたとすると真の意味で夏の宮殿であろう。
何が発見されるのか楽しみである。エジプトやインドでも次々に古い遺跡が発掘されているので
中国で発見されてもおかしくは無い。イラクだけは湾岸戦争直前に大規模な遺跡がせっかく発掘されたのに
戦争のせいで20年も放置された状態。まだ夏は恵まれている方だ。
0254世界@名無史さん
垢版 |
2011/10/09(日) 19:15:08.580
付近の二里岡遺跡は昔から殷の初期の都亳だと言われてきたが長い間無視されていた。
殷は伝説上の王朝に過ぎず実在しないと言う懐疑派があまりにも長い間中国で支配的だったからだが。
史記にも項羽と劉邦が亳の遺跡の前で戦った逸話が出てくるし。二里岡遺跡のある場所から「亳」と書かれた
戦国時代の文字も見つかっている。ちょっとした看板みたいな物で、ここが亳なんだという認識は戦国時代に既にあった。
でも長い間それらの証拠を無視し続けてきたのが19世紀末までの状況。
戦国時代から考えても殷は700年ほど昔だがそれでも今よりは殷の情報は今よりも遥かに残っていた事だろう。
0255世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/01(木) 20:24:58.570
長い間って、、、殷が伝説だと言われていたのは19世紀の一時期だけじゃないの?
0256世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/01(木) 21:33:09.420
俺が小学生の頃は周ですら疑問符付きで殷は伝説にすぎないと担任は言っていたけどな
0257世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/01(木) 22:25:05.350
小学生の頃って、お前は幾つなんだ!!

>>255
春秋戦国の頃には既に伝説と考えられていた。五帝の実在性と同じ程度には信じてたろうが。
0258世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/07(水) 17:29:28.270
孫子の兵法ドラマは面白い
このスレの連中は絶対見ているな
0259世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/07(水) 19:34:30.170
高校の学芸会レベルの演技演出には食傷気味
かといって大作とかいわれている映画のワイヤーアクション・CGてんこ盛りもなぁ…

日本・中国・韓国と香港映画の差ってなんなんだろうか
0260世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/09(金) 00:14:11.860
あっているようであっていない
どうなんだろう
孫子兵法ドラマはまぁまぁだろ
0261世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/10(土) 01:34:07.540
いやいや
孫子兵法ドラマはいい加減なシナリオではねえよ
ただ国王が頻繁につり出されているのが日本人特有の違和感か
0262世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/10(土) 06:21:10.080
あのドラマを史実だと信じ込んでいる痛いやつがいた
ドラマは作り話なんだっての
0263世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/12(月) 00:04:33.420
だったら造り話は何だ?
偉そうに言ったからにはそれなりのことを言え
0268世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/12(月) 09:59:39.940
中国の春秋戦国ドラマは日本の歴史ものにくらべてかなり史書に
忠実。中国人は原作を改変されるのを好まない。
但し、史書が恣意的に編纂されたものかが問題。
0269世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/13(火) 01:02:28.690
甲冑に馬に河で軍を醸し策略だとか
凄いな大陸は
日本島民といえば...
0270世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/13(火) 23:39:54.260
戦国時代の人々から見て
現在の日本人が歴史上の人物を想像するとなると
三皇=天照大神の時代
五帝=神武天皇〜欠史八代
夏=大和(飛鳥)時代
殷=室町時代
西周=江戸時代初期
ぐらいを想像するようなもの
0271世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/15(木) 21:41:31.530
>>270
殷は鎌倉幕府ぐらいだな

戦国時代の始まりを紀元前400年ごろと仮定し、そこを起点とするとして
現在の日本人から見て見ると
三皇=イザナミ・イザナギ
五帝=天照大神
禹=神武天皇
啓=祟神天皇
湯=聖徳太子
周武王姫発=源頼朝
東周平王=徳川家康

今の日本人がこれぐらい昔の人間を想像するようなものだ。
0272世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/15(木) 21:49:30.410
家康以降日本の400年と中国の2800年は等しいということですね分かります
0273世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/20(火) 20:07:14.210
>>272
いや戦国時代の開始された紀元前400年ぐらいの中国人から見た古代中国の歴史と現在の日本人から見た
古代日本を当てはめてみました。
戦国時代というから日本の戦国時代と紛らわしいですけどね。
年代的に考えたら戦国時代の中国人から見た湯は、現在の日本人から見た聖徳太子を想像するようなものだ。
法隆寺は残っているけど聖徳太子がどんな奴だったか詳細までは分からない。
同様に戦国時代の中国人から見て湯がどんな奴だったかは詳細までは分からない。
でもそれぞれ東周平王や徳川家康の事はもっと分かっている。

要するに戦国時代の歴史書は現在の日本人から見た日本書紀みたいな代物と言う事で
かなり伝説が含まれているということだね

ちょっと無理やり年代的なものだけで当てはめてみましたが
同時代の金石文や甲骨文字の方が信憑性はより高いのでしょう

0274世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/20(火) 20:37:04.980
戦国時代の人間から見て殷の湯王は1300年〜1400年前の人間。
今の日本人が聖徳太子とか天武天皇あたりを想像するようなものだ。
0275世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/20(火) 20:38:36.650
夏王朝なんて戦国時代の人間から見たら、今の日本人が邪馬台国を想像するようなレベル
0276世界@名無史さん
垢版 |
2011/12/23(金) 12:17:32.770
ヘロドトスがピラミッド建設時を想像するのは邪馬台国どころか奴国を現在の日本人が
想像するようなものだからな・・・・
戦国時代の歴史書で夏を想像するのはかなり難しいと言う事だね
0277世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/08(日) 23:32:25.240
少なくとも殷に関しては宋にそこそこ記録があったのでは?
0278世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/09(月) 14:19:50.690
>>277
宋に関してはここ近年に遺跡が発掘されて文字資料も出てきている。
初代の王?と思しき人物について書かれているとされているが字が似ているだけで
別人かもしれないとも言われている。現在のところは鑑定中とか。
ただ杞の方はまだ発掘が進んでいない。杞の王墓が発見されれば夏も殷並みとは言わないまでも
ある程度は分かるでしょう。もうひとつは西周の王墓の発見だな。こちらも全く見つかっておらず
謎のまま。文字資料がおそらく大量に見つかるだろうから発見が待たれる。
0279世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/16(月) 19:55:05.48O
紂王と箕子は近い血族だったの?
0281世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/17(火) 05:49:07.62O
謝謝
箕子が檀君かもしれませんね
0282世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/21(土) 13:44:52.640
ヒカンとキシはどちらが兄だったのでしょうかね。
ブコウロクホはチュウオウの三男だったのでしょうか。
0283世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/21(土) 17:27:05.210
>日本はこの当時は稲作に精を出し神頼みのだよな

後に呉越人が日本に渡来かw遺伝子判定で否定的論調が多いが
この時代で渡来可能性は造船技術をみれば間違いないな
0284世界@名無史さん
垢版 |
2012/01/23(月) 00:21:43.660
>>282
>ヒカンとキシはどちらが兄だったのでしょうかね。
書いた物が無いから判りません。

>ブコウロクホはチュウオウの三男だったのでしょうか。
何かに書いてありましたか?
0286世界@名無史さん
垢版 |
2012/02/11(土) 23:24:41.050
>>285
麦畑だかトウモロコシ畑だかが私有地なので秋から冬にかけてしか発掘できないのが難点だね
今の季節は最後の追い込みと言った感じ。4月になれば農家の人が種まきを始めるんで埋め戻して撤収のいつもの流れ。
農家の人も生活が懸かっているからしょうがないけど
0288世界@名無史さん
垢版 |
2012/02/12(日) 01:46:06.110
私有地あるよ
欧米と同じ方式でウルトラ長期の借地権方式
0289世界@名無史さん
垢版 |
2012/02/17(金) 16:47:58.180
まあ農家の人は遺跡も大事だけど生活も大事だからな・・・・
0290世界@名無史さん
垢版 |
2012/02/19(日) 12:29:10.560
今回の二里頭の発掘にNHK取材陣も訪れている模様
NHKで今年特集するってさ。殷より古い時代の中華王朝の原型がどうたらこうたらとテレビでやってた
0291世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/04(日) 00:19:52.930
たまには海外旅行に行きたいんだけど、このスレ的にはどこがオススメ?
鄭州の殷代城壁は第1候補なんだけど、
他に竜山〜夏の遺跡や博物館等で楽しいところがあったら教えてくださいm(。・_・。)m
0295世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/18(日) 21:18:55.820
秦以前の王朝って全部捏造なんだってね
0297世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/21(水) 19:46:52.680
甲骨文字の未解読部分は固有名詞がほとんどだが、何とか完全に解読できると
もっと詳しい事が分かるだろう
殷が夏を同呼称していたのか全く不明だしさ
杞こそが本来の名前だったのではないかと思う
0298世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/21(水) 23:57:26.79O
捏造言う奴は華麗にスルー o(^-^o)(o^-^)o
でいこうよ
0299世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/22(木) 00:51:55.770
夏は実在したのでしょうか…
0300世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/22(木) 00:58:38.190
大夏と称していた政権はいくつかある
その中ではトカラが一番古い。
西夏も国号は大夏。
0301世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/24(土) 21:22:09.970
夏人の自称が何なのか不明なのが一番問題を複雑にしている。
夏王朝の記述が始めて登場するのは西周後期だし。禹は西周初期とされる金文(香港で個人が所有している鼎に記述あり)で
登場しているが明らかに描写からして人間ではなく神様そのもので夏王朝の創始者とは書かれて居ない。
よって禹は初代の王ではなく、夏人の信じている神様なのだろう。それが後になって夏の初代王になって行った。
禹が夏の初代王と言う記述は夏が記述された時代よりも更に後の春秋時代後期あたり。明らかに後の世になって神様を初代王に
してしまったのがよく分かる。三皇五帝に関してはそれよりも更に後の戦国時代中期まで行かないと記述は見つからない。
殷の甲骨文字に関して言えば杞国や杞侯と言う記述はあるのでそれが夏の可能性もある。
0302世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/25(日) 19:36:10.210
バクトリアがなぜか大夏と言われている。
バクトリアの地はトルクメニスタンのオクサス文明と言われる古い文明が存在していた地でもある。
紀元前2200年〜1700年ごろまで続いたと言われる文明で殷よりも古い。
この文明はその南のインダス文明とも関係が深いとかゾロアスター教の発祥地とも言われている。
文字状の物もチラホラ出ている。アンダーソンの中華文明西方起源説のアナウもすぐ近くにある。
なんらかの関係があったので大夏なんて名づけたのかもしれない。
0303世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/27(火) 21:53:59.530
禹は天神にして水神であり旅行神でもある。長江周辺から幅広い範囲で信じられてきた
神である。中原のみならず南方の人々に信仰されてきた。
夏王朝の神と言うよりはもっと広範囲の神である。天神であって人王では決してない。
天照大神やスサノオを人王とは決して言わないのと同じである。
三皇五帝に至っては夏王朝の逸話よりも遥かに新しい後世の神話に過ぎない。
もちろんモデルになった神や人は居ただろうが、夏王朝伝説どころか殷王朝伝説よりも時代は後の話だ。
西周後期に既に名が出てくる夏王朝と違い三皇五帝は春秋時代は愚か戦国時代まで行かないと記述は見つからない。
三皇五帝は歴史と言うよりも戦国時代の人々が理想の君主像を思い描いて生み出した話なのだろう。
0304世界@名無史さん
垢版 |
2012/03/27(火) 22:52:12.34P
盤古に関してはどうなんだろう
0305世界@名無史さん
垢版 |
2012/04/08(日) 14:01:04.260
>>304
盤古はだいぶ後になって生まれた神のようで。三国志の孫呉の時代の書物に初めて登場する。
モデルとなった神は南方起源でインドの神とも言われている
0306世界@名無史さん
垢版 |
2012/05/09(水) 20:54:43.63P
三皇五帝時代って禅定による聖君の時代と言われているけど
実際は、春秋時代の覇者のような都市国家を纏める取りまとめ役を
各国家が相談の上で決めていた感じなのかな

それと魏という国名が五帝時代にもうあったとは…
0307世界@名無史さん
垢版 |
2012/05/26(土) 16:50:01.150
後世の伝説(というか、古代史に仮託した理想論)を歴史と混同するのもいかがなものか。
0308世界@名無史さん
垢版 |
2012/06/05(火) 14:10:08.740
“城攻め”を新解釈!武将×城を描く「お城でBL」一迅社から
http://natalie.mu/comic/news/70102

――どうした?お前の城門から、大事な天守閣が丸見えだぞ?
0309世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/11(木) 20:15:10.470
で、これらの王朝の民族って誰なの?
漢字を作ったのはタイ語話してる奴らだとか言う話聞いたり

殷周辺りはコーカソイドが中心だったらしいし
0310世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/14(日) 23:27:48.450
NHKで夏王朝をやっていた
0312世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/14(日) 23:51:18.820
玉璋が広東や福建や四川からも出土したと説明する地図が登場したよね。
まあ支配じゃなく交易だけかもしれないけど。
0313世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/14(日) 23:54:41.110
>>312
玉璋だけで支配していたというのはえらい短絡的だなぁと思ったわ
他に証拠は無いの?

個人的には一地方を治めていたって感じしかしない
0314世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 00:27:27.440
怖い考古学者をズラリと揃える
NHKはこういう時にだけ尊敬する
0315世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 00:45:43.060
NHKのコピー
「四大文明で唯一現代まで続いている〜」

ネラーが同じ事言ったらフルボッコなのになw
0316世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 01:05:20.780
続いてる、という自己認識の政権・文化が延々連なってきたからなあ
0317世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 01:31:42.200
まったく続いてねーだろ

むしろ他の文明以上に人種レベルで入れ替わってんじゃねーか
0320世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 02:38:46.330
島民としての思考しかできないと、えらく視野が狭まるわな
人種という言葉を使うこと自体、基礎知識が足りないわ
0322世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 21:30:49.960
ちょいと、笑えたのでコピペ



231 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 21:39:13 ID:wujd2clK
中国夏王朝、身分の高い女性の墓より
ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034078.jpg
ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034079.jpg
ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034080.jpg
ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034081.jpg
ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034082.jpg
232 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 22:02:07 ID:/geXEU6o
>>231
綺麗な顔してるだろ
死んでるんだぜ、それで
233 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 22:03:45 ID:oP8Q8iuF
むしろそれで生きてたら怖いって
0323世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 21:34:46.370
女王を殺して股間に牛の角ぶちこんでゴミ捨て場に捨てるとか
あいつらのやってることは四千年来あんまり変わらんな
0324世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 21:46:23.49P
やっている事知らなかった。
再放送まで待った方がいいのかな

オンデマンドでも無料みたいだけど
このためだけにオンデマンドに登録するのもちょっとだし…
0325世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 22:31:12.15P
一応二里頭遺跡のCGのみをホームページで見たけど
宮殿部ってあんなにでかかったの?
今までよく知られていた主殿と塀部分のみかと思ったら
他にも建物があって250m×250mって日本の城並みの大きさ
があって驚いた
0326世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/15(月) 22:34:13.170
>>324 大体水曜深夜(木曜だが)に再放送のことが多いな
0327世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 19:43:03.44P
再放送見た

とりあえず夏王朝が前時代の地方豪族と違う点は

五種類の穀物を育てていた
洛陽盆地が中国の交通の要衝で文化の集積地だった。
儀礼を効果的なイベントとして見せる事で王の権威を印象付けた。
という事かな
0328世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 19:54:13.33O
夏も途中で単なる地方豪族から
王朝に脱皮した感じ?
日本でいうと弥生時代から古墳時代への流れみたいなもんか
0329世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 20:05:27.27P
>>328
実際二里頭の復元の印象だと
庶民区は邪馬台国の印象だけど
貴族区、宮殿区は大和朝廷のような建物が密集、整備された区画造りなんだよね

宮殿は想像以上にでかかったな
0330世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 20:30:12.040
王朝といい朝廷というのは、宮殿の前庭(廷)で朝礼を行っていたから。
周礼に「左祖右社、面朝背市」とあるように、宮殿の後ろには市場があり、
祖霊と土地神(社、土)を祀る朝礼のあとに、近隣部族間の商取引が行われた。
0331世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 20:33:40.56O
三韓と倭は何倍速かで中国の古代史を再現したようなもんか
0332世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 22:11:24.030
そのへんの国家作成フォーマットを秦漢人が持ち込んだんだろう
現地の酋長を神輿にかついだかもしれんが
0333世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/18(木) 22:15:43.490
確か何年前かのNHKスペシャルだと、神中心の宗教から人中心の宗教への転換が殷周の交替のときとされてたけど、
夏の時点で王の権威が神威から独立したものとなっていたということは、殷の宗教などについての学説もここ数年で大きく見直しがあったのかな
0334世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/19(金) 00:14:36.470
今のNHKがそこまで考えて番組作ってるかな〜
先日の古代ギリシャの番組も以前NHK教育が放送していた知への旅を全否定している箇所があったし
番組のまとめ方も玉虫色的な終わらせ方だったぞ
なんか迷走しているって感じ
0335世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/19(金) 00:23:37.97P
>>333
むしろ殷王朝は人から神の政治に戻したかった勢力なのかもね
それが史記を書いた作者には、暴君に見えたとか
0336世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/19(金) 00:57:11.87O
遅れた殷が進んだ夏を滅ぼした?
0338世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/19(金) 08:36:26.650
>>329
庶民は平安時代になっても意外と竪穴式住居だったりする。

>>335
殷末期の悪評は、殷を滅ぼした周の自己正当化の為と考えるべき。
でも神を祀って(神とともに)しきりに酒を飲んでいたのは有るようだ。
そこが酒浸りで政治をおろそかにしていると見えたかもしれない。
0339世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/19(金) 10:33:51.820
そういえば殷を自称であるはずの商とは呼んでなかったな
0340世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/20(土) 15:04:17.500
>>339
商と呼んでない時点で自分の歴史じゃないと言ってる様なもんではないか?

今に連なる民族と違うから異民族を呼ぶ蔑称なりなんなりで呼んでるんだろうから
0341世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/20(土) 21:44:49.00P
>>338
けど、殷が、占いのたびに異民族を捕え
数十人殺したり、王の死の際には兵士や家族まで生き埋めにしたり
と現在の感覚からするとかなり残酷なのは事実なんだよな
甲骨文字や発掘された王墓から見ると

夏王朝はあまり生贄はなかったみたいだし

史記を書いたころの人から見ても生贄制度はかなり異常と感じるものだっただろうし
0342世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/21(日) 08:03:23.060
>占いのたびに異民族を捕え数十人殺したり
祖霊や神へのお供えにする羌は10人ですか、20人ですか、と占うんだろ。
その度に捕らえるんじゃなくてあらかじめ狩っておいたようだ。

>王の死の際には兵士や家族まで生き埋めにしたり
日本だって江戸時代まで殉死の風習が有った。
0343世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/21(日) 08:41:19.310
日本の場合は殉死は功績扱いで
子孫が優遇されたそうだけと商王朝はどうだったんだろうね
0344世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/21(日) 10:36:01.200
功績というか、死ぬのが当然で死なないと風当たりが強くなったりするという話が森鴎外の「阿部一族」。
一人だけ殿に殉死を禁じられたのが元で族滅することになってしまう話だ。小説だが。
0345世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/21(日) 18:10:49.620
今日的な観点からネガティブな例証に、「朝鮮」を持ち出す
と、すかさず冷笑的なレスを付けて、「朝鮮」だけは比較し
てはいけないと、言い出す輩が常駐している世界史板で、
同時代に国家の体を成してもいない、中華文明圏下の
「日本」を引っ張ってきても、誰も何をいわずにレスが淡々
と続く不思議。
0347世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/30(火) 21:14:11.24P
ところでNHKの二里頭の復元CGを見て気になることが
あの時代って都市のまわりに城壁があるのが普通なのに
二里頭は王宮のまわりに塀があるだけなのはなぜだろう
0348世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/31(水) 09:01:47.050
俺も疑問に思ったが、「城壁が有るのが普通」というのが固定観念だったのかもしれないと思った。
0349世界@名無史さん
垢版 |
2012/10/31(水) 11:27:22.740
>>347-348
二里頭で確かな城壁跡が出ていないはず。

ちなみに、殷墟も長らく城壁が発見されなかったが、
近年、近隣に城壁と宮殿跡が発見されて、
殷墟は都城郊外の祭祀区であった事が明らかになった。

二里頭でも殷墟のような何かの事情があるのかもしれない。
0350世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/01(木) 02:17:35.650
良渚でも城壁が見つかったのは最近というし、何が埋まってるやらわからんねえ
0351世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/10(土) 23:33:49.490
東大・東洋文化研究所〔公開講座〕『アジアの文』の小寺敦「古代中国簡牘資料研究の現状」
これ今日だったのかよ…日曜だと思ってたよ……
行った人いたら内容教えて
0352世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/11(日) 02:11:33.25O
インダス文明の人間が使っていた言葉は
サンスクリットではなく、
シュメール語はセム語ではなく、
エラム語はペルシャ語ではなく
クレタ語はギリシャ語ではない。
夏語も中国語ではなかったんでは。
0354世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/11(日) 10:20:27.790
ミャオ族の言葉に近い物だったとか?
0356世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/11(日) 13:45:28.25O
>>352
エトルリア語もラテン語でないね
0357世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/11(日) 19:52:42.410
古代エジプトもアラビア語じゃないし
0358世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/11(日) 20:37:39.090
>>357
でも一応それは仲間ではあるんだよな。
エラム語やシュメール語は全く仲間が残っていない。
夏語もそうかもしれない。
0359世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/12(月) 23:22:41.59O
>>358
帝堯、帝舜みたいな言い方ってタイガダイ語族と近いという。
同系統でなくとも関係ある言葉かも知れない。
今の中国語はシナ“チベット”語族だから周由来?
0362世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 04:56:02.370
NHKの録画してるよ。
残酷なのは殷と周もだが、夏も貴婦人のマンコに牛のツノを突っ込むなどして殺してる。
あの骸骨は凄いわ・・・ 中国は漢字と皆殺しの上に築かれた歴史だ。今も変わらんぞ。
0363世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 09:40:53.310
「お供えの羌は罪人などを当てたと考えられていたが、特定の部族であった事が判明した」(オイオイ)
文献では捕まえてきた羌族をお供えにした、としか書いてないぞ。
0364世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 11:27:41.460
>二里頭は王宮のまわりに塀があるだけなのはなぜだろう
河に囲まれていたから必要なかった。
0365世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 14:43:55.700
>>363 羌としかないから、特定の部族をさすのか、生贄の人間と言う意味か分からなかったけど、骨の中の放射性物質を調べたら甘粛省の部族と一致したということだな。比較のために用いた人骨って
現代のだろうか。それとも羌と同じ時代の、それぞれの地域の遺跡から出土した人骨だろうか
とはいえこれまた何年か前のNHKのこんな番組だと、羌はチベット系のチャン(羌)族のことだと言ってたけど。羌がチャン族そのものではないにしても、チベット系と言うのは既にほぼ定説だったんじゃ?

こないだの放送を見て思ったけど、甲骨文字で表された文ってかなりはしょった感じと言うか、動詞とかいろんなものが欠けてるがする
まだあまり文字が作られてなかったのかな。
0367世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 19:05:22.12O
>>366
同じ「姓」というのは娘を嫁がせて、同族になったということかも知れないよな。
晋や呉は異民族が周から嫁を迎えただけかも知れない。
0368世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 21:47:05.020
中国は夫婦別性だから嫁を迎えても同族にならないだろ。
0369世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/13(火) 23:19:57.93O
>>368
姓にはみんな女が付いてるじゃん
姫とか姜とか
0371世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/14(水) 01:04:08.960
趙はついてるだろう。秦と一緒だから

女系相続→基本男系だが一部女系もあり→完全男系
の順番かな?
0373世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/14(水) 07:09:44.54O
>>372
下に
0374世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/14(水) 13:03:09.320
夏までさかのぼっても紀元前2000年頃か
インダスの300年後とはな
0375世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/14(水) 13:05:57.340
古代中国が中世ヨーロッパ的なのは何故だろう
殷王はローマ教皇のようだ
辺境の地域はある部分だけ先鋭化するというが中国でもそれが働いたのか?
0378世界@名無史さん
垢版 |
2012/11/17(土) 20:40:19.39O
>>367
姫姓諸侯のほとんどが周から嫁か婿を迎えただけかもな
0380世界@名無史さん
垢版 |
2012/12/04(火) 22:42:27.960
NHKのに平勢が出ていた
0382世界@名無史さん
垢版 |
2012/12/23(日) 15:24:04.460
姫姓やら?姓やら?姓が廃れて、姜姓や姚姓が残ってるのは何故だろう
0383世界@名無史さん
垢版 |
2012/12/23(日) 22:13:03.150
姫姓、嬴姓、子姓は、
客家や華南華中沿海部、そして華僑・華人に多いのですよ。
出版されている族譜なんて、カネ払えば載せてもらえるし。。。

姜姓や姚姓は北方騎馬民族であり、五胡や北魏の頃に
増えたのです。
0393よろずこ
垢版 |
2013/01/11(金) 23:47:21.760
>386
>387
>389
子姓でしょ?

はぁお姓?
0394世界@名無史さん
垢版 |
2013/01/17(木) 19:39:56.30P
夏以前の都市国家間の闘争も史記に伝承と言う形で
残っているのかな
洪水は実際4000年前中国をはじめ世界各地で多発していたようだけど
0395世界@名無史さん
垢版 |
2013/01/19(土) 03:15:09.92O
>>394
どうだろう?
日本でもヤマトが中国の三代に相当するような存在になるまでのことなんか
全くわからないだろうし。
0396世界@名無史さん
垢版 |
2013/01/28(月) 20:47:40.78P
今日三国志の本を読んでいたがその中に殷周夏の事が
書かれたページがあったけど
夏のページで二里頭遺跡で城壁が発見されたと書かれていたのって
本当?
なんでも一辺が一キロメートルから1.7qと厚さ38センチの土壁
らしいが
0397世界@名無史さん
垢版 |
2013/02/01(金) 01:49:12.890
まあ板築ですがな。
板築の城壁は山東龍山文化ごろからあるんで珍しないですけどね。
0398世界@名無史さん
垢版 |
2013/02/09(土) 12:49:18.52P
夏王朝の豊かさの秘密は
五種類の穀物を育てる技術を入手できた事
これは気候変動でも柔軟に対処できる点の他に
五種類の穀物を使った料理の数々を作ることができたのも
ポイントかもしれない。
他の邑国家にはない種類の豊富な料理を宴で
出されれば、ほかの邑の代表も二頭里の文化や国力
の豊かさを実感できるわけだし
0399世界@名無史さん
垢版 |
2013/02/09(土) 12:57:52.410
中夏
0400世界@名無史さん
垢版 |
2013/02/17(日) 23:41:55.220
>>393
殷の姓が「子」だっていうのは
王族の名の頭についてる「子」を姓と誤認したからで
あれは単に王子=王族って身分を表してるだけらしいね

>>398
伝説上のイメージでは夏のよさは質素さであって
あんまり豊かさを武器にしたようなのはイメージ違うなぁ
0401世界@名無史さん
垢版 |
2013/02/21(木) 04:24:52.870
バタバタ遺跡が廃絶される時代に安定してるってことだけで豊かだったんだろうし
質素さ≠貧しさなんだから質素で豊かは両立するだろ。
0402世界@名無史さん
垢版 |
2013/03/01(金) 18:03:13.710
>>394
その頃の争いは国と国と言うよりは部族の争いと言う感じだな。日本で言う所の百余国による倭国大乱の時代に相当する。
竜山文化は強大な勢力が生まれる前で二里頭でも第一期の遺跡は城壁を作って
部族同士が睨みあっている感じだし。第二期で城壁が壊されて同一の文化圏になった感じ。
つまりこの第二期が夏王朝であろうと言われている。同一文化圏になれば争う必要ないから
城壁は壊される。狭い範囲の城壁は壊されたが二里頭文化圏から離れるとまた城壁が現れる。
別の国の文化圏に遭遇したと言うわけだ。だが二里頭文化圏内では第二期から城壁が壊されている。
存在する城壁は文化圏外の敵に対するもの。
0403世界@名無史さん
垢版 |
2013/03/01(金) 18:05:16.920
>>398
二里頭で産出された物が遠く離れた地域でも発掘されているから他の邑でも二里頭の
作った物の優位性は認めていたわけだろうね。
0404世界@名無史さん
垢版 |
2013/03/02(土) 13:19:05.710
中国の古典を読んでると、
夏が優れた暦を持っていたという話が出てくるんだよね。
夏はその暦を諸侯に配布する事で中華に君臨していたのかもしれない。
(考古学的な実証は難しいだろうけれども。)
0405世界@名無史さん
垢版 |
2013/03/02(土) 13:26:56.03P
龍の文様がついた玉樟って二里頭だけでなく
四川省や遥南方のベトナム国境近くでも見つかっているけど
これらの邑とも二里頭は当時から交流があったのかな
0407世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/27(土) 17:24:03.840
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね
0408世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/28(日) 08:16:27.27P
しかし夏王朝前に良瀦文化や紅山文化等
各地で王朝に匹敵する宮殿や神殿を築いた
文化圏をまとめる首長がいたのは確かなんだよな

それらが何らかの形で五帝伝説として伝わったのは
間違いないと思うし
0409世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/28(日) 17:42:02.610
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後
おおよそこんな感じになる。春秋が書かれた時点では三皇も五帝も無かったが、後で付け加えられた。
>>408
何とかして長江文明で見つかった文字状の記号の解読が出来ればね
何らかのモデルになった人物は居たんだろうけど、史記の言う三皇や五帝とそのままイコールじゃないだろうけど。
日本でも日本書紀や古事記では神武天皇以前の人物?(正確には神様だが)が
載っているけど何らかの史実を表していると思うしね。
0410世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/28(日) 20:47:32.320
>>409
「春秋経」には堯舜は出て来なかったかなぁ…?
春秋と同時代の説話集を用いて春秋に注をつけた左氏伝や、
左氏伝の補遺とも言われる国語には堯舜が出てくるけどね。
ついでに言うと、西周から春秋時代の何時頃かに成立したらしい
尚書も堯舜より始まる。

この事から、五帝の中でも、初めは尭舜の神話があり、
そこに五帝という概念が後付けされた事が分かる。
0411世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/29(月) 16:28:42.690
禹に関しては西周の初期も初期の紀元前1000年の少し前に金文に名前が出ているようだ。
ただ夏王朝の始祖とはされていない
0412世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/29(月) 16:30:06.340
だが禹と夏王朝は全く無関係とも思えない。夏人が信仰していた神様の名前なのだろう。
初代王と言う事になったのは後の世代の事
0413世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/29(月) 16:58:30.66P
史記でも夏王朝以前に各地に諸侯が収める国があり
それを神農氏、黄帝、が纏め上げていた話があるけど

これは各邑国家の戦争を回避するための連合としての意味合いが時代
を経る事で王と諸侯という周や戦国各国の都合に合わせたものに
編纂された感じなんだろうか
0414世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/29(月) 17:57:04.050
黄帝は名前からして五行説が出来てからだろうから割と新しいと思う。
0415世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/29(月) 18:33:42.29P
>>414
黄帝はたぶん実在しないか
もしくは本名である軒轅という人物はいたかもしれないが
姫姓ではないだろうな。姫姓は周王室と同じ家だし
周王室の拍をつけるためにした可能性があるかも。

神農氏は姓は姜だそうだが羌族との関連もあるのかな
0416世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/30(火) 19:38:33.850
黄帝とかモデルになった人物は単なる小規模の邑の代表ぐらいの人物だろうな。
一邑だけを代表しているような感じで帝とはとても言えないみたいな。
古代イスラエル王国のダビデ王とかもモデルはただの村長みたいな立場の奴が武装蜂起
した話を大げさにした感じらしいし。
イギリスのアーサー王のモデルになった奴なんてただの傭兵隊長とかそんなのだからな。
0417世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/30(火) 20:32:17.52P
>>416
そもそも邑の諸侯が連盟を組み、疑似家族としての契りを
結ぶ際、に共通の先祖が必要だろうという事で生まれた概念的
存在みたいだしね、

当時はチベット系、ツングース系、タイ族、など様々な民族が
都市国家を形成し、それぞれ戦争や同盟などの駆け引き
を巡らせていた辺りはギリシャのポリス間の抗争の歴史と似ているのかな
0418世界@名無史さん
垢版 |
2013/04/30(火) 22:30:55.910
《牧誓》に出てくる 3000年前の民族・・・
> 蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。

内陸にはツングース系はいなかったかもしれん。
 蜀、羌 ・・・チベット系確定
 髳、彭 ・・・ミャオヤオ系?
 濮 ・・・オーストロアジア系確定
0420世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/01(水) 21:03:06.310
>>417でいう同盟などの駆け引きには、粛慎でてこないだろう。
周の武王との交渉相手に出てこないから、まだ没交渉かもしれんし
粛慎は殷側に同盟しちゃったかも。
0421世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/01(水) 21:38:48.04P
殷商そのものがツングース系ではなかったかという説もあるね
0422世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/01(水) 21:59:51.19P
しかし殷の系譜について調べて見たら孔子の家系の先祖
だったとは驚いた。

孔子が夢にまで見た周公但は先祖の国、殷を滅ぼした時の周の
宰相であり、普通だったらどうかと思うけど
先祖が神を崇めるために人々を生き埋めにしたりする資料を
見たから逆にそれをやめた周の礼学に感化されたのかな
0423世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/01(水) 22:14:25.040
封神演義に周公但は出てくるな。
漫画なら事務能力に優れた、平和時の優良官僚って感じだったが原作じゃどんな扱いなのだろう?

中国の「神」のイメージって三国志、西遊記、封神演義などの物語から逆輸入される傾向が高いんだよな。
史実→物語が作られる→その物語を元に伝説や廟が作られる→物語がさらに変容→

ってな感じで。
0424世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/01(水) 23:09:48.060
>>422
それを言ったら毛利元就の外交僧、安国寺恵瓊の父親は元就に滅ぼされた安芸武田氏だ。
0426世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 12:09:44.550
二里頭第一期=龍山文化
二里頭第二期=夏前期
二里頭第三期=夏後期
二里頭第四期=殷

甲骨文字に良く似た文字状の記号も見つかっているから、解読が待たれる
その前に蜀の巴蜀文字を是非とも解読してほしいところだ。
「説文解字」を書いた人たちは蜀の文字の存在を知っており「彼らは異形の文字を使い
我らには理解不能」とちゃんと書いているのに。なぜそれを解読してやろうと言う人物が
出てこなかったのか?せっかく戦国七雄の文字の変遷を調べて書物にしたのに蜀の文字に
なぜか関心が無かったのが不思議だ。
0427世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 12:14:10.020
殷は伝説にすぎず存在しない→殷墟発見
長江上流の蜀に巨大な王国は無い→三星堆遺跡発見
始皇帝陵は司馬遷の妄想→始皇帝陵発見

昔は史記は信憑性が低いと懐疑的に見られてきたけど、結構事実を語っている
0428世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 13:04:17.09P
>>427
司馬遷は歴史と神話の区別を積極的におこなっていたみたいだしね
実在性に乏しいと思わしき話は注釈をつけていたようだし
0429世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 18:17:58.700
>>426
あんた、エジプトのヒエログリフ解読に何年掛かったか知ってるか?
ロゼッタストーンのような手がかりが無い限り不可能なんだよ。
0430世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 19:06:56.88P
確かマヤ文字やインダス文字の一部がコンピュータの解析で解けたという話も
あったような
0431世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 19:57:37.100
マヤ文字は解読されている。インダス文字は言語としての規則性の一部が解析されたという話で、
文字を読む事はまだ出来ていない。
0432世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 23:36:37.980
>>430
でも現在の我々が調べるよりも2000年前の紀元1世紀ぐらいの説文解字を書き記した
連中の方がまだ時代が近い(と言っても巴蜀が秦に滅ぼされたのは更に400年前だが)
からまだ探せばどうにか解読出来たと思うけどな。秦は蜀を併合した後で彼らの文字や言語の
矯正にだいぶ苦労したみたいだが。あの頃ならまだロゼッタストーンみたいなのがあったんじゃなかろうか?
まあ説文解字を書いた人たちは金石文までしか知らず、甲骨文字の存在を知らなかったみたいだから調べるのには限度があったのかもしれないが。
0433世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/02(木) 23:40:07.810
それから巴蜀文字の印章とインダス文字が酷似しているそうな。
巴蜀を南下すると文明とは言えず村社会だけど昆明に独自の文化があったみたいだし
そこを通してインダス文明と交流があったのかも?
0436世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 13:05:39.380
ロゼッタストーン=神聖文字(ヒエログリフ)→民衆文字(デモティック)→ギリシア文字
ギリシャ文字は既に分かっていたのでデモティックもヒエログリフも解読出来た

ベヒストゥン碑文=アッカド語(楔形文字)→古代ペルシャ語→エラム語(新バビロニア語)
古代ペルシャ語から解読され、新バビロニア語であるエラム語とアッカド語もそののちに解読された。
更に100年近くたってからアッカド語を元にシュメール語も解読出来た

三体石経=古文→篆書→隷書
篆書と隷書は既に解読されていた、照らし合わせて古文も解読出来た。古文は金石文に良く似ているので
金石文も合わせて解読出来た。

巴蜀文字とインダス文字にもこのような複数の文字が併記された物が発見される事が待たれる。
個人的にはインダス文字が一番解読されてほしい文字だが、巴蜀文字はその次ぐらいに解読されてほしいと思っている。
そのさらに次は線文字Aとオルメカ文字だが。
ロゼッタストーンの様なものが見つからない限り解読は不可能だろうね。
0437世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 13:08:26.870
前漢時代の学者なんて遅れた蛮族扱いの蜀人の文字や言語になんて感心無いだろうな。
もしロゼッタストーンみたいなのが見つかるなら、蜀の遺跡の方だろうね。
秦や漢の遺跡探しても多分見つからない。
0438世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 15:48:19.650
巴蜀文字ってせいぜい戦国時代だろ
甲骨文字のほうが古くね?
0440世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 20:03:34.120
敦煌莫高窟に、漢字・西夏文字・青唐吐蕃文字のロゼッタストーンみたいなのがあったから
交易をしていて帳簿付けをしていることは、古文書分析に有利に働くよ。
0442世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 20:59:07.61P
4000年前の邑の戦国時代
言語が違う邑は制圧して、奴隷にするか
お互いの言語を覚えて、交渉相手とするのか

漢字が表意文字なのも元々違う言語同士の通訳も
かねていたのかな
0443世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 21:22:49.780
甲骨文字は占いの記録の為のものでそういう使い方はしなかった。
0444世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/03(金) 23:08:37.600
>>442
春秋時代や戦国時代になればそういう使い方になって行ったね
春秋時代と戦国時代では巴蜀以外では通訳者と言う職が見られないのもそういう事なんだろう
>>443
甲骨文字の殷の時代はその通りで、占いの為だったね
0445世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/04(土) 00:20:14.450
殷の遺民たちが、文字通り「商人」となって、商売の記録を甲骨文字で取り始めたってコトなのかな?
0446世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/04(土) 16:08:16.990
>>445
殷の遺民たちが使っていた文字は金石文とその改良の古文と言う文字だよ。
甲骨文字は王族以外は使ってはならなかった。
だから説文解字を前漢の学者が書き記した時に学者たちは金石文までしか知らなかったんだよ。
金石文は殷の王族が家臣に褒美として与えたものだから他国にも広まっていたけど甲骨文字は
王族の占いの為の文字だから王族しか使っていない。だから甲骨文字はよその国には基本的には
広まっていない。唯一例外が周だったけど、この周が殷の時代に既に殷から甲骨文字を教えてもらって
使用している。でも周も家臣には甲骨文字は渡さなかった。渡したのは金石文を書いた食器などだけ。
殷墟の発見、その後の周源の発見を持って初めて甲骨文字の存在が明らかにされた。
春秋時代の諸侯の墓からは金石文は出てきても甲骨文字が出て来る事はあり得ない。
0447世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/04(土) 16:09:43.080
王族でも無い「商人」が甲骨文字を使う事は許されない。
だから殷も周も甲骨文字は独占して門外不出とした。
0448世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/04(土) 17:36:40.420
甲骨文字=殷や周の王族が占いの為に独占しているから殷や周以外では発見されない

金石文=殷や周の王族が諸侯に褒美として与える食器にその食器の由来を金石文として
書いて与える。だから金石文は諸侯の国から多く発見される。また金石文を元に古文が
作られ戦国七雄を始めとする国で庶民にまで広がり商売の記録としても使われるようになる。
0449世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/04(土) 17:58:40.070
食器と言っても祖先の霊にお供えする時に使う祭器だけどね。
0450世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/05(日) 22:59:46.390
殷を滅ぼした周の民が紅毛だった件…

漢民族っていったい何…
0452世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/05(日) 23:39:11.890
でも、客家の来歴をみていると
五胡十六国時代に東晋へ逃れ
さらに黄巣の乱の時に華南に逃れたとする宗族が多い。

客家は客民であって、土着民ではない。
河南省からやってきたというのも外れてはいないだろう。
0455世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 00:13:50.870
大和民族真似し最近やり出した事だろw
あ、不味いっつて中華民族移行中だが足踏みしてる。考古歴史分子生物学など駆使して民度低い連中を教育修正は必ず演るだろな
0456世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 00:17:15.120
>>454
それもそうだが。
五胡十六国でDNA的には異民族になってるけど
これも漢民族って言っていいん?
喋ってる言葉と漢字はそのままだが…
0457世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 02:47:29.410
漢人固有のDNAなどないし、発音も文法も文字も相当に変化した
匈奴の劉淵は漢を再興したし、モンゴルは金の領内にいた多様な連中(女真・契丹・渤海・高麗)を漢人と総称した
それでも彼らは(胡系の)漢人なのだ
0458世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 06:48:07.29P
もし漢族の源流があるとしたら
竜山文化の担い手だった民族だろうが
たしか二里頭文化は越人かチベット系という説があるんだっけ
0459世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 07:07:11.060
漢なんだから当然漢中盆地に住んでた民族が源流じゃねーの?w
0460世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 11:32:08.790
劉邦は現在の江蘇省徐州市沛県出身
遡ると帝堯陶唐氏の末裔ともいうが後付設定
0461世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 11:47:53.020
>>457
なんでもありかよw
0463世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 13:26:11.530
>>462
同化力が半端ないのはわかるけどやっぱ漢字の威力かな?
0464世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/06(月) 15:23:44.020
今の「漢族」が中華人民共和国の戸籍人口の94%以上を占めている時点でお察しください
0465世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/07(火) 14:31:12.850
>>409
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後

2001年に上博楚簡「容成氏」と言う竹簡が解読されて、これが楚の歴史書である事が判明して
時期は竹書紀年とほぼ同じ時期。割りと夏の記述にドライで他の春秋系や竹書紀年程には理想国家とは
見なしていない。やはり楚が中華から離れた蛮族扱いだった事と関係あるかな?
0466世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/07(火) 18:25:45.870
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
2、逸周書
3、秦記(呂氏春秋)
4、晋乗
5、楚梼杌(容成氏)
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(詳細不明)

平勢氏は楚梼杌(容成氏)の事は知らないのかな?あの人は春秋系を重視しすぎる気がする。
あと全部春秋が起源で他の歴史書に書かれている事は基本的に全部同じとか言う説も平勢氏じゃなかったかもしれないけど
聞いたな。「秦記、晋乗、楚梼杌(容成氏)も全部春秋と同じでただのコピペでしか無く
秦春秋、晋春秋、楚春秋が正しい名前」だと言う説を。
でも個人的には全ての歴史書の起源が春秋で後は全てコピーと言うのは賛同しかねるね。儒家は春秋を絶対視しているけど。
竹書紀年も容成氏(おそらくこれが楚梼杌で炭素年代測定法で年代は測定済み)も明らかに儒教精神に反するような事柄が
書かれている。間違いなく春秋系の歴史書じゃ無い。
0467世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/07(火) 18:48:05.470
自分が昔読んだ本では
「魯春秋春・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
が真の名前で、逸周書、秦記、晋乗、楚梼杌は後世の人間が勝手に付けた名前に過ぎない。
内容はすべて春秋と同じであり、別の物では無い」と言っている学者が居たのを覚えている。
あまりにも春秋だけを絶対視しすぎる気がしてならない。
楚梼杌(容成氏)なんか夏も殷も強大な国であったが、春秋の言うような聖王が建国した理想国家では無い事が
書かれている。
0468世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/07(火) 23:43:48.940
楚は華夏の外の国だから夏・殷・周を強国で文化も優れた存在と認めつつも、絶対視は
しない。華夷秩序の外だと自ら認識していたし、中原の王朝もそう思っていた。
だから楚の歴史書は夏の記述も儒教フィルターがかかっていない。春秋コピペと言う事はあり得ない。
ただ文化が優れていた事を認めており、積極的に周王朝から文化を学び楚は楚文字とでも言うべき
独自の漢字を発展させてその思想も多く書き記した。
多分戦国七雄の中で一番漢字が普及して居た国だろう。焚書を免れた書物の多くは楚の遺跡から発見されている。
あまりにも膨大ゆえに、偽物も多いが近年の炭素年代測定法で後世の唐や宋の時代に楚の物であると捏造された楚簡は現在では排除されている。
0471世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/08(水) 11:56:59.460
>>469
平勢って孔子と孔子が書いたとされる?春秋を絶対視して崇拝しているよな。
他の国が書いた歴史書は全部春秋のパクリコピペでしか無いとか・・・
上にあがっている魏の竹書紀年は春秋と別物だし、平勢は楚の容成氏をなぜか
無視しているし。春秋と食い違うから軽視してんのかな?
容成氏や竹書紀年では益が啓に自ら王位を譲ったと言う春秋に対して、啓は益を攻め滅ぼして世襲王朝を作ったと書いてあるし
成湯の事もかなりの野心家として書かれている。策略をめぐらして商より巨大な夏を滅ぼしたと。
聖人君主の代名詞みたいな記述の春秋の方こそ儒教のあるべき姿として脚色したんじゃないかと思うな。
0472世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/08(水) 12:20:44.030
>>470
まだ全てが公開されたわけじゃないけど竹書紀年に良く似た内容らしいね。
全公開はおそらく2014年ぐらいになる様子。

北宋時代から古文尚書の一部は偽造であると言われており、昔の学者たちが偽物であると
断定した物があったが、近代になって「いやいやヤッパリ本物では?」と言う学者が現れ
賛否両論だったが。清華簡のおかげで確かに北宋の学者の言うように偽物である事が判明したみたい。
0473世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/08(水) 23:02:12.920
平勢隆郎は
岩波『春秋左氏伝』のおかげで研究進んだとか迷言が多いし、
漢文読めないことでも定評がある。
ttp://www.amazon.co.jp/review/R14DEYA6SG5833/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R14DEYA6SG5833
ttp://www.logsoku.com/r/whis/1123502212/
その学説もあまりまともに相手されてないから安心しろ。
0474世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/09(木) 12:21:31.170
>>473
清華簡の記述が春秋と異なっても、春秋の方が正しいといいだしそうだな。
清華簡に関しては今の所何も語っていないけど2014年ごろに完全公開された後の
コメントが楽しみだ。それにしても平勢隆郎は夏王朝にはかなり否定的だったな。
春秋以前の西周中期には夏王朝の事が金石文に書かれているのに。
孔子が生まれるよりも200年以上も前の物に桀と夏王朝の話は既に出ている。
0475世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/09(木) 14:59:22.220
話が出てるから実在するんならアトランティスも実在するのか?
0476世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/09(木) 18:54:45.760
>>475
アトランティスは文字資料自体が少ないし、それらしい遺跡すら発見されていない
檀君神話とかシュメール以前のメソポタミア文明の1万歳の王様とかそんなレベル。
中国で言えば三皇が実在すると真顔で言うようなものだ。
0477世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/09(木) 18:58:54.450
夏王朝はせいぜい邪馬台国レベルの物だ。あっただろうしそれらしい遺跡も見つかっている。
だがそれを確実に証明するとまでは行かない。纒向遺跡や二里頭遺跡は見つかっている。
アトランティスはそれらしい遺跡すら見つかっていない。
先日発見された大西洋の大陸が見つかったけど、アレは元陸地だっただけで遺跡があったわけじゃない。
もし遺跡があったら夏王朝や邪馬台国レベルとみなしてよい
0478世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/09(木) 19:29:52.470
アトランティスはクレタ文明が伝説化されたものだと思うが
0481世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/13(月) 01:27:42.220
中国人は周辺民族を飲み込んできたことを誇りとしてるくらいなんだがなぁ。
0483世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/13(月) 11:34:37.840
>>478
それで間違いないよな。実際にクレタのミノア文明は火山の噴火で大打撃を
受けた後でギリシャ本土から別の民族(純粋ギリシャ人?)が攻めてきて滅ぼされたんだから
0484世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/13(月) 20:42:14.690
>>479
それ二系統の学者用意し中国当局は否定に動きかけたが足踏みしてるな中華民族への戦略的なながれだ。大和民族真似た漢民族でヘマこいたから必然な流れなんだがw本来の血統論は裏に潜んでる。
0487世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/19(日) 23:25:40.840
まだわからんのかw

生半可な知識蓄えた奴用の学者と民間伝承の身体の特徴で龍の子孫だ演ってる連中用の学者両系統の学者揃え漢民族否定に動きかけたが反発くらい控えたが「中華民族の偉大復興」っつう中身の無い看板だけ挙げた。

民族は政治センズリの結果だ本来の血統論は羊と貝龍の子孫信仰だどっちにしろ修正し真実を曝す方向に動く
0490世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/20(月) 00:02:58.890
民衆に漢民族センズリ演られると中共が困るのよ。民衆の反発で足踏みしてるがこれは俺ん処は助かる。中華民族のタガは看板として嵌めてるがな琉球どうのに踏み込む事になる。
0491世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/20(月) 23:11:27.670
《大紀元時報》も日本国内に来るとカルト宗教だからなー
大陸中国を敵としていれば、台湾のどこかの勢力と共闘するのかといえば違うし
日本人や華人や在日華僑とも利害関係が一致しない。

>>487とか>>490って、《大紀元時報》だろ?w
0492世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/22(水) 07:38:37.120
古代中国の夏・殷は私たちの歴史、漢字は東夷族が作った文(契)〜陳泰夏、仁済大客員教授

1.黄河文明の主役は東夷族
私たち韓民族の発祥地は松花江と遼河を中心に満州野原に雄拠した狩猟騎馬民族として鴨緑江
と豆満江を越え韓半島で南下する前にすでに黄河流域に進出して世界4大文明発祥地の一つで
ある黄河文明を形成するのに主導的な役割をした民族であることを明らかにしなければ、私たち
韓民族の古代史を正しく明らかにはできない。

中国の史学界でもこれまで新しく出土した遺跡を通じて黄河地域の古代文物より遼河地域の古代
文物がさらに発達していたと考証している。これで遼河側の私たちの先祖である東夷族の文明が
黄河側に南下したことが分かる。黄河流域に住んだいわゆる本来の漢族は農耕民族として北側
から南下する騎馬民族の東夷族に押され南に追われて今日の中国の南方と東南アジア一帯に
居住し今は55族の少数民族の一つの客家族というものだ。客家族は今でも自分たちが純粋漢族
だと叫んでいる。

従って黄河文明の主役は漢族ではなく、東夷族であることは中国史学界ではすでに公認された事
実だ。まだ私たちの史学界では黄河文明は漢族が作った文明と一般的に認識しているのは非常
に残念なことだ。今でも私たちは過去の誤った我が韓民族の歴史を一つ一つ正しく探して整理し、
確固たる民族史観と民族精気を確立しなければならない。

2.檀君より先んじた蚩尤天王
(中略)
0493世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/22(水) 07:40:59.320
3.漢字は東夷族が創造
中国の文字学者李敬斎は「…在武功方面、諸夏雖獲勝利、而在文化方面則同化於東夷矣.…夫
東夷果何等人耶.乃ト悌慈祥、薄武力而崇芸術之人也.其代表人物如舜(孟子曰舜、東夷之人也).
至仁至孝、能使人譲以天下、而以復以天下譲人、真古今中外無比至聖也.…可見我国文字東夷
人亦多所創造、而為契所推広因以造字之功帰之契.如将東土西土古文略一比較、即東夷対於
文字之智慧優於西夏、東夷人既握有教育権、故諸夏尽受東夷之文化。」(武功方面で諸夏がたと
え勝利を得たが文化方面では東夷に同化された。…そもそも東夷とは果たしていかなる人々なの
か。すなわち和睦キメ細かくて、武力よりは芸術を崇める人々だった。その代表的人物を聞けば
舜だ。(孟子は舜を東夷人だと言った)至仁至孝にして、他人に天下を譲位し、天下をまた他人に
譲位することは真に古今中外に他にない極めて聖らしいことである。(中略)私たちの中国文字は
東夷人がみな創造したものといえ、契が広く普及したので造字の球が契に帰すことになったのだ。
東土と西土の古文を概略比較してみれば、すなわち東夷が文字の知恵については西夏より優秀
で、東夷人が先に教育権を掌握したので諸夏が全部東夷の文化を受け入れた。)(整理文化中途
自述)と論及した通り中国文化の根源は東夷文化で成したことが分かる。ここでより一層重要なの
は中国文化の根幹をなすいわゆる漢字を本来、東夷族が創造したということだ。この事実は今後、
私たちの韓民族の古代史を正しく究明するのに非常に貴重な資料だ。
0494世界@名無史さん
垢版 |
2013/05/22(水) 07:42:09.010
4.夏国を東夷族がたてたと見る証拠
漢字は東夷族が創造したという学説を土台にしていかなる字が東夷族によって作られたかを具体
的に考証してみようと思う。一般的に中国最初の王朝の「夏」に対し文字学的に調べれば次のよう
だ。殷代の甲骨文で「夏」の字形を探してみれば派手な姿をした対人の姿を描き「大きい」の意を
現わしたものだ。(中略:夏の字の変遷)「夏」の字形は甲骨文から楷書体に至るまで多く変わった
が、字音は「ハ(ha)」として反切音の「胡駕切」と見る時、上告音がそのまま維持されていることが
分かる。しかし中国では現在[shiah]と音が変化して使われている。韓国語では「ハ(ha)」が大きい、
またはマンタの意味で昔から現在まで使われている。

‘大きい’という意味で国を建てるなら「ハ(ha)」を昔から‘大きい’の意味で使っている民族がたて
たことは疑問の余地がない。また「夏」の字形を作ったのも「ハ(ha)」(大きい)という言葉を持ってい
る民族が作ったのも問わずして知ることだ。その民族がすなわち私たちの先祖の東夷族ならどれ
ほど誇らしいことなのか。中国史学者らの考証によれば夏と商これら全て黄河北側の北方族すな
わち東夷族によって樹立された国々だ。

しかしはるか時代がすぎて指南により主客が転倒し私たち韓国人自らも「夏」は中国最初の国名
と認識していることは無知の招いた結果で己の国の古代史を失ってしまったのだ。
0496世界@名無史さん
垢版 |
2013/06/17(月) 07:58:40.160
中華文明の象徴たる「竜」が紅山文化由来っぽいし
本来の漢民族の源流は黄河流域じゃなくて遼河文明だろ
0497世界@名無史さん
垢版 |
2013/08/03(土) NY:AN:NY.ANP
ところで南門のすぐ近くに回廊で囲んだ広大な広間があり
その奥に王が座る正殿がある構造って
本当に二里頭遺跡が初めてなのかな

そして殷、周、秦、漢の宮殿もこの構造だったの?
0498世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/18(火) 13:16:19.020
商は前の王朝(夏?)の宮殿をしばらく再利用していたらしい
0499世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/19(水) 10:05:38.440
>>459>>460>>464
中国人の94%が夏族を自称し、漢族が苗族に近い華中の少数民族にされてる可能性も高いわな。
0500世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/19(水) 10:14:08.34O
(´-`).。oO(自尊心をクスグル悠久なる中華文明なんだろう…)
0501世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/19(水) 11:28:08.390
もし項羽が勝ってたら
いま我らは漢字ではなく楚字を使ってただろう
0502世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/20(木) 00:59:40.170
項羽の認識では、
楚は夏殷周に続く、
中原の正統王朝だったのではなかろうか
0503世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/20(木) 01:07:33.600
いや、さすがにどんな拡大解釈しようと楚を中原とは思えないだろう
0504世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/20(木) 01:14:54.110
楚の首都だった陳は中原だし、
項羽の出身地もかなり中原に近いから大丈夫じゃないだろうか
0505世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/20(木) 22:28:48.620
楚の国と言えばタイ系語族だったらしいが
0506世界@名無史さん
垢版 |
2014/03/20(木) 22:51:10.650
楚も歴史が進むにつれ、
中原との交流が増えていったからでは
0510世界@名無史さん
垢版 |
2014/04/07(月) 21:49:31.050
楚は中原の文化を大々的に取り入れて漢字も大量に書き残している。
おかげで戦国時代の文字の遺物は楚の物が最も多い
結構中原を尊敬していたのは間違いない
0511世界@名無史さん
垢版 |
2014/04/10(木) 20:49:51.660
ひろゆきの関わる関連事業が2chから弾き出されてひろゆき激怒
ひろゆきは2chが乗っ取られたと主張しているが2chの管理者は否定している

ひろゆきは自身の養分サービスを復活させるため、新たに2chを作るらしい
一方で、各板の転載禁止が増えたことを受けて、アフィブロガー達がおーぷん2chをプッシュし始めてる

そのため、本家2ch、ひろゆき2ch、養分2chに分裂する動きがあります
0512世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/01(木) 15:39:19.540
>>509
現代人が科学を信じてるのと同じでしょ
0513世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/01(木) 16:43:14.130
科学は結果を出しているからなー。ちょい違うんじゃないの?

占いは色々結果を心の中で捏造したり、外れたりするような都合の悪いことを忘れたり、曖昧な表現を
勝手に補完しないとちょいダメダメだよね。
0515世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/02(金) 21:16:43.830
>>513
結果を出してるかどうか本当に知ってるのは一部の専門的な科学者だけだ
民衆はただそう思ってるだけにすぎない
現代の科学者ってのは古代の神官たちと同じなんだよ社会学的な役割は
0516世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/02(金) 21:29:06.120
>>515
一般人が科学の成果をいちいち検証したりしないだろう
でもやろうと思えばできるんだよ

たとえば惑星の軌道を計算して検証してみることは
いま俺の目の前にあるPCでもできるし、そのためのソフトだって出回ってる
俺はそんなことしたことないけど、世の中にはそれをやる物好きも何千人だか何万人だか居るんだ
そうでなきゃそのためのソフトが出回ったりしない
0517世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/04(日) 01:53:18.240
>>516
なんの反証にもなってないね
古代人だろうが現代人だろうが占いぐらいできるし、
「わー、やっぱ星占いって当たるんだ、すごーい」っていってるアホは無数にいる
ちょうどおまえが「惑星の軌道計算したったw(キリッ」って言ってるのと何も変わらんわ
0518世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/04(日) 02:38:19.700
でも、検証可能性は担保されているよね。昔は、全く担保されていなかった。

こいつは大きな違いだ。
0519世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/04(日) 15:31:36.030
自分で検証してその真実性を確認したら
それは「知っている」であって「信じている」にならないのでは?

まあ、ここまで来たら言葉遊びの領域だけど
0520世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/06(火) 01:54:14.910
中華王朝には、王朝が制作した暦の正確さを万人が検証する機会として
日食月食の予言を重視する伝統があった。
0521世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/06(火) 03:05:20.140
「組織のトップ」と「女性」は占いが好き、って最近の何かの本にあったね。
俺も、知り合いの事務所経営してる人が、理系なのに神頼みモードになっててびっくりしたことがあったわ。
昔の王様も、責任と孤独の中で、占いでも何でもすがりたかったんだろうね。
俺みたいなリーマンには理解できない境地だけど。
0523世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/06(火) 15:33:03.880
合理的に考えても結論を出せなければ、占いにすがりたくもないよね。

逆に信心深いはずの古代中毒でも、春秋左氏伝に
「合理的に結論出てるんだから占い不要!」と言い切る話が出てきたりするけど。
0525世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/08(木) 00:30:49.530
>>523-524
そこは古代っつっても長いわけで変化があるでしょう
神々を祀ることにあけくれてた殷の時代と
春秋戦国の気風をごっちゃに言っても意味ないと思う
0526世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/08(木) 01:56:15.190
>>525
ところが、殷の時代の王も結構現実的な判断をしていたと思うんだよ。

というのも、殷の卜占ってのは、
卜師が具体的な提案を書き記した上で祖霊にお伺いを建てるというもの。
つまり、王が特定の案件を意図的に卜占のリストから外してしまえば
その案件は占われることはなく、占いの結果として採用される事もない。
当然、こういう仕組みを利用して我意を通していた王はいただろう。

そして、そのような事情があっても後々に語り継がれることは稀だし、
甲骨文字に証拠は残らないというわけさ。
0527世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/08(木) 02:05:21.740
>>526
そんなの王にも自由裁量の余地があって
神の奴隷ではなかったってことにすぎないんじゃないの?
占いってのは一から十まであらゆることを聞くんじゃなくて
聞きたいこと(人智の及ばないこと)を聞くんだから。当たり前だけど。
0528世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/08(木) 12:54:13.390
そう。例えば戦争するべきかどうかと尋ねるんじゃなくて、
戦争する為にこの日に出陣するのは吉か凶かと尋ねる。
凶と出たら別の日にちで占うという事を吉が出るまで繰り返す。
戦争するかどうかは王の判断。
0529世界@名無史さん
垢版 |
2014/05/14(水) 04:25:41.850
夏=忠、殷=敬、周=文。
0531世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/15(日) 13:24:58.500
巴蜀文字は明らかに記号の域を超えている。確実に漢字以外の文字だ。
だが未解読なのが残念。インダス文字とともに解読が待たれる。
インダス文字との関係も気になるしね
0532世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/15(日) 23:09:10.790
普通に内陸チャイナのナシ・トンパ文字やリス文字の系統だと思うよ。
0533世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/16(月) 20:46:50.900
トンパ文字は7世紀ぐらいに誕生したらしいが、何らかの影響は受けているかもしれない。
当時まだ巴蜀文字の痕跡は残ってたかもしれないし。
トンパ文字との比較で何とか解読できないものか・・・・
0534世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/20(金) 21:17:39.190
http://www.geocities.jp/haruhara1658/china8.htm
巴蜀王朝よりも更に南には現雲南省にある昆明文化があった。
この昆明文化から南西に向かえばガンジス川に到達する
インド最古の民族と言われるムンダ人やドラビダ人が住む地だ。交流は先秦時代より
あったのだろう。昆明文化の地に強大な権力を持った王は居そうにないけど
何らかの権力者は居ただろう。昆明に明確な王が出現したのは戦国時代になってから。
インダス文明の末裔とされるムンダ人やドラビダ人と昆明の関係が気になる。
巴蜀は分からないけど昆明は確実にインド文明と関係が深そう。
0535世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/20(金) 21:19:45.740
蜀=成都、巴=重慶
この二つは割かし近くのちに合併して巴蜀王朝を作ったが、昆明は離れすぎていて
別の文明である。インド系の住民が住んでたかもしれないと思う。
0536世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/20(金) 21:51:33.460
インドと雲南の間には、虎が出るから、容易に行き来できなかったよ。
ミャンマーに入ったら、イラワジ川下ってパテインに出て沿岸回っていただろうよ。
11世紀以前のミャンマーには、クメール系の住民がいて、パガン朝ぐらいまでは
クメール系の言語も使われていた。

ムンダ系の言語は、クメール系の言語は近いので
東南アジア研究では、古代の住民についてクメールがキーになるといわれとるよ。
0537世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/21(土) 11:58:07.140
蜀(成都)と周(長安)より
蜀(成都)と雲南(昆明)の方が距離が離れている。蜀の事は殷の頃から知られているけど
昆明なんて中原の連中は認識して居なかったと思われる。
広義の意味では当時の雲南は中華文明から外れているね(蜀はギリ中華文明)、今は違うけどさ
0538世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/21(土) 18:18:32.640
13世紀の時点で、ベトナム・高麗より漢化されてないだろ雲南は
0539世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/21(土) 18:24:11.430
百越(南越)が漢化されるのは秦から始まり、前漢で完了
西隣の夜郎が前漢で漢化が完了
更に西隣の雲南は明の時代に漢化が完了
0540世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/22(日) 20:35:32.820
雲南は制圧→反乱→独立→制圧→反乱→独立→制圧
を秦〜明まで繰り返していて。漢化が完全になるのは明から
秦や漢も支配下には置いているけど末期には反乱起こされて独立される。
春秋戦国時代にも楚に攻められている。
司馬遷も若い頃に昆明や大理と言った雲南奥地まで従軍して居て直にその地を見聞きしている。
おかげで史記では中華圏から微妙に離れているにもかかわらず雲南の異民族に異常に詳しく書かれている。
匈奴とか鮮卑とかの北方民族よりも遥かに詳しい。直接自分の目で見たのと他人から聞いたのとでは
違うわけだ。
0541世界@名無史さん
垢版 |
2014/06/22(日) 21:37:55.420
つーか、南詔国と唐、大理国と宋の間で盟約があったはず。
大理国と宋のは石碑はないが公文書上に残っている。
宋揮玉斧 http://www.zwbk.org/MyLemmaShow.aspx?zh=zh-tw&;lid=202916

元朝以降になると大理国の領地は、地方の県城単位ぐらいに、土司や土官といった世襲の領主に自治させるようになり
清朝になると宣撫使という世襲官の制度に引き継がれる。
共通文書として漢字が流通するのは、元朝以降という。
規模の大きい土司・宣撫使は、麗江のチベット系木氏や洪景のタイ系刀氏など。

明や清の時代の宣撫使は、冊封とは違っていて、世襲であっても任官の形をとり、雲貴総督の支配下という扱い。
領主同士の争いは結構起こっている。
0542世界@名無史さん
垢版 |
2014/08/30(土) 00:36:49.110
http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082901002218.html
中国で西周時代の都市発見か 長江文明の解明期待

【北京共同】中国四川省広元市で29日までに、
西周時代(紀元前1050年ごろ―同771年)の都市とみられる遺跡が見つかった。
四川地方では近年、長江(揚子江)流域で栄えた文明の多様性を示す遺跡発掘が続いており、
今回の発見にも古代中国の謎を解く手掛かりが期待されている。

古代都市の遺跡は長方形で約5万平方メートル。
中国メディアによると、四川地方で西周時代の都市の遺跡が見つかるのは初めてという。
四川省文物考古研究所が7〜8月にかけて地質調査などを行い、43カ所で都市や墓群などの遺跡を発見した。

2014/08/29 19:56 【共同通信】
0543世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/06(土) 17:06:06.540
>>531
画像を見ると似ていると受け取ったんだけど。
0545世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/07(日) 08:00:09.45O
ネットで見る殷や周の文字と似ているから全く別だとは言えないと思う
0546世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/07(日) 19:02:48.460
夏ってさ
どうやったら王朝として存在していたことを証明できるんだ?
文字まだないだろ
0547世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/07(日) 20:02:25.900
字は有るかもしれないし無いかもしれない
もし有ったとしても現代の字とは全然違うはずだし
現代の言語とは全く違う言語で解読は困難だろう
0548世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/07(日) 23:20:29.810
文字が無い頃の大和政権とか邪馬台国みたいな感じで証明する?
0549世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/07(日) 23:43:01.200
第三者の記録という手がかりがあるとないとじゃ、大違いなんじゃねーの
0550世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/08(月) 00:03:12.030
敦煌莫高窟の西夏文書みたいな「ロゼッタストーン」がないと解読できんでしょ
0551世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/10(水) 12:18:23.230
それより現行の甲骨文字より一段古い漢字を探すのが先だね。
0552世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/10(水) 18:14:41.35O
そう、問題なのは同じ内容の分かる文章と併記されないと解読できないこと
0553世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/10(水) 22:25:31.480
夏文字・シュメール語のロゼットストーンなんて出土しないかなw
0554世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/10(水) 23:19:04.260
絵付きで字を教えるのが発見されればあるいは
0555世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/11(木) 02:43:27.080
甲骨文字以前の文字は文字なのかどうかよくわからんって事じゃなかったのか?
0556世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/11(木) 18:12:04.04O
文字は表音でも表意でも元々は絵からだよね
0557世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/13(土) 17:54:16.510
畑作の北の民が遊牧民と混淆、水田耕作の南の民を征服

「長江中流域にB.C.14000頃に稲作を行っていたとされる遺跡が発見されました。
これまでは、中国の最古の文明は、黄河流域と考えられており、 また世界的に見ても小麦農業は
B.C.12000頃に始まったとされているので、長江の稲作農業は世界最古と考えられるようになりました。
中国の古代文明は黄河一極ではなく、少なくとも二元的あるいは多元的な起源があると考えなくては
ならないようになったのです。・・・

長江流域では、多くの余剰を持つ者と持たない者との貧富の差は広がり、富を持つ者は自らの財産を
守る必要性がでてきました。 そこで城壁都市が発生したのです。・・・これは、富の争奪が激しい戦争
が行われるようになったことを意味しています。・・・

さて、B.C.2000頃は夏王朝が勃興したとされています。古代の聖王堯・舜・禹はしばしば南征を行い
ましたが、 この神話は実際の勢力争いを反映していると考えられます。すなわち、・・・黄河文明圏
勢力と争い、・・・長江文明は衰退したのです。しかしその文化は確実に黄河文明に引き継がれました。」
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/point39.html
0558世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/13(土) 18:00:16.220
>>557

稲作地域出身の人々は小麦生産地域出身の人々に比べ、考え方が相互依存的で全体の和を重んじる
という科学的知見や、遊牧民のリーダーを選挙で選ぶという民主主義的側面ないし民本主義的側面、
更には、南は水田耕作文化で北は畑作文化と遊牧文化の複合体という実態、等を踏まえれば、
南の人民は人間主義的で北は非人間主義的であったのに対し、南の支配者に比して北の支配者は、
より民主主義的でかつ民本主義的であった、と考えたいところです。

遊牧民系である鮮卑系たる唐の2代目の太宗と、女真たる清の2代目の康煕帝が稀代の名君であった
とされてきたことは偶然とは思われません。支那には真に民本主義的な統治を行った皇帝が少なく、
しかも、その少ない代表例が2人とも遊牧民系の王朝の初期の皇帝であったわけです。

さて、この両者のそれぞれの長所は相互に打ち消し合い、短所は相乗的に増幅された形で、統一支那
文明が形成された、と私は見ています。

すなわち、北の支配層は、北の支配層間にその痕跡が残っていた可能性がある広義の選挙制に、
新たに隷属させた南の旧支配層を参加させないためにも、選挙制の痕跡を払拭するとともに、
北の人民に対する民本主義的統治を、信頼関係の全くない南の人民(及び旧支配層)に及ぼす
必要性を認めず、実質的に止めてしまい、形式的には引き続き民本主義的統治を標榜しつつも、
それを叛乱を生起させないギリギリの範囲で搾取を続ける統治へと堕してしまった、と見るわけです。

そして、南の人民は、かつては北の人民に比して、より人間主義的であったがゆえに、水田耕作に
よって生じた余剰を巡っての争いに関しても、一族郎党が集住する環濠集落を本格的な都市国家へ、
そして更には領域国家へと拡大強化するまでもなく対処が可能であったことから、人間主義が一族
郎党を超える域まで達しないうちに、南における寒冷化による米収量の減少も与って、北の諸国
更には北の統一国家によって個別に次々と征服されてしまい、人間主義未満の一族郎党命主義が
北の人民の非人間主義、すなわち利己主義と混淆し、利己主義/一族郎党命主義をエートスとする
統一支那文明が形成された、と見るわけです。
0560世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/13(土) 22:23:54.60O
清は幸せな社会だったとは思えない。
0561世界@名無史さん
垢版 |
2014/10/12(日) 17:17:25.860
昨日、母校の研究室行ったんです。研究室。
そしたらなんか学生がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか就職した同期が座ってて、就職したけど
博士号が取りたくて、退職して院生になった
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、人文系博士号如きで会社辞めて研究室に戻ってに来てんじゃねーよ、ボケが。
人文系博士号だよ、人文系。
なんか嫁も子供とかもいるらしいし。一家4人で無職生活か。おめでてーな。
よーしパパ塾講師のバイト行っちゃうじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、博士号やるからその就職しろとと。
研究室ってのはな、もっとはつらつとしてるべきなんだよ。
テーブルの向かいに座った女といつ恋愛が始まってもおかしくない、
恋するか恋されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。30過ぎのおっさんは、すっこんでろ。
で、やっと35にして博士号が取れたと思ったら、その後の消息が不明なんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、博士号持ってる新卒なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「私は博士号を持っています」だ。
お前は本当に博士号を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、就職したけど、プライドだけが高くて、社会に順応できなかっただけちゃうんかと。
行方不明博士通の俺から言わせてもらえば今、行方不明博士通の間での最新流行はやっぱり、
同窓生名簿に40近くになっても院生、これだね。
卒業生名簿就職先が空欄。これが通の博士号の取り方。
博士号取得まではにそいつの名前でグーグルで検索すると入ってる。そん代わり35過ぎて博士号取得後は検索0。これ。
で、「あのひと検索」のはずが、いつの間にか「あのひとは今」状態。これ最強。
しかしこれを書くとと次から「留学して日本にいないから」噂を意図的に流されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、まじめに就職でもしてなさいってこった。
0562世界@名無史さん
垢版 |
2014/11/01(土) 19:44:48.640
>>530
甲骨文字に似ているようですが、未解読文字なのね
前漢時代既に蜀の文字は当時の学者たちも読めなかったみたいだし(戦国七雄の文字は読めた)
蜀を支配した秦人が蜀人の文字の矯正を強引に進めた結果だ
ロゼッタストーンの発見が期待される
0564世界@名無史さん
垢版 |
2014/11/03(月) 21:06:06.390
夏文字?から発展したのが甲骨文字だとする、巴蜀文字も同じく夏文字?から発展したと
考えるといいかも?
夏文字?→甲骨文字→金文→秦文字・燕文字・楚文字・晋文字・斉文字(戦国七雄の文字を便宜上の名)
夏文字?→巴蜀文字

甲骨文字から巴蜀文字が発生したなら秦や漢の学者が巴蜀文字を読めないのはおかしい
彼らは秦文字以外の戦国六国の文字も全部読めたのだから。
巴蜀文字は甲骨文字の子では無く兄弟であるならつじつまは合うな。
見比べてみるとヒエログリフとか楔形文字とかとは違って、だいぶ近い
でもまあそれでも未解読なのは甲骨文字が起源じゃないからだろう
0565世界@名無史さん
垢版 |
2014/11/09(日) 20:42:07.700
秦恵文王
巴蜀

秦昭襄王
鄭、西周

始皇帝
東周(東周公)、韓、趙、魏、楚、燕、斉、百越、匈奴

漢武帝
匈奴、大宛、衛氏朝鮮、ビン越、百越、テン、キョウト、夜郎、昆明族、且蘭、筰、徙、ゼンボウ

後漢明帝
哀牢、鹿タ

滅ぼした、又は服属させた国或は部族
始皇帝と漢武帝が抜きんでている。これが後の漢族の真の領域になるわけだ。
何度か分裂・独立したりもしたが、明の時代に漢族の版図はこれで確定した。
0568世界@名無史さん
垢版 |
2014/11/11(火) 19:49:13.250
あほか、三代や秦漢の話で、ウイグルだのモンゴルだのいう単語が出てくるほうが時代錯誤だわ。
どこまで現代に毒された頭で歴史を解釈してるんだ。
0569世界@名無史さん
垢版 |
2015/01/26(月) 11:24:25.540
https://www.youtube.com/watch?v=u-6cQE4YTLs nyu-youku wai-kikihotelヨーフォーピクシイリストラクチャリング作画光金



PEPSI LIVE(raji王合成写真デジタルカメラ信者不可マイクMIKE携帯吸収合併モーガン決算モーガンマイクCD下請け
0570世界@名無史さん
垢版 |
2015/02/24(火) 00:25:36.620
>>39
犬戎ってチベットビルマ系が起源?って書いてある書物もあるし、
のちの匈奴の源流じゃないかと書いてある資料もある
(この場合、淳維、鬼方、けん允、葷粥なども匈奴ひいてはフンの源流としてる場合が多い)
どっちなんだろ
0572世界@名無史さん
垢版 |
2015/04/02(木) 16:14:51.330
英語の文献の充実ぶりは素晴らしい。
日本語だと犬戎やケン允などに言及した資料はほんと少ない、、、
匈奴、鮮卑より後ならそこそこ増えてくるけど。
0573世界@名無史さん
垢版 |
2015/04/06(月) 00:12:14.190
中国の全土を覆い尽くした大洪水ってノアのヤツと同時代?
0574世界@名無史さん
垢版 |
2015/04/06(月) 11:58:24.470
堯舜禹の時代の洪水は紀元前21世紀ぐらいなので
ヘブライ語版聖書でのノアの洪水より200年ばかり後になる
七十人訳聖書では洪水の年代を1000年ほど遡らせているので
ノアの洪水は伏羲の頃ではないかとも云われた
0575世界@名無史さん
垢版 |
2015/04/06(月) 13:45:15.790
西周末期の紀元前780年頃に、中国でかなりの大地震があったようだな
犬戎がヒャッハーする直前期
0576世界@名無史さん
垢版 |
2015/04/06(月) 21:04:46.060
ノアの洪水が前2300年くらいなの?
0579世界@名無史さん
垢版 |
2015/05/10(日) 17:31:01.330
幽王は殺されたが、連れ去られた褒姒は犬戎の野蛮な兵どもにレイプされたんだろうなぁー
0581世界@名無史さん
垢版 |
2015/06/14(日) 17:59:29.310
>>575
天変地異が国を混乱に陥れる、もしくは天下を動かす
昔は結構あったんだろうな
0583世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/08(土) 21:17:30.980
中国にも夏王朝の実在を疑う人が居るんだな。
"伪造夏王朝"で検索すると結構ヒットする。
0584世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/08(土) 22:06:28.750
曖昧な夏に比定しようとするからそういう人もでる、二里頭文化そのものだけで十分
0586世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/09(日) 20:28:37.860
そもそも夏って初期の殷にとっての強敵に過ぎない、
一介の小国の可能性もあるんでしょ?
0587世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/09(日) 21:15:55.360
中国ってアジアの古代国みたいに思われてるけど、中東 インド ギリシャに比べたら浅いよね
0588世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/09(日) 21:33:00.820
西アジアには劣るけど
ギリシャより先行してるっしょ
あっちみたいに海の民みたいな断絶は……
周の東遷があるか

インドはよくわからん
0589世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/09(日) 21:34:45.030
華北に都市っぽいものが現れたのは、龍山文化時代の前2500年ごろかな
中東やインドに比べれば、あきらかに遅いね
クレタ島とギリシャよりは早いと思う、トロイア文化まで含めちゃうなら遅くなるけど
0590世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/10(月) 01:54:39.430
>>582
最近、鬼方や厳允はキンメリア(およびスキタイの一派)なんじゃないかって説も出てきてるようだな
時代的にはあってるのかもしれんが、眉唾物だと思わないか?
0591世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/10(月) 11:09:11.510
>>590
それって時代が合ってる以外に何か根拠あんのん?
0592世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/10(月) 13:35:36.200
>>586
それほど取るに足らない存在だったってことは無いんじゃないかな
王朝はあったかなかったかまだわからないけど
殷文化や周文化とならぶ「夏の文化」と認識されるものはあったみたいだし
0596世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/12(水) 17:07:20.120
>>583
殷・夏の非実在論って元々近世中国の学説だから。

それが日本にも伝搬して大手を振って歩いていたのだけど、
20世紀後半以降、二里頭を始めとした夏代の遺跡が多数出土し、
誤りであることが明らかになったわけで。
0597世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/13(木) 20:02:59.500
>>596
ところが現在の中国サイト上に見られる夏王朝に対する疑念は、
二里頭遺跡もその対象に含んでいる。
0598世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/13(木) 20:59:34.440
実際殷の前の時代だから「夏に相当する」というだけの事で「夏王朝」という程の
実態があったかどうかは怪しいからな。
0599世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/13(木) 22:05:02.130
殷のように文字資料が出て、王統なんかの情報でも得られないと
殷の前の王朝が夏である事の証明にはならんからね。
0600世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/13(木) 22:40:29.660
殷(商)崩壊前は、商行為やそれに携わる人を何と呼んでたのか気になる
0601世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/13(木) 23:08:35.640
夏って文字がなかっただろうに、後世何で夏の字を当てたのかね?
0603665
垢版 |
2015/08/14(金) 00:29:23.380
自称の商と他称の殷に何の関係も無いように
夏だって自称と何の関係も無い他称だろうよ。
0604世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 00:59:55.410
>>599
殷なんて王朝は存在しないぞ
商王朝は存在したけど
0606世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 03:02:25.480
漢族の本来の自称は華だったのかな
夏も同源か。字だけ違うだけで
0607世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 03:06:48.970
華と夏じゃ字が違うだけでなく音も違うんだが
0608世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 03:39:22.920
漢と匈奴は英語にすると Han&Hun でどっちもハンって聞こえるな
発音記号は微妙に違うようだが
0609世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 03:45:55.630
ハンとフンじゃ全然違うだろ
0610世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 10:35:02.630
漢は劉邦が漢王に封じられたからだろ
楚人や秦人や燕人や斉人も漢人になるのは漢帝国ができてからだ
0611世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 11:26:26.150
そうだな。それ以前はヨーロッパみたいにあっちもこっちも異民族だ。
民族という概念は無いけど。
0612世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 14:58:30.090
もし項羽が勝ってたら今我々は漢字ではなく楚字を使ってたはず。
0614世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 15:30:48.050
>>608
漢をHanと読むのは清代以降の北京方言の話では?

古代の漢はHanではなく日本語のカンに近い音だと思うよ
呉音、漢音ともにカンだから唐代辺りはカンと読んでるんだよな
0615世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 16:05:16.740
>>614
漢字古今音資料庫によれば、『漢』中古音の各学者見解は次の通り
B・カールグレン「xan」、董同ワ「xan」、周法高「xan」、李方桂「xa^n」、王力「han」
0616世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 17:14:40.370
>>614 今の北京語同様摩擦の強い音だったのに加え、当時の日本では後にハ行となる子音はφかpで、hの音はなかったからじゃないの
0617世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/14(金) 17:42:43.110
>>614
当時の日本語では「ハ」は「PA」と発音してたから「HA」は「カ」と印写してた。
つまり呉音だろうが漢音だろうが当時の日本人が「HA」を発音できなかったが故の代用であって
それが当時の字音だと思ったら大間違い。

昔は「ハ」が「PA」だったという日本語史の基礎知識すらない癖に
過去の字音について論評するというのはいかがなものか。
0620世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/15(土) 05:01:51.530
>>618
英語でなくても「楚」の音は「CHU」なんだが
なぜわざわざ英語を引き合いに出す?
0621世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/15(土) 12:28:55.470
西欧各国語もCHUが多いな 
ロシア語・ウクライナ語はЧуでやっぱりチュだなw
0622世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/15(土) 22:15:57.300
>>618 広東語あたりから入ったChoにはならないんだな
0623世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/15(土) 22:40:45.110
北京音でCHUなんだから
なにもおかしくないだろ
おそらく中古音も同じ
0625世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/16(日) 01:51:22.750
加齢臭を語るスレはここですか?
0626世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/16(日) 18:43:08.620
>>607
あれ?音は同じだろ?
0628世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/17(月) 05:22:52.720
>>626
夏の音はxia
華の音はhua
0629世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/17(月) 09:37:50.290
Hanの英語音とHunのそれも日本人には区別がなかなか難しい。
日本人の外国語ヒアリング能力はかなり低い。
0632世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/17(月) 18:39:49.520
糞族
0633世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/17(月) 18:41:05.010
>>629
ハンとフンなら明らかに違うだろ阿呆
ハンとフンの区別が難しいってお前はいったいどこの出身だ
0634世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/17(月) 19:13:50.430
お前のようなグックには容易かもしれんなw変な記号いっぱいあるしww
0639世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/20(木) 10:36:28.990
柔然も蒙古語ではニルンだっけか これがアヴァールになるんだから面白い
0640世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/12(土) 02:47:48.910
>>639
もともと別の言葉なんだから
柔然が訛ってアヴァールになったわけじゃない
面白くもなんともないだろうが
0641世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/12(土) 07:14:27.090
英語で柔然はローラン、楼蘭と混同しやすい  場所も近いしw
0642世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/13(日) 02:42:27.970
なあ、何でフン人の遺骨とモンゴル人の遺骨でDNA鑑定しないの?
0643世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/13(日) 15:56:46.630
柔然=Rouran
楼蘭=Loulan

LとRの区別ができればなんてことない
0644世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/13(日) 21:02:12.760
つかここ夏殷周のスレだよね?
脱線しすぎでは。
0645世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/13(日) 22:30:51.670
>>640 アヴァールを音訳したのは烏丸(「からすま」じゃないよ、念のため)らしいな
https://en.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B8#Chinese
丸 wán ‹ hwan › /*ɦʷˤar (< *[ɢ]ʷˤar)/ 烏丸 Wūhuán: Avars (W. Hàn)
0646世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 02:09:34.550
柔然<烏丸(烏桓)<東胡<山戎<屠何=無終
0647世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 02:58:42.850
>>644
東周まで含めていいなら柔然は当時「屠何」または「無終」と呼ばれていた
(「屠何」または「無終」が柔然の先祖)
0648世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 03:58:39.300
山戎って西戎じゃなくて北狄か東夷だよね? 場所からすると
0649世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 10:11:25.110
屠何=トファラルの先祖?
0650世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 10:19:06.520
殷代〜周代にかけての鬼方、犬戎、厳允はのちの匈奴の先祖?
0651世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/14(月) 17:29:29.510
>>648
山戎はチベット系の民族が何かの理由でどうかして
なぜか遼西地方に進出したんだろう。
でも「無終」と音韻的な関係があって戎の字も当て字なら
チベット系も糞もないことになるが
0652世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/15(火) 01:57:29.390
逆に吐谷渾は鮮卑の一派として西蔵方面に移っていったのとは逆だな
北狄→西戎パターン
0653世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/17(木) 23:41:03.870
東夷・北狄・西戎・南蛮という分類自体が、
後世になって四方の代表的な異民族でもって一括りにしたもので、
上古の時代には必ずしも夷狄戎蛮が各方面にいたわけではない。

特に羌姓(後のチベット系)の氏族は春秋初期の頃まで
洛陽から程遠くない中華のど真ん中で遊牧活動を行っていた。
0656世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/18(金) 12:10:58.890
匈奴に追われる前の月氏なんかも最初は結構近くにいたな
0658世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/18(金) 15:48:47.730
月氏はトルコ系→イラン系→トハラ系(が有力) と時代が経つにつれ変わってきてるな
諸説紛々
0659世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 02:29:40.950
テュルク系のときは知らんが、そのあとは言語からのアプローチだよね
大月氏から派生したクシャーン朝でバクトリア語が使われてたからイラン系かと思ったら、
トカラ語を話していた天山南路の都市民が月氏遺民であることが判明して趨勢が変わったと
0660世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 12:38:10.280
甲骨文字に出てくる異民族の兎方の
字面から来るやたら可愛い第一印象
0661世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 13:09:07.600
>>659
月氏はトルコ系じゃなくて印欧語族でしょ
トルコ系だった時っていうのは印欧語に同化されたって意味?
0662世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 16:09:26.250
>>661
> テュルク系(だと見なす説)のときは知らんが、そのあとは・・・・・・

その上のレスからの流れで類推できるだろ
0663世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 21:48:55.800
>>660
そこは甲骨文字で確認しなきゃダメだろう。

と思って甲骨文字見てきたけど、やっぱかわいいな!
0664世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/20(日) 21:43:05.650
月氏って敦煌あたりにいたらしいが遺跡とかないのかよ。
0667世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/15(木) 21:55:35.660
殷が主力を東方に送っていたが、その敵は人方と呼ばれていた。
すると、人というのは元来悪い意味だったのかもしれない。
鬼方もあって、鬼は幽霊のことだというが原語はどうだったのだろう。
0669世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/15(木) 23:19:13.270
甲骨文だと、ちょっと前に臣下だった奴が敵側になった時に、
名前+方で呼ばれてたから、悪い意味なのは「方」なんじゃね
0670世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 00:03:06.980
じゃあ「方」姓って....
0672世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 01:05:11.780
さすがに甲骨文までいくと、字義が変化して久しいものが沢山あるだろ
0673世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 09:42:23.150
鬼方は一連の北方の非華夏遊牧民だよ
で、蛮族視して酷い文字を当ててるのは匈奴や犬戎と同じ
0674世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 20:46:02.690
>>542
亀レスだけどロゼッタストーン的な物が発見されるといいね
巴蜀文字は夏文字の名残と言う説もあるしさ
0675世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 22:32:51.290
>>352で出てるように
中原人の言葉はもともと違う言葉だった可能性はあると思う
中国語はシナチベット語族だというから
周人や羌族によって広まったものでは
0676世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 22:58:48.770
中原は、シナチベットではなく
ミャオヤオやタイカダイだったという説あるわな
0677世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/16(金) 23:04:24.520
中原のすぐ北西までチュルク系遊牧民の領域だったんだよね。
狄、或いはテキ(曜のつくり)とは、チュルクの音訳説もある。
0678世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/17(土) 01:26:08.260
>>669
魍魎の別名に方良と言うのがありますね
北方、南方など他の字が付けば問題ないですが方だけだと鬼方を表すとか
方はまたこの世とあの世の境を表すともいいます
井戸から幽霊がでるのは井戸が方だからだとか

山形県の山形は本来は山方と書いたのですが
字が良くないという事で今の字に変わったそうです
0679世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/17(土) 01:41:57.680
周、秦、漢が結構西よりだからそいつらがシナチベット語族なせいで
今の中国語がそうなのかもしれないね
0681世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/17(土) 08:24:45.510
>>677
西安のすぐ北西に住んでいた犬戎は、
穆王が戦闘後、(監視しやすくするために)都の近くに移住させてきたやつらもいたはず
これは、のちの武帝や曹操などの(南)匈奴に対する移住策とも似てもいる
0682世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/17(土) 14:02:28.870
アナトリアのハッティ絵文字(ヒッタイト象形文字)が西に伝わりクレタ島で線文字Aとなり
東に伝わり甲骨文字と巴蜀文字(夏文字?)に進化した説を唱えてみる
線文字Aと甲骨文字は良く似ているしね
ハッティ絵文字は本当に絵を文字にした感じでこっから甲骨文字や線文字Aに進化したと思いたくなる
0683世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/18(日) 13:30:54.300
鬼方・犬戎といえば土方、犬方、犬夷、昆夷って表記もある
もちろん蛮族視の一環ということで侮蔑的な漢字が充てられた
0684世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/18(日) 15:10:59.310
新羅、辰韓 - Wikipedia

後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝、『晋書』辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、
馬韓はその東の地 .... そこでは国を邦「邦人」「中国、朝鮮では華僑の僑と言う」、弓を弧「括弧」、賊を寇「元寇」、
 
行酒を行觴(酒杯を廻すこと、俺の杯が飲めぬかと)と称し、互いを徒「生徒」と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓 ...
『隋書』は(筑紫国の東、秦王国有り)と・・・
 
0686世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/18(日) 21:25:09.950
方の中で特別なのが人方だと思う
人という字を使って蔑視していない
これの討伐のために主力を東方に送った
0691世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/20(火) 12:40:15.050
>>378
日本も「東海姫氏国」って言われてたからそうかもね。
0694世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/20(火) 14:12:09.310
刺青いれて潜水してんなら呉人の末裔ってことでいいんじゃね?(テキトー
0695世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/20(火) 15:50:30.300
楚人は洞庭湖や呉人は太湖に潜っておったんかのう

古代の倭国では瀬戸内海かのう
0696世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/25(日) 11:03:55.080
奴国の連中が前漢の使者に「呉の太伯の裔」と自称したのが最初だったな
昔から倭国と会稽は紀元前の先秦時代からずっと交流があったからあながち間違いでもなさそうだが
王族の血を引いているかは不明だ
0698世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/08(日) 21:31:12.390
今の中国人って昔の中国人が野蛮人だと見なしていた異民族の子孫だよね
0700世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/08(日) 23:20:51.200
◆台湾人の顔面


淡褐色、広鼻、突顎、タラコ唇


ラオスっぽいような、ポリネシアっぽいような、

つか、ハノイですね〜

実にハノイ!

https://www.youtube.com/watch?v=5bE6lSX4yK0
http://www.ksnews.com.tw/upload/2014-04-20_20b06004_.jpg
http://static.ettoday.net/images/793/d793043.jpg
http://img.chinatimes.com/newsphoto/2015-05-18/656/20150518003862.jpg
https://anntw-prod.s3.amazonaws.com/assets/images/000/001/732/big/HBL.JPG?1385383160
https://i.ytimg.com/vi/9YL_k_JZ_dI/hqdefault.jpg
http://himg2.huanqiu.com/attachment2010/2012/1018/20121018085315314.jpg
http://www.on9g.com/cn/customavatars/66275.jpg
http://himg2.huanqiu.com/attachment2010/2012/1018/20121018085318471.jpg
http://bibibi.info/w/wp-content/uploads/2012/01/20120108-00000521-san-000-0-view.jpg
http://www.ddzuoye.com/upFiles/infoImg/coll/20131024/OT20131024194715542.jpg
http://news.xinhuanet.com/school/2010-03/04/xinsrc_222030704080396881592.jpg
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/95/0000035795/99/img6388079azikazj.jpeg
http://www.cgsh.tc.edu.tw/ezfiles/0/1000/pictures/135/part_1782_1498989_22472.jpg
0701世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/08(日) 23:21:21.850
https://www.youtube.com/watch?v=5bE6lSX4yK0
http://www.ksnews.com.tw/upload/2014-04-20_20b06004_.jpg
http://static.ettoday.net/images/793/d793043.jpg
http://img.chinatimes.com/newsphoto/2015-05-18/656/20150518003862.jpg
https://anntw-prod.s3.amazonaws.com/assets/images/000/001/732/big/HBL.JPG?1385383160
https://i.ytimg.com/vi/9YL_k_JZ_dI/hqdefault.jpg
http://himg2.huanqiu.com/attachment2010/2012/1018/20121018085315314.jpg
http://www.on9g.com/cn/customavatars/66275.jpg
http://himg2.huanqiu.com/attachment2010/2012/1018/20121018085318471.jpg
http://bibibi.info/w/wp-content/uploads/2012/01/20120108-00000521-san-000-0-view.jpg
http://www.ddzuoye.com/upFiles/infoImg/coll/20131024/OT20131024194715542.jpg
http://news.xinhuanet.com/school/2010-03/04/xinsrc_222030704080396881592.jpg
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/95/0000035795/99/img6388079azikazj.jpeg
http://www.cgsh.tc.edu.tw/ezfiles/0/1000/pictures/135/part_1782_1498989_22472.jpg
0704世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/09(月) 13:12:28.090
匈奴や突厥、堅昆などあまたの蛮族が蟠踞してたもんなぁー
0708世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/09(月) 16:41:12.800
しかし煬帝は日本のことを上から目線で見て(倭)蛮族視してたわけだ
0709世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/09(月) 17:24:52.400
やっぱ武川鎮出自だから武力に自信があったのでしょう。
0711世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/09(月) 18:01:50.600
高句麗って今の北朝鮮の版図より全然でかいね 重ね合わせると
今の満洲やロシアの一部も含まれてるじゃん
もしかして失偉などモンゴル系の領域も一部含まれていたのか??
だいぶ夏殷周とはずれちゃったけど
0713世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/09(月) 23:15:52.350
高句麗の北部もやはり蛮族の領域だったな
粛慎、穢貊、沃沮など  かなり古くからいたようだ
0716世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/28(土) 10:22:22.480
一番多くの殉死者を

出したのは

どの王朝ぢや?
0717世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/28(土) 13:41:22.460
歴代中華王朝なら南宋一択間違いなしですな

夏殷周の中だと、記述が少ない夏・最早殉死が時代遅れな周で、殷が最も多い
0720世界@名無史さん
垢版 |
2015/11/29(日) 16:41:27.300
言葉が即時には通じない異民族を殺害してたのは殉死ではなかろ
0721世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 12:38:45.160
夏商(華北閥)→周秦(西北閥)→楚漢(華中閥)
→漢成立以降は華北・西北閥が覇権闘争から脱落し、モンゴル閥と華中閥と東北閥の三つ巴の繰り返し
→北伐でモンゴル・東北閥が覇権闘争から脱落→中国共産党内の華北閥と華中閥の抗争続く
0722世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 13:16:49.120
今の中国の首都が北京である必然性はあまりない
明の首都が南京から北京に変わったのは北京が基盤で南京に基盤がない簒奪者が
「南京大虐殺」で帝位を簒奪して恨みを買ったからだ 
それに対して中国共産党は毛沢東が湖南省出身で上海で結成されたから
別に国民党から共産党に代わっても南京が首都のままでもおかしくない
毛沢東自身の故郷、思想的な原点、師範学校という学びの場はあくまで華中にあった
ただ南京は明初期以外は首都になってない 首都を元明清三代の権威を持つ北京にすることで
毛は皇帝化はしたが、思想的原点は捨てたのではないか 
中国人と人類にとっては毛が一生北京大学の司書補の方が良かったかも知れない
0723世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 13:23:56.900
>>722
ヒトラーが絵描きで、スターリンが靴職人で終わってたらベストだったね
あとカンボジア人にとってはポルポトが農民で終わって欲しかっただろう
ムッソリーニとかは別の職に就いていても政治家になっても大差ないけど
0725世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 14:56:28.350
華南から政権を取った国は無さそうだな
戦国で言う楚より南の勢力が北上して天下統一と言うのは今まで一度もないはず
0726世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 16:32:52.720
華南と西南の勢力はずっとローカルでとどまったな 倭寇は荒らすだけで蒙古みたいな全土制圧は出来てない 
でも阿片戦争と辛亥革命で華南のイメージが変わったかも
0727世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 17:01:38.820
広東出身の洪秀全が広西から北上して、南京まで陥れたのが最大の事例かな?
0728世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 19:16:18.690
毛沢東の戦略は朱徳によるもので
長征で内陸に入って四川まで達したところで
北上して陝西や山西のあたりに籠り力を蓄えることにした。

征服王朝は秦や五胡十六国・南北朝・隋唐といった西北から全土へ展開した。
あの清であっても、河北からではなくオルドス→山西のルートで入ってきた。

歴史を学んでの結果だろう。
0729世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 20:59:43.760
>>725
つ 国民革命
0730世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 21:42:45.490
                イスラム国のテロ ≒ イソロク国の真珠湾テロ



「1572」番 副島隆彦 2015・12・9

後藤健二の奥さんは外務省JICA(ジャイカ)の幹部職員である。つまり夫婦して情報部員である。
通訳や現地ガイド、戦場タクシー運転手という人間たち自身が、ゲリラ活動家たちである。
カネで傭(やと)って味方だと思った彼らに、捕まって連れてゆかれるのだ。

この9月に、700人の対IS用に、ヨルダンと、サウジアラビアの砂漠の中にあるアメリカ空軍の秘密基地(飛行場)で育てた、イラク人とシリア人の傭兵部隊が、
シリアに投入されたとたんに、武器と資金を持ったままISに寝返る、という事件が起きた。これで、アメリカのネオコン派で反共右翼であるペンタゴンの将軍たちは、
自分たちの作戦(軍事政策。現地人を育てて戦わせる。アメリカ兵が死なないで済む)が大失敗して、大恥を書いて、黙りこくった。

すでに、ISの軍事部門と情報部門の極悪人の幹部たちは、強がりを言ってたが、ロシアの猛攻でもう、自分たちが負けると自覚したようだ。
だから自分たちだけさっさと逃げるのだ。あとのISの兵士たちをほったらかしにして。旧日本軍の幹部たちも同じことをした。


広島司令部の畑俊六司令官。こいつだけ民間地帯の広島駅に逃げてて助かった。日本側も原子爆弾投下を事前に知ってたのは明白だね。
https://twitter.com/SyntaxUGS/status/663013454584881153


「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。
0732世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/10(木) 23:28:39.160
>>731
>>729
0733世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/11(金) 19:02:16.200
北朝(曹魏)=中国共産党
南朝(孫呉)=国民党
だとしたら、
鮮卑や烏桓=張学良
象使いとの同盟者孟獲=李宗仁 ぐらいになるのかな?

地政学的には20世紀になっても、三国志時代が通用する不思議さ。
0734世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/11(金) 20:06:27.520
華南つまり昆明とか大理とか雲南省の連中はなまじ暖かくて作物に困らないから
わざわざ北上して天下取ろうとする奴はあまり生まれそうもない
現状維持で十分なんだろう
0735世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/11(金) 20:42:17.710
そういうところは、ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ()
0736世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/12(土) 09:54:54.320
温暖な場所でも、交易路を押さえて贅沢品を得たり、より暖かいところへ奴隷を求めたり
それはそれで欲望が寒冷な地とは違う方向にいくだけで、争いは絶えないのだ。
0737世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/13(日) 03:40:07.840
>>735
>ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ

そんなとこあったか
ラサとか攻め込んだのは中共が初めてだろ
0738世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/13(日) 13:30:48.190
モンゴルとかオイラトとかの勢力がラサに攻め入った例はあるが、
雲南の勢力がラサに攻め入った例はちょっと思いつかない。
雲南は東チベットのカム地方との結びつきは強くて、あのへんは色々あったはず。
0739世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/13(日) 14:32:26.840
西康の土司が連衡してラサと争った例は
ゴンポ・ナムギャル(bo rog mgon po rnam rgyal, 清朝の記録には波日工布朗結)の乱がある。
雲南だと迪慶の勢力もこの乱に加わっている。
0740世界@名無史さん
垢版 |
2015/12/14(月) 22:18:49.860
逆に、吐番が暑い夕クラマカン砂漠の都市国家に侵攻したことはあるな  唐から奪った
0741世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/03(日) 13:53:38.570
吐番って南のインド側にもちょっかい出したこともあったはず
下山するだけで大変なのにw
0742世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/04(月) 16:58:15.210
吐蕃は遊牧民が支配層なので、騎牛できたりして機動力があったよ。
唐の長安に来た時も騎牛部隊が記録されている。
カム地方の住民やアムドの純遊牧民は牛を操るよ。
ネパール側のシェルパも牛を操る。
0745世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/04(月) 22:36:24.940
木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで牛の角に松明をすえつけ、平家軍に突進させた
0749世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 00:47:17.460
人間が思いつくようなことはすでに周代までに書物になっていて、
日本人は唐代にそれと接触したんだろうな
日本人にはもう何も開拓する余地がなかった
0750世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 14:11:18.330
>>746
そろそろスレ名通りにレスの流れを軌道修正したい所だな
明らかに漢より後の話が多すぎるしね
先秦時代が主であるべき
0751世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 17:24:21.110
誰か中国語を訳してくれる人いないかな
gooole翻訳だとどうも変で
一応翡翠とか宝飾品は見つかったそうだけど
0752世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 17:30:07.730
google翻訳だとこう

宮殿エリア貴族の決済システムの探査領域の東側では、
店は厚い朱色の十三陵(2015XM7)があり、その後、
救助発掘を行っ見つけました。 2015XM7大規模は、よく保存。
厚手の辰砂で覆われた墓の終わりには、30以上の作品を含め
、漆器、翡翠、陶器や他の葬祭オブジェクトを含む発掘、
棺を描いている可能性があります。

何と二里頭王朝は漆器が作られていた模様
0753世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 18:54:44.120
>>752
下っ端の役人じゃ無くて王族の墓が見つかるといいね
もちろん未盗掘なのは大前提だが
0754世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/16(土) 19:33:06.560
でも見つかった副葬品を見ると小役人ではないと思う

巨大な墓とあるし
水銀を使った朱塗りの棺室
副葬の豚と共に埋葬された従者らしき屍
トルコ石の珠と四角系の器、陶器、漆器、そして百枚の
貝?銅の鐘、玉細工

特に貝は割と重要な発掘じゃないかな、洛陽盆地で貝が流通していた
という証拠だし
0755世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/17(日) 19:49:53.380
昔は貝を貨幣代わりに使用してたと言われていたし、凄い発見かもね
0756世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/30(土) 12:59:35.000
>>713
高句麗とか沃沮とかは玄菟郡が廃止された後
0757世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/30(土) 22:00:25.250
<解読して欲しい未解読文字>
1、インダス文字
2、巴蜀文字
3、線文字A
4、オルメカ文字

<完全にすべて解読して欲しい文字>
1、甲骨文字(一部未解読)
2、金石文字(一部未解読)
3、マヤ文字(10%ほどが未解読)


これで人類の歴史の始まりの時期の大半が判明するだろう
0758世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/30(土) 22:15:58.980
マヤ文字って9割も読めるようになってたのか
ちょっと前は6割程度って話だったけど、随分進歩したんだなあ
0760世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/01(月) 07:35:11.390
あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?
0761世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/01(月) 08:51:33.880
甲骨や金石の「一部未解読」って、現行の漢字との類縁が切れてる文字だから、いつまで経っても読めるようにはならないのでは。
0762世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/01(月) 11:06:58.790
そういうのは今の漢字に置き換えられなくても意味が判ればいいんだよ。
以前聞いた誰かのお気に入りの甲骨文字は
「農耕が始まる前の春先に王が畑で立ちションベンして地に霊力を与える」
の象形だそうだ。
0764世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/02(火) 17:37:20.380
二里頭遺跡でも文字みたいに見える文様がいくつか見つかっているそうだけど
0765世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/03(水) 14:48:49.190
>>764
甲骨文字に似ている
ただ資料が少なすぎて意味不明
今後の発掘調査に期待だな
甲骨文字の前段階はほぼ確実にあっただろうしさ
0766世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/03(水) 14:49:59.680
>>763
契丹文字の方は確かまだ未解読だったはず
漢字によく似た字なのに分からないとは・・・・
0767世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/03(水) 20:14:47.220
敦煌莫高窟みたいに、同じ内容で3種類の言語で書かれたものが出てこなけりゃ進展しない
0769世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/06(土) 13:18:00.090
ところで夏に比類される二里頭文化の支配地域と殷に比類される二里岡文化に
挟まれるように輝衛文化という独自の土器を有する文化圏が同時代にあったそうだが
史記だと輝衛文化は何国になるんだろう
夏の同盟国?
0770世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/06(土) 19:06:47.020
>>769
史記でも夏の周囲にいろんな豪族の名前出ているしそれらのうちのどれかなんだと思う。
情報がほとんど無い岳石文化もすぐ近くにあるしこれも夏が滅ぶときに殷に付いたか夏に付いたかわからないけど
史記に出て来る有力者達の出身地だろうね。
0771世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/06(土) 19:10:00.990
輝衛文化って先商文化に滅ぼされてるし
湯王に滅ぼされた九夷あたりなんじゃない?
0772世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 19:28:57.030
史記に出て来る夏に朝貢にやって来る連中は周辺の文化圏からやって来ているんだろうね
彼らの自称は全然わからないままだが当てはめるのも不可能じゃ無いはず
0773世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/16(火) 12:23:17.970
二里頭文化より先に青銅器文化が栄えていた斉家文化は
もしかして夏の王位継承を認めなかった有扈氏だろうか
0774世界@名無史さん
垢版 |
2016/02/25(木) 11:07:27.300
調べてみたらどうも二里頭遺跡では以前から宮殿区域で大量の宝貝が
発掘されていた模様
宝貝は南方の海でしか取れず、当時の二里頭王朝の勢力範囲では
到底とれる訳がないのでなんらかの交易ルートがあったと思われる
0777こんなオカルトな説を見つけた。。。
垢版 |
2016/06/14(火) 22:31:18.740
53 :   :03/03/07 02:51 ID:???
NAME:白根 英夫

(略)

54 :Å番外編・日本原理主義 /白根:03/03/07 02:54 ID:???

(略)

さて、僕は、邪馬台国など封印されている日本の古代史を、これから暴露していくつも
りだが、中国の古代の歴史の概要は、次ぎのようなものであって、日本人は中国人によ
るニセの歴史観から解放されるべきだと思う。


【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/53-57n
0778こんなオカルトな説を見つけた。。。
垢版 |
2016/06/14(火) 22:32:15.650
55 :53 54:03/03/07 02:55 ID:???
古代中国の「夏」王朝は、日本の縄文時代人によって開かれた世界文明のことであって
この世界文明は、古代オリエントからアフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラ
リア大陸・そしてヨーロッパを除くユーラシア大陸全体に広がっていたのです。

古代インドのインダス文明や、古代オリエントのシュメール文明は、この日本の縄文人
によって開かれた世界文明を継承した文明です。 このことは古代日本の神代文字で、
いままで解読不能であったインダス文字などが解読できた事実によって明らかなことで
す。

司馬遷(前145頃-前86年頃)という古代中国の歴史家は、前漢の武帝によって、牢獄に
つながれたまま「史記」を書かされましたが、その古代史は、日本の縄文人の世界文明
を「夏」と置き換えていますし、同様に次の「殷」王朝は、インダス文明のことで、
さらに次の「周」王朝とは、シュメール文明のことです。
だから、いくら「夏」「殷」「周」を中国領土内で探しても見つからないのです。(笑

そして「周」の後の「秦」は、アッシリアやバビロニアに滅ぼされた古代イスラエルの
12部族のうちのユダ族が中心になって建国した王朝です。 そして秦の始皇帝もユダヤ
人で、秦始皇帝の側近の方士の徐福もユダヤ人でした。
ここで言うユダヤ人とは、現在のアシュケナージ・ユダヤ人とは異なるセム系民族の
ことで、全部、日本に渡来してきて混血してしまいました。

発掘された秦の始皇帝稜を中国政府が公開しないのは、なんと全てペルシャ仕様の遺物
だけだったからです。 司馬遷は、前漢の武帝によって「史記」を書き終わったあとに
歴史偽造の秘密を漏らさないように殺されてしまいましたが、現代の中国人も、この
偽造史書である「史記」の虚偽が発覚するのを恐れて始皇帝稜を公開できないのです。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/55n
0779こんなオカルトな説を見つけた。。。
垢版 |
2016/06/14(火) 22:35:29.650
56 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

紀元前の弥生時代の日本に、秦帝国(前221-前206)を動かしたユダ族が大挙して渡来
してきました。 これ以外にも縄文時代末期から弥生時代前期にかけて、縄文人の末裔
であるシュメール・エジプト・インダス文明の担い手であった渡来人(イスラエル・
スキタイ・エジプト・インド、その他、ポリネシアン・アフリカン)が全部、日本に
来ているのでした。 日本の古代遺跡からは、その証拠が豊富に発掘されています。

この当時の「倭国」は、土着の縄文人の豪族の国々(この筆頭が邪馬台国です)と、
渡来人の国々との間で内乱状態だったのでしたが、姻戚関係を結ぶことによって混血化
していき、縄文時代とは異なる金属文明である弥生時代化が進んだのです。 

「魏志倭人伝」での邪馬台国は、現在の北部九州地方・山陰地方から近畿地方の日本海
沿いに展開しており、それと対抗していた「狗奴国」とは、失われたイスラエル10部族
の国であり、南部九州地方・瀬戸内海 四国地方・近畿地方に展開していたのですが、
最終的に倭人の「狗奴国」が平和的な姻戚関係を結ぶことによって大和朝廷を建国した
のです。

朝鮮半島の「馬韓」「辰韓」「弁韓」は、その後に「高句麗」「新羅」「百済」と国名
を変えましたが、この3国は、「倭国」と、それに続く「大和朝廷」によって完全に
コントロールされていたのです。

弥生時代や古墳時代の日本(倭国)は、朝鮮半島の3国を徹底的に任那日本府によっ
てコントロールしており、また原住民の民度向上のためのテコ入れをしていたのです。
朝鮮半島と日本海は、日本(倭国)と大陸との通商ルートであり、同朋民族の渡来経路
だったので、大和朝廷としては、何が何でも統制下に置いておく必要性がありました。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/56n
0780こんなオカルトな説を見つけた。。。
垢版 |
2016/06/14(火) 22:36:14.240
57 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

飛鳥時代の聖徳太子が、かつての植民地人にすぎない古代中国の末裔「隋」(581年
-619年)に向かって「日の没する処の天子へ書を下す。 つつがなきや」と卑下した
外交文書を送付したのも当たり前のことだったのですが、その後の663年の「白村江の
戦い」で日本が「唐」(618年-907年)に敗北していらい、唐の占領軍が日本に進駐し
てきて、かつての正しい歴史記録文書(日本史と世界史)をすべて焼却してしまい、
神代文字は廃止されて漢字文化一色になってしまったのです。

この「白村江の戦い」での日本の敗北は、日本国内に蔓延した仏教を原因とする日本の
指導部の無能化(平和主義と、客観性を無視した主観性重視の傾向)のためであり、
また神国を自覚しない民に対する神罰と、法華経という至高の仏法を護法しない民に
対する仏罰とも言える現象です。 これによって縄文時代の世界文明の記録も、渡来人
の記録も全て消されてしまったのてすが、これも、よくよく考えてみると、神様の計画
だつたのかもしれません。

しかしながら、ようやく21世紀に至り、全世界の諸学者が「日本はシュメール粘土板
文書に書かれていた楽園の”ティルムン”であり、旧約聖書でいう”東の方・エデンの
園”であり、日本人は神の民だった」と理解しはじめているのです。    (続く)




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/57n
0781世界@名無史さん
垢版 |
2016/07/01(金) 10:19:31.840
 
 
      膨張する集団がコントロールされる。
0783世界@名無史さん
垢版 |
2016/07/19(火) 16:45:09.720
夏は中国の学者が調査して再び埋めてしまって保存している。
日本の学者は手を出せない。
殷の遺跡は地区全体が博物館になっているが日本人の訪問は
非常に少ない。中国人にとっては上野公園みたいになっている。
周は遺跡は少ないが中国人ガイドによると日本の書道家のグループが
文字の研究に来ると言っていた。
中国古代史は日本人が手を出せなくなっている。
0784世界@名無史さん
垢版 |
2016/07/19(火) 23:45:14.940
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。
0786世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/05(金) 16:44:50.030
夏の初代皇帝の禹は治水に功績があったそうだが、
その黄河の大洪水の跡が見つかったという話が出ている。
越の先祖は夏の皇帝の庶子の説があるが地理的にも不自然。
長江文明の王朝の子孫のほうが地理的には説明がつきやすい。
長江文明の研究がすすむと夏王朝との関係が出てくるかも知れないが・・
0787世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/05(金) 18:17:24.770
夏と思われる二里頭遺跡からは米も出てるんだぞ
夏は長江文明だよ
0788世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/05(金) 22:10:49.710
禹(う、紀元前2070年頃)は<支那>古代の伝説的な帝で、<支那最初の王朝である>夏朝の創始者。
・・・帝堯の時代に、禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9

という話は伝説だと思われてきたが、4,000年前の黄河の大洪水が確認され、
史実説が有力になっているんだと。↓
Scientific Evidence of Flood May Give Credence to Legend of China’s First Dynasty
http://www.nytimes.com/2016/08/05/science/china-great-flood-xia-emperor-yu.html
0789世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/21(日) 18:03:49.440
>>147
何が縄文文明だよw
ペタペタ土器作ってた原始人が文明なら世界中文明だらけだわ
0790世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/25(木) 10:10:08.290
黄河は時代によって、泗水、淮河と複雑に変化している。
変化のきっかけは洪水だろうから、それを制御できたはずがない。
0791世界@名無史さん
垢版 |
2016/08/25(木) 17:32:50.140
太古の水路の変化が神話化されたのが禹王の神話だと考えれば問題ないな。
0792世界@名無史さん
垢版 |
2016/09/04(日) 11:34:50.410
中共の地球化学者による漢人ヒクソス人説を紹介している。

<司馬遷の「夏」の地理的描写は黄河地域ではなくエジプトに酷似。↓>
・・・<Chinese Academy of Science, Guangzhou Institute of Geochemistry> geochemist・・・Sun Weidong
<(孫衛東)>・・・ quoting historian Sima Qian’s description of the topography of the Xia empire -
traditionally regarded as China’s founding dynasty, dating from 2070 to 1600 B.C. “Northwards the stream
is divided and becomes the nine rivers,” wrote Sima Qian in his first century historiography, the Records
of the Grand Historian. “Reunited, it forms the opposing river and flows into the sea.”

エジプトから追い出されたヒクソス人の一部が、青銅器文化をひっさげて、海上から支那にやってきた。
In other words, “the stream” in question wasn’t China’s famed Yellow River, which flows from west to east.“
・・・argues that China’s Bronze Age technology, widely thought by scholars to have first entered the northwest
of the country through the prehistoric Silk Road, actually came by sea. According to him, its bearers were
the Hyksos, the Western Asian people who ruled parts of northern Egypt as foreigners between the 17th
and 16th centuries B.C., until their eventual expulsion.
0793世界@名無史さん
垢版 |
2016/09/04(日) 11:35:14.540
ヒクソスの青銅器文化は、「夏」の次の「殷」のそれと酷似。
He notes that the Hyksos possessed at an earlier date almost all the same remarkable technology
- bronze metallurgy, chariots, literacy, domesticated plants and animals - that archaeologists discovered
at the ancient city of Yin, the capital of China’s second dynasty, the Shang, between 1300 and 1046 B.C.
Since the Hyksos are known to have developed ships for war and trade that enabled them to sail the Red
and Mediterranean seas, Sun speculates that a small population escaped their collapsing dynasty using
seafaring technology that eventually brought them and their Bronze Age culture to the coast of China.・・・
http://foreignpolicy.com/2016/09/02/did-chinese-civilization-come-from-ancient-egypt-archeological-debate-at-heart-of-china-national-identity/

https://scholar.google.com/citations?user=44fns5kAAAAJ&;hl=en (<>内)

ヒクソスについては、下掲参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%AC%AC15%E7%8E%8B%E6%9C%9D
0794世界@名無史さん
垢版 |
2016/09/04(日) 13:52:07.030
>>788
世界各地で伝説に何らかの裏づけがあることが証明されているからね
0795世界@名無史さん
垢版 |
2016/09/05(月) 02:55:44.590
歴史畑の学者が唱えているならともかく、広州の地球化学研究所研究員の唱えてる無駄に壮大なだけの説を持ち上げられてもな。
トンデモ発掘乙としか。
0796世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/04(火) 03:37:46.350
夏王朝は実在したよ
その王都が二里頭なのか、龍山なのな
ここがポイントなわけで
0798世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/04(火) 12:37:25.160
夏王朝が新石器時代
殷王朝から青銅器時代

夏王朝時代に国家権力らしきものが確立したのだろうね
それまでは単なる集落社会
だから夏王朝の前は神話時代になっている
0799世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/04(火) 12:50:51.510
イケメンだったエジプト人は、シナにきたらブサイクになっちゃったのかw
0800世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/04(火) 13:43:26.460
さすがに漢チベット語族を中東に起源を求めるのは無理すぎるだろう
ヒクソス語から発展したと考えるには娘言語が広範囲に多数ありすぎる
孫氏はどう考えてるんだろう
0802世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/12(水) 01:39:50.000
>>801
本日これと、同じ中公新書の殷を買ってきました
当方は白川先生のファンですが
0803世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/12(水) 10:37:54.940
>>796
邪馬台国も実在したよ
その王都が畿内なのか、九州なのか
ここがポイントなわけで
0804世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/16(日) 18:20:26.880
そろそろ夏殷周ってのやめて夏商週に変えようぜ
0805世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/16(日) 18:21:10.560
夏商周だなスマン
0806世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/17(月) 14:24:52.220
確かに、英語文献でもYinよりShangと表記してあることが多いな
0810世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/17(月) 22:29:37.890
殷墟ってのは商滅亡後の周側からの呼称なので、殷墟のままで問題ないような。
0811世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/17(月) 22:32:30.040
ところが漢籍を読むと圧倒的に「殷」のほうが多いのだ
0812世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/17(月) 22:49:56.860
商の後期を殷と呼ぶ使い分けしている人も多いよね
0813世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 00:14:11.750
>>812
なんで二種の呼び方があるんでしょうか
0814世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 00:16:21.820
>>813
自称と他称
0815世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 02:11:57.050
中国が呼称を商の方に切り替えた経緯を知らない人もいるのかな?

商と殷の二通りの呼称がある事については早い時期に理由が忘れられてしまい、
たぶん史記が殷を採用したことで殷と呼ぶことが定着していた。
ところが、殷墟で発見された甲骨文を解読していったところ、
商のみが使われていたため、正式な国号は商であると分かった。
殷については周側からの他称とみられてるが、都市名説を取る人もいたはず。

で、中国は考古学的成果を反映して商に切り替えたのに対し、
日本は保守的に伝統的な呼称の殷を使っているという次第。
0816世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 02:20:43.560
インシュウシンカンサンゴクシン♪がショウシュウシンカンサンゴクシン♪に変わったら唄いにくいだろ!!
0817世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 02:27:58.090
漢文の文書にはたいがい殷と書かれてる
商と書かれてる文は見かけない
0818世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 03:31:35.600
最近変わったんだから殷が多いのは当たり前
0820世界@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 09:53:49.260
>>816,819
夏は?
0821世界@名無史さん
垢版 |
2017/04/12(水) 15:20:17.690
夏殷周も大事だが
長江文明&遼河文明もお忘れなく
0822世界@名無史さん
垢版 |
2017/04/12(水) 16:25:05.670
装飾音符のように、カショウシュウ〜で歌える
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況