http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167_01.html
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戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩
2011年2月5日21時0分

戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、
会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが
東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、
宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。

箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。
いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。
「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。
「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。
(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。

この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。
戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、
ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。