【コテカから】衣服・装身具の歴史【モードまで】
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フードをかぶった旧石器時代のビーナス像から、現代の
ファッション百花繚乱に至るまで幅広く語りましょう。
個人的にはヨーロッパでストライプ柄がアウトローの象徴として
扱われていたルーツに興味があって。囚人服・道化・異教徒…一体どこから? 中東は縦ストライプの服が多いので、欧州からすると異教徒のイメージ
だったのかな。 インドもムガール細密画とか見るとシマシマ着た高官が多い。
イスラムつながりだろうか。 意外にも縞柄の起源はスイス。
バチカンのスイス傭兵隊のコスチュームも縞柄。
囚人服が横縞なのは「よこしまな心の人間」だからですか? >>7
もし脱走した場合でも一目瞭然なので。
ちなみに日本では裸で逃げても分かるように腕に横縞の囚人タトゥを入れた。 日本のセーラー服の襟
関西襟・関東襟・名古屋襟・札幌襟
この違いは、どこから発生したのだろうか?
紀行の違い?
近隣の先発導入校の追随? イートンとかの制服を導入しなかったのはなぜだろう? バイキングの角の兜って、どこから生まれたイメージなんだろう。 アメリカだと学生は、チェックのスカートのイメージがあるのかな >>12
海外王室と皇室の交流で王族男子のセーラー服が伝わって、
他に普段着る物がない上流の女子の洋装になって、それが広まって制服と化したんでは
男子は詰め襟でいいんだし >>16
王族とか関係ねっての!
近代の日本は富国強兵の名の元、国民皆兵制度により
幼少時から国民を軍人に仕立てる必要性があった。
従って
女子学生は海兵をイメージしてセーラー
男子学生は陸兵をイメージして詰襟
となった。
よく覚えて桶 よく覚えて桶は、いい加減見飽きた。
大抵誰でも知ってるネタでうざいだけ。 >>17
何の根拠もない説だな
水兵服を気に入ったヴィクトリア女王が、自分の子女や娘の嫁ぎ先に
セーラー服を誂えさせて与えたのが1841年で高級子供服のモデルになった
それと前後してパリで女性のファッションとしてセーラー服が流行しており
モードとして欧州・アメリカへ伝わっている
女子生徒の制服となったのも欧州が初
日本のセーラーは英国留学していたアメリカ人エリザベス・リーが
自身が学長をしていた福岡英和女学校の運動服として採用したのが初
全国に広まった理由が海軍だからとか何の証言も証拠もない説 はじめまして
ヴィクトリア女王絡みですがクリノリンのドレスが大好き
ウェディングドレスに着て見たいw 現代に残るクリノリンは、ウェディングドレスだけですからね。
よくある中世のお姫様のドレスのイメージが結構、18世紀から
19世紀のドレスであることが多い。この時代のデザインが
現代にも通用することからきているのかもしれないけど。 中世の人間が古代を描いている場合、風俗描写が同時代のもので現代人から
突っ込まれることがありますが。
現代人が中世を描いてみても、出て来るものは近代の産(下着や水着から髪
型に到るまで)ということはざらで、今あるものを当たり前のものと思う習
性は何時の時代、何処の国でもよく見られる様ですね。 こんなスレが存在するなんて知らなかった。このスレもいつもの系列? 「形」、「色」、「星」とかの文化人類学的なスレ。スレ主は同じ人と本人らしき人が言っていた。 27で挙げたスレは、自分が立てたスレですけど、ここは違います。 youtubeで、役に立ったのは、服装史の本では、まずわからない着衣方法。
映画とかでもめったにないし。 >>29
クリノリンは、お姫様のドレスのイメージだからね。
「911 CG」「癌 利権」「人口削減」「経世会狙い撃ち」「311人工地震」「間接支配」「新帝国循環」
「アーロンルッソ」「長谷川浩」「日銀株主」「電通 成田豊」「MKウルトラ」「コシミズ 中国」
「東電OL殺人事件真相」「天皇の金塊」「根路銘国昭 」「衛星サーベイランス」「FEMA強制収容所」
「携帯電話移動履歴監視」「対日超党派報告書」「カルト指定」「オウム 真相」「2ch 統一教会」
「東日本ハウス 竹中」「ワクチン利権」「サイコトロニクス」「RFIDチップ移植」「正力松太郎」
「ベクテル」「恫喝殺人」「マグナBSP」「黒い手帖」「地下経済」「123便墜落の真相」「橋下 米国」
「エイドリアンギブズ」「非殺傷兵器」「ケムトレイル」「国際勝共連合」「統一産経」「共同通信 CIA」
wikiも充実してきた。
ストマッカーでも検索できるようになったし。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Stomacher
絵と分からなかったけど、こうして分けてくれるとわかりやすい。 かなり高度な服を作る技術がないと温帯以北には住めない(冬に耐えられない)と思うんだが、人類って体毛がふさふさしている時代に服を発明したのだろうか?
熱帯なら服はいらないし、不思議だ。 アフリカ大地溝帯で狩猟のとき長距離走ってたんで発汗冷却のため体毛なくす方向で進化したってことだから、
紅海わたる時点で既にツルンツルンだったんじゃねーの それは胡散くさい説だな。
雌は毛だらけでいいじゃん。 説の真偽には詳しかないが、雄の遺伝子が子供(雄雌かかわらず)に伝わっていくから、
その点では矛盾ないんじゃないの 人類学の先生が身を飾るために服を着始めたと言ってた
暑さ寒さを凌ぐなどの機能性はそれより後じゃないかな アウトドア派からみると転んだりしたときの怪我防止だと思うけどね>衣服
昨今は全く聞こえてこないが日本でも近年迄破傷風があったし
俺が子供の頃田舎へ帰ったときに野山で怪我した際に親族の「消毒しろ」の大合唱が煩かったこと… 運動と気候が原因でツルツルになるなら
人類を省くサルの中にツルツルの奴がいてもいいはずだ 逆に考えたらどうだろう
突然変異か、何らかの原因で体毛が薄い奴らが現れる
→生物として不利なのでより頭を使う、服を着て補う
→争いなどで頭の良い奴らが勝利する
→どんどん体毛が薄くなっていき、頭脳と服が進化する 衣服の発生の理由を一つに絞ろうとするのが無茶な気がするなあ
とりあえず生殖器を守る目的、というのはいくつかある中の一つで、その中でも特に
根源的なものだと思う
それこそスレタイにあるようにコテカがそれなわけだし
そっち系の話なら『みっともない人体』が参考になる。 >>40
怪我防止のため、短パン・半ズボン・半袖禁止とか制限があるところは
あるしね。 和服=直線裁ち、洋服=曲線裁ち、のイメージが強かったが、
19世紀アメリカの農夫や奴隷の服を見たら四角いパーツの組み合わせで
意外に感じたのを覚えてる。
貴重な生地を無駄なく使わねばならない環境では東西を問わずそうなるのかもね…
と思ったが、実際はどうなんだろうか。 直線立ちの方が簡単に作れるから
…でしょ?
曲線裁ちだとサイズを合わせて、型紙を作って…という手間がいる。
直線立ちだと作るのも簡単だしサイズもフレキシブル。 宝石をドレスに縫い付けるて、具体的にどうするんだ。
宝石に穴を開けてボタンみたいにするのか? グリム童話とかだと、王女でも花嫁衣装のドレスを作るんだよね。 19世紀より前の花嫁衣裳は純白ではない色付きが主流だったって本当? >>49
表現しづらいが、宝石の周りを糸で何重にも囲んでふちどってた記憶が。 中近世のお財布はベルトにつるした巾着モドキだから、ナイフでひもを切るのがスリの常套手段だけど、
スリならぬ、宝石泥棒とかいなかったのだろうか? ヨーロッパだと刺繍は上流階級の女性のたしなみとされたけど、何でだろう?
芸術扱いか? ヒマがないとやってられない、
働きづめのビンボー人はそんな余裕がないから…かな >>51
普通に考えればそうだろうね。色によって染料の価格が違う、むらがない均一に染めるのも難しい。
純白=純血のイメージよりも、高価な色=富の誇示だし。 質問です。
戦前の日本が輸出した生糸は主にストッキングになっていたそうですが、
なぜストッキングに絹だったのでしょうか。化学繊維はそれほど普及していないにせよ、
絹がストッキングに向いている理由、他の繊維ではダメだった理由を教えてください。 「絹の靴下」と言えば高級品。
絹のストッキングをはいているのは富裕層。
現在のナイロンストッキングみたいなものを想像しちゃダメ。 絹のストッキングとか靴下とかが流行していたから。
履き心地と光沢は他を寄せ付けない。 日本の生糸の品質が悪すぎて、アメリカでストが起きるんだよね。 着物の語源は、呉の服、呉服。チャイナドレスは満州の民族服w
と大して変わらないね。 前髪ってのは邪魔になりやすいから、世界中で額を露出する髪型が主流だったと思う
前髪を額に垂らし始めるのはいつから? >>35
人類の被服の着用は、頭虱と毛虱が分化した後、
つまり毛が抜けてから、被服をまとった。との説がある。 >>62
チャイナドレスは中国民族衣装ではなく、上海が植民地になった時、
白人を相手にする女達が着たもの。
白人男か中国女か仕立屋か誰がデザインしたかは分からん。
現地中国人からは白い目で見られた服装。
例えれば、日本の着物をミニスカートにした様な感じ。
ちなみに俺は嫌いじゃない。 >>62
呉服とは絹織物の事。
養蚕は中国の技術。
遣唐使も積極的に生糸を輸入した。
日本の養蚕業が盛んになるのは、江戸時代。
呉服屋とは呉の服を売る店ではなく、外国ブランドの高級絹反物を売っていますよ、の意味。 >>52>>54
七八年前ドレスデン展で見たがミラー刺繍状で宝石なので盛り上がった感じだった。
男性貴族用衣装だったが豪華だった。
宝石はルビー・サファイア・エメラルドの色石でカットは悪い(光らない)が大きかった。
ダイヤモンドは産業革命以降照明が格段に明くなってから、
夜会時ギラギラ光るので人気がでたそうだ。
16世紀は大きさ勝負
17世紀はギラギラ勝負と言うことか。 ワイシャツは、昔は襟とカフスが取り外し可能だったけど、
分離するメリットがないような気がするけど。
これって、本体は洗濯しないで襟・カフスだけ洗うため? >>71
わざわざ分離したんじゃなくて、襟やカフスは装飾的なもので、
服を着るときにフレキシブルにつけたりはずしたりするものを作った…
というところから始まってるんじゃないの。
時代が下るにしたがって着脱が簡単なように一体化したものを作った。 >>70
産業革命の頃に照明ってそんなに明るくなったの?
電気の灯が本格的に普及したのは20世紀に入ってからのことだし
それまでは蝋燭とか良くてガス灯程度で、たいして変わってないんじゃない? 室内ガス灯はあった、
ぎらぎらが17世紀は早い。
エリザベート后の星の髪飾りは、理想カットまではいかないが、けっこう光ってた。
19世紀後半には、キラキラがあったといことだ。
実用電球はもっと後だったと思う。
いずれにしても17世紀は誤り。 29
半纏・浴衣・丹前あたりはあまり人前で着るものじゃない(本来は)
親しい人や目下の相手の前ならともかく
浴衣もちょっと近場に出るぐらいならいいが、戦前はあれを着て
公共交通機関を利用する若者は非常識扱いされた Tシャツやキャミソールが街着になるのと同じ流れだよね。
下着・部屋着が外出着に昇格する。
シャネルがジャージー素材をファッション化したのが契機なのかな。 今でも浴衣なんぞで電車には乗らんだろ。
下着の外出を容認するなんて厳罰化でもした方が良い。 >今でも浴衣なんぞで電車には乗らんだろ。
花火大会のときはたくさんいるぞ。 温泉街で浴衣のまま表出るのと同じ感覚だろ。
それを当り前だと抜かすのなら、神経狂ってるから禁止しろ。 現代中国の学校の制服は、イベント時の正装用で
普段はジャージみたいなのをきているという。 身分によって着る服が違うのに、
民俗衣装なんて成り立つのか? イタリアとかスペインとかポルトガルとかの南欧の昔の絵を見ると
皆長袖だけど暑くなかったんかな
不思議だ アラブ人は
皆長袖だけど暑くなかったんかな
不思議だ。 >>79
Yシャツももとは下着。ゆえにベストが必要で、ベスト無しでYシャツのみ
は普通はあり得なかったらしいね。 北方民族は魚の皮で下着をつくっていたと聞いたんですが、
皮と皮の継ぎ目はどうしたんでしょうか?
普通に糸で縫ったんですか? >>85
身分によって色や材質の制限はあるが、同じ服じゃないか? 袖の膨らんだ男性シャツの名前を教えて下さい。
例をあげると、(フィクションだけど)三銃士の主人公とか、異国迷路のクロワーゼで男の子が着ているようなやつなので、18、19世紀のフランス庶民の服なのかなーと思ってるんですが。
袖自体はビショップスリーブとかペザントスリーブと言うらしいんですが、それで画像検索してもレディースしか出てきません。
中世の農民服も違う印象をうけます。
イラストの作画資料が欲しいのですが、あのシャツは何と言うのでしょうか 1630年代以後のプールポアンpourpoint
それ以前は詰め物で膨らませていた。 www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4563731.jpg.html
画像をつければよかった。このシャツです。
>>95ありがとうございます!!いくつか画像でてきました!! 古代エジプトやギリシア・ローマって文明が発達していたのに、
なんで半裸に近い格好してたの?
紀元前の中国は、きちんとした服装してたのに。 服装だけなら、中国のほうが文明国っぽく見えるよね。 逆に、なぜ文明国のギリシアやローマが半裸スタイルだったのか不思議だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています